公館駅
台湾の台北市の鉄道駅
公館駅(こうかんえき)は、台湾台北市中正区と大安区に跨って位置する、台北捷運新店線の捷運駅。駅番号はG07。羅斯福路の下方、新生南路口と舟山路口間に位置し、駅名は、地名と台湾鉄路管理局新店線(現在は廃線)の駅名である公館から採られた。駅名の後に括弧書きで台湾大学という副駅名がついている。かつての台鉄公館駅は現在の捷運駅とは異なる位置にあり、むしろ同線水源地駅のほうが近かった。
公館駅 | |
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出口2 | |
公館 ゴンガン Gongguan (台灣大學 / National Taiwan University) | |
◄(G08)台電大楼 万隆(G06)► | |
所在地 | 台湾台北市中正区羅斯福路4段74之1号B1 |
駅番号 | G07 |
所属事業者 |
台北大衆捷運股份有限公司 (台北捷運) |
所属路線 | 新店線(松山新店線) |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 島式 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
#利用状況節参照 -人/日(降車客含まず) |
乗降人員 -統計年度- |
#利用状況節参照 -人/日 |
開業年月日 | 1999年11月11日 |
台鉄 公館駅 | |
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公館 ゴンガン Gongguan | |
◄水源地 (0.6 km) (1.3 km) 万隆► | |
所在地 | 台北市古亭区(現・中正区) |
所属事業者 | 台湾鉄路管理局 |
等級 | 簡易駅 |
種別 | 廃駅 |
所属路線 | ■新店線(廃線) |
キロ程 | 4.5 km(万華起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1921年1月22日 |
廃止年月日 | 1965年3月25日 |
公館駅 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 公館站 |
簡体字: | 公馆站 |
拼音: | Gōngguǎn Zhàn |
通用拼音: | Gongguǎn Jhàn |
注音符号: | ㄍㄨㄥㄍㄨㄢˇ ㄓㄢˋ |
ラテン字: | Kungkuan Chan |
発音: | ゴンガン チャン |
台湾語白話字: | Kong-koán Chām |
客家語白話字: | Kûng-kón Chhàm |
日本語漢音読み: | こうかんえき |
英文: | Gongguan Station |
利用可能な鉄道路線
編集歴史
編集台鉄公館駅
編集当時の駅の位置は現在の位置より南西約1kmの場所、汀州路三段203巷と羅斯福路四段196巷の交差点付近にあり、水源地駅は捷運公館駅西側の汀州路と思源街口の一帯にあった。
- 1921年
- 1949年6月1日 - 台湾鉄路管理局新店線となる[3]。
- 1965年3月25日 - 台湾鉄路管理局新店線の廃止により、当駅も廃止される[4][5]。
捷運公館駅
編集元々の計画では新生南路口に台湾大学を、基隆路口に公館駅を設置する予定であった。後に2つの駅を統合して、現在の場所に設立することとなった。
駅構造
編集駅階層
編集地面 | 出入口 | 出入口 |
地下 一階 |
コンコース | コンコース、案内所、自動券売機、トイレ(駅南側改札外)、公館郵便局 |
地下 二階 |
1番線 | ← 松山新店線 松山方面へ(台電大楼駅) |
2番線 | → 松山新店線 新店方面へ(万隆駅)→ |
駅出口
編集出口1・2は駅の南側、出口3・4は駅の北側に位置する。出口1はバリアフリー対応エレベータ、および聯合開発ビルとの連絡口、出口3には公館郵便局がある。
利用状況
編集また、駅の東北側は台湾大学の校総区になっており、西側近くには公館夜市があり、多くの流行商品の店や小吃店がある。夜間や休日は多くの人でにぎわう。
台北捷運編集
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台鉄編集
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駅周辺
編集当駅は捷運の駅以外にも、出口付近の羅斯福路にバス専用道と「捷運公館駅」のバス停、新生南路には「台大」のバス停、基隆路には「公館」のバス停があり、多数のバスが走っている。ここでバスを乗り換えることにより、景美、木柵、新店、中永和(中和と永和の総称)の各地と市の中心部とを結んでいる。また、国道客運で基隆、新竹、竹北に行くこともできる。
パブリックアート
編集パブリックアートとして『偷窺』(覗き見)があり、ガラス繊維・投影機・撮影機・スクリーンで作られている。作者は陳健、蔡淑瑩[10]。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 台風ナーリー(納莉)の影響で9/17 8:00-9/18運休、9/19中和・新店線運行再開、10月1日淡水線直通運行再開[6](p122-124、129)。(台北捷運淡水線#2001年の台風水没被害)
- ^ 臺灣省政府交通處鐵路管理局各年年報[9](pp391-392)(日平均については旅客は小数点以下を、貨物は小数第2位以下を切り捨て)
- ^ 台鉄所属になったのは6月以降だが、統計日数は不明のため平均は算出せず
出典
編集- ^ 台湾総督府交通局鉄道年報. 第40 (昭和13年度). 台湾総督府交通局鉄道部. (1939-12-20). p. 325 2019年2月17日閲覧。 国立国会図書館
- ^ “七 私設鐵道 第六十一表 營業哩及營業開始年月日”. 台湾総督府鉄道部年報. 第23年報(大正10年度). 国立国会図書館. (1922). p. 186
- ^ 搶救新店線鐵道記憶 2004-09-22,時報悅讀網:洪致文的鐵道世界
- ^ “萬新鐵路拆除,延至廿五開始,公路局决增班車”. 臺灣民聲日報 (國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網). (1965年3月15日)
- ^ 簡介與大事紀 - ウェイバックマシン(2019年2月20日アーカイブ分) 2018-05-03 台湾鉄路管理局台北運務段
- ^ a b 徐榮崇 (2015年12月). 續修臺北市志 卷五 交通志 捷運篇. 臺北市文獻委員會. ISBN 9789860469875 国家図書館
- ^ 台北捷運公司 (2018-11-01). “6 經營成果”. 台北捷運公司年報 (台北市政府) (2015年報): 頁35. ISSN 1810-9179 .
- ^ 臺北大眾捷運股份有限公司 (2022年2月15日). “臺北捷運各站進出人次”. 「臺北市交通統計資料庫查詢系統」. 臺北市政府交通局. 2022年2月16日閲覧。
- ^ 臺北市志 卷六經濟志交通篇 第四章、光復以後 第五項、鐵路 第三目、客貨運. 臺北市文獻委員會. (1988-12). pp. 240-241 2019年2月16日閲覧。
- ^ 臺北市政府捷運工程局 (2012年7月5日). “臺北市政府捷運工程局” (中国語). 臺北市政府捷運工程局. 2024年8月9日閲覧。
外部リンク
編集- 台北捷運公司