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矢沢永吉よりもCDを多く売ったり、コンサート会場にたくさんの観客を動員するアーティストは数多く存在する。でも「ロックスター」という言葉が似合うのは矢沢永吉しかいない。
「オレはいいけど、矢沢が許さない。」一時は、信頼していた友人に裏切られ、35億円の借金を抱えた永ちゃんですが、デビュー以来、変わらない生き様にファンが離れることはありませんでした。
↑6年で35億円を返済した。(Photo)
テリー伊藤さんは東京育ちのボンボンでしたが、若かりし頃、永ちゃんのライブに行った時の事を次のように語っています。
「矢沢永吉を見た時すごいなと思った。広島から出てきてさ、成り上がりですよ。人を傷つけてでも成功を治めようと。オレなんかさ、オシャレして女の子にカッコイイところを見せようとしていた。彼はそんな甘いもんじゃなかった。」
↑東京で成り上がり (Photo)
永ちゃんのライブリハーサルには楽譜というものがなく、永ちゃんの頭の中にライブのイメージがあって、それをバンドメンバーが一つ残らず掴みとって最高のコンサートにしていくんだそうです。
もちろん、永ちゃんの要望に応えられないメンバーは即交代になります。
↑「矢沢」を表現できなきゃ即交代 (Photo)
永ちゃんは次のように述べています。
「これは音楽以外のジャンルにも言えると思うんだけど、ペーストができないもの、ダウンロードができないものしか残らないと僕は思いますよ。”しか” 残らないというか、そうゆうものの価値だけは変わらないんじゃないかなという意味です。」
「(ライブ動画はダウンロードできるけど、という問いに対して)僕は30ヶ所で公演するんだけど、全部違うもんね。毎日ライブが違う。もう生き物だよね。生き物。」
↑同じようなライブは絶対にしない。(Photo)
以前、エアロスミスも同じようなことを言っていましたし、あの小室哲也さんですら、今は誰でもコンピューターで凄い音楽が作れてしまうから、昔に比べて面白みがないと述べていました。
SNS上でダウンロードではなく、CDを買ってくれと訴えかけるアーティストもいますが、ここが一般的なアーティストと「ロックスター矢沢」との違いではないでしょうか。↑エアロスミス:「ダウンロードできないものを創ろう」(Photo)
永ちゃんはライブの価値は変わらないと言っていますが、フジロックなどを見れば分かるように、CDの価値が下がるにつれて、むしろライブの価値はどんどん上がっていくのではないでしょうか。
やはりどれだけ時代が変わっても、価値の提供が違うだけで、根本的なところはほとんど変わらないのかもしれません。
「今、イージーになってるとか言うけどね、いつの時代だって、やる奴はやるのよ。やらない奴はいくらフォローしたってやらない。昔と今、形が違うだけ、マシーンが違うだけ。凄い奴?出ますよー! また凄いのが。やる奴の部類にあなたも入ったら?って僕は言いたいんだよね。」(矢沢永吉)
↑また凄い奴が出てきますよ。(Photo)
現在、SNS上で「架空の自分」を演じるのが安易になってきています。
世の中の裏も表もすべて見てきた永ちゃんにSNSがどう写るかは分かりませんが、コンテンツを創るにしろ、人間関係を築くにしろ、「リアル」の希少価値が一番高いことを再認識する時期に差し掛かっているのかもしれません。
1980年代、伝説のクソゲーと言われたファミコンゲーム『いっき』。
その『いっき』の曲を「新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」が演奏!!
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「スタンド・バイ・ミー」を始めとする名曲を数々を発表した人気歌手、ベン・E・キングさんが2015年4月30日亡くなりました。76歳でした。
「スタンド・バイ・ミー」は1961年に発表され、大人気に。さらに私たちにとって馴染み深いのは1986年に公開された映画版の「スタンド・バイ・ミー」でしょう。
出典:YouTube
映画は見た事がなくても4人の少年たちが線路を歩く姿は、皆一度は見た事があるのではないでしょうか。
その後も精力的に活動を続けたベン・E・キングさん。
日本にも10回以上来日し、「日本は第二の故郷」とも語っていました。
東日本大震災の後は被災地を訪れ「スタンド・バイ・ユー(あなたのそばにいる)」をテーマに陸前高田のジャズ喫茶を訪ねるなど、復興支援活動も積極的に行っていた最中の訃報となりました。
ご冥福をお祈りいたします。
世界中で歌われる「スタンド・バイ・ミー」なぜか涙がでてきてしまいます。