大橋浩司
日本のサッカー選手、監督
大橋 浩司(おおはし ひろし、1959年10月27日 - )は、日本のサッカー指導者。三重県伊賀市出身。
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名前 | ||||||
カタカナ | オオハシ ヒロシ | |||||
ラテン文字 | OHASHI Hiroshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1959年10月27日(65歳) | |||||
出身地 | 三重県伊賀市 | |||||
ユース | ||||||
年 | チーム | |||||
1975-1977 | 名張桔梗丘高校 | |||||
1978-1981 | 大阪体育大学 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2004 | アルビレックス新潟シンガポール | |||||
2004-2007 | 日本女子 | |||||
2012 | 浦和レッズユース | |||||
2013-2016 | 浦和レッズジュニアユース | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集父親の影響で中学生のときにサッカーを始める[1]。三重県立名張桔梗丘高等学校、大阪体育大学を卒業後、故郷の三重県にて1982年から2000年まで公立中学校の教員としてサッカーの指導に携わる[1][2]。1999年に現役の中学教師として初めてJFA公認S級コーチライセンスを取得[2]。2001年より日本サッカー協会の専属指導者となる[2]。
2004年、シンガポールSリーグに参加するアルビレックス新潟・シンガポールの初代監督に就任。同年11月、日本女子代表(なでしこジャパン)の監督に就任し、在任中に2006年アジア大会で準優勝、北京オリンピックの本大会出場権獲得、2007 FIFA女子ワールドカップに出場といった実績を残す。契約満了にともない2007年限りで退任[3][2]。
2009年、大宮アルディージャのヘッドコーチに就任、2010年シーズン限りで契約満了により退任[4]。浦和レッズにて2012年にユース、2013年から2016年までジュニアユースの監督を務めた[5][6][7][8][9]。
2024年より、FC岐阜のアカデミーヘッドオブコーチング兼U-15コーチを務め、同年9月20日、トップチームのヘッドコーチに就任した[10]。
学歴
編集- 1975年 - 1977年 三重県立名張桔梗丘高等学校
- 1978年 - 1981年 大阪体育大学
指導歴
編集- 1982年 - 1984年 上野市立大成中学校サッカー部 監督
- 1985年 - 1992年 四日市市立南中学校サッカー部 監督
- 1992年 - 1998年 四日市市立羽津中学校サッカー部 監督
- 1998年 - 2000年 川越町立川越中学校サッカー部 監督
- 1985年 - 1994年 三重県トレセンU-14 監督・コーチ
- 1995年 - 1998年 東海トレセンU-14 監督・コーチ
- 1999年 - 2000年 JFA指導者養成インストラクター
- 2001年 - 2002年 JFAナショナルトレセンコーチ(関西担当)、U-12日本選抜 監督、U-14・U-15日本選抜 コーチ
- 2002年 知的障害者によるINAS-FIDサッカー世界選手権大会日本代表監督、アジア競技大会日本女子代表コーチ
- 2003年 - 2004年 JFAナショナルトレセンコーチ(東海担当)
- 2004年2月 - 同年10月 アルビレックス新潟・シンガポール 監督
- 2004年11月 - 2007年 日本女子代表 監督
- 2008年 JFA指導者養成インストラクター
- 2009年 - 2010年 大宮アルディージャ ヘッドコーチ
- 2012年 - 2016年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2012年 ユース監督
- 2013年 - 2016年 ジュニアユース 監督
- 2017年 - JFAナショナルトレセンコーチ 四国地域統括ユースダイレクター[11]
- 2021年 - 2023年 日本サッカー協会 技術委員会副委員長 (JFAアカデミーダイレクター、JFAコーチ)
- 2024年 - FC岐阜
- 2024年 - 同年9月 ヘッドオブコーチング兼U-15コーチ
- 2024年9月 - トップチーム ヘッドコーチ
出典
編集- ^ a b “FIDサッカー日本代表・大橋浩司監督(再)_005”. Paraphoto (2003年11月15日). 2018年5月9日閲覧。
- ^ a b c d 大住良之 (2007年11月28日). “No.675 大橋監督の退任を惜しむ”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト. 2018年5月9日閲覧。
- ^ “なでしこ大橋監督退任「責任は終えた」”. nikkansports.com. (2007年11月27日) 2018年5月9日閲覧。
- ^ “大宮、鈴木監督の続投と退任スタッフを発表”. ゲキサカ. (2010年12月5日) 2018年5月9日閲覧。
- ^ 『2012シーズン、アカデミーセンター、ハートフルクラブの指導体制につい』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2012年1月24日 。2018年5月9日閲覧。
- ^ 『2013シーズンの育成部門の体制』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2013年1月19日 。2018年5月9日閲覧。
- ^ 『2014シーズン 育成部門体制について』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2014年1月30日 。2018年5月9日閲覧。
- ^ 『2015シーズン 育成部門体制について』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2015年3月25日 。2018年5月9日閲覧。
- ^ “ジュニアユースチーム”. 浦和レッドダイヤモンズ. 2018年5月9日閲覧。
- ^ 『天野賢一監督就任、および大橋浩司氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)FC岐阜、2024年9月20日 。2024年9月20日閲覧。
- ^ “2017ナショナルトレセンU-14後期 地域対抗戦(11/23~26)参加選手一覧” (PDF). 日本サッカー協会 (2017年12月7日). 2018年5月9日閲覧。
- “(協議)資料№4②” (PDF). 日本サッカー協会 (2007年11月26日). 2018年5月9日閲覧。
- 『大橋 浩司氏、ヘッドコーチ加入のお知らせ』(プレスリリース)大宮アルディージャ、2009年1月6日 。2018年5月9日閲覧。