伊和神社
伊和神社(いわじんじゃ)は、兵庫県宍粟市一宮町須行名にある神社。式内社(名神大社)、播磨国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
伊和神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 兵庫県宍粟市一宮町須行名407 |
位置 | 北緯35度5分15.1秒 東経134度35分11.3秒 / 北緯35.087528度 東経134.586472度座標: 北緯35度5分15.1秒 東経134度35分11.3秒 / 北緯35.087528度 東経134.586472度 |
主祭神 | 大己貴神 |
社格等 |
式内社(名神大) 播磨国一宮 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | (伝)成務天皇14年 |
本殿の様式 | 入母屋造 |
例祭 | 10月15日 |
地図 |
祭神
編集- 主祭神
- 配神
『風土記』では伊和大神は出雲から来たという。「伊和」の語源について『風土記』では神酒(みわ)から、或いは大己貴神が国作りを終えて「於和(おわ)」と呟いたためとする[1]。
歴史
編集『延喜式神名帳』には、「伊和坐大名持魂神社(いわにいますおおなもちみたまのかみやしろ)」(伊和に鎮座する大己貴神の社)とあり、正暦2年(991年)、正一位の神階に叙せられた。
播磨国一宮とされ、幾度か火災にあって焼失する度に朝廷、国司、守護赤松氏、近隣の藩主などの庇護で再建された。なお、鎮座地である一宮町(現・宍粟市)の地名は、播磨一宮の当社に由来する。[2]。
近代社格制度では明治6年に県社へ列格、同18年に国幣小社へ昇格、同45年には国幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に指定されている。
境内
編集- 鶴石
- 伝承では、欽明天皇25年、豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託があった。恒郷は、西の野で一夜にして木々が群生し、大きな白鶴2羽が石(鶴石)の上で北向きに眠っていたのをみて、そこに社殿を北向きに造営したとされる。現在の社殿も北向きで社叢のなかにあり、鶴石は本殿裏に祀られる。
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本殿
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幣殿
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拝殿
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鶴石 拝所
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鶴石
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神饌所
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神楽殿
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社務所
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北随神門
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西随神門
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境内入り口
摂末社
編集- 境内末社
- 旧境外摂末社(所在地表記がないものは宍粟市に所在)
- 庭田神社(式内社)
- 与位神社(式内社)
- 邇志神社(式内社)
- 觱篥神社
- 安志姫神社(姫路市)
- 安志姫命(安師比売神 伊和大神の妻問いを辞退)
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五柱社
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市杵島姫神社
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播磨十六郡神社(東)
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御霊殿
祭事
編集年間祭事
編集- 新年祭(1月1日)
- 節分祭(節分の日)
- 祈年祭(2月17日)
- 春季大祭・弁天祭(4月10日に近い日曜日)
- 大祓(6月30日)
- 夏祭(7月15日)
- 風鎮祭(8月26日)
- 開願祭(9月15日頃)
- 秋季大祭(10月15日・16日)
- 新嘗祭(11月23日)
- 冬祭(12月15日)
- 大祓・除夜祭(12月31日)
- 一つ山祭 21年目毎
- 三つ山祭 61年目毎(甲子の年)
風鎮祭
編集油万燈祭ともいう。二百十日の前に風の鎮めを願い、五穀豊穣・家内安全を祈念する。日暮れとともに、境内に並ぶ、油と灯芯が入った小皿に火が灯される。
秋季大祭
編集15日は例祭で、村練りなどを行う。16日は神輿渡御を行う神幸祭で、氏子地域など[3]から5台の屋台(太鼓台)が練り出される。屋台の宮入、練り合わせの後、百余人の神職や奉仕者の渡御行列が、神輿とともに揖保川沿いの御旅所に神幸する。
伊和神社のお膝元・須行名地区の屋台蔵は、神社向かいの道の駅播磨いちのみや内にあり、営業時間中は屋台が見学できる。
三つ山祭・一つ山祭
編集三つ山祭は61年に一度、一つ山祭は21年に一度催行される。三つ山とは白倉山・高畑山・花咲山、一つ山とは宮山のことで、これら四つの山は伊和神社を囲む位置にある。それぞれに岩磐と祠があり、祭礼では祠を整備して山々を遥拝する。山岳信仰・磐座信仰の名残とみられる。
文化財
編集兵庫県指定文化財
編集その他
編集- 新田義貞寄進状外古文書類約200通
- 新田義貞奉納甲冑(焼損)
現地情報
編集所在地
交通アクセス
脚注
編集関連図書
編集関連神社
編集以下の神社は、風土記や社伝の記述から、伊和大神の分霊や家族神が祀られたとされる。なお、風土記には御子神の名もある。また、伊和大神に関連した地名説話も多い。
関連項目
編集外部リンク
編集- 伊和神社 - 兵庫県神社庁
- 伊和坐大名持御魂神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」