南高根沢村
日本の栃木県芳賀郡にあった村
南高根沢村(みなみたかねざわむら)は栃木県芳賀郡に属していた村である。
みなみたかねざわむら 南高根沢村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 祖母井町、南高根沢村、水橋村 → 芳賀町 |
現在の自治体 | 芳賀町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 芳賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,757人 (1950年) |
隣接自治体 | 祖母井町、水橋村、清原村、小貝村、北高根沢村 |
南高根沢村役場 | |
所在地 | 栃木県芳賀郡南高根沢村大字芳志戸 |
座標 | 北緯36度34分11秒 東経140度02分15秒 / 北緯36.56981度 東経140.0375度座標: 北緯36度34分11秒 東経140度02分15秒 / 北緯36.56981度 東経140.0375度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の芳賀郡の北部に位置する。
- 河川:五行川、野元川
歴史
編集村域の変遷
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、下高根沢村、芳志戸村、八ッ木村、給部村、上稲毛田村が合併し芳賀郡南高根沢村が成立する。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 南高根沢村は祖母井町、水橋村とともに合併し芳賀町が発足。南高根沢村は消滅。
- 1974年(昭和49年) - 旧南高根沢村の一部(給部の一部)は高根沢町に編入。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
昭和29年 3月31日 |
昭和49年 | 現在 | |
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芳志戸村 | 南高根沢村 | 芳賀町 | 芳賀町 | 芳賀町 | |
下高根沢村 | |||||
八ツ木村 | |||||
上稲毛田村 | |||||
給部村 | |||||
高根沢町 に編入 |
高根沢町 |
大字
編集- 芳志戸(ほうしど)
- 下高根沢(しもたかねさわ)
- 八ツ木(やつぎ)
- 給部(きゅうぶ)
- 上稲毛田(かみいなげた)
行政
編集- 南高根沢村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 螺良源内 | 1889年(明治22年)5月8日 | 1890年(明治23年)3月8日 | |
2 | 黒崎舜三郎 | 1890年(明治23年)3月17日 | 1893年(明治26年)3月21日 | |
3 | 戸室彌十郎 | 1893年(明治26年)4月1日 | 1897年(明治30年)4月1日 | |
4 | 〃 | 1897年(明治30年)4月6日 | 1901年(明治34年)1月9日 | |
5 | 黒崎満作 | 1901年(明治34年)3月14日 | 1902年(明治35年)8月20日 | |
6 | 龝山文七 | 1902年(明治35年)9月5日 | 1902年(明治35年)12月8日 | |
7 | 黒崎舜三郎 | 1903年(明治36年)1月16日 | 1905年(明治38年)8月22日 | 在任中死去[1] |
8 | 大谷津新三郎 | 1905年(明治38年)10月3日 | 1906年(明治39年)1月9日 | |
9 | 戸室彌一郎 | 1906年(明治39年)2月22日 | 1908年(明治41年)3月21日 | |
10 | 水野※太郎 | 1908年(明治41年)3月27日 | 1908年(明治41年)4月11日 | 職務管掌、郡書記[1] ※は金偏に春 |
11 | 螺良源右衛門 | 1908年(明治41年)4月12日 | 1909年(明治42年)9月13日 | |
12 | 黒崎治部衛 | 1909年(明治42年)9月25日 | 1910年(明治43年)5月1日 | |
13 | 岡田与左衛門 | 1910年(明治43年)5月11日 | 1914年(大正3年)5月10日 | |
14 | 小堀庄兵衛 | 1914年(大正3年)5月14日 | 1916年(大正5年)7月21日 | |
15 | 酒井森平 | 1916年(大正5年)8月23日 | 1917年(大正6年)7月21日 | |
16 | 手塚藤太 | 1917年(大正6年)11月22日 | 1918年(大正7年)2月26日 | 職務管掌、郡書記[2] |
17 | 加藤又四郎 | 1918年(大正7年)6月8日 | 1920年(大正9年)2月29日 | |
18 | 黒崎敬司 | 1920年(大正9年)6月22日 | 1922年(大正11年)4月18日 | |
19 | 加藤喜重郎 | 1922年(大正11年)5月20日 | 1923年(大正12年)1月4日 | |
20 | 齋藤順三郎 | 1923年(大正12年)5月11日 | 1925年(大正14年)5月5日 | |
21 | 小堀長一郎 | 1925年(大正14年)5月13日 | 1929年(昭和4年)2月6日 | |
22 | 螺良源右衛門 | 1929年(昭和4年)2月9日 | 1929年(昭和4年)10月27日 | |
23 | 広木謙一郎 | 1930年(昭和5年)1月28日 | 1931年(昭和6年)4月7日 | |
24 | 綱川文太 | 1932年(昭和7年)3月15日 | 1933年(昭和8年)3月22日 | |
25 | 〃 | 1933年(昭和8年)9月19日 | 1937年(昭和12年)3月25日 | |
26 | 見目英郎 | 1937年(昭和12年)8月4日 | 1941年(昭和16年)8月3日 | |
27 | 上野審一郎 | 1941年(昭和16年)8月31日 | 1942年(昭和17年)1月19日 | |
28 | 戸室利貞 | 1943年(昭和18年)3月1日 | 1944年(昭和19年)4月8日 | |
29 | 小堀文雄 | 1944年(昭和19年)9月7日 | 1946年(昭和21年)12月5日 | |
30 | 矢口憲一郎 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1948年(昭和23年)3月25日 | |
31 | 黒崎正美 | 1948年(昭和23年)4月24日 | 1950年(昭和25年)8月13日 | |
32 | 赤羽実 | 1950年(昭和25年)9月23日 | 1954年(昭和29年)3月30日 | 初代芳賀町長[3] |
出典:『栃木県町村合併誌 第一巻』, p. 378-379
人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 3,866 |
1920年(大正 9年) | 4,891 |
1935年(昭和10年) | 5,217 |
1950年(昭和25年) | 6,757 |
世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 806 |
1935年(昭和10年) | 870 |
1950年(昭和25年) | 1,093 |
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 9 栃木県』、角川書店、1984年 ISBN 4040010906
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
- 『栃木県町村合併誌 第一巻』 栃木県、1955年4月。
- 『芳賀町史 通史編 近現代』 芳賀町、2003年9月30日。