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東京創元社を告発するための短文での要約集
このエントリでは、東京創元社を告発する一連のエントリがあまりにも長大であることを考慮して、様々な事項の短文での要約を掲載します。
このエントリに掲載する短文での要約は、 SNS上などで拡散していただくことが目的です。そのため、それぞれの項目をそのまままるまる引用していただいて構いません。
なお、内容は、随時更新して増やしていきます。
東京創元社による無断盗用への抗議について
「東京創元社は、新人賞受賞者にノーギャラでやらせたトークショーの発言の一部を自社の編集者が発言したことに改竄した上で公式サイトで公表した。無断盗用に気づいた被害者が後日抗議すると、出版業界で「当たり前のこと」として被害者を侮辱した上で、恫喝した。」
東京創元社がハラスメントへの見解を提示することすら拒否したことについて
「東京創元社は、編集者が外部に対してハラスメントに及んだと抗議を受けた際、コンプライアンスを尊重して対応する気があるかも問われた。そして、本件には関係ないとして見解の提示を拒否した。『弊社はコンプライアンスを尊重してハラスメントに対処します』とは言えないらしい。」
このエントリに掲載する短文での要約は、 SNS上などで拡散していただくことが目的です。そのため、それぞれの項目をそのまままるまる引用していただいて構いません。
なお、内容は、随時更新して増やしていきます。
東京創元社による無断盗用への抗議について
「東京創元社は、新人賞受賞者にノーギャラでやらせたトークショーの発言の一部を自社の編集者が発言したことに改竄した上で公式サイトで公表した。無断盗用に気づいた被害者が後日抗議すると、出版業界で「当たり前のこと」として被害者を侮辱した上で、恫喝した。」
東京創元社がハラスメントへの見解を提示することすら拒否したことについて
「東京創元社は、編集者が外部に対してハラスメントに及んだと抗議を受けた際、コンプライアンスを尊重して対応する気があるかも問われた。そして、本件には関係ないとして見解の提示を拒否した。『弊社はコンプライアンスを尊重してハラスメントに対処します』とは言えないらしい。」
創元SF短編賞・個人賞を受賞して東京創元社の編集者に「既にプロへの切符は掴んだものと考えていい」などと言われたと思ったら諸々が全て噓だったどころか、なぜか受賞作以外の原稿データまで騙し取られていた件(3)
第3章 東京創元社による無断盗用の実態
この章では、東京創元社による私からの無断盗用の実態を全て具体的に記録し、告発する。改めて先に念押ししておくが、以下に述べる盗用の経緯について、私は既に具体的に事の経緯を東京創元社側に伝えた上で抗議している。その抗議の一部始終を聞いた上で、東京創元社側は「当たり前のこと」と即答し、さらには抗議した私のことを恫喝した。
したがって、「何らかの連絡ミスや手違いによって、結果として『盗用』と呼べるような事態が起きてしまった」、ということはありえない。
・東京創元社がノーギャラで私にトークショーをやらせた上で、私の発言の一部を自社の編集者が発言した事に改竄した上で自社のホームページで公表した
・無断でそのようなことをされていたことに後から自分で気づいた私が、東京創元社側に事の経緯を全て伝えた上で抗議
・東京創元社側は「当たり前のこと」と即答した上で、抗議した私のことを恫喝
ーーというところまで、既に事実として確定している。
これは、手違いや連絡ミスで起きたことではない。東京創元社の故意ではない純粋なミスで起きてしまったことであるのならば、抗議を受けた時点で私に謝罪し、その時点から何らかの対処を始めたはずである。事実として起きたのはその逆で、「当たり前のこと」と居直った上で、むしろ抗議する私の側を責め立てるということであった。
東京創元社という出版社は、社外の人間のアイディアを無断で盗用することを「当たり前のこと」として業務を行なっており、なおかつ、そのことに当の被害者から抗議を受けたら、非を求め謝罪するどころか、むしろ被害者の側を難詰し恫喝した。ーーここまでが、揺るぎようのない事実である。
以下では、その事実の経緯を全て具体的に記録する。
この無断盗用に関する事の発端は、東京創元社が第4回創元SF短編賞の関連行事としてトークショーを企画したことにある。賞の授与式を公開で実施するのに合わせて実施したい旨を東京創元社側から伝えられたのだが、それに関して、ギャランティを提示されることはなかった。……というか、交通費すら支給されなかったため、私としては、わざわざ自腹で交通費を支払って赤字を負った上で、東京創元社の販促のためにノーギャラでトークショーをしてあげた、ということになる(これはつまり、私のアイディアが東京創元社側に譲渡される可能性が生じるかもしれないような契約関係が一切存在しない、ということだ)。
もちろん、そもそもの前提として、この時点でおかしいのだ。私自身、出版業界とは全く関係のない業界で講演を依頼されるような場合、事前に拘束時間を提示された上で、しかるべきギャラと交通費が提示されるのが当たり前である。……しかし、これは東京創元社に限らず、広く日本の出版業界においては、「執筆者に対しては、最後の最後に完成した原稿そのもの以外にはビタ一文払う必要はない」という、正気の沙汰ではない考え方が浸透しているようだ(私自身、既に言及した新潮新人賞の候補になった際に、そちらでも体験している。その時には、新潮社の矢野優なる人物が担当の編集者となったのだが、賞の選考とは直接関係ないことについて、かなりの手間や労力がかかることを、これまたノーギャラで何度も要求されるということがあった。そのくせ、自分が提案して無償でやらせたことに基づいて、こうこうこういうことをやりましょう! などと自分から言い始めたことを、後に何の説明もなしに一方的に反故するーーということがあった。どうも日本の出版業界においては、「可能な限り契約を交わさずに口約束で物事を進めたがるが、口約束は当たり前のこととして反故にする」という習慣があるようだ。口約束だけに基づいて膨大な作業をやらせておいて、気分が変わったら一方的に反故にすることで、新潮社としては「予定していたが中止した企画」の経費を完全にゼロにすることができたというわけだ)。
例えば、出版社に所属している編集者が「打ち合わせ」をすれば、それは当然「業務」となる。しかし、少なくとも出版業界の内部においてはフリーランスである社外の執筆者を呼びつけて「打ち合わせ」をするのであれば、「打ち合わせ」への参加を求められた側にとっては、ノーギャラで出版社への一方的な奉仕を求められる時間となる。対価が支払われることすらない以上、それは「労働」の時間ですらない。
異なる会社の社員同士が業務に関する打ち合わせをするのであれば、それは互いにとっての労働時間になるのだから、特に問題はない。しかし、社外のフリーランスの人間を呼びつけてミーティングに参加させてその見解を自社の業務に用いたいーーというのであれば、話は異なる。無報酬で一方的に奉仕させるのであれば、それは単に、奴隷扱いをしているということだ。
社外の人間に自社の業務をふるのであれば、事前に拘束時間とギャラを提示するーーという当たり前の発想自体が、おそらく大抵の日本の出版社にはない、ということなのであろう。そしてそれは、ごく単純に、日本の出版業界が現代社会の常識についていくことすらできていない、ということでしかない。
東京創元社による私への仕打ちは、そのような発想の延長上にあるのであろう。東京創元社が実施したトークショーで、東京創元社の要求によってしゃべらせた私の発言など、好き勝手に利用してよいリソースに過ぎない、ということなのだろう。
だからこそ、東京創元社は、無断盗用に対する私からの抗議を受けて、あたかも抗議を受ける自分たちの側が被害者であるかのような横柄な物言いすらできたのだと思われる。
ここからは、当日の経緯を記述する。授賞式及びトークショーに先立って、私を含む関係者は東京創元社に呼びつけられた。東京創元社内の控え室で待機することになったのだがーー実はその時点で、私は、トークショーを実施することを要求されつつも、具体的に何を話すのか、その内容については全く何一つ知らされていなかった。
そのような状況で、控え室では、担当の編集者である小浜徹也は、他の関係者と(授賞式及びトークショーとは完全に無関係の)雑談をして時間を潰していた。そこで、トークショーの内容を全く何も知らされていないことに不安を覚えた私は、最低限度の打ち合わせをすることを小浜徹也に申し出た。
しかし、である。あろうことか、この申し出は拒否された。当日の業務とは完全に無関係な雑談をする暇があるのに、トークショーの話し手として呼びつけておきながらその具体的内容を何も聞かされていない者との最低限度の打ち合わせを拒否する、その意味は完全に不明である。
いずれにせよ、トークショーの内容について事前にいかなる些細な情報をも私に伝えることを拒否した小浜徹也は、そのまま雑談に戻り、規定の時間になるまでいかにも楽しそうに雑談を続けた。
東京創元社による業務の段取りの意味不明ぶりは、むしろこの後に更に高まっていくこととなる。……いざトークショーが始まり、私を含む個人賞の受賞者が、既に聴衆が集まっている会場の、その壇上に上がった(もちろん私は、この時点で、トークショーがこれからどうなるのか、全く何も知らされていない)。
すると、驚くべき事が起きた。自ら司会を務めた小浜徹也が、突然、壇上の受賞者達が、それぞれの自作のあらすじをこれから自ら説明することを宣言したのである。
私は、パニックに陥った。これには、二つの理由がある。まず第一に、極めて当たり前のこととして、「自作の内容の説明を作者本人に要求することが元々決まっていたのであれば、なぜ事前にそれを伝えなかったのか」ということである。
既に述べたように、私はトークショーに先立って打ち合わせを申し出ていたのにもかかわらず、小浜徹也はそれを拒否している。その場で細かい打ち合わせをせずとも、本番で自作の内容の説明を自分でしてもらうから事前に内容を考えておく旨を、前もって伝えないことに何の意味があるのか。既に聴衆がいる状態で、完全にアドリブで自作の説明をさせることに、いったいどんな意味があるのか?
私がパニックに陥った第二の理由は、小浜徹也が「あらすじ」を要求しているということだった。というのも、この時の私の作品は、そもそもストーリー展開という意味での「あらすじ」を明確にまとめられるような作品ではなかったのだ。要するに、小浜徹也は、私の作品が「あらすじ」を抽出できるようなタイプの作品ではないということすら理解していなかったということだ。
いざ話すことになった私は、「あらすじ」という小浜徹也の要求はとりあえず無視して、自作の全体としての概要を、なんとかその場のアドリブで語ることができた。
東京創元社による私からの無断盗用の経緯を明らかにするためには、ここまで説明しておけば十分だ。……と言うのも、このトークショーのこの部分の出来事として、東京創元社が自社のホームページで公表した記録では、以下のように記述されているからだ。
この記録を見れば、小浜徹也が私の作品の概要を整理した上でその場の聴衆に説明し、私は単に補足的なコメントをしただけであるかのように見える。……しかし、ここまでの私の記述と照らし合わせれば明らかなように、これは完全に事実の改竄であり、根も葉もない捏造である。
また、小浜徹也がコメントしたことになっている部分を一読すればわかるように、これは、私が発言した内容の発言者を「小浜」と表記してしまったというだけの、単なる表記ミスではないことも明らかだ。と言うのも、私の発言内容が小浜の発言の内に組み込まれ、小浜自身の発言と一体化する完全に意図的な編集がなされた上で、いかにも小浜徹也が全てを発言したかのように改竄されているからだ。
そして、この改竄・捏造によって、東京創元社が明確に利益を引き出していることもわかる。この公表された「記録」だけを読む限り、自社が主催するトークショーの司会を務めるにあたって、話題として取り上げる作品の概要を整理した上でその場に聴衆に説明しつつ、登壇した私には補足のコメントを求める以上の負担をかけず、編集者としての業務をきちんと果たしているーーかのように、「見える」。
しかしもちろん、事実はそうではない。トークショーを実施するにあたって、その内容に関して、少なくとも私が発言する部分については、小浜徹也は完全に何の準備もしなかった。また、トークショーの直前の暇な空き時間に最低限の打ち合わせをすることすら拒否した。つまり、事前の準備という点では完全にゼロで本番に臨んだ上で、突然その場でいきあたりばったりに私に話題を振り、アドリブでしゃべることを強要した。
トークショーの本番で私が発言した内容の全ては、その場で突然小浜徹也が思いついた話題を全て私がその場のアドリブで考えた内容だけで構成されており、東京創元社及び小浜徹也がサポートして成立したと言える内容は、完全にゼロである。……というか、トークショーについて完全に何の準備もせずに本番を迎えた東京創元社及び小浜徹也のせいで、登壇した私が全てアドリブで尻拭いをさせられた、というのが実態である。
こちらは事前の打ち合わせを拒否されて進行の経緯を何も知らされていないのにもかかわらず、小浜徹也は好き勝手に行き当たりばったりに話題を進行させる。それに対して完全にその場のアドリブで私が応じることを強いられたのにもかかわらず、そうしてひねり出した発言は、小浜徹也の発言であったことに改竄されているのである。
東京創元社が事後的に公表した記録を見るとーーいかにも、編集者・小浜徹也が私の作品の内容を理解して聴衆にその概要を要領よく伝え、事前に準備をしてスムーズに司会を進行し、職務をきちんと果たしている、かのように、「見える」。
私の発言内容が、私自身ではなく小浜徹也が発言したことに改竄された上で東京創元社の公式ホームページで公表されていることーーこれは、小浜徹也及び東京創元社が、いかにも職務を遂行しているかのように見せかける、その体裁を整えるためになされているのは明らかだ。
小浜徹也ならびに東京創元社は、自社の催しとしてトークショーを企画した。しかし、その内容に関して登壇する発言者に関して一切の内容を伝えず、本番で質問する内容を事前に伝えて準備させておくという、それこそ一分もかからない最低限度の労力すら怠った。……ならば、なぜ、そのまま当日に起きた通りの出来事を純粋に記録し、公表しないのか?
逆に言えば、当日の小浜徹也の進行によるトークショーを現実に起きた通りに公表するのは、いかにも体裁が悪い、という自覚はあったのだろう。
今回の告発にあたって、私は、東京創元社が公表に用いている媒体を一通りチェックした。その結果わかったのは、同種のトークショーについて、東京創元社のyoutubeにおいて、記録映像が公開されているものもある、ということだった。……そして、私が登壇したトークショーにしても、東京創元社は映像を録画していた。
ということは、だ。東京創元社は、このトークショーは、現実に起きた通りのままの形で動画として公表するのは不都合であった、ということだろう。
いずれにせよ、映像の記録が残っているにもかかわらず、文字に起こした記録だけしか東京創元社は公表しなかったーーそして、その記録は改竄されていた、というのが事実である。 改めて確認するが、私はこの改竄について、一切認めていない。小浜徹也並びに東京創元社が事前に最低限の準備すらしないままにトークショーの実施だけを求め、その段取りの悪さと無策のゆえに、完全に私のアドリブだけに基づく労働の成果として、「トークショーの、私が発言した部分の内容」が成立した。それをなぜ、私があずかり知らないところで、小浜徹也が発言したことに改竄されて公表されなければならないのか(そもそもの前提として、小浜徹也が私の作品を上記のような文言で要約することは、能力的に不可能であることも明らかだ)。
改めて確認するが、ここまで記述してきた一連の無断盗用に関して、私は東京創元社側にここまで記述してきたのと同じ内容の経緯を全て伝えた上で、既に明確に抗議している。従って、この盗用が「ミス」「勘違い」「単純な人為的な手違い」であるということはありえない(これは要するに、この告発が拡散した場合、出版業界関係者が「東京創元社による、悪意のないミス・手違いに違いない」などと言い出して擁護し始めることを見越して、あらかじめ念押しをしているということである)。
私の発言が切り取られて小浜徹也の発言と混ぜ合わされて、全てが小浜徹也の発言であったかのように構成し直されるーーという明らかに人為的な操作がなされている以上、この操作が単純なミスであった、という言い訳はいかにも苦しい。……しかし一方で、この抗議を受けた瞬間に、即座に東京創元社側が「あってはならないことが起きた」と非を認めていれば、話としては単にそれだけのことだったのである。私の側としては、どれだけ釈然としなくとも、「単純なミスではなかった」ということをこちらが証明することはできない。
しかし、既に述べたように、この無断盗用に関する経緯を全て伝えた上で抗議されたその時点で、東京創元社側は即座に「当たり前のこと」と述べたのである。
私からの無断盗用を「当たり前のこと」と断定した時点で、東京創元社側の単純なミス・手違いでこのようなことが起きた可能性は、既に完全に消滅しているのである。
そして、もう一つ指摘しておくことがある。仮に東京創元社側が、私のこの告発が「事実無根」だと主張したいのであれば、それは簡単に証明することができる、ということだ。何しろ動画の記録が残っているのだから、私が「小浜徹也が発言したことに改竄されている、私の発言」であると指示した文言を間違いなく小浜徹也本人がしゃべっている映像を提示することが、東京創元社は簡単にできるのであるーー仮に、私の主張が「事実無根」であるのならば。 そして、問題になっている部分がここまで明確に特定されている以上、この点に関して「調査」に時間がかかることはありえない。十分もかからずに事実関係を確認できる。 あるいは、この文章がアップされたその後で、問題の記録動画「だけ」が紛失していたことが突如として発覚し、本当に盗用があったのかについて事実関係の確認が不可能になったりしちゃうかね? 私と小浜徹也の間で過去にあった複数のメールのやり取りを事後的に会社として確認して、その実在が確認されると小浜にとって大変都合が悪くなるメール「だけ」がピンポイントで、小浜が読む前にメーラーの不具合で削除されていたことが突然発覚したりしますもんね? そして、その一方的な言い分を信用しないーー言い換えれば、東京創元社にとってひたすら都合よく事態が矮小化されてはいるものの、辻褄が合わず所々で破綻している「設定」を事実であるとこちらが認めないと、東京創元社の側は誠意をもって対応しているのに、私の側が「謝罪を受け入れない」、ということにされちゃうんですよね?(このあたりのことについても、次章以降で詳述する)
これまた次章以降において詳述することになるが、東京創元社は私に対して、何の論拠も証拠も提示せずに「そのような事実はない」「事実無根」などと一方的に主張することを繰り返したので、このようなこともあらかじめ断っておく次第である。
そもそも、私が東京創元社側にとってひたすら都合のいい「設定」を認めて受け入れるということは、この無断盗用に関しては「当たり前のこと」であるとしてすませるという対応を受け入れるということではないか。こんなことを受け入れないのは、当たり前である。しかし東京創元社側は、自社の対応には誠意があり、私の側が「謝罪を受け入れない」という図式を提示し、あたかも東京創元社側が被害者であるかのような態度を、終始とり続けたのである。
ここまで記述した一連の無断盗用の経緯について、私が直接伝えて抗議することになった相手は、当の小浜徹也本人である。
既にここまでの章で述べたように、このこと事態は、私にとって極めて不本意なことである。私が東京創元社からもたらされたトラブルについて、担当の編集者と直接やり取りはしないーーという合意に至った後で、四十分未満で一方的にその合意は反故にされた。このことについては次章以降で改めてその経緯を全て具体的に記録するが、ここでは順番を前後し、この無断盗用に関する顛末についてのみ、先に述べる。
ここまで記述してきた内容の全てを、私は小浜徹也に伝えている。東京創元社による私のコメントの無断盗用に至る経緯と、そのことに対する抗議の意志を明確に伝えたーーすると、小浜徹也がまず主張したのは、その書き起こしは自分のやったことではなく、社内の別の人間がやったことだ、ということだった。
東京創元社の社内で誰がやったのかという社内の責任問題を、社外の私に対して主張するのは完全に無意味であるのだが(そもそも、何の根拠も証拠も示さない小浜の一方的な物言いには何の信憑性もない)ーーすぐに小浜は、そもそもこのこと自体に何の問題もないと主張し始めた。このとき小浜が即座に述べたのは、「(トークショーの書き起こしなどをする場合に)内容に手を加えるのは当たり前のこと」、というものだった。小浜徹也は、私がさも出版業界の常識を知らないかのような態度を取り、あからさまに嘲笑してみせた。
その時の私は、このような話のそらし方をするからこそ、小浜徹也と直接やり取りをするのを拒否したのだーーと思った。別に私は、トークショーで実際に話された言葉の内容と、書き起こされた内容との間に変更点があることに抗議しているのではない。内容に変更点が加えられる際に、私自身のコメントが無断で小浜徹也が発言したことに改竄されていることに抗議しているのだ。
その時点ではそう思ったのだが、しかし、後になって改めて考えてみると、「小浜徹也が論点ずらしをした」と考えるのは、むしろ東京創元社に対して好意的に解釈してあげていることになってしまうということに気づいた。というのも、ここまで述べてきたように、私は、無断盗用の経緯を全て明確にした上で東京創元社側に抗議している。その発言を受けた上で、東京創元社の編集者・小浜徹也による東京創元社側の返答として、「当たり前のこと」という明言がなされたのだ。
そうである以上、「東京創元社の業務において、話し言葉の文字起こしをする際に、社外の人間の発言内容を本人に無断で自社の編集者が発言したことに改竄すること」までが、「内容に手を加える」という業務の範疇に含まれるという主張を、小浜徹也はしていることになる。この点に関しては、それ以外に解釈の余地はない。
したがって、東京創元社側が、後から「この時に弊社の小浜が『当たり前のこと』として説明したのは、ただ単に、話し言葉の文字起こしの際に内容に変更があることもあるということ、純粋にそれだけを意味していました」などともっともらしく主張し始めたとしても、それは嘘である。
東京創元社による無断盗用について抗議を受けた小浜徹也は、「当たり前のこと」と即答し、いかにも私が出版業界の常識を知らないかのような侮蔑的な態度を露骨に取り、威圧的に嘲笑してみせた。
しかし、私は別に、出版業界に属する人間ではない。もし仮に、私が出版業界の事情を知らないがゆえにトラブルが起きたのだとするのであれば、ただ単に、淡々と事情を説明すればよいだけの話であろう。……ところが、抗議を受けた小浜徹也は、最初は私に対して露骨に侮蔑的な態度を取っていたのにもかかわらず、抗議を受けたことに逆上したのか、私のことを声高になじり始めた。小浜徹也は、こともあろうか、抗議者たる私の側を叱りつける態度を取ったのだ。
「なぜ今になって言うんだ!」というのが、小浜徹也による私への難詰の内容である。小浜は、この「なぜ今になって言うんだ!」という、私の側に非があることにして責め立てる言葉を、繰り返し声高に連呼した。
そもそもの大前提として、この状況は、「東京創元社が、無断盗用を抗議する私のことを恫喝した」というものであると私は認識している。そして、東京創元社による無断盗用について私がいつ抗議するかということは、トラブルそのものとは何の関係もない。トラブルそのものとは何も関係のないことを取り上げて、被害を受けた私の側を繰り返しなじる行為は、恫喝以外のなにものでもない。ここにおいて私は、東京創元社が被害を抗議する私を恫喝したことを告発し、この場でも、改めて東京創元社に抗議する。
その上で、この小浜徹也による「なぜ今になって言うんだ」なる言葉が、完全に意味がないーーというか、意味をなさないものであることを指摘する。
そもそも東京創元社は、私の発言を小浜徹也が発言したことに改竄して公表するにあたって、私に許可を求めることはおろか、その事実を私に通知することすらしていない。
確かに、東京創元社が私から盗用を行なってから、私が抗議するまでの間に、何年もの期間が空いてはいる。しかし、それは単に、私がその事実を知る由もなかったからである。たまたま私が、東京創元社によって被った被害の全てを整理していた時にこの事実を発見し、発見したらすぐに東京創元社に抗議したーーというだけの話である。
つまり、東京創元社が私にやった仕打ちを時系列に沿って整理すると、以下のようになる。
・私のコメントを小浜徹也が発言したことに改竄し、その事実を私に知らせないままに自社の公式ホームページに公表
・私がその事実に気づいてから、東京創元社に抗議
・私の抗議を受けた東京創元社は、「当たり前のこと」と居直った上で、抗議した私の側に対して「なぜ今になって言うんだ!」と繰り返し難詰する
……要するに、この点に関する小浜徹也の主張は、「自分のコメントが無断で盗用されるのが嫌なら、なぜその時点ですぐに言わないのか」ということであろう。
もちろん、このような理屈は、東京創元社が「私のコメントを小浜徹也が発言したことに改竄したこと」をもともと伝えていたのでなければ、全く意味をなさない。
逆に言えば、既に小浜徹也が私の抗議を受けて「なぜ今になって言うんだ!」と連呼し私を難詰したという事実がある以上、東京創元社は、「私が東京創元社に無断でコメントを盗用されながら、その事実を認識していなかったこと」を、私に非があるとして責め立てているーーということになる。
私に何も知らされないうちに私のコメントが東京創元社によって無断で盗用され、事後的にもその事実を私が知らなかったーーということを、私の側の落ち度として、東京創元社は私のことを叱りつけ難詰した、ということだ(この種の意味不明の責任転嫁は、のちに、東京創元社の取締役編集担当・小林甘奈によっても、私に対してなされることになる。その経緯についても、次章以降で詳述する)。
もちろん、更にそれ以前の問題として、盗用した加害者の側に被害者の側が責め立てられるいわれなどない。……ということもあるのだが、ここでは、更にもう一つ、補足しておきたいことがある。
近年の日本では、ハラスメントなどに対する告発が頻繁に起こるようになってきた。その際、全く無関係な野次馬が加害者を擁護して告発者を攻撃することが多発している。そして、まさに小浜徹也が私を恫喝したのと同じく「なぜ今になって言うんだ!」などともっともらしく言う者が、かなりの数存在している。
加害者である東京創元社の側、その当事者が、被害者本人からの抗議に対して「なぜ今になって言うんだ!」などと難詰する資格はない。もちろん、これは単に論外である。しかし、無関係な第三者が「なぜ今になって言うんだ!」などと、被害者の側に落ち度があるかのように言い募ることにも、全く正当性がない。
ハラスメントの類は、加害者と被害者の間に立場の差があるから起きるのが普通である。被害者が被害を受けても即座に抗議したり報復したりすることができないことが織り込み済みだからこそ、多くの場合、加害者は安心して加害に及ぶわけだ。被害と告発の間に時間差が生まれる理由の多くは、告発や抗議をしても問題ない状態が整い実行に移すまでの間に時間差があることが多いという、ただそれだけのことであろう。ここに時間差があることを問いつめられたり、非難されたりする筋合いはない。むしろ、この手の「なぜ今になって言うんだ!」は、被害者が被害を受けたその時点で即座に抗議できていたはずだーーという、根拠のないフィクションを、勝手に話の前提にしているのである。
例えばある会社の内部で不法行為が横行していたとして、そのことに心を痛めている社員がいたとする。しかし、告発に及んでも何も解決しないどころか、もみ消された上に自分個人は社内で報復を受けることがわかっているーーという状況があったため、退職し会社と無関係になってから初めて、告発を行う。このような経緯に、何か不思議な点があるだろうか?
ここで私は、確認のために書いておく。加害者に対して告発を行なった被害者に対して「なぜ今になって言うんだ!」などと難詰する者は、その時点で既に、「無関係な第三者」ではない。その言葉を発した時点で既に、二次加害に手を染めていることを知れ。
東京創元社からの無断盗用に抗議し告発する私は、この世の誰からも、「なぜ今になって言うんだ!」などと言われる筋合いはない。
そしてそれ以上に、そもそもの加害者たる東京創元社によって盗用を行なっていたことを知らされず、何年も経ってから自分で気づいた私が、「なぜ今になって言うんだ!」などと、その遅れを責められる筋合いはない。
更にそれ以上に、私から盗用を行なった東京創元社、まさにその加害の主体から、「なぜ今になって言うんだ!」などという恫喝を受ける筋合いはない。
これは、明確な二次加害である。そして私は、元々の盗用という加害と、それに対する抗議にまつわる二次加害、その双方の、いずれも免罪するつもりはない。私は、その双方に対してともに抗議し、告発しているのである。
以上を踏まえた上で、「なぜ今になって言うんだ!」に続く、小浜徹也の言動を以下に記録する。……ひとしきり、威圧的に怒鳴りつけ叱りつける口調で「なぜ今になって言うんだ!」を連呼した小浜徹也はーー自分の発言の無意味さに気づいたのかどうかは、私には知る由もないがーー今度は、異なる言葉で私をなじり始めた。「じゃあどうすればいいんだ!」というのがそれである。
これまた、完全に無意味であるのと同時に不適切な発言である。そもそも、一連のトラブルは完全に東京創元社の側の加害行為によって起きたことであり、私の側には、いかなる点でも、何の非もない。被害者の側が、加害者の側の責任の取り方・問題への対処方法について答えを出すように問いつめられなければならないいわれはない。この、「じゃあどうすればいいんだ!」という、暴力的な調子で発せられた私への難詰もまた二次加害の一つであり、私はこれについても、有耶無耶の内に免罪するつもりは全くない。
小浜徹也の「じゃあどうすればいいんだ!」に対して私は答えなかったが、その後で、小浜徹也は、自ら対応策を語り始めた。そして、その言葉を聞いた私は、愕然とした。……というのも、小浜徹也が言ったのが、「消せばいいのか!?」というものだったからだ。
念押ししておくが、小浜徹也の言う「消せばいいのか!?」という対処に関しては、私に対する謝罪や補償などの提案は含まれていない。つまり、ただ単純に、東京創元社が無断盗用によって制作し自社の公式ホームページで公表した文書を、黙って削除するという「だけ」の行為でしかない。……そう、これは単純に、東京創元社が黙って証拠隠滅するというだけのことである。そして、無断盗用の証拠を隠滅する行為を、小浜徹也は、私からの抗議に対して東京創元社として対処する行為として、厚かましくも提案してきたのである。証拠隠滅し、何もなかったことにするだけの行為を、小浜徹也は、私のためにわざわざやってあげることであるかのように恩着せがましく主張しだしたのだ(既にここまでの章で、東京創元社側が、私が小浜の謝罪を受け入れないと主張する文面について引用したが、「謝罪を受け入れない」という言葉の実態はこのようなものである。要するに、小浜は小浜本人にとってひたすら都合がいい対応策を提示し、その対応策に私が従順に従うこと、その強要を、「謝罪を受け入れること」に含めていたのである。それを私が拒否すれば、誠意を持って対応したのに謝罪が受け入れられなかったーーなどと、被害者面し始めた、というわけだ)。
この、小浜徹也による証拠隠滅を正当化することにしかならない申し出を受けた私は、即座に、「何もしなくていい」と答えた。……このことについては、ここで念押ししておかなければならない。私が「何もしなくていい」と言ったのは、あくまでも、小浜徹也が黙って証拠隠滅をしようとしたことに対して、である。
「そんなことは、話の流れからすれば当たり前ではないか」、と、多くの読者には思われるかも知れない。しかし、次章以降で詳細に記述していくことになる東京創元社側の主張を踏まえると、このようなことにすら、細かい念押しが必要になってくるのである。……というのも、この告発が拡散されることになった場合、東京創元社側が、「何もしなくていい」という私の言葉を取り上げ、その時点で私からの無断盗用は許可を得たものだと認識していたーーなどという主張を、後出しでやり始めかねないと警戒しているのだ。これは要するに、ここまで記述してきたよりも以降に起きたこととして、この手の全く筋の通らない屁理屈を東京創元社側が延々こねくり続けたという事実があるのだ。
無断盗用に対する対応策として、ただ一つだけ小浜徹也が提示したのが、「黙って証拠隠滅すること」、それだけである。ここには、私に対する補償や、毀損された名誉が回復されることなどは一切含まれていない。単に証拠隠滅するというだけの、東京創元社にとってのみ都合がいいことを、さも「私に対してやってあげていること」ででもあるかのように恩着せがましく提示してくるーーこのような対応を提示する東京創元社のことは一切信用できないからこそ、「何もしなくていい」と述べたのだ。
いずれにせよ、私は「何もしなくていい」という言葉の直後に、東京創元社による無断盗用に対する抗議の意志がなくなったわけでは全くないことを念押しし、この点については東京創元社と直接やり取りするだけでは何も進展しないと判断した結果として、全ての経緯を文書化し、インターネット上で公表する意志があることを小浜徹也に伝えた。
その言葉を聞いた小浜徹也は、わざとらしく声を出して私を嘲笑ってみせた。そして、いかにも小馬鹿にしたような調子で、侮蔑的に言ってみせたーー「やれば?」と。
その結果、どのようなことが起きたか。東京創元社の公式ホームページでは、この告発文を公開した現時点においても、依然として、問題の文書が元のままの形で公開されている。つまり、私の発言が、小浜徹也が発言したことに改竄された上で公開されたままになっているのだ。
私の言った「何もしなくていい」とは、小浜徹也が言い出した証拠隠滅の申し出を受けてのものであり、私からの盗用を認める言葉ではない。そして、ここまで記述してきたように、この盗用が私にとって不本意なものであるという認識を、既に私は東京創元社側にはっきりと伝え、抗議もしている。
改めて確認しておくが、この時私が言った「何もしなくていい」とは、「無断盗用がなされた文書を黙って削除して証拠隠滅しておきながら『問題に対処した』などと言われるくらいなら、むしろ何もしないでそのままの方がマシだ。盗用の実態をそのまま残しておいた上で、それが『当たり前のこと』なのかどうかは、自浄作用のないことが明らかな東京創元社の社内で判断するのではなく、広く社会一般からの評価を仰げ」という意味である。
そして、ここまで述べてきたことが起きたその後で、依然として東京創元社は、無断盗用に基づく文書を自社のホームページで堂々と公開しているのである。
そして、この一連の行為は、小浜徹也の個人の暴走によるものではなく、東京創元社の会社ぐるみのものであることもまた、事実として確定している。
話が前後することになるが、この時の小浜徹也の態度に関して事後的に対応した東京創元社側の態度も、先にここで確認しておく。無断盗用の件以外にも私は小浜徹也と長時間に渡るやり取りを強いられたが、事後的に、その小浜の言動に関して改めて東京創元社側に抗議した。それに対して、東京創元社の「取締役編集担当」という肩書きを名乗る小林甘奈は、私と小浜徹也のやり取りの全てについて「力を尽くした」調査をしたと明言した。
小浜徹也の私への言動の全てについて「力を尽くした」調査をしたと断言した小林甘奈が、東京創元社側の非として認めたのは、ただ一点、私の抗議の発言に対して、小浜徹也が私の言葉を遮った部分もある、という、全体の出来事からすれば、ほぼどうでもいいことだけだった。また、小林甘奈が小浜徹也の私への態度に関して非を認めた部分があるーーとすると、誤解を招きそうであるので、あらかじめ確認しておく。むしろ全体の態度としては、小林甘奈は、小浜徹也の言動を擁護し、むしろ私の側に非や責任があるかのような振る舞いを繰り返し、堂々と二次加害に及んだ(このことも既に指摘したことである。もちろん、小林甘奈の言動の詳細も、次章以降で改めて詳述する)。
それだけではない。小浜徹也が私に対して取った言動を客観的に確認するため、小浜徹也本人にその日の自分の言動の全てを文書化させた上で私に提出することを小林甘奈に私は求め、小林甘奈は明確に「それはやります」と述べている(このことに関しては、小林甘奈の発言の録音が私の手元にある)。その文書の作成に「数日かかる」と小林甘奈は述べたのだがーーその「数日後」になって、東京創元社はこの文書作成の約束を一方的に反故にした。
注意しなければならないのは、反故にするまでに数日のタイムラグがあったということだ。小林甘奈は、該当文書の作成をその場で拒否したのではない。小浜徹也の言動の明確な記録を残すことを認め、「数日かかる」とした上で、その数日後に突然文書の私への提出を一方的になんの説明もなく反故にした。ーーこれはつまり、文書を作成し小浜徹也の言動の全貌が明らかになったからこそ、その文書を私に提出することを突然拒否したとしか見なせないわけだ。したがって、東京創元社が、今後、小浜徹也の言動を把握していなかったなどと主張しだしたとしても、それは嘘であるとはっきりと言うことができる。小浜徹也の言動の「全て」を文書化することを合意し、自ら「数日かかる」と完成までの期間を指定し、その期間が経過した後で突然態度を豹変させたのだから。
とはいえ、結果的に東京創元社は、無断盗用に関して開き直った小浜徹也の言動については、一切の非を認めなかった。ということはもちろん、小浜徹也の「当たり前のこと」という発言は、単に小浜徹也個人の見解ではなく、東京創元社の公式見解であるということになる。
この時点で、この無断盗用が、単に小浜徹也個人の暴走ではないということも確定した。この無断盗用は、東京創元社の業務において、「当たり前のこと」として、組織ぐるみで行なわれたのだ。
東京創元社による私からの盗用は、誤解や行き違いの果てに生じた、単純にして不幸にも起きてしまった「純粋なミス」ではない。東京創元社は、私からの抗議を受けた上で、「当たり前のこと」と即答し、盗用されたことに抗議する私を恫喝した。ーーここまでが、既に事実として確定済みなのである。
この告発文が公開されてから後に、東京創元社が「このような盗用の事実を把握していなかった」「これから詳細を調査する」「行き違いが起きていた」「弊社の純粋なミスの結果」などという言い訳を並べ立て始めたとしても、それらは全て嘘であるということを、あらかじめ指摘しておく。
改めて確認しておくが、この件は、東京創元社側が非を認めていれば単に粛々として一社員の独断による単独の不祥事として処理し、解決することができたはずの問題である。企業としての東京創元社が、この盗用に関して「あってはならない事態」が起きてしまったのだと認めていたならばーーそれはつまり、普通には起こりえない、イレギュラーで例外的なトラブルであるということになる。東京創元社側がそのように主張していれば、私としては納得しないところや釈然としないところが残ったとしても、少なくともこの盗用問題の件に関しては、私の側からそれ以上言うことはなかったはずだ。
しかし、当の東京創元社の役員が、「当たり前のこと」と即答した小浜徹也の言動を否定するどころか擁護し始めた時点で、この盗用問題が独立した単独のトラブルでありうる可能性は消滅した。
当たり前の話である。東京創元社自身が、ここまで告発してきたような無断盗用を「当たり前のこと」として居直っている以上、類似のことは日常的に頻発していることは明らかだからだ。
……だが、「当たり前のこと」、とは、いったいどこまでが含まれるのか。
私が考えて私が発した私のコメントを、私に無断で東京創元社の編集者・小浜徹也が発言したことに改竄して公表した上で、そのことを抗議されると、東京創元社は「当たり前のこと」と主張した。そして、私のアイディアを私に無断で自社の利益のために盗用することが「当たり前のこと」であるのであれば、そのアイディアを盗用する範囲が「トークショーでの発言」だけに限られるなどという保証はどこにもない。
この告発文のそもそもの最初から記しているように、東京創元社との私のトラブルの最初のきっかけは、私の未発表原稿が小浜徹也によって不当に騙し取られたことにある。……この未発表原稿に関して、東京創元社は、私の抗議を受けた後で削除したのだと、主張してはいる。ただし、単に処分したと言い張るだけで、その対処の詳細を私に関して開示することを完全に拒んだ。要は、私自身は「処分した」と言う結果を一方的に伝えられているだけであり、そのことを信用できる裏付けは何一つないのである。
しかし、それ以前の問題がある。仮に、本当に東京創元社が私から騙し取った未発表原稿を本当に処分していたのだとしても、何も問題は解決していないのかもしれないだ。……原稿そのものは、私に無断で何らかの用途に用いられるようなことがなかったとしよう。しかし、その原稿に含まれるアイディアが、部分的にでも盗用されていないという保証は、いったいどこにあるのか?
東京創元社が無断盗用の抗議を受けて「当たり前のこと」と即答した以上、当然のこととして、無断盗用が無数に行われている疑いは、拭い去ることができないものとなる。
……もはや、問題は、私のコメントが盗用され東京創元社の小浜徹也が発言したことに改竄されて公表されたという、既に事実として確定している一件だけにあるのではなくなった。トークショーの書き起こしをし記録を作成するにあたって、社外の発言者のコメントを無断で盗用するーーなどということは、そうそう頻繁に起きることではない。東京創元社が「当たり前」の事だと主張する無断盗用が、この場合の「トークショーの文字起こし」だけに絞り込まれるならば、そもそも「当たり前のこと」などと、いかにも日常的に行っていることを示唆する言い回しを用いる必要もないだろう。
仮にこの告発文が拡散し、東京創元社が事後的に態度を変えて問題への対応を改めて迫られるようになった場合、おそらく、事実として確定しておりどうしても否定できない、この一件の盗用「だけ」が例外中の例外であるかのように主張し始めると思われる。
したがって、私が、被害を受けたことが既に確認されている一件の盗用「だけ」を問題とすることを受け入れてしまうと、東京創元社が自ら主張する「当たり前のこと」の内実に、誰の目も向かないことになってしまう。
……なるほど、私個人が東京創元社に委ね管理されることになった原稿やアイディアは、かなり限られた分量のものに過ぎない。その意味では、私が盗用されたのは、本当にこの一件だけに限られるという可能性もある。
しかし、である。もともとこの被害のきっかけとなった出来事が、東京創元社が主催する小説の賞であることを考えていただきたいのだ。そこには、大量の原稿が応募される。なるほど、その原稿の多くは、プロの作品として公表されるべき水準に達してはいないのであろう。しかし、単独の作品としてのみ見たときに厳しい完成度でも、その無数の原稿の中に、単発のアイディアとしては光るーーというものが、全く存在しない、とも思えない。
ならば、東京創元社が主張する「当たり前のこと」に、そのような大量の原稿の中からのアイディアの拝借が含まれていない、と、言うことができるだろうか?
繰り返すが、もはや私は、事実として確定している一件の無断盗用「だけ」を問題とする気はない。そうではなく、このような盗用が事実としてあったのだと告発することによって、東京創元社のこれまでの出版物に疑いの目が向けられ、いまだ明らかになっていない潜在的な被害の有無が広く検証されるに至り、私以外にも盗用の被害を受けた人々がいないかどうかが多くの目から厳しく調査されるに至るーーそのようになることに、公益性があると判断した次第である。
仮に私が受けたような被害を受けた人が後から現れた場合、東京創元社は、やはり言うのであろうか。「なぜ今になって言うんだ!」、と。
東京創元社以外においても日本の出版業界で無断盗用が行われていることについては、私自身の実体験からも具体例を挙げることができる。
既に先の章でも言及したことであるが、以前このブログでは、アメリカン・コミックスの未邦訳作品を詳細に紹介する記事を定期的にアップしていた。……そして、あるとき、私が紹介したことのある作品が、日本の出版社から邦訳・刊行されることになった。
そして、その出版社による公式の紹介文を見て、大変に驚いた。……そこにあったのは、なんとも既視感のある、私自身が書いた紹介文に酷似したものだったのである。
一応断っておくと、その文章は、明らかに私が書いた文章を下敷きにしながら、盗用・剽窃とはギリギリ言われないだろうーーという程度の、最低限度の改変が加えられていた(ここで出版社と作品の名前を伏せているのは、それが理由である)。
盗用・剽窃とは言えなくなる程度の改変が加えられてはいたものの、それが私の文章を元にしているのは明らかだった。というのも、作品のあらすじを要約するにあたって、私は、原作のどこにも登場しないキーワードを自ら考えた上でストーリーの展開を要約していたのだ。そして、該当の文章には、私が原作から離れて自分で考えたはずのキーワードが、しっかりと書き込まれていた、というわけだ。
また、このことに驚き呆れて調べたが、少なくともネット上の日本語の情報という点では、該当作品の内容を詳細に紹介した文章は、おそらく私のブログに記載したものだけであった。 しかし、既に述べたように、該当の文章には、盗用・剽窃とは言えない程度には、私の元々の文章からは離れている。従って、この文章が盗用・剽窃であると認められることは、ありえないであろう。
結果として、私が取った行動は、ただ一つである。……それはもちろん、このブログにおいて(あるいは、他のいかなる場所においても)、アメリカン・コミックスの未邦訳の作品の内容を紹介するようなことを完全に止めたことである。
繰り返すが、この件については、盗用・剽窃とは言えないギリギリの線までは改変がなされている以上、責任を問うことはできない。その意味では、盗用の抗議を受けた上で「当たり前のこと」と即答した東京創元社とは、明らかに違う。
しかし、このようなことが現に起きている以上、私としては、こう思わざるをえないのだーー日本の出版業界においては、盗用・剽窃の類は、一方的な「やり得」、やったもん勝ちなだけで、やられた側はただひたすら損をするだけのまま放置されるだけなのではないか? と。
私のこの告発が拡散されることがあれば、そのような疑いを確認する、よい機会になりうると思う。……というのも、無断盗用の抗議を受けた東京創元社は、「当たり前のこと」と即答し、抗議する私の側を難詰することさえしてみせたのだ。
東京創元社による無断盗用が、単に東京創元社内のみで「当たり前のこと」なのであって、日本の出版業界全般にとって「当たり前のこと」であると見なされることに問題があるのであれば、東京創元社以外の出版社は、このようなことは当たり前のことではないと、意思を表明するべきであると思える。
しかし、私の予想としては……仮のこの告発が多くの出版業界関係者に知られることとなっても、その大半の者は、見て見ぬふりをすることだろう。
そして、東京創元社が批判されるべきであり事実をより詳細に明らかにするべきであると主張する者など、ほぼ現れずーー逆に、この件について口を開く出版業界関係者がいるとすれば、そのほとんどは、むしろ東京創元社の側を擁護するものになるだろう。「小浜さんには世話になった」「小林さんはそんな人じゃない!」などの論理的には完全に無意味な感情論を振りかざしたり、意味不明の理屈をこねくり回す者どもが現れることが予測される(というか、この件については私の側にいかなる点においても何の非もなく、全面的に加害者側の東京創元社にしか非がないので、東京創元社を擁護しようとすれば、意味不明なまでの無理筋を押し通すか、嘘をつくかしかやり用がない)。
東京創元社に業務を振られて仕事をしたことがあるーーすなわち、直接の利害関係者が、いかにも自分の態度が客観的なものであるかのようなふりをしながら、東京創元社をもっともらしく擁護してみせることも考えられる。……しかし、ここで改めて念を押しておくが、東京創元社に対して事実の究明を最も強く求めなければならないはずなのは、「東京創元社の業務で文章を執筆したことがある者」なのである。
東京創元社の主張によれば、外部の執筆者のアイディアを無断で盗用し、東京創元社の編集者のアイディアであったことにして公表するのは、「当たり前のこと」なのだそうである。しかし、この「当たり前のこと」と呼べるその範疇が、どこからどこまでのことであるのか、東京創元社は明らかにしていない。
「トークショーの文字起こしにおいて社外の人間の発言を無断で盗用する」などという、それほど頻繁には起こりそうもない件だけに限られるのであれば、「当たり前のこと」、言い換えれば、日常茶飯事として起きていることとして主張するだろうか? さすがにこれは考えづらい。ならば、「トークショーの文字起こし」以外でも、東京創元社上の業務において利益をもたらすような無断盗用が行なわれていると疑われるのは、当然のことである。
要するに、だ。「東京創元社の編集者にアイディアを提供されて、自作の中にそれを採用したことがある者」は、そのアイディアが盗用されたものではなかったと断定することはできないのだ。
東京創元社の編集者にアイディアを提供されそれを採用したことのある執筆者は、無断盗用を「当たり前のこと」とする東京創元社に、その「当たり前のこと」の実態を求める側にならなければ、むしろおかしいということになるーー「自分が自覚すらしないままに、盗用されたアイディアが自分の文章の中に紛れ込んでいたとしても、別に構わない」と思うのでもない限りは。
……とは言え、それでもなお、「見て見ぬふり」をするのが、日本の出版業界の人々の大方の傾向であるのだろうと、私は思う。自分と直接的な関係のないどこか遠くで起きていることに関しては正義や公正の立場から物申すことを好んでも、日本の出版業界の内側の悪や不正に対しては見て見ぬふりをしたり自己正当化の詭弁を平然と振るうのが、「日本の出版業界」に属する人々にとっての最もありがちな態度であるだろうからだ。
さて、この章の最後に、公平を期し、なおかつありうべき誤解を避けるための補足をしておきたい。……まあ、「公平」とは言っても、それは要するに、この件に関する情報を全て公開することによって、東京創元社が後出しで虚偽の説明を始める可能性をあらかじめ潰しておく、ということであるのだが。
既に「プロローグ」で触れたことでもあるが、東京創元社は私からの無断盗用に基づくトークショーの記録を公開するのに先だって、文書のチェックを私に求めている。また、そのためのやり取りをした東京創元社側の社員は、小浜徹也以外の人物であった(そのため、このトークショーの文字起こしによる文書化に自分は関わっていないとする小浜徹也の主張は事実である可能性もあるのだが、それは要するに、盗用が小浜個人ではなく組織ぐるみで行なわれたことを裏書きしているだけである)。
その際、私は、多くの登壇者が入れ替わり立ち替わり発言する長大な記録の書き起こしの全体だけを提示され、電子メールで「内容に問題がないかどうか、念のためご確認いただけますでしょうか?」という通知を受けている。
極めて当たり前のこととして、「念のため」の確認だけを求められているという状況で、私に無断で私の発言の盗用・改竄などという重大なことが行なわれているなどと、予想できるだろうか?
また、これまた当然のこととして、私は、自分が発言した部分だけに絞ってチェックした。このような状況において、トークの記録の全体を通読すると、私の発言の一部がまるまるそっくり「小浜徹也が発言したこと」に改竄されているなどということは、完全に意識の外にあった。
トークショーの記録の公表に先立って東京創元社側がチェックを求めていたことを理由に、私からの発言の盗用は既に許可を得ていたと主張する可能性は考えられる。しかし、ここで述べたように、東京創元社側は既に改変済みの長大な文書だけを提示して確認を求めただけであり、最も重要なポイント、「私の発言を小浜徹也が発言したことに改竄した」ことを私に伝えたという事実はない。そしてもちろん、わたしがそのような改竄を認めた事実もない。 もう一点、私の側からは確認しようのない問題がある。というのも、東京創元社は件のトークショーを動画で撮影した上で、文字起こしの文書を作成している。しかし、私の側が確認できるのは、公表されている文書のみである。したがって、私が話した内容を小浜徹也が話したことに改竄するにあたって、一字一句同じままにしているのかどうかは、私の側からは確認できない。……つまり、「私の発言に微妙な改変を加えた上で小浜徹也の発言だったことにする」という操作が加えられていた場合、元の私の発言と完全に同じでないことを理由に、「発言を盗用したのではなく、文書の作成にあたってオリジナルな発言を書き加えた」と強弁するようなことも想定できるわけだ。
しかし、このような言い訳は成立しようがないことを、あらかじめ指摘しておく。……というのも、「小浜徹也が発言したことに改竄されて公表されている私の発言」が元の発言で完全に同一ではないかもしれないという可能性は、東京創元社側へ既に抗議したその事後、この告発文をまとめている段階で思い当たったことだからである。
つまり、私は、東京創元社の小浜徹也に対して無断盗用を抗議した際に、「私の発言が一字一句同じままに盗用されているのではないかもしれない可能性がある」などということは伝えていない。あるいは、公表前の原稿チェックで「念のため」の「ご確認」を求められたことについても、伝えていない。
要するに、こういうことだ。私が小浜徹也に抗議したのは、あくまでも、この章の前半に書いたことーートークショーでの私の発言が、私の了承を得ないままに、小浜徹也が発言したことに改竄されているということ、ただそれだけなのである。そのことに抗議を受けた上で、小浜徹也は、「当たり前のこと」と即答した上で、「なぜ今になって言うんだ!」と連呼し私の側を難詰し始めたわけだ。
そして、小浜徹也による私への対応について「力を尽くした」調査をしたと明言した東京創元社の取締役編集担当の小林甘奈は、小浜徹也の対応に問題があることを認めなかった(一部で私の発言を遮ったところがある、という些細な点を除いては)。
改めて、確認する。東京創元社は、「トークショーの発言内容について、私の発言が無断盗用されて小浜徹也が発言したことに改竄されて公表されている」ということに抗議を受けた時点で、「当たり前のこと」と即答している。この返答をするにあたって、一切の事実確認や調査を経ていない。無断盗用の指摘を受けた上で、何も問題がないと居直っているのである。
したがって、東京創元社が、事後的に「原稿チェックの際にこのようなやり取りがあったので、アイディアをもらい受けることを了承済みだと誤解していた」とか、「小浜の発言を文字起こしの段階で加筆したため、本当はオリジナルの内容であったのに盗用であるとの誤解を生んだ」などと言い出したとしても、それらは全て嘘である。
この章の前半で記述した通りに、盗用の経緯を詳細に伝えた上で私は抗議した。それに対して、東京創元社は「当たり前のこと」と断言した。そして、東京創元社の役員は、その社員の対応について「力を尽くした」調査をした上で、問題を認めなかった。……ここまでが、既に確定済みの事実なのである。
……以上が、東京創元社による私からの無断盗用の実態である。既にここまで明確に記述してきたように、これは、単に一人の編集者が暴走したゆえに起きた、会社としては認識しようのなかった問題などではない。
従って、この件について、東京創元社が、事後的に「このような事態が起きていたことを認識していなかった」などと主張し始めたとしても、それは嘘である。また、小浜徹也の私に対する言動について「力を尽くした」調査をしたのだと東京創元社の取締役である小林甘奈が私に断言した上でそれ以上の対応を認めなかった以上、この件について東京創元社が「その件については現在調査中」などと言い出したとしたら、それもまた嘘である。既に「力を尽くした」調査をしたということを口実に、東京創元社の側が、私からの抗議を黙殺し、対応しないことを宣言したのだから。
東京創元社は、私の発言から無断盗用し、自社の編集者である小浜徹也が発言したことに改竄した上で、自社のホームページで公表した。その経緯を全て伝えた上で私は東京創元社に抗議したが、東京創元社は、「当たり前のこと」と即答した上で、「なぜ今になって言うんだ!」と高圧的に連呼するという形で私を恫喝した。そして、その経緯に改めて抗議を受けた上で、東京創元社の取締役である小林甘奈は、このトラブルが起きた当日の小浜徹也の私に対する言動(盗用問題の以外のことも含めて)について「力を尽くした」調査をしたと断言した上で、小浜徹也の非を認めるどころか擁護し、なおかつ、一方的かつ全面的に被害者である私の側に責任の一端があると主張するなどの二次加害を働いた。
ここまでが、既に確定済みの事実である。ここまでの事実に関して事後的に覆す説明があったとしても、それは、全て嘘である。
そして、この無断盗用の件も、あくまでも、問題の一部である。これ以外の問題についても、次章以降で明確に記述し、告発する。(続く)
『アメリカン・ドリームの残骸の中で』の改訂版発行及び訂正事項のお知らせ
amazonで電子書籍版及び紙書籍版が発売中の『アメリカン・ドリームの残骸の中で』について、改訂を加えましたので報告します。この改訂の大部分は誤字・脱字の訂正及び細部の言い回しの手直しですが、一カ所だけ事実関係のミスを発見しましたので、合わせてこの場で謝罪・訂正します。なお、電子書籍版は、kindleアプリで「更新」を実行することにより、改訂版のダウンロードが可能です。改訂版であることを確認するためには、巻末の奥付に「改訂版発行」の日付が明記されているかをチェックすれば簡単にできます。
事実誤認による訂正事項は、冒頭の「芸術家であることと芸術家でないこと ジョン・カサヴェテス論」に含まれます。ドストエフスキーの『白痴』からの引用文に関して、引用部分の話者の固有名に関して誤りがありました。主人公であるムイシュキンの言葉として言及したのですが、実際には、イポリートという作中人物の長大な手記に含まれる言葉であるのが事実でした。
なぜそのような誤りが起きたのかの経緯を説明します。『白痴』において、ロゴージンという人物が自宅に飾ったキリストの磔刑図を客に見せるという場面が、二カ所登場します。つまり、「ロゴージンがキリストの磔刑図をムイシュキンに見せる」という場面と「ロゴージンがイポリートにキリストの磔刑図を見せる」という場面が、別々に存在します。私が『白痴』から引用するに際して、この類似する二つの場面が存在することを完全に失念しており、「ロゴージンとムイシュキンがキリストの磔刑図について会話した」ということしか記憶していないままに作品の本文を当たり、イポリートの言葉をムイシュキンの言葉だと思い込んでしまった、という経緯でこのような事実誤認が生じました。それが、たまたま最近になって『白痴』を最初から通読し直したため、自分の勘違いに気づいたという次第です。
旧版においてイポリートの発言をムイシュキンの言葉として言及しているのは完全に事実誤認ですので、ここに訂正し謝罪いたします。申し訳ありませんでした。
なお、引用部分の発言者が誰であるのかということは該当文章の論旨に与える影響は、特にありません。純粋な、固有名詞の表記ミスということになります。