Minecraftとタートルと僕

PCゲームMinecraftのMOD「ComputerCraft」の情報を集めたニッチなブログです。

こちらのページは更新が滞っており、情報が古くなりつつあります。新しいCC情報サイトをはじめましたので、もしよければご参照ください。今後ともよろしくお願い申し上げます。

「百億のマインクラフトと千億のタートル」(https://hevo2.hatenablog.com/)

なぜプログラミングを学ぶことが必要なのか

はじめに

中学生たちに「なぜプログラミングが必要なのか」を教えてみた - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

この記事を読んでの感想になります。

将来的に3Dプリンタが家庭内で普通に使われる時代には、きっとプログラミングの必要ないUIができているはずです。 テレビがリモコン一つで操作できるように、電子レンジが前面のパネルボタンだけで操作できるように、炊飯器がボタン一発でおいしいご飯を炊くように。逆にそうでないと、家電として家庭内に3Dプリンタが普及するわけがありません。

しかし、テレビのリモコンボタンの数が増え操作が複雑になる一方であることからわかるように、シンプルなUIで家電の機能の全てを引き出すというのは無理があります。

紹介記事中にある、

プログラミングをできるようになるということは、人類の叡智を利用できるようになるということ

は至言です。

プログラミングの必要ない便利なUIは、しょせん叡智の上澄みでしかなくて、より深い、最先端に近いところに触れるにはプログラミングができることが重要です。

言い方を変えると、プログラミングを学ぶことは、出来合いのモノをただ使うだけでなく、より深く使いこなすことに通じます。場合によっては、開発者の想定すら超えて新しいモノを作り出すことにつながるかもしれません。

つまり、プログラミングを学ぶことは、与えられたモノを使う側から、モノを作る側になれることが重要なのです。

全ての人間が「モノを作る側」になる必要性

ここまで考えたときに問題になるのが、全ての人間がクリエイターになる必要があるのかという問いです。

ここでは反感を買うことを恐れず、あえて断言しましょう。

必要があります。

そうでなければ、将来は悲観的なビジョンしか見えません。 クリエイターという言葉に抵抗があるならこう言い換えましょう。

創造性のある仕事ができない人は、これからの世の中ではきつくなる一方である。

最近、人工知能が話題になっているのはご存知でしょう。狭義の人工知能(人と同等の知)はまだ遠い未来ですが、広義の知(これまでできなかったような、かしこい便利な機能)はすでに様々な分野で実現し利用されつつあります。

クリエイティブでない、簡単な人工知能で代替できることしかできない人は、将来的にその位置を失うことになるでしょう。これは断言します。

とはいえ、このことはみんなうすうす気づいていますよね。

我が国が目指す教育目標に「創造性」という項目が昔からありますが、「モノづくり日本」という言葉に真っ向から反対する人なんていないでしょう?

知的不均等構造を持つデストピア

僕の大好きな、小島アジコ氏はこう言ってます*1。

いまから20年後、有能な1%の人間がモノとシステムを作り、4%のコミュニケーション強者がその上前を撥ね、残りの95%がそのおこぼれで生活する時代がやってくる。

なんというデストピア。なんて狂った社会構造。でも、こんな将来が来ることを否定できない自分もいます(すでにそうなっているという説もある)。

でもこのデストピア、何が不満で何が不幸なのでしょう。

僕は知的不均等構造に注目します。

個人の意思と知についての尊厳、つまりはお釈迦様の手の上で踊る自分を許容できるかというプライドの問題です。

もちろん、これを何とも思わない人は少なからずいると思います。あるいは目をそむけ、あきらめている人も。逆に、すでに搾取する側いるので、ライバルを増やしエサが減るのを嫌がる人もいるかもしれませんね:P

プログラミング教育でモノとシステムを深く使いこなす人材を増やすことで、この偏りが少しでも均(なら)された社会を目指しましょう。

デストピアがリトルデストピアくらいになり、少しはましになるのではないでしょうか*2。

基礎教養としてのプログラミング

プログラミング教育は、創造性教育の一環でもあります。創造的なプロダクトを生成する技術の習得といってもかまいません。

とはいえ、プログラム言語を駆使して一から完成品を作り出すまでの能力を育てることは難しいかもしれません*3。与えられたモノを使いこなし、ときには複数のモノを結び付けたり、たまに開発者の想定から飛び出すくらいが現実的な落としどころでしょう。

しかし、小さいころからプログラミングを駆使してモノを使いこなす人たちを増やすことで、将来的にモノを作り出す人たちが数多く生まれてくるはずです。

そのためには、子どものころからプログラミングに慣れ親しむ機会を増やしましょう。プログラミングでモノを使いこなすことを覚えさせましょう。 そしてできるならば、全ての子どもに、プログラミングで創造的なモノを生み出す喜びを体験させましょう。

プログラミングを駆使する「モノ使いこなし層」を厚くし、「モノづくり予備軍」を育てることが、これからの日本には必要となります。

つまり、プログラミングが基礎教養となる時代がすでにやってきているのです。

なお、創造性教育という点で、プログラミングだけを押す必要はないと思っています。教科「芸術」は履修時間数を増やすべきだし、他の一般教科においても「創造的なモノを生み出す」教養を意識すべきだと思います。

しかしこれらの教養の中でも、プログラミングはこれからの日本で生きる上で特に重要な基礎教養だと僕は確信しています。

*1:この言葉は半分ネタであり、釣りタイトルであることは理解しております。みなさんもご了承ください。我ながらネタにマジレスかっこわるいw

*2:つまり、このデストピアの到来自体は否定しない、できない。

*3:つまりここでは、義務教育期間において職業プログラマーを養成することを謳っているわけではない。