土方雄貞
土方 雄貞(ひじかた かつさだ)は、伊勢菰野藩の第8代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦13年9月18日(1763年10月24日) |
死没 | 天明2年11月4日(1782年12月8日) |
改名 | 直吉(幼名)、雄貞 |
戒名 | 翫乗院殿松山江月大居士 |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
官位 | 従五位下、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国菰野藩主 |
氏族 | 田沼氏→土方氏 |
父母 | 父:田沼意次、養父:土方雄年 |
兄弟 | 田沼意知、田沼意正、九鬼隆棋、雄貞 |
妻 | 正室:土方雄端の娘・政子姫 |
子 | 実子:なし、養子:義苗 |
生涯
編集宝暦13年(1763年)9月18日、徳川家治時代に老中として権勢を振るった遠江相良藩主田沼意次の六男として江戸で生まれる。安永8年(1779年)12月19日、第7代菰野藩主・土方雄年の養女(雄年の妹[1])を娶って養子となる。これは雄年が幕府との関係を強化したかったためと言われている。安永9年(1780年)10月8日、雄年が隠居したため、その跡を継いだ。しかし若年の上、藩政の実権は雄年がなおも握っていたため、雄貞は藩主としての主体性をほとんど発揮することがなかった。
天明2年(1782年)11月4日、家督相続から2年で死去した。享年20。実子がなかったため、養子の義苗が跡を継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 政子姫 ー 土方雄端の娘
養子