伊達 村則(だて むらのり)は、仙台藩一門第八席・岩出山伊達氏第7代当主。

 
伊達 村則
時代 江戸時代
生誕 明和2年(1765年
死没 享和元年1月20日1801年3月4日
別名 大力、弾正、内蔵
墓所 松窓寺(宮城県大崎市
主君 伊達重村斉村周宗
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達村通、市(白河村広の娘)
兄弟 村則伊達村良室、石川村文
正室:三沢村保の娘[1]
子:宗秩宗和
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生涯

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明和2年(1765年)、岩出山伊達氏第6代当主・伊達村通の嫡男として生まれる。幼名は大力宝蔵院流槍術を父村通より伝授された。[2]

安永6年(1777年)3月8日、元服して名を「村則」と改める。[1]

寛政3年(1791年)、川渡温泉の休息所の建設を、本藩より差し止める命が下り、交渉の末に建設が許可された。

寛政9年(1797年)、仙台藩で大一揆が起った際、志田郡の一揆を説得して解散させた。

享和元年(1801年)、1月20日死去。享年37。家督は嫡男宗秩が相続した。

出典

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  1. ^ a b 岩出山町史
  2. ^ 仙台人名大辞書

参考文献

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  • 『仙台人名大辞書』
  • 『岩出山町史』
先代
伊達村通
岩出山伊達氏
第7代:1783年- 1801年
次代
伊達宗秩

外部リンク

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