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ストライキ遭遇体験記

 9月の前半、ローマ~パリと調査に行ってきました。いろいろと発見もあり、いずれブログでご紹介していくつもりですが、その調査の帰路、エールフランスのストライキに遭遇してしまったので、今日はその体験をご披露しておきます。そんなにできない(したくない?)経験でしたので。

 調査日程の最終日、ホテルに戻ってメールを見ると、旅行会社からメールが届いていました。それがなんと翌日の帰国便欠航のお知らせ。それだけなら振替便があるだろうと高をくくっていたのですが、ニュースを見たらエールフランスのストとしては16年ぶりの規模で半数が欠航とのこと。これまマズイかなぁ、と思いつつ、翌朝早めに空港に向かいました。

 空港ではテレビの取材も来ていて大混乱、かと思いきや、混雑しているのは普通の出発便のカウンターで、日本に戻りたいんだけど、と近くにいた係員に聞いたら12番のカウンターに行くように、との指示。行ってみると、こちらは長蛇の列というわけでもなく、カウンターもすべて開いていてせっせと対応しています。スト起こしたのはパイロット組合で、地上職員は無関係ということみたいですね。地上職員のストとかであれば、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開していたのではないかと思われます。列に並んでいると、テレビクルーも後からこちらにやってきましたが、これでは絵にならないと思ったのか、やる気なさそうに眺めていました。

 自分の番になると、カウンターのマダムがせっせと機械をいじって振替便を探してくれます。席が無いわ~とか、2日後かしら~とか、そんなつぶやきを何度も聞かされ、待つことしばし(30分くらい?)。あったわ、と言って提示されたのが、なんとムンバイ経由の便!! 荷物持ってパリに戻るのも面倒だし、なんかインド面白そう、と思ってしまったこともあり、それで了解してしまったのが運のつきだったのかもしれません(苦笑)。同じルートで帰国したお客さんは他にいなかったようですから。帰国後に旅行会社の方から電話があったのですが、それによると、他の方はバンコク経由とか、運の良い場合はフランクフルト経由で帰国できたのだそうです。ここで交渉を面倒がってはいけません。担当してくれたマダムも、ムンバイでの待ち時間がとても長いんだけど…と本当に申し訳なさそうでした(フランスでは珍しい!)。

 蛇足ながら付け加えると、ムンバイ便の出発は夜だったので、昼食用と夕食用に食事チケット(16ユーロ分)も2枚くれました。結局1枚は使いそこなったのですが…

 さて、夜になってムンバイ行のジェットエアウェイズ123便に乗り込みます。日本には就航していないので、当然ながら初めての体験です。とはいえ、国際線のこと、そんなに大差はないのですが…。ちょっとインドらしいなぁ、と思ったのは機内食で、べジかノンベジの選択で、どちらにしてもカレーです。これはムンバイから乗ったエア・インディアでも原則同じでした。それと、機内食のカトラリーが金属製だったこと。最近は、日系でもヨーロッパ系でも、エコノミーではプラスチックの食器なので、へぇ~、という感じ。この点も後のエア・インディアと同じです。食器を洗った方が安いのか、社会的な慣習の問題なのか、深い意味はないのかもしれませんが。それと、着陸前に機内全体に香料入りのスプレーをシューとしていたのも文化的な違いでしょうか。これもエア・インディアでも同じでした。

 パリからの8時間半ほどのフライトで、翌朝、ムンバイに到着します。ここで、先ほどから名前の挙がっているエア・インディアに乗り継ぐわけです。ところが、ここでちょっとした問題が発生します。問題は預けた荷物の扱いでした。ムンバイまではジェットエアウェイズ、ムンバイからはエア・インディア、当然会社は違います。パリでのチェックインの際、搭乗券はムンバイまでの分だけを渡され、後はムンバイで手続きしてほしい、と言われました。ただし、荷物は関空まで届ける、とも。ちょっと心配だったので、思わず確認してしまったほどです。で、案の定、ここでの手続きで問題が生じたわけです。アメリカからANAで成田について、東南アジアにJALで行くから荷物を何とかしておいて、といっているようなものですね。ムンバイのトランジットのカウンターで両社は机を並べて仕事をしているのですが、こっちは到着階に行けないんだよ、とか交渉が始まります。待っていると、あなたは入国しないの? と、こちらに矛先が向いてきました。私が自分で荷物を受け取って、改めてチェックインすれば問題は生じない、という発想でしょう。乗り継ぎは10時間もあったので、私自身、最初は入国してみるつもりだったのですが、調べてみると、インドの入国は意外と面倒そうなのです(詳しくはこちら)。諦めて乗り継ぎだけと決めておいたので、ここではセーフ。ようやく彼らの交渉がまとまり、関空までのチケットが発券されました。

 ところが、ここでまたも想定外の出来事が起こります。「ムンバイ→大阪」と「デリー→大阪」という2枚の搭乗券を渡されたのです。怪訝な顔をしていると、この便はデリーで乗り換えだと言います。便名は同じ314便なのに…。確かに、パリで渡された電子チケットに運航機材がA319と書いてあったので、何かのミスだろうとは思っていたのです。A319では、どう考えたって関空まで飛べませんから。

 それはともかく、ようやくセキュリティチェックを通過して出発のフロアまで出ることに成功。乗り継ぎ時間10時間のうち、1時間半くらいはこれでつぶれたと思います。ムンバイの空港は、後で出てくるデリー同様、結構広く、かつ驚くほどきれいでした。「インド」と聞いて覚悟していた身には拍子抜けですが、空港の中だからでしょうか。四六時中掃除係の人たちが動き回っており、これでもか、というほど掃除しています。本を読んだり、カレーを食べたり、お土産屋さんを冷やかしたりで、待ち時間はさしたる苦も無く終了しました。

 デリー行の便は、多くのインド人とわずかな日本人を乗せ、定刻に遅れること20分ほどで離陸。デリーまでは1時間半ほどのフライトですが、デリーでの乗り継ぎが1時間半ほどしかないことを考えると、かなりタイトなスケジュールです。大阪行きの便と同じ便名ですが、客のほとんどは大阪行きには乗り継がなかったようです。それなら素直に別の便にして、デリーまで早めに移動させておいてほしかったなぁ、と思ったのは事実です。この便で驚いたのは、1時間半のフライトなのに機内食が出たこと! 例によってベジorノンベジの選択でしたが、離陸して15分もすると提供が始まる素早さでした。それに、小型機なのにビジネスクラスが8席(4席×2列)だけ設置されていたのも珍しい気がします。

 デリーでの乗り継ぎは実質1時間しかなく、広大な空港を急いで移動。この段階で、預けた荷物は届かないだろうとあきらめました。このデリーでの乗り継ぎでさらに衝撃を受けたのは、大阪行きが香港経由だったこと(苦笑)。ムンバイから直行便だったはずなのに、と思っても後の祭りです。デリーからはB787で快適に過ごしましたが、機内食は例によってベジかノンベジのカレー。香港を経由してから出された機内食で、初めてカレーが消えました。その香港では、機内にいたインド人のほとんどが降りてしまい、大阪まで来たのは日本人客がほとんどだったのではないかと思います。香港からのお客さんもいたにせよ、大阪~デリー線は大丈夫なのでしょうか。

 こうして、当初予定から28時間遅れで関空に到着した次第です。ちなみに、諦めていた荷物が無事に届いたのは不幸中の幸いというべきでしょう。インドをなめてはいけません。いずれ機会があれば、インドもきちんと訪れてみたいものです。いろな意味で面白い経験でしたが、ストにはしばらく遭遇したくないなぁ、というのが本音です…。

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追記
 ムンバイの空港で、保険会社から補償期間終了のお知らせ、というメールが来ているのに気付きました。これから何かあったら補償なしなのかぁ、と思ったものです。帰国後、保険会社に問い合わせてみたところ、やむを得ない事情で(ストはもちろん含まれます)予定通り帰国できなかった場合、自動的に72時間まで補償内容が延長されるのだそうです。帰国便に遅延が発生した場合、3日以内に帰国できるよう努力した方が良さそうです。会社によって違うと思いますので(契約内容が変わることもありますから)、契約の際、確認することをお奨めします。

.19 2014 未分類 comment0 trackback0

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大清水 裕

Author:大清水 裕
ラテン碑文を使ってローマ史の研究をしています。メインはディオクレティアヌスの時代。最近はだんだん時代を遡っているようです…。

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