三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年大正6年)2月1日 - 1994年平成6年)5月13日)は、日本労働官僚政治家。元労働事務次官。元参議院議員民社党[1]

横浜銀行取締役会長小川是女婿[2]

経歴

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愛知県西尾市出身[1]。信太郎の五男[3]1939年昭和14年)高文行政科合格[3]1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部農林経済学科卒、内務省に入省[1]茨城県警部[4]

戦後労働省に移り、職業安定局長、労政局長、事務次官を歴任して退官[1]1972年(昭和47年)衆院選に立候補するが落選、1974年(昭和49年)の参院選で当選を果たす[1]。(平成元年)党副委員長に就任[1]1992年(平成4年)引退[1]

人物像

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趣味はゴルフテニス、読書[3]宗教浄土宗[3]愛知県西尾市在籍[3]。住所は東京都渋谷区本町[3]

家族・親族

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三治家

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愛知県西尾市[3]東京都渋谷区本町[3]
  • 父・信太郎[3]
  • 兄・博信[3]
  • 妻・百合子(田中信男次女[3]
  • 長男[3]
  • 長女[3]
  • 次女[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 新訂 政治家人名事典 明治~昭和291頁
  2. ^ 広瀬隆『私物国家―日本の黒幕の系図』(光文社、2000年6月15日初版1刷発行)118頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)さ一三五
  4. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、332頁
先代
堀秀夫
労働事務次官
1966年 - 1968年
次代
有馬元治