白井永二
白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10日[1] - 2008年〈平成20年〉1月1日)は、日本の民俗学者、神職。神社本庁総長、日本会議顧問、鶴岡八幡宮名誉宮司などを務めた[2]。
来歴
編集愛知県豊橋市花田町西羽田に生まれる。1928年、豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業[3]。國學院大學国文科卒業。折口信夫に師事し祝詞を研究。鶴岡八幡宮宮司を務め[4]、かたわら菅江真澄などの研究を行った。
1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[5][6][7][8]。呼びかけ人は木内信胤、朝比奈宗源、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人[5]。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、白井は発起人に名を連ねた[注 1]。
1989年から1995年まで神社本庁総長を務めた。
2008年1月1日、急性心不全のため死去[1]。
著書
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.327
- ^ 『前衛』2007年7月号、日本共産党中央委員会、53-66頁、「〝靖国〟派団体の関係資料」。
- ^ “白井 永二プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2024年1月11日閲覧。
- ^ “【おくやみ】白井永二氏(神社本庁元総長、鶴岡八幡宮名誉宮司)死去”. 日刊工業新聞 (2008年1月8日). 2019年12月20日閲覧。
- ^ a b c 茶本繁正「ファシズムの尖兵・勝共連合」 『社会主義』1979年7月号、社会主義協会、68-73頁。
- ^ “当団体について”. 「スパイ防止法」制定促進サイト. スパイ防止法制定促進国民会議. 2023年2月17日閲覧。
- ^ “専修大学社会科学研究所月報 No.273” (1986年4月20日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ 深草徹. “今、再び特定秘密保護法を考える”. 2022年11月14日閲覧。
参考文献
編集- 「鎌倉事典」編者紹介