オガデン戦争
オガデン戦争(オガデンせんそう、Ogaden War、ソマリ語: Dagaal Ogaadeen 、アムハラ語: የኦጋዴን ጦርነት)は、1977年から1988年にかけてエチオピアとソマリアの間で起こった戦争。オガデン紛争(オガデンふんそう)、起こった場所の通称からアフリカの角戦争(アフリカのつのせんそう)とも呼ぶ。
オガデン戦争 | |
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オガデンで戦うエチオピア軍に参加したキューバの軍事顧問団。写真はキューバの砲兵である。 | |
戦争:オガデン戦争[1] | |
年月日:1977年5月/6月 - 1978年3月[1] | |
場所:エチオピア、オガデン地域[1]。 | |
結果:エチオピア側の勝利。オガデンを奪還しソマリア軍は撤退[1]。 | |
交戦勢力 | |
社会主義エチオピア キューバ 南イエメン |
ソマリア 西ソマリア解放戦線 |
指導者・指揮官 | |
メンギスツ・ハイレ・マリアム タスファレ・ゲブレ・キダン アルナルド・オチョア ヴァシーリー・ペトローフ |
モハメド・シアド・バーレ モハメド・アリ・サマター モハメッド・ファッラ・アイディード アブドゥラヒ・アフメド・イロ アブドゥラヒ・ユスフ |
戦力 | |
エチオピア軍50,000人 キューバ軍11,000人 ソ連軍1,500人[2] |
ソマリア軍70,000人 作戦機40機 戦車250両 装甲車350両 火砲600門[3] |
損害 | |
エチオピア軍6,000人戦死 キューバ軍400人戦死 南イエメン軍100人戦死[4] |
ソマリア軍60,000人戦死[5] |
概要
編集ソマリアの主な民族であるソマリ族は、ソマリアの他にケニア東部、エチオピアのオガデン、ジブチに居住している。ソマリアでモハメド・シアド・バーレが台頭すると、これら全てを統合した民族国家を建設しようとする大ソマリア主義を呼びかけた。
特にソマリアに支援されたエチオピア領内のソマリ解放運動(フランス語: Front de libération Somali Abo)は1977年に激化の一途をたどった。同年8月にはエチオピアとソマリアとの間に紛争が発生し始め、11月には運動によるオガデン地方分離独立の危機も発生した。エチオピア軍はソマリ解放運動への支援を絶つためソマリアとの直接対決を決意、1978年2月に開戦した。
エチオピアは1974年にクーデターによって皇帝ハイレ・セラシエ1世を廃位し社会主義を宣言、以来ソビエト連邦との友好関係を築いてきた。
開戦当初、ソ連は双方の側に立って仲介を試みたが失敗。1978年11月に両国は友好協力条約を調印し、ソ連はエチオピアに対し武装船団による大々的な支援を行い、ソマリアへの援助を停止した。また、キューバは1万5千人の兵力を派遣してエチオピアを支援し、南イエメンや北朝鮮、東ドイツも軍事訓練の面などでエチオピアを援助した。
これに対し、ソマリアをアメリカ合衆国、エジプトやサウジアラビアなどの親米反共のアラブ諸国(サファリ・クラブ)が支援したため、オガデン戦争は冷戦の代理戦争の様相を呈した。また、一方で中ソ論争でソ連と対立していた中華人民共和国からも軍事援助を受け[6][7]、チャウシェスクの下で独自路線を展開していたルーマニアはソマリア側についた。ソマリアはこの戦争でエチオピア側に付いたソ連とキューバの軍事顧問団を追放して東側諸国と断交し、共産圏ではソ連と敵対していた中国とルーマニアのみ国交を維持した[8]。
戦争の推移
編集エチオピアの資料によると1977年7月13日午前3時、ソマリア軍の兵士7万人、航空機40機、戦車250両、装甲兵員輸送車350両、火砲600門が国境を越えてエチオピアに侵攻した。この戦力は当時ソマリアが保有していたほぼすべての兵力だと考えられている。7月末にはソマリアはオガデン州の60パーセントを掌握していたが、エチオピア空軍が、ソマリア軍のMiG-21戦闘機よりも少数であったF-5戦闘機により反撃に成功し、制空権を奪還した。
その後戦争は長期化し、1983年7月にはエチオピア軍がソマリア領内に侵攻したため、ソマリアは大きな痛手を蒙った。しかし、冷戦が和らぐにつれ、米ソの影響によって関係修復に向かい、またソマリアが内戦に陥って弱体化、大ソマリア主義も沈静化したため、1988年に両国は停戦合意した。
影響
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脚注
編集- ^ a b c d “オガデン戦争”. コトバンク. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “Somalia The Ogaden War: Performance and Implications of Defeat”. geographic.org (2010年11月4日). 2023年6月7日閲覧。
- ^ “ソマリア内戦”. special warfare net. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “The Ogaden War, 1977 – 1978”. armchair general (2015年3月10日). 2023年6月7日閲覧。
- ^ “Ogaden War Producing Little but Refugees”. ニューヨーク・タイムズ (1979年11月18日). 2023年6月7日閲覧。
- ^ “Arms Transfers Database”. ストックホルム国際平和研究所. 2018年6月27日閲覧。
- ^ Somalia - FOREIGN MILITARY ASSISTANCE - Country Data
- ^ Gorman, Robert F. (1981). Political Conflict on the Horn of Africa. Westport, CT: Praeger. ISBN 978-0-030-59471-7. p.208
関連項目
編集- Ogaden Basin
- エチオピア - オガデン
- ソマリア - アフリカの角 - ソマリア内戦 - ソマリランド
- ジブチ
- 冷戦 - 代理戦争
- オガデン民族解放戦線(オガデン戦争に参加した民兵により組織化)
- カール・グスタフ・フォン・ローゼン - スウェーデンのパイロット(ゲリラの襲撃により1977年7月13日に死亡)