カテゴリ:批評
前回の記事は諸事情により消しました。当該エントリへ検索によりきて下さった方々、申し訳ありません。
頂いたコメントは保存させて頂きました。ありがとうございました。
以下は本題です。
迷いましたが、一日に結局、庵野秀明総監督「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」を細田守監督「サマーウォーズ」とともに鑑賞しました。
一度しか見ていないので、詳しくは書けません。それでもよければご覧下さい。
*注・見た人向けですのでネタバレがあります。
ではどうぞ!
まず。細田守監督の最新作「サマーウォーズ」は大変すばらしい出来でした。観終わった後拍手したかったくらいです。多くの人が楽しめる、一級の映画であり、アニメーションであると私は思います。
これは見た人向けですから、あらすじや内容説明は省きます。大事なことだけ書きますと、観て、一番に湧き上がってきた感動は、個人的、かつ傲岸で申し訳ないですが、しょって立つ気になったか、えらい!!というものでした。
私は宮崎駿さんのような、多くの人に向けて質の高い娯楽作を創られる、次代のアニメーション表現者を望む一アニメファンです。そんな中、気になっていたのが、新海誠さん(『秒速五センチメートル』監督)と、今回の細田守さんでした。
なぜこの二氏か、ということですが、その画は親しみやすく、また現代の商業アニメーションにありがちな、既視感の強いお約束画面を作ってなかったからです。
おふたりの映像は、きちんと現実の世界を想起させる真実味が感じられ、美しいものだと思います。そして独自の視線がありつつも、人間や世界の描き方は素直で分かりやすく、寂しさ哀しみはあっても露悪的ではない。なのであとはテーマの広がりさえ加われば、宮崎さんや高畑さんのような、ふだんアニメを見ない層にも目を向けられる創り手になられるのではないかと、期待していました。
しかし新海さんは「秒速五センチメートル」で、そういう広い道にではなく、今までどおり、変化を期待しないファンのいる細道へ歩いていってしまった。次回作ではどうなるか分かりませんが、新海誠とはどういう作り手か、「秒速五センチメートル」により、ご自身で決めてしまったような気が、若干しました。
細田さんも「時をかける少女」で注目を集めた後、今作ではどのような方向へ進んでいくのか、ひょっとしたら新海さんのように、今までのファンの待つ世界へ行ってしまうのか。色々思いながら鑑賞しました。
結果予想は良い意味で裏切られました。私は細田さんがこういう変化を遂げてくれて、心から良かったと思っています。
「サマーウォーズ」は、明らかに作り手が多くの「他者」を意識して創作しています。商売だから当たり前のように思われるかもしれませんが、そうではありません。表現世界、特に日本の商業アニメーションは、その視聴者および作り手の大多数が、嗜好において一致している向きが強いと、私は思います。
商業性、芸術性、独自性を掲げた諸所の取り組みは、けっきょく「アニメ(の虚構性)好きの両者」による閉じた世界観に落ち着いて、アニメに特別興味のない、多くの人間への扉は閉じているような気がするのです。
ほんらい表現というものはあまねく、この世に生きる人間と世界の姿そのものですから、理想として、触れたあとの好き嫌い、取捨選択はともかく、まず気軽に、興味をもって触れられるよう、雰囲気として開かれたものであるべきだと私は思っています。
しかし日本の商業アニメーションの場合、その嗜好性・商業的習慣により、パッケージ段階から子供やアニメファン以外を拒絶している空気が感じられます。ゆえにそのアニメーション表現全般が、オタクのものであるとか子供のものである、というポジションに収まっているのが、現在の世間的な理解であり、実情ではないでしょうか。
私は今の宮崎駿さんのよう、多くの層にアピールでき、アニメーションの魅力をひろく伝えられる表現者は、やはりアニメ界に必要であると思います。そして、そのうえでマイノリティもある、というのが表現として健全な形だと考えます。
日本の商業アニメーションは、子供だけでなく、オタクだけでなく、大人の鑑賞に堪え得るものも、現実を生きる多くの人々の想いや経験を映し見ることができる作品も、創る実力があります。問題は「アニメ的」という名の下に、狭い世界を表すことこそがアニメの本道、という誤認が広まっていることです。
「サマーウォーズ」は端的に申しますと、実に好い「日本映画」でした。私以外にも、そういう印象を抱かれた方も多いのではないでしょうか。
映画的だから高尚、良い、そういう話でなく、アニメーションの巧みさによって、日本的な雰囲気も、実写に劣らぬナチュラルな空気感も、うまく表現できていたと思います。それに加えて、家屋で、外で、仮想空間で、よく活き活きと動き回る登場人物たちは、アニメーションならではの魅力にあふれていました。食卓を囲む騒々しさも、すべての動きをコントロールするアニメーションだからこそ、音を重ね響かせるよう、動きの意図の積み重ねがダイレクトに伝わってきました。簡単に言うと、実写とは違う迫力、画面の張力があったということです。
実写でたとえば十人くらいで卓を囲み、食事を楽しむシーンを設計したとします。それは監督が指示しようとも、役者それぞれは一個の人間ですから、必然別個の、まず演技(意図)の前に自然な空間を創り(出してしまい)ます。なので「騒々しい」とか「楽しげである」等というように、巧くやって宴会や団欒のリアルな雰囲気は表現できても、ショット内で抽象的に意味や意図を表すことは難しい。
しかしアニメーションの場合は逆に、すべてが作り手の用意したものであるから、どこまでいっても不自然です。決して具体的な表現にはなりえないので、意図や意味をはっきり主張する(してしまう)ことが出来ます。
実写もアニメーションも、それぞれの特徴、特長を活かした画面作りが必要です。なのでこういう宴会のシーンでも、リアルに設計するためには、アニメーションならではの特性、技術を理解する眼、実現させるだけの腕が要ります。監督の細田氏もアニメーターも、それぞれ優れた表現を成し得るだけのノウハウと実力があり、不自然なアニメーションの特性を活かして、実写に劣らぬ自然な空間を創り出すことに成功している、と思いました。
家族の団欒、しがらみ、助け合い、衝突、閉塞感、安心感、もろさ、強さ。日本的なモチーフを娯楽として、限られた時間の中で簡潔に表現できていたと思います。構成力がすばらしいです。
具体的な内容に関してですが、私はこういう話好きですし、共感できます。
人生はさよならの連続です。その区切りを終わりでなく、それぞれのスタートとするためには、明るさが必要であると思っていますので、細田さんの表現された「お別れの儀式」は、個人的に正しいと思っています。
今作で、ハッピーエンドの分かりやすい物語を高いレベルで虚心に創り上げた細田守氏に、以後アニメーション表現者としてどういう道を歩くかという覚悟を見ました。こういう人がほんとうは、アニメーション界に最低でも10人くらい居てくれたらいいなと思っています。なので「サマーウォーズ」に感化され、どんどん後に続く人が現れてくれたらと切に願います。
次にエヴァですが、あえて点数をつけるならば、「サマーウォーズ」を80点だとすると、74点です。そして「一般向け映画」という枠を設けてみるならば、64点です。
私はエヴァンゲリオ(ヲ)ンという作品は、好きではありません。しかしだから点数を「サマーウォーズ」より低くしているのではありません。
個人的に、庵野秀明というアニメーション作家に対する評価は、高くないです。その理由は、氏がアニメーションという表現を使って人間の話を描くよりも、今までに見たアニメ作品や特撮でご自身が好む要素を、創り手として再生している傾向が強いからです。
もちろんガンダム等アニメブーム以後のよく見られる、巷のエピゴーネン作家ではなく、奇才的な感性によって単なる再生には陥っていません。が、それでも再生の域を出ていないと思います。簡単にいうと、世界が嘘っぽいのです。
例として庵野氏が監督された「ふしぎの海のナディア」という作品を挙げますが、そのOPで主要キャラクターが紹介される際、映る衣装をまとったそれぞれの姿は、真実味のある世界に息づく存在に見えず、私にはコスプレとしか感じられませんでした。
本編も一見宮崎駿さんのような、魅力的で実在感のある空想世界を描き出せているように見えますが、よくよく眺めていると、示している世界から期待されるほどの広がり、奥行きがなく、やはり現実の世界から発想したものではなくて、アニメの空想世界を基にした設計のよう、私は思いました。
比較して富野由悠季さん(『機動戦士ガンダム』の監督)のキャラクターなどは、どれほど奇抜な格好、エキセントリックな発言をしていても、それはその世界のものである、という説得力が感じられます。それは現実の世界―ご自身の経験や読書、人から聞いた話等々―から富野氏がフィクションを創作しているからです。宮崎さんも富野さんも、フィクション的な要素(ロボットや軍用機、超人や美少女のアクション)を支える、現実世界の事実認識が深いところまであり、それをきちんと表現できているよう、私は思います。しかし庵野さんの作品には、そういう下地が感じられないのです。
これは直感的なものですが、庵野さんは、興味がないことも含めて、世界を広く深くみておられないのではないでしょうか。その違和感が、氏がどれほど面白いアニメーションを生み出そうとも、私が高く評価できない一番の理由です。露悪的という面は嫌い、というだけで、それほど評価には関係していません。
そういう気持ちがあって、今回映画館に行くのをためらいましたが、「サマーウォーズ」と同じ館でかかっているところがあったので、見に行くことにしました。
が、見始めたころ、私は興奮していました。「庵野さん、変わったのか!」という印象を突きつけるショットが連続して眼に飛び込んできたからです。
冒頭のアクションもエネルギッシュで、それはかつての陰惨さからくるパワーではなく、爽快感があふれ、その後次々と陽のアクションが展開されてゆきました。また人間関係描写もギスギスすることなく、背伸びすることなく、キャラクターに対する愛が感じられました。
さらに街や教室のショットでは、かつては省かれていた、その他大勢の生きる人々がしつこいくらいに描写され、庵野さんは目の前の望遠鏡と顕微鏡を取り除け、やっと素に外を眺める態度になられたと思いました。
個人的に一番好かったのは、カジとシンジのスイカ畑のシーンです。かつてのそれは、破壊と生命を安易に対比させるあざとさや、記号的に営みを表現しようとしている感じが嫌でしたが、今回は素直な生命に対する肯定が感じられました。また、ゲンドウを底の読み取れないキャラではなく、普通の野心あふれる人間的キャラクターに描いていたところも、好かったです。
しかし、中盤のアスカ機を不必要に破壊するグロテスクなシーンで、「あぁ……」となり、気持ちが急降下してゆきました。そして決定的だったのは、使徒に取り込まれたレイを救おうとするシンジに、ミサトが叫ぶ台詞です。
「行きなさいシンジ君!他の誰の為でもない! 自分自身の願いの為に!」
(*記憶を基にネットを検索し、諸所でより詳しい台詞内容を参照させて頂きました。正確ではないかもしれませんが、大意としてお読み下さい。)
私はこれを聴いたとき、心底がっかりしました。けっきょく庵野さんは、まだ自分自身に拘泥しておられたからです。
ミサトはシンジそのもの(他者)を見ているのではなく、自身を投影した彼、つまり自分を応援しているのであり、そのミサトの放った言葉はまた、本物の人間のよう自然に独立することなく、必然的に内面の因果関係をもってしまうアニメーション・キャラクターの特性により、シンジそのものの問題意識の代弁とも取れるので、彼もまた、他者に手を差し伸べ、立ち上がるよう叫んだ(綾波への『来い!』)のではなく、うずくまっていた自分自身に向けての言葉だと受け取れてしまう。
下品な言い方をすると、綾波の危機を含めた世界の問題は、シンジが立ち直る「ダシ」になっていたということです。
綾波に対する気持ち、行動ふくめて、シンジのすべての働きかけは、自分以外の大きく広い世界に触れるためではなく、まだ旧作のよう、彼のちいさな世界を満足させたり落胆したりするために存在しているという認識から脱却できていなかったのです。
ほんとうに勿体ないと思いました。この様子から、庵野氏は旧エヴァを払拭できてはおらず、ようやく、払拭しようかというところで、新エヴァは完結するような気がします。
私は庵野氏がアニメーション表現者として、本気でエヴァを捨てて前へ進みたければ、完全新作ではなくこの新エヴァで旧作を抹消すべきだったと思います。そのために新キャラクターのマリを投入したり、陰ではなく陽のアクション全開だったり、高レベルの「アクション娯楽アニメえいが」に挑もうとしていたのは、正解だったと思います。
しかしやはり、「エヴァンゲリオン」という作品に未練があったのではないでしょうか。グロテスクなシーンは、やっつけました、という処理も出来たのに、あえて陰惨なまま長い時間みせるというのは、ああいうものがエヴァであるという気持ちがあったからだと思います。単純な娯楽アニメではない、という。事実その通りなのですが、旧作ファンに叩かれようとも、そういうものは一切排するべきだったと私は思います。
タイトルに、他者との絆、と書きました。「サマーウォーズ」は登場人物が、みんな他者のために頑張ります。「エヴァンゲリヲン」は、ミサトの台詞によって、はじめて誰かのために闘おうとしていたシンジの、人間としての新たなステップは否定されました。これはそのまま、二監督の作品へ取り組む姿勢の差ではないでしょうか。細田氏は秀才的なプロフェッショナルで、庵野氏は「まだ」奇才のスーパーアマチュアのままであったと。
誰かのために作品を作らないと、一生エヴァンゲリオンの模倣品を創り続けることになると思います。また芸術というのは独りよがりではなく他者へ向けた言葉を、無心無欲に放つ行為だと私は思います。
エヴァンゲリヲンが終わったら、是非庵野氏には、誰かに向けて、その人のために、自身の胸のうちを放って欲しいと思います。
長文失礼しました。
- [2009/09/01 07:07]
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ごめんなさい。。
しばらくここに来ることが出来ませんでした。。
半年ぶりですね。。
まだサマーウォーズ見てません!
もうレンタルとかやってましたっけ?
さっそく借りてこよう…!
見たら何かしらここに感想残そうと思います。
さて、久々に帰ってきて何ですが、
いま巷で騒がれてる
東京都「青少年育成条例改正案」
一アニメファンさんはどう思いますか?
僕としては
確かに行き過ぎた表現を規制したい
という「気持ち」は分からないでもないのですが
いかんせん定義が曖昧で、
もしくは乱暴で、
また、有識者?(関係各位)に事前の相談もなしに
行政が強行して採択してしまうのは
少しだけ怖い感じがしました。
1ヶ月前ぐらいにこの条例を知って
まさかこんな条例が通るはずもない
なんて思ってたら、
なんかどうもここ最近でそんな悠長なことも
言ってられなくなってるらしい。
一見「子供を害するものの規制」
って感じなんですが、
一口にこういう表現をしてはならない
って決めてしまうと、
真面目にそういう表現をしたい場合はどうするのか?
またはそれが優れている表現、やらしい卑猥な表現
という線引きをどこでするのか?
また風の噂には都議会委員が「〇〇先生は大丈夫」との
発言をしたとのことですが、
じゃあ大丈夫な先生と、ダメな先生の基準はどこにあるのだろう?
と、本当に僕としては訳が分からなくてw
こんなもの通るはずがないと思っていたんですけどね…w
どうなるんですかね。
例えば、この世の中、
ひどいものなんて沢山あるじゃないですか?
僕が酷いなって感じるのは
・政治(主に政治家)
・インターネット(主に掲示板もろもろ)
特にこれらは人間の嫌な、醜い部分が
ものすごく露呈していて
とてもこんな子供に見せられない、
見せるとしても注意が必要だぞ
と思うのですが、
でもそれらが存在する事は
否定はしなくて、壊滅しろとも思わない。
嫌なものが、そこに存在しているからこそ
自分はそれを認識して、学習ができる。
まあ確かに、学習した結果がこうなのかも知れませんが
もう少しやり方はないのかなと。
ゾーニング、自主規制を徹底するとかで、
他にやり様はないのかと。
いきなり上から抑えつけた格好で
根本的な解決になるのかどうか、甚だ疑問です。
あとはホント危惧するのは、
表現それ自体に規制をかけるってのが
本当に怖いですよね。
これは児ポ法とは別で考えなきゃいけない問題のような気がしますが、
ど-なんですかね?
なんか様々な問題が絡み合っていて
この条例、すごく危ういものになっている気がします。
表現を生業とするものとしては
やはり黙って見ていることが出来ないw
お久しぶりです。山本さんのブログをご覧になってのことですかね? だとしたらコメントしてよかったです(笑)。実はものすごく(書き込みを)迷ったので……。
あのコメントにはいろんな意味をこめましたが、伝わっているかどうか。伝わればいいんですけどね。
>東京都「青少年育成条例改正案」
>一アニメファンさんはどう思いますか?
記事として書きましたので、よければご覧下さい。
>いきなり上から抑えつけた格好で
>根本的な解決になるのかどうか、甚だ疑問です。
その感覚は、非常に正しいと思います。前にも申したかもしれませんが、@papaさんはバランス感覚があると思うんですよね。だから意見が違っていても、こうしてお話が出来るわけです。あなたも、(意見が違っていても、コメントして頂けるのは)そうではないでしょうか。
私は国家権力というものの良識を、まったく信用していない人間です。時代の風で酔ったり酔わなかったり、非常に不確かで危うく、だからこそ逐一チェックしておかなければならないと思っています。
子供のためだけでなく、民衆のためにすべき政治は、時間がかかるものです。諸外国と比べ遅れ気味であっても、プライドや外圧、経済的利害関係に重きをおかず、一から真摯に取り組むべきです。私は右でも左でもないですが、日本の、世界での現在的な位置づけより、国の健全な成長を第一に考えます。もうすこし政府および各自治体には、権力行使で示すのでない、真の意味で日本、日本人というアイデンティティを確立するための、地味な努力をして欲しいと思います。
>表現それ自体に規制をかけるってのが
>本当に怖いですよね。
表現というのは、プロパガンダの側面がありますから、出来れば検閲したいと思うのが権力者の本音です。価値観の統制をしたいのです。なので過敏に反応してし過ぎることはないと思います。
「怖い」という感情はとても大切だと私も思います。
ご意見ありがとうございましたw。
どもどもm(_ _)m
いやはや、こっちに帰ってくる機会を
逸していたので、書き込みがあって良かったですw
まさかのヤマカンのブログに一アニメファンさんから
まあ見ていても書き込みはないと思ってましたからね…w
さて、まあ「非実在青少年」の問題は
別記事に分けてもらったのでそこにまた
改めて書くとして、
「サマーウォーズ」!
見ました><
とりあえず見た、率直な感想をここに
書きたいと思いますm(_ _)m
やっぱ見る前は
思えばオリジナルアニメーション映画で今まで見たものは
スタジオジブリ以外になかったので、
(たぶんないはず。イノセンスとか違いますもんね?)
まずは、一つ、序盤見るにあたって
大問題が発生してしまいましたw
「宮崎駿(ジブリ)の幻影を消さなきゃ、これは見られない」
どうしても、見ている中で
比較しちゃってる自分がいるんですよ。
だから何か意図しないところに
すごく見ている映像に違和感ありまくりで、
既存の意識を消すのに大変でした…w
TVアニメとかはもう宮崎駿(ジブリ)とは
まったくの別物だと割り切れるのでそういうことはないのですが
映画だと、やっぱり、なんなんでしょうね?
この感覚はw
だからまあ、本当に率直な感想を述べると
・お話としてはものすごく楽しめた
・絵がもうホント綺麗&美麗
・OZの世界とか独特なパステルカラー調?で、まさに絵描きのセンスがそこにあると思った
・かずまくんは、ああいう感じの「女の子」だったら良かったのに(´・ω・`)
って感じですかね?w
ストーリーとか細かい部分はいつかもう1回見直さないと
ツッコメないですが、
とにかくサマーウォーズ、概ね楽しめましたw
ただまあ、そうですね、あんまり新しく出てきた物を
批判?批評?はしたくなく、
詳しいこともあれなんですが、
少し映像的に「メリハリ」に欠けたかな?って感じがしました。
中でも思ったのが、
全体的に映像にあまり「アップ」が、なかったのかなと。
もしかしたら意図的なのかもしれませんけど
表情のアップとか、情景描写のアップとか、
詳しい映像の見せ方とかはよく分からないですけど、
いまいち「印象付け」が足りないような気がしました。
序盤苦労したのは幻影を消すのもそうなんですけど
この物語は誰に、何に焦点を当ててみるべきなのか、
これからいったい何が始まろうというのか、
事前の説明が、見せ方が、いろいろ足りてなかったような気もしました。
なんか物語がポンポン、ポンポン進んだような感じがしていて、
状況把握がいまいちで、
例えば、この世界の仕組みとか、どんだけこの世界が
OZに依存されているのかとか、何故アバター同士が戦ってるのか
あのアメリカ帰りのおじさんのこととか
何故花札で勝負をするのかとか、もろもろですね。
これはホント漠然とした印象なんですが、
物語はスルスル、映像的にはこちゃこちゃ動いていたような印象があります。
まあホント、最初の方の話に戻るのですが
「宮崎駿の幻影を消さなきゃ」
「とても雰囲気のいい作品であるだけに」
僕としてはめちゃくちゃココに!苦労しそうです…w
だからまあ、これからもどんどんどんどん
この「細田守」さんの作品は見ていきたい、という感じですね。
細田色に僕を染めて欲しいですw
やっぱりアニメもオリジナルでどんどん勝負していって欲しい。
僕が思う「アニメの売り方」に「映画」っていうのも当然あって
変にテレビでやってDVDを売ろうと躍起になるより、
劇場に足を運ばせて、そこでお話を見せてお金を落としてもらった方が
システム的に「健全」だと思うんですよねw
変に信者ができることもなく、作らなくて済みますし。
やっぱりヘタでも良いからどんどんとアニメと言う土壌で
「率先して活躍してくれる人」がいると、
業界としての未来も明るいかなと感じます。
ちなみに一アニメファンさんの80点の、20点足りなかった部分ってのは
何ですか?
あと、見てなかったらあれですが、
「消失」についても聞きたいですw
お~ご覧になられましたかw。そういえば私も映画館で一度見たきりなので、もう一度家でゆっくり見たいですね。
>「宮崎駿(ジブリ)の幻影を消さなきゃ、これは見られない」
>どうしても、見ている中で
>比較しちゃってる自分がいるんですよ。
拝読しましたが、半分は分かります。オリジナルで、ワンショットのレベルが高いということと、もうひとつ。たとえば単純にレイアウト(画面設計)が優れているという点では押井守さんや今敏さん、大友克洋さんなんかもそうなんでしょうが、この方々とジブリ作品(高畑勲、宮崎駿)の大きな違いは、意識が大衆に向いているか否か、ということだと私は思っています。
そういう点で「サマーウォーズ」の画面作りは、高畑宮崎に通ずる、大衆を意識した、親しみやすい空気感の獲得を目指していたと思いますから、宮崎さんと印象がかぶるのはさもありなん、と思います。
>・かずまくんは、ああいう感じの「女の子」だったら良かったのに(´・ω・`)
わははは(笑)。いや、私もそう思いましたよ(笑)。でもあの色気は、たぶん細田さんが「彼」に対して抱かれたものだから、「彼女」にした場合は、果たしてどうでしょう……とは思います。
映像作家にエロスへの希求は必須ですから、カズマという存在は、ある意味サマーウォーズのショット群の実を支える一要因だったのかもしれませんね。
>全体的に映像にあまり「アップ」が、なかったのかなと。
>もしかしたら意図的なのかもしれませんけど
>表情のアップとか、情景描写のアップとか、
>詳しい映像の見せ方とかはよく分からないですけど、
>いまいち「印象付け」が足りないような気がしました。
引きの画面が多いのはその通りだと思います。それはおそらく、細田さんの人間や世界に対する距離感だと私は思うんですよ。氏の作家性は「諦観」にあるんじゃないかと。ロングショットの寂しさ、せつなさに、細田さんの人生観がいちばん良く表れていると、個人的には思いました。
なので物足りないと思われるのも仕方ないです。とくに我々が慣れたテレビアニメ、さらには萌えアニメと比較すると、それがいっそう強くなると思います。テレビは画面がちいさくそれを補うため、また作画の手間から背景も動きも減らせるアップを多用する向きがあり、なおかつ可愛い女の子が売りの場合は、アイドル映画よろしく彼女らのアップをたくさん撮りますから、感情移入はしやすい。細田さんの作品は、それと逆を行っていますからね。
淡々としているのも、スーッと流れてゆくような感じも、私は諦観からきているものだと思います。それが合わない人は淡白に感じるだろうし、その辺は好みが大きいですね。
ちなみに私は純粋な好みで言うと、もうちょっと熱く「きたなく」「しつこい」ほうがいいです。「サマーウォーズ」および細田さんは素晴らしいと思いますけども、それはどちらかというと客観的判断からくるものです。なので@papaさんの仰ることは分かりますよ。
>例えば、この世界の仕組みとか、どんだけこの世界が
>OZに依存されているのかとか、何故アバター同士が戦ってるのか
>あのアメリカ帰りのおじさんのこととか
>何故花札で勝負をするのかとか、もろもろですね。
これも分かります。ただ私は、けっこうこういうことはスルーして、ノリやテンションの高さに付き合ってみるタイプですから、あまり気になりませんでしたね。
それは逆に言うと、私が作品に重視することは、作者のいちばんの得意技を発揮できているかどうか、ということです。いくら穴がなくとも、そういう売りがみあたらない作品は、批判が次から次へ出てきますよ(笑)。こういう理由で、サマーウォーズと同じように、東のエデンも穴を叩かれてたりしますが、私は高く評価しています。
まぁ花札に関しては、ヒロインの見せ場としての面もあったと思います。あれがないと、彼女は完全にカズマに食われていますからね(苦笑)。
>変にテレビでやってDVDを売ろうと躍起になるより、
>劇場に足を運ばせて、そこでお話を見せてお金を落としてもらった方が
>システム的に「健全」だと思うんですよねw
お金を払わないと見られないというのは、分かりやすいですよね。かつて映画は娯楽の王様でしたし、またそういう時代になってもいいかなとも思います。
そもそもDVD(および関連商品)を売らないとどうにもならない、というのは、じゃあなんのためにスポンサーがいるんだということになりますよね。構造に間違いがあること以外、何物でもないわけです。前にもこれは書きましたが、いま新たな意見が浮かばない以上、書くのは控えます。
>ちなみに一アニメファンさんの80点の、20点足りなかった部分ってのは
>何ですか?
えっ?(苦笑) かな~りの高得点をつけたつもりなので、そんな質問をされるとは思いもよらなかったww。100点の作品なんてないですよ! これも前、掲示板に書いたような気がしますが、80点と言うのはA級の作品です。
あえて無理に言うならば、主観的にはつよい興味を惹かれるものではなかった、ということです。たとえば宮崎さんの「ポニョ」における波走りシーンや、高畑さんの「赤毛のアン」の一話のような「完璧」な映像美。こういう映像に対する、狂気に近い執念を、殆ど感じなかったことが、あとの二十点の領域ですね。でもそれは、マニアの欲ですから。
正直、私の中で高畑宮崎を越えるアニメーション表現者は、日本には居ません。アニメーション映像に関してこのおふたりは超秀才と天才ですからね。誰も超えることは出来ないでしょう。
>「消失」についても聞きたいですw
見に行きましたよ~。率直に言うと、ハルヒ好きならば、見た方がいいと思います。充分楽しめますから。
けれど私にとって、たとえばここのブログで記事にするほどではなかった、というのが本音です。面白いんですが、語ることがない。悪い意味でです。
つまり作家の顔がないのですよ。これは京都アニメーション作品全般にいえることですが、原作ファンの気持ちを大事にしすぎて、いつも「俺主張」が希薄なのです。
かつて山本寛さんを気にしたのは、その是非はともかく映像に主張が感じられたからです。その氏が去り、生まれたけいおん! は作家性が希薄なことがファンとの垣根を取り去り、より気安いファン間のコミュニケーションの土壌をはぐくんだ思います。もし今後、オリジナル作品などつくり、作家性を強く打ち出してきたならば、私は嬉しいですが、かつてのファンははなれてゆくと思いますね、なんとなく。
ご意見ありがとうございましたw。
>引きの画面が多いのはその通りだと思います。それはおそらく、細田さんの人間や世界に対する距離感だと私は思うんですよ。氏の作家性
なるほどなるほど。。
やっぱりそこに細田さんの「オリジナル」があるわけですね。
だとしたらやっぱもっともっと、
細田作品を見ていきたいですねb
もう1本「時かけ」も見ようかな。
>京アニのオリジナル
やっぱり「毒」がない作品て言うのはいまいちつまらんですよね。
特にストーリーを期待させるものは。
まあただその毒も味を殺してしまうのなら意味が無いんですけど。
本当だからこれは言っていても仕方のない話なんですけど
ヤマカンが居てどうだったのかなー?って感じはします。
まあそれはordetにいくらか京アニの人財が流れてきたなら
これからに期待したいところですね。
まずは「B★RS」に期待上げで。
あれはアニメオリジナルなんですよね?
>ハルヒ
憂鬱の時は正直そこまで面白さを感じなかったですけど、
「ラプソディ」あたりからヤバいですねw
話が広がったと言うか、世界に、人物に、興味が湧いてきましたw
なのでエンドレスエイトには正直ガッカリ。
でもまあ消失を見て、それは吹っ飛びました。
でも8回はやりすぎですorz(5回が精一杯でした)
ちなみに関係ない話、ラプソディがamazonで大安売りしていたときに
買った4000人?のうち1人は僕ですw
最近、ていうか今さっきなんですけどw
すごく面白そうなアニメを発見しました!
◆『イヴの時間』
http://www.nicovideo.jp/watch/ca6667803
※ニコニコアニメチャンネル(公式配信)
去年4月から全6話でネット配信されていたらしく
今それの再構成版を映画でやってるみたいなのですが、
とりあえず↑1話見たらヤバかったです…w
個人的に『ヨコハマ買い出し紀行』とか『AI』とか
「近未来的なロボットの話」って、好きなんですよねー。。
そのなんていうか「儚さ」がたまらないと言うか。。
「抱える問題」とかもすごく興味あったりします。
んで↑の動画を見てみたらまさにビンゴ!という感じでw
ちょっとこれは続きがかなり気になるので
近日中に映画館(池袋)行ってきます!
なんか大阪と池袋でしかやってないみたいなんですけど
1話見た限りではかなり勿体無い感じがしますね。