吉岡友愛
日本の陸軍軍人
吉岡 友愛(よしおか ともよし、1863年11月18日(文久3年10月8日) - 1905年(明治38年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐(戦死後大佐昇進)。玄洋社社員[1]。
吉岡 友愛 | |
---|---|
生誕 |
1863年11月18日 (文久3年10月8日) 日本福岡県 |
死没 |
1905年3月7日(41歳没) 奉天 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
最終階級 | 陸軍大佐 |
経歴
編集福岡藩(福岡県)地行出身。父は吉岡孫太夫善次、母はゆき、兄は義處。陸軍大学校卒。
日露戦争ではじめ旅順攻囲軍に属し旅順攻囲戦に参加、旅順陥落後の1905年(明治38年)1月26日に歩兵第三十三連隊長に着任し、黒溝台会戦に参加。奉天会戦でロシア軍を退却させたが逆襲に会い、1905年(明治38年)3月7日戦死。享年41歳。
奉天会戦で戦死した吉岡の後を受け第3軍高級副官となったのは塚田清市。吉岡は山座円次郎の少年時代からの親友であり、山座円次郎の妹いくと結婚し義弟であった。 金鵄勲章(功四級金鵄勲章)と勲三等旭日中綬章を授与された。 福岡市中央区にある西公園 (福岡市)に、日清日露戦争記念碑と共に吉岡友愛大佐記念碑があったが、1926年(大正15年)に建立された吉岡の銅像は、第二次世界大戦の最中に供出され現在は無い。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 西川虎次郎『吉岡大佐 : 忠孝義烈』大道学館、1925年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/917620