向山宏

日本の映画合成技師

向山 宏(むこうやま ひろし[1]1915年大正4年)[2][3]2月16日[2][4] - 没年不明)は日本映画の合成技師長野県出身[2][3]

経歴

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1940年昭和15年)12月1日に東宝映画に入社[2][3]。元々は着物の模様師を務めていたが、「ぜいたくは敵だ」とする戦時中の国策により仕事がなくなる[5][3]。その頃、美術学校に通っていた兄が、映画『姉妹の約束』で使用する彫刻の製作のため東宝映画に行っていた際に、美術担当から合成担当の人材として絵描きを求めているという話を聞き、向山に話を持ちかけた[5]

合成撮影や合成作画を経験し[注釈 1]1942年に合成技師となる。同期には、同じく作画合成を担当する渡辺善夫がいた[6]

東宝争議の際は退社し、日映演に身を置く[要出典][注釈 2]1950年東宝に復社して以来、円谷英二の良きパートナーとして東宝特撮映画を支え[要出典]、合成といえば「向山合成」と称されるなった[3]。特殊技術課設置以降は合成係の係長となる。1970年に退社[7][3]

人物

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1963年にオックスベリー社製のオプチカル・プリンターが導入されるまでは、自作のプリンターを用いて合成作業を行っていた[2]。特技監督の中野昭慶は、向山の手先の器用さは円谷を上回るものであったと評している[8]。また、後年のインタビューで中野は、オプチカルプリンター自体はなくなったが向山の技術は後輩に受け継がれていると語っている[3]

東宝の田中友幸は、『ゴジラ』(1954年)での逃げ惑う群集に上からのしかかるように歩くゴジラをワンカットで合成したシーンを高く評価している[1]

和洋問わず楽器の演奏にも長けており、特に尺八はプロを唸らせるほどの腕前であったという[8]。また、円谷と三味線について談義していることも多かった[3]

主な参加作品

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受賞歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 当時は人手が不足していたため、合成班が撮影の手伝いも行っていたという[5][3]
  2. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、円谷の不在時も東宝に在籍していたと記述している[2]

出典

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  1. ^ a b 決定版ゴジラ入門 1992, p. 162, 「第5章 これがゴジラ映画だ 制作した人たち」
  2. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画全史 1983, p. 543, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 東宝SF特撮映画シリーズ8 1993, pp. 155–165, 「ゴジラ40年記念座談会 回想の東宝特撮円谷組」
  4. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「2月16日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、50頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  5. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 83, 「東宝特撮映画作品史 前史」
  6. ^ 但馬オサム「ピー・プロワークス 人物名鑑」『別冊映画秘宝電人ザボーガー』&ピー・プロ特撮大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年11月14日、pp.96-97頁。ISBN 978-4-86248-805-3 
  7. ^ 平成25年度 メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 日本特撮に関する調査” (pdf). 森ビル. p. 145. 2021年12月20日閲覧。
  8. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, p. 77, 「中野昭慶 爛熟期の特撮スタッフたち」

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 田中友幸『決定版ゴジラ入門』(第7刷)小学館〈小学館入門百科シリーズ142〉、1992年4月20日(原著1984年7月15日)。ISBN 4-09-220142-7 
  • 『ゴジラVSメカゴジラ』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.8〉、1993年12月11日。ISBN 4-924609-45-5 
  • 『特撮 円谷組 〜ゴジラと東宝特撮にかけた青春〜』洋泉社、2010年。ISBN 4862486223