井上就在

戦国時代の武将。毛利元就の宿老。

井上 就在(いのうえ なりあり)は、戦国時代武将毛利氏家臣安芸井上氏は、清和源氏の流れを汲む信濃源氏井上氏の支流である。

 
井上就在
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文23年6月13日1554年7月12日
別名 五郎三郎(通称
官位 左馬助(官途名
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 安芸井上氏
父母 父:井上光貞
元満
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生涯

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安芸井上氏19代当主である井上勝光の六男・井上光貞の子として生まれる。

大永3年(1523年)に毛利幸松丸が死去した際、毛利元就に家督相続を要請した15名の宿老の1人[1]。この時、就在は7番目に「井上五郎三郎就在」と署名している。また、享禄5年(1532年7月13日の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では11番目に「井上左馬助就在」と署名している[2]

元就が家督を継ぐ以前から、元就の「就」の字を名前に用いているため、既に元就と親しい関係にあったと考えられ、天文19年(1550年)に井上元兼をはじめとした安芸井上氏の一族30余名が元就によって粛清された際にも就在は粛清を免れた。その上、同年12月21日には毛利隆元から安芸国安芸郡のうちの国末名を給地として与えられている。

子の元満が跡を継いだ。子孫には明治元勲である井上馨がいる。

脚注

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  1. ^ 『毛利家文書』第248号、大永3年比定7月25日付 福原広俊外十四名連署状。この時連署状に署名した15名の宿老は、署名順に福原広俊中村元明坂広秀渡辺勝粟屋元秀赤川元助(元保)井上就在井上元盛赤川就秀飯田元親井上元貞井上元吉井上元兼桂元澄志道広良
  2. ^ 『毛利家文書』第396号、享禄5年7月13日付 福原広俊以下家臣連署起請文。この時連署状に署名した32名は、署名順に福原広俊志道広良桂元澄福原元勝坂広昌(元貞)山中元孝光永元隆北就勝井上元吉粟屋元秀井上就在長屋吉親井上元盛井上元貞国司有相井上有景井上元続井上俊秀井上良在井上俊久国司就連粟屋元親粟屋元国赤川就秀飯田広親赤川元助(元保)佐々部祐賢南方親州内藤元康秋山親吉三田元実井原元師

参考文献

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