吉泉秀男
吉泉 秀男(よしいずみ ひでお、1948年7月28日 - 2018年6月15日[1])は、日本の政治家。社会民主党所属の衆議院議員(1期、2009年9月 - 2012年12月)。山形県議会議員(3期、1997年2月 - 2007年4月)。
吉泉 秀男 よしいずみ ひでお | |
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生年月日 | 1948年7月28日 |
出生地 |
山形県東田川郡余目町 (現:東田川郡庄内町) |
没年月日 | 2018年6月15日(69歳没) |
死没地 | 山形県酒田市 |
出身校 | 山形県立酒田商業高等学校 |
前職 |
地方公務員(余目町) 社民党山形県連代表 |
所属政党 |
(無所属→) 社会民主党 |
称号 | 旭日小綬章 |
選挙区 | 比例東北ブロック(山形3区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年 - 2012年 |
山形県議会議員 | |
選挙区 | 東田川郡選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1997年 - 2007年 |
経歴
編集1948年に山形県東田川郡余目町大字余目字町(現庄内町余目字町)で生まれる。1972年3月に山形県立酒田商業高等学校を卒業し、余目町役場に入所。
1989年9月に山形県議会議員選挙補欠選挙に立候補するが落選。以後3回立候補するが、いずれも落選している。1997年2月の山形県議会議員選挙補欠選挙で初当選。2007年4月の山形県議会議員選挙で落選するまで3期務めた[2]。
2008年7月に山形3区の社民党公認候補者に認定。2009年8月30日実施の第45回衆議院議員総選挙では、民主党と国民新党の推薦を受けたが、自由民主党前職である加藤紘一に敗れた。しかし、比例東北ブロックにおいて同党比例名簿登載者の中で惜敗率でトップ(61.6%)となり、復活当選した[3]。その後、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で落選[4]。
2018年6月15日21時56分、胃がんのため、山形県酒田市の病院で死去[5]。69歳没。叙従六位、旭日小綬章追贈[6]。
政策・主張
編集脚注
編集- ^ 訃報:吉泉秀男さん69歳=元社民党衆院議員 - 毎日新聞 2018年6月17日
- ^ “県議選庄内3選挙区の開票結果”. 荘内日報 (2007年4月8日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ 東北次期総選挙(第45回衆院選)-ザ・選挙JANJAN全国政治家データベース
- ^ “山形 小選挙区 : 開票結果 : 総選挙2012”. 読売新聞. 2016年6月19日閲覧。
- ^ 吉泉秀男氏死去=元社民党衆院議員 - 時事ドットコム 2018年6月18日
- ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2018年7月14日朝刊
- ^ a b c “2012 衆院選 東北ブロック 社会民主党 吉泉秀男”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年12月18日閲覧。
外部リンク
編集- 吉泉ひでおオフィシャルサイト - ウェイバックマシン(2019年9月3日アーカイブ分)
- 吉泉ひでお『つれづれ日記』(公式ブログ)
- 吉泉秀男 公式ブログ - ウェイバックマシン(2016年4月1日アーカイブ分)
- 吉泉秀男 (@HideoYoshiizumi) - X(旧Twitter)