三重町
日本の大分県大野郡にあった町
三重町(みえまち)は、かつて大分県南部の大野郡にあった町である。
みえまち 三重町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月31日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 三重町・清川村・緒方町・朝地町・大野町・千歳村・犬飼町 → 豊後大野市 | ||||
現在の自治体 | 豊後大野市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 大分県 | ||||
郡 | 大野郡 | ||||
市町村コード | 44422-7 | ||||
面積 | 162.17 km2. | ||||
総人口 |
18,215人 (2004年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 臼杵市、大野郡清川村、緒方町、大野町、清川村、犬飼町、南海部郡本匠村、宇目町、宮崎県西臼杵郡日之影町 | ||||
町の木 | ケヤキ | ||||
町の花 | ミツバツツジ | ||||
三重町役場 | |||||
所在地 |
〒879-7198 大分県大野郡三重町大字市場1200番地 | ||||
座標 | 北緯32度58分41秒 東経131度35分06秒 / 北緯32.97817度 東経131.585度座標: 北緯32度58分41秒 東経131度35分06秒 / 北緯32.97817度 東経131.585度 | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集大分県内では数少ない人口が増加している市町村であった。中心部を走る国道326号の沿道にはロードサイド店舗が並んでいた。
新設合併によって豊後大野市となった後も、住所表記には旧三重町の町丁名に冠する形で残されており(例えば、合併前:大分県大野郡三重町市場→合併後:大分県豊後大野市三重町市場)、地元では旧三重町の区域を現在でも「三重」と呼ぶ。地元での「三重」のアクセントは、三重県の「三重」のアクセントとは異なる。
地理
編集歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大野郡小坂村・芦刈村・松尾村・鷲谷村・市場村・内田村・内山村・赤嶺村・秋葉村の区域をもって三重村が成立。
- 1902年(明治35年)4月11日 - 町制施行により三重町となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 菅尾村・新田村・百枝村が新設合併し、改めて三重町が発足。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 野津町の一部(入北地区)を編入。
- 1957年(昭和32年)
- 1966年(昭和41年)10月25日 - 昭和天皇、香淳皇后が第21回国民体育大会に合わせて県内を行幸啓。三重町営大原陸上競技場などを訪問[1]。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 大野郡清川村、緒方町、朝地町、大野町、千歳村、犬飼町と新設合併して豊後大野市が発足。同日三重町廃止。
行政
編集- 町長:芦刈幸雄(廃止時)
地域
編集教育
編集小学校
編集- 三重町立菅尾小学校
- 三重町立新田小学校
- 三重町立三重第一小学校
- 三重町立三重東小学校
- 豊後大野市立三重南小学校(当時は休校中)
- 三重町立百枝小学校
中学校
編集高等学校
編集- 大分県立三重高等学校
- 大分県立三重農業高等学校
いずれも統廃合により現在は大分県立三重総合高等学校となっている。
専修学校
編集交通
編集鉄道路線
編集道路
編集一般国道
編集県道
編集- 大分県道519号三重新殿線
- 大分県道636号百枝浅瀬野津線
- 大分県道688号中津留轟牧口停車場線
- 大分県道693号百枝大野線
- 大分県道706号伏野宇目線
- 大分県道718号伏野三重線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集その他
編集- 水の郷百選:水と緑と蛍光を 名水と伝説の町・三重町
脚注
編集- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、129頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
関連項目
編集- 大分県の廃止市町村一覧
- 三重野 - 旧国名豊後国の三重郷を発祥とする姓
外部リンク
編集- 三重町ホームページ(2005/06/24アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 大野郡5町2村合併協議会