上波佐見町
日本の長崎県東彼杵郡にあった町
上波佐見町(かみはさみまち)は、長崎県東彼杵郡北部の内陸部にあった町。1956年(昭和31年)に南西隣[1]の下波佐見村と合併し、波佐見町となった。
かみはさみまち 上波佐見町 | |
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廃止日 | 1956年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上波佐見町、下波佐見村 → 波佐見町 |
現在の自治体 | 波佐見町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
10,525人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
長崎県佐世保市、東彼杵郡川棚町、下波佐見村 佐賀県武雄市、杵島郡山内村、藤津郡嬉野町、西松浦郡有田町 |
上波佐見町役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡上波佐見町折敷瀬郷字西舞相1675番地 |
座標 | 北緯33度08分17秒 東経129度54分03秒 / 北緯33.13803度 東経129.90081度座標: 北緯33度08分17秒 東経129度54分03秒 / 北緯33.13803度 東経129.90081度 |
ウィキプロジェクト |
現在の波佐見町の北東部にあたる。
地理
編集- 山:幕の頭(原明岳)、一の宮、田別当、陣の辻(神六山)
- 河川:川棚川、村木川、野々川川
- 溜池:根比池、猪狩池、大堤
沿革
編集江戸期は下波佐見村とあわせて波佐見村と称された。村域が広大なため、川棚川の上手を上波佐見、下手を下波佐見の2村に分けたとされる。この分村は旧大村藩領内に限ったものであったが、明治3年12月の藩制改革により正式に分村された[2]。
地名
編集郷を行政区域とする。上波佐見町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当時は上波佐見村)
産業
編集農業や江戸期より続く窯業のほか、金鉱採掘も行われた。湯無田・井石・中尾・小樽の各郷に鉱脈が広がる波佐見金山は、江戸期から第2次世界大戦中まで採掘が行われ、特に1897年(明治30年)から1914年(大正3年)までの最盛期には金321.81kg、銀464.692kgを産出した[7]。
名所・旧跡
編集- 波佐見焼古窯群
- 三領石[8]
- 内海城址(湯無田郷)
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、471-503頁 。 - Google ブックス
- 『町村の廃置分合』昭和31年5月26日総理府告示第240号(波佐見町例規集)