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2014年4月22日 (火)

「新右翼の教祖(重鎮)」鈴木邦男氏との「絶縁宣言」に至る経緯②

一水会機関紙『レコンキスタ』第350号(平成20年7月1日発行)を手掛りとして
 
 
 今から6年近く前、一水会機関紙『レコンキスタ』で、同紙発刊350号(平成20年7月1日付)を記念して、代表の木村三浩君のインタビューを受けたことがある。タブロイド紙の1面から2面全頁を使っている。前文に「創刊初期のメンバーであり、活動の創出と編集に携わった犬塚哲爾顧問をお招きし、当時のご苦労や学生運動の経験をお聞きした」とある。私は50代の10年間、ある思いがあって「哲爾」という通称を用い、還暦を期に本名に復した。
 
 その記事は①「350号を迎えて」②「新右翼は活字媒体を重視した民族運動だ」③「民族派として国政に影響を与えられる存在となれ」④「直接行動を全面否定する奴は右翼じゃない」⑤「思想を高め見識を持ち常に当時者意識を忘れず」という5本の中見出しが立っている(数字は筆者が便宜的に付けた)。思想的に「進歩」のない私の考えは6年前のインタビューを受けた当時とさしたる変わりはない。その考えの基本的な部分は、より濃密に「深化」してきているとの自己評価は甘すぎるだろう。ともあれ、一水会創設に関わってきた私が、「一水会」や「新右翼」、または「右翼民族派」をどう位置付けていたか、何故、「旧友」鈴木邦男氏と「絶縁宣言」せざるを得なくなったかについて、少しはご理解頂けるのではないかと思う。
 
 ②で木村君とこういう問答をしている。
 
木村 そういえば、ベンジャミン・フルフォードという記者は「日本の大手(新聞)は官製化された記事しか報じない。本当のことを報じているのはミニコミや右翼からの主張だ」と書いています。
犬塚 一水会は「烏合の衆」「玉石混交」の集まりだったが、自由で縛りがなく、組織・団体からドロップアウトした有志の梁山泊のような雰囲気だった。初期の頃から、鈴木さんとも体質や考え方は大分違っていたかも(知れない)。結婚当初(昭和50年)、生活面を心配して頂いた葦津珍彦先生のご配慮で、神社本庁の「神道政治連盟」の嘱託や、建国記念の日奉祝会の事務局長を務めた。この時、神道政治連盟は一丸となって元号法制化運動をやっていた。
 
 元号は、明治以前は天変地異や瑞祥などがあった時、天皇のご意志で「改元」し新しい時代を迎えるようにとの「一世多元」だった歴史がある。明治になってから「一世一元」が確立した。レコンキスタは紙面で、明治からの「一世一元」より伝統がある「一世多元」に戻せ、という論調を展開した。日本の長い伝統を考えれば「一元」より「多元」だったことも事実だが、今は元号そのものが残るかどうかの瀬戸際である。この問題など、鈴木代表(当時)を補佐する自分の考えがかなり大きく隔たっていた。私は常に現代を生きる者としての「責任」を考えなければならないと思ってきた。自分の政治的発言、影響が国政に影響を及ぼすなどとは自惚れてはいないが、現代を生き、次代に確かなものを伝えていく、右翼・民族派としての責任はあると思う。
 
 「政治的効果を目指すなら国会議員になれよ」と、野村秋介さんと運動の位置づけで対立したこともあった。私は国会議員を志したことは一度もない。国会議員だけが国の行く末を担うという考えには異論があった。バッチをつけた奴より、我々は重く深い責任を日本の歴史に対し背負っていると今でもそう思っている。
 
 「変化球」が巧くなるばかり、「直球」を忘れていないか?
 
③では
 
木村 レコン創刊以来、一水会は何かと話題が尽きません。例えば、新左翼との交流や鈴木さんの「腹腹時計と狼」などは波紋を与えました。しかし、犬塚顧問は「考えが違う」と言われましたが、あの時は「よく読んでいただければ彼の真意は理解して頂けるだろう」と鈴木顧問(現在)を守っている。
 
犬塚 一水会創設の頃は、オーソドックスな手法ではなかなか世間の関心を引き付けられない。けれど「変化球」で世間の耳目を集め、そこから掘り下げようという姿勢は理解できた。しかし、本質部分はストレートでいこう、と思っていた。




 最近の鈴木さんは「変化球」の投げ方は巧いが、ストレートの玉が一向に見えない。自分の立場が「新右翼」なのか、「民族派」なのか、世間が思う「右翼の論客」なのか、その立ち居地がはっきりしない。私は頑迷固陋なほど旗幟鮮明にしている。「一水会は変わったことを言うな」と注目を集めるけど、世間からは「右翼」「新右翼」という位置付けで評価されている。
 「右翼」とは何か?「新右翼」とは?という原点に戻るべきではないかと思う。世間は「一水会」も「右翼」というイメージを持っている訳だから。鈴木さんについては、木村君がもっと代弁してくれればいいと思うけどね。
 
木村 微力ですが、一生懸命やっていこうと思います。「腹腹時計と狼」の頃は、どんなイメージを持っていたのですか?
 
犬塚 いや、当時は我々も(反日武装戦線・狼の)反権力武装闘争もありだと思っていた。でも、天皇を否定する左翼との連携はできない。我々の当面の敵だ、と認識していた。当時は若かった。一番大事なものを横に置いてという訳には行かなかった。
私が一水会かを離れるきっかけは、「皇室ポルノ」のアングラ出版写真が『噂の真相』に掲載された事件だった。この出版に竹中労が少なからず関わっていると聞いて、「そんな奴と連携するのは絶対におかしい」「竹中は絶対に許せない」と思った。それで奴を狙ったが、阿部さんがそれを聞きつけて竹中に話をつけに行った。でも行った先で親しくなっちゃた(笑)。
 
木村 それで竹中労とは会ったのですか?
 
犬塚 私は一度も会わなかった。そして『噂の真相』編集長の岡留安則さんに矛先が向き、色んな団体間の思惑が複雑にからんだ展開となった。徹底して皇室ポルノ問題を糾弾して、マスコミ界への一罰百戒として世間に警鐘を鳴らし、注目を集めようと色気もあった。行動的な右翼団体と連携し、印刷所を襲って雑誌自体を潰そうとした。出版界、スポンサー企業など利害が絡む企業も多く注目した。必ずしも純粋な視点だけでない思惑があったことも事実だ。岡留氏にはかなり恨まれたな。
 
木村君、「新右翼」とは何なのか?(犬塚)
 
犬塚 ここで逆に、一水会二代目の木村代表が、自分たちの運動をどう位置付けているのか、新右翼、民族派とは一体何なのかを尋ねてみたい。木村代表の目指すところの思想と志のコアなるものは何なのか?
 
木村 まさに禅問答ですね。私は尊皇です。皇室をお守りし、この国のために命を堵してこられた方々に哀悼の誠を尽くす。それを継承していく。ただ、自分で言うことなのですが、「尊皇心を強く持っていても、日常やたらと口にしない。さらに尊皇を自己の立場の保全強化に使わない」という姿勢なんです。私は戦後体制からの脱却を基調にし、自主独立を勝ち取りたい。
 
犬塚 最近、『大吼』の編集長もしている蜷川正大さんから、民族派学生運動の総括をしてほしいというような難しいテーマを与えられた。当時の資料は散逸して手許には殆どない。当時は「民族派」を自称していたが、現在は「右翼民族派」と一括りになっている。確かに「右翼」が民族派を名乗り、民族運動と位置付ける。民族派学生運動が台頭した頃は、「右翼」と峻別する為に、「民族派」を強調した。我々の学生時代には、「反共主義」の統一教会・勝共連合もあれば、体育会的な右派系学生運動もあった。我々はそうした「右翼」とは違うことを強調するために、誰かが「民族派」という言葉を見つけた。大東塾の影山正治先生が「民族派の文学運動」というフレーズで「民族派」という言葉を使っておられたので、その影響があったかも。
 
 後に野村秋介さんが、「新浪漫派運動」、阿部勉さんが「日本主義運動」を提唱したが、なかなか定着しなかった。
 
 全共闘の全学バリケードストに対し、「学生の本分に戻れ」と「良識派学生」という言い方もあった。授業に碌に出ない不良学生ばかりだから「良識派」には抵抗があった(笑)。「右翼」は理論がないと馬鹿にされる。だから「民族派」という新鮮な呼び方に飛びついた。しかし、当時学生の私たちが還暦を迎え、民族派という名もすっかり「右翼民族派」と一体になっている。私も当時は「民族派学生」だったが、今では「既成右翼」だ(笑)。
 
 「右翼」の本質とは
 
犬塚 では、右翼とは何か。やはり皇室の尊厳と国家主権を護る立場、日本の歴史文化伝統の核である「国体護持」が最も基本的立場ではないかと思います。また、冷戦構造が崩壊した今日では「反共」は終ったといわれるが、マスコミや文化人には左翼の残滓が色濃く残り、支配している。「反共」もまた右翼の必須要件。しかし、「尊皇」と「反共」だけでは、「保守」と何らの変わりがない。「行動」「運動」が伴わない「右翼」は右翼ではない。
 
 私の恩師・中村武彦先生は「直接行動を全面否定する奴は右翼ではない」と言われていた。右翼の直接行動は「テロ」といった薄っぺらいものではなく、神意を受けて天誅を実行する、当然その代償は自らの命で償う、精神的に深みのあるものだという。(略)
 
 「反米」か「親米」かも、極論すればたいしたことではない。その本質部分に「日本」、しかも「天皇国日本」「国体」が第一義にあるかどうか。その部分が明確であれば、「反米・自主独立」「親米・同盟堅持」なのかも自ずと収斂するところが見えてくるはずだ(引用終り)
 
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