函館山
函館山(はこだてやま)は、北海道函館市の市街地西端にある山であり陸繋島でもある。陸繋島として表す場合でも「函館島」「函館山島」といった表現をすることは稀である。牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれる[2]。
函館山 | |
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青函連絡船記念館摩周丸から見た函館山(2024年5月撮影) | |
標高 | 334 m |
所在地 | 日本 北海道函館市 |
位置 | 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度座標: 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度 |
種類 | 成層火山[1] |
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プロジェクト 山 |
概要
編集標高333.8 m(メートル)、周囲約9.5 km(キロメートル)。南西部には溶岩台地が広がり、裾は断崖となって海に迫る一方、北東部はやや緩斜面で、浸食の進んだ幾つかの深い谷に刻まれながらも豊かな森林に恵まれている[3]。アイヌ語では亀を意味するイチンケ。ペリー艦隊はサンフランシスコのテレグラフ・ヒルを連想してそう呼んだ[4]。
ペリー来航時や1793年(寛政5年)のロシア艦入港時に住民はこの山に逃避した[4]。
2001年(平成13年)、「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。
地質
編集約2,500万年前[5]の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5,000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になった。 函館市の中心街はこの砂州の上にある。火山活動自体は200万年ほど前に終了している[5]。函館市街の地下に分布する軽石層が既知の第四紀火山噴出物と対比できないことから、函館山を給源とする可能性が指摘されている[6]。
- 地層
- 溶岩
構成する峰
編集函館山とは、展望台のある御殿山 (334 m)をはじめとして、薬師山 (252 m)・つつじ山 (306 m)・汐見山 (206 m)・八幡山 (295 m)・水元山 (280 m)・鞍掛山 (113 m)・地蔵山 (286 m)・入江山 (291 m)・エゾダテ山 (129 m)・観音山 (265 m)・牛の背山 (288 m)・千畳敷 (250 m)といった13の山々の総称である[11]。
- 御殿山 - 函館山の最高点。1860年(万延元年)の江戸幕府測量図では薬師山となっている。三角点高度は333.8 mであるがそれより若干高い。古絵図や古い写真によるともっと尖っていたが、津軽要塞(函館要塞)時代に削られ、第二次大戦後に函館山テレビ・FM放送所の置局によりさらに変形され今に至る。地質は御殿山溶岩[12]。高龍寺山と誤る者や幕末にアイヌ語のイチンケ(亀)より亀嶺(きれい)と呼ぶ者もいた[4]。
- 薬師山 - 御殿山の峰つづきの東の方にあり、薬師堂があり箱館市中で眼病を患う者がここにこもったとされる[13]。
- つつじ山 - ボランティアが17年間かけて函館市の花のエゾヤマツツジを1万本を植えたことから[14]。
- 高龍寺山 - 1960年(万延元年)の江戸幕府測量図や1883年(明治16年)の函館港実測図によると愛宕山(あたごやま)。御殿山溶岩より幾分古い高龍寺溶岩で形成される。深い谷に刻まれ険しい[12]。
- エゾダテ山 - 蝦夷館山。函館八幡宮右側にそびえる小山。アイヌ語で浅い砦を意味するハクシャチで酋長の館があったとされることから。源義経伝説に絡めて吉野館や義経館とも呼んだ。酋長は常に住まず有事のときだけとの説もある[15]。
河川・沢・谷
編集- 河川[16]
- 滝の下川
- サム川
- 学校川
- 中の沢川
- 沢・谷[16]
- 水無沢
- ミョウバン沢
- 石落とし沢
- ウグイス沢
- 谷[16]
- ヒヨドリ谷
- 水元谷
岬・岩
編集- 岬[16]
- 大鼻岬
- 立待岬
- 岩[16]
- マサカリ岩
- 鞍掛岩
海浜
編集- 押付浜[16]
洞窟
編集- 穴澗[16]
火口
編集温泉
編集函館市中央部温泉群を除いて寒川火山噴出岩層に湯脈がある[17]。
自然
編集中世以降、和人流入による人口増加により函館山の樹木が伐採された。七重村(現・七飯町)の農家倉山卯之助が杉を苗から育て文化年間(1804年 - 1817年)に約1万本移植した。なお、移植されなかった杉は七飯町の三嶋神社境内に残されている[20]。
津軽要塞(函館要塞)の影響により約半世紀にわたって一般人の立ち入りが禁止されてきたために函館山の自然が守られ、今では絶滅寸前といわれているエゾヒキガエルなども函館山に生息している。なお、現在ではエゾヒキガエルという種は存在しないとされ、ニホンヒキガエルの亜種アズマヒキガエルの人為移入とされている。そのため法的な保護は受けておらず、逆にヒキガエルやネコなどの人為移入種による在来種の捕食が懸念されている。
歴史
編集1296年(永仁4年)5月、御殿山山頂の大石に日時上人が墨書したと伝えられている。1834年(天保5年)には西国33ヵ所の霊土を函館山に運び、移土観音33体が安置された。箱館戦争時の1869年(明治2年)5月11日夜に明治政府軍参謀黒田清隆が市街地からみて山の裏側の字寒川より軍艦の大砲2門を山頂に引き上げ、13日に弁天台場を攻撃し、政府軍勝利へのきっかけを作った[23]。
要塞地帯法(明治32年法律第105号)により、函館山では1898年から要塞建設が始まり、1905年までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された(津軽要塞)。この時に山の頂上を削ったため、標高が348 mから約334 mと低くなった。また、函館山が要塞地帯になったことで、山全体が軍事機密となり、地形図から函館山が消えた。函館山の測量はもちろん、一般人の入山や函館山の写真を撮影すること、スケッチをとること、函館山に関する出版や話題も厳しく制限された。当時、函館山周辺での写真は函館山が判別できないよう検閲され出版されていたため、「要塞司令部許可済」といった文言が必ず添えられていた。
1945年の第二次世界大戦終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の国有地は、所管する大蔵省(現在の財務省)から函館市へ無償で貸し付けられた。津軽要塞はアメリカ軍によって解体され、翌1946年10月に大蔵省から一時使用の許可を受けた函館市は12月に函館山管理事務所を設置、函館山は一般市民に再び開放された。1948年に函館市はこの一帯326.6 haを都市計画法に基づく都市計画緑地「函館山緑地」とした。戦後は夜景の名所として全国的に有名になる。
現在、御殿山第一砲台跡はロープウェイ施設や駐車場、展望台、送信所の下に現存しているものの、崩落の危険などがあり立ち入りが禁止されているが、残りの施設跡は一部見学できる。
利用
編集交通
編集御殿山の山頂に展望台が設置され、山麓からは函館山ロープウェイや一般道(北海道道675号立待岬函館停車場線。函館山観光道路とも。季節運行バス[24]あり)や登山道を通じてアクセスすることができる。ただし、道道675号の函館山にかかる区間は、二輪車は終日、一般車(マイカー)は4月25日 - 10月15日の17:00 - 22:00の間、通行できない[25]。さらに、10月16日から約3週間[注釈 1]程の期間は、函館山ロープウェイ法定整備点検にともなう営業運転中止による交通渋滞緩和のためと日没時間を考慮して規制時間帯を1時間前倒しで実施し、16:00 - 21:00の間、通行できない[26][27]。また、冬期は全面通行止[注釈 2]となる。
日中散策
編集市によると下記の日中用徒歩散策ルートが整備されている[28]。
- 旧登山道コース
- つつじ山コース
- 千畳敷コース
- 地蔵山コース
- 汐見山コース
- 入江山コース
- 観音コース
- 薬師山コース
- 七曲りコース
- 宮の森コース
- エゾタテ山コース
観光
編集昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、津軽海峡を挟んで遠く下北半島をも望むことが可能である。都市の両側に海(函館湾と津軽海峡)があり、ほぼ中央に夜景が映し出されるバランスのとれた地形であり、一望できる位置に程よい高さの眺望地点が存在する。低層建築物が多いことから街路照明が夜景の大きな構成要素となっている。眺望地点は表夜景と裏夜景の二か所あるが、当地は表夜景にあたる[29]。5月から7月にかけて霧がかかりやすく、きれいな夜景が見られない日がある[30]。
映画
編集- 『風が通り抜ける道』(田中壱征監督作品)沖縄県後援、カンヌ国際映画祭2023年 披露上映作品、沖縄国際映画祭2023年 正式出品作品、一般劇場公開2024年(イオンエンターテイメント)
- 劇場版名探偵コナン第27作『100万ドルの五稜星(みちしるべ)』(青山剛昌 原作、永岡智佳 監督)、2024年4月12日公開、の舞台となり、聖地巡礼に訪れるファンが函館山に殺到した。
スポーツ
編集1959年(昭和34年)に千畳敷にスキー場が開設された[31]。
放送
編集NHK・民放各局のテレビ、FMラジオの送信所が山頂展望台に近接して建っているが、アナログUHF局(北海道テレビ放送、北海道文化放送、テレビ北海道)および地上デジタル放送全局では青森県側に電波が飛ばないようにするため、送信アンテナに指向性がかけられている。
通信
編集- 国土交通省函館山無線中継所 - 国土交通省北海道開発局函館建設部が管理する無線中継施設があり、1972年(昭和47年)7月開設。函館市方面と木古内町方面の無線通信に使われている[32]。
- 海上保安部函館無線受信所 - 1967年(昭和42年)地蔵山に開設[33]。
- 日本国有鉄道青函船舶鉄道管理局函館無線中継局 - 1947年(昭和22年)10月1日千畳敷に木造局舎で開設、1957年(昭和32年)2月1日に函館 - 札幌間のマイクロ回線の中継開始[34]。
- 一般社団法人移動無線センター函館第二制御局 - 一般社団法人移動無線センター(旧・社団法人移動無線センター)が所有し、函館市総務部が利用する函館市地域防災無線の制御局。本庁管内、湯川支所、亀田支所、銭亀沢支所、戸井支所の一部がサービスエリアである[35]。
レーダー施設
編集旧・函館海洋気象台函館山気象レーダー観測所 - 現・函館地方気象台の気象レーダー。1962年(昭和37年)7月開設、1992年(平成4年)10月横津岳山頂付近に移転[36]。
記念碑
編集脚注
編集注釈
編集- ^ ただし、2015年は10月13日から11月12日までの1か月間。
- ^ ただし、2016年12月11日夕方に函館山ロープウェイで発生した作業死亡事故の影響で、山頂に取り残された観光客を下山させる為、緊急措置としてタクシーのみ通行できる措置を採った。ロープウエー事故 男性従業員は死亡 - 毎日新聞デジタル・2016年12月11日23時31分配信(12月12日20時34最終更新)
出典
編集- ^ 日本の火山の位置(函館山火山)
- ^ “函館山”. 函館市公式観光情報サイト「はこぶら」. 函館市. 2019年7月16日閲覧。
- ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.66-69
- ^ a b c 函館・道南大事典 p.359
- ^ a b わたしたちの函館山(その2) p.71
- ^ 高橋良・伊藤久敏 (2020). “岩石学的特徴とU-Pb年代に基づく函館市街地下の軽石堆積物の給源の検討”. 火山 65: 69.
- ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.48-49
- ^ a b c d e 函館市史 通説編第1巻 pp.55-56
- ^ a b c d 函館市史 通説編第1巻 p.56
- ^ 函館(札幌-第85号) pp.14-15
- ^ "座学DE「函館山の歴史をめぐる」" まちづくりセンター活動日記 函館地域まちづくりセンター 2009年08月27日14:57更新 2024年9月21日閲覧
- ^ a b c 函館市史 通説編第1巻 pp.13-18
- ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.523-527
- ^ "まちづくりセンター活動日記『ツツジが見頃』" 函館市地域交流まちづくりセンター 2009年5月29日18:47更新 2024年9月21日閲覧
- ^ 函館・道南大事典 p.59
- ^ a b c d e f g わたしたちの函館山(その2) p.1
- ^ a b c d e 函館(札幌-第85号) p.26
- ^ "函館市温泉資源保護指針のあらまし" 函館市 2024年9月22日閲覧
- ^ 函館・道南大事典 p.190
- ^ "ピチャリ第3号" 七飯町歴史館 2008年 p.1
- ^ 函館市都市公園条例[リンク切れ] 昭和33年3月15日条例第5号、函館市
- ^ 函館山の自然を守りましょう! Archived 2007年11月21日, at the Wayback Machine. 函館市住宅都市施設公社
- ^ わたしたちの函館山(その2) pp.72-75
- ^ 函館山登山バス - 函館バス 2017年7月5日閲覧 (PDF)
- ^ 函館山ロープウェイアクセスマップ Archived 2015年4月19日, at the Wayback Machine.
- ^ 夜間の観光バス登山方法(2014年度) Archived 2015年9月23日, at the Wayback Machine. - 函館市ホームページ
- ^ 整備点検によるロープウェイ運休のご案内 Archived 2015年11月17日, at the Wayback Machine. - 函館山ロープウェイホームページ
- ^ "函館山散策コース案内図" 函館市 2019年
- ^ 函館市夜景診断調査報告書 pp.66-70
- ^ 函館市夜景診断調査報告書 p.15
- ^ わたしたちの函館山(その2)p.80
- ^ "函館山無線中継局の紹介" 国土交通省北海道開発局函館開発建設部 2023年12月27日10:00投稿 2024年9月22日閲覧
- ^ わたしたちの函館山(その2) pp.81
- ^ わたしたちの函館山(その2) pp.78-79
- ^ 函館市地域防災無線 函館市 2010年
- ^ "気象レーダー観測" 函館地方気象台 2024年9月22日閲覧
- ^ "南北海道の文化財『伊能忠敬北海道最初の測量地』" 道南ブロック博物館施設等連絡協議会 2015年10月24日更新 2024年9月24日閲覧
参考文献
編集- 自治体誌・資料
- 函館市総務部函館市史編さん室編 『函館市史』 函館市
- 通説編第1巻 1980年
- 通説編第4巻 2002年
- 北海道立地下資源調査所 『函館(札幌-第85号)』 1965年
- 石井幹子デザイン事務所 『函館市夜景診断調査報告書』 函館市 2004年
- 函館山略年表[リンク切れ]、特別企画展「函館山−過去,現在,そして未来へ−」[リンク切れ]、市立函館博物館
- 函館市総務部函館市史編さん室編 『函館市史』 函館市
- 個人・団体誌
- 須藤隆仙 『函館・道南大事典』 南北海道史研究会 1985年
- 独立青年会館臥牛牧舎編 『わたしたちの函館山(その2)』 1987年
- その他
- 函館山の自然 函館インフォメーションネットワーク
- 山田大隆 北海道人: 北海道遺産: 函館山と砲台跡 北海道
関連項目
編集外部リンク
編集- 函館山と砲台跡 - 北海道遺産
- 市内公園情報 函館山緑地 函館市住宅都市施設公社
- 函館山ハイキングコースマップ 函館山ロープウェイ株式会社
- 函館山展望台の夜景スポット情報 夜景FAN 夜景FAN