■いわゆる日米間の
「密約」問題関連記事の続報。
核密約、証言者の1人は村田氏 参考人招致に含み 1987年から89年まで、外務事務次官を務めた村田良平氏(79)は29日、日本への米軍核搭載艦船の立ち寄りを日米安全保障条約上の「事前協議」の対象外とした核持ち込みの密約に関して、外務省内に文書があり歴代次官が引き継いできたと共同通信に証言した複数の元次官の1人であることを公表することに同意した。共同通信の電話取材に答えた。
村田氏はまた、密約問題をめぐり衆院外務委員会が検討する参考人招致について「外務省には今も好意を抱いている。(招致が強制的でなければ)断りたい」とする一方、招致される事態となれば、真相を証言する意向を強く示唆し、国会証言の可能性に含みを持たせた。
村田氏は今年3月18日、京都市内でインタビューに応じ、匿名を条件に、歴代次官による密約の引き継ぎに関する詳細を証言していた。しかし西日本新聞などが今月28日以降、村田氏の証言を実名で報道したことから、それまでの匿名を実名に切り替えることに同意した。
2009/06/29 11:08 【共同通信】 ------------------------------------------
■実は、実名ではないが、「
共同通信」がすごいスクープをものにし、発信していた(全国紙は、ぬかれたことを かくしたいためか、6月末の「実名報道」まで沈黙・黙殺)。
核持ち込み密約、外務次官ら管理 首相、外相の一部に伝達2009年5月31日 17:22
1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。
4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。
政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。
次官経験者によると、核の「持ち込み(イントロダクション)」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢も黙認した。
しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。
密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという。------------------------------------------
■ま、ともあれ、「実名報道」以降の各紙の関連記事をはりつけておく。
米の核持ち込み密約、文書あったと元外務次官 日米両政府が1960年の安全保障条約改定時に、核兵器を搭載した艦船の寄港や領海通過を日本政府が黙認する密約を交わしたとされる問題で、1987年7月から89年8月まで外務次官を務めた村田良平氏(79)は29日、読売新聞の取材に対し「そういうたぐいの文書はあった」と述べ、密約の存在を認めた。
密約について、日本政府は一貫して否定している。
60年の安保改定の際の日米交渉で、米軍の日本への核持ち込みは「装備における重要な変更」として、日米間で事前協議することとなった。一方で、極東有事に備え、寄港や領海通過は事前協議の対象外として黙認する密約を交わした。
村田氏は読売新聞の取材に対し、「前任者から『次官としてこういう内容のことを大臣に伝えてくれ』と言われた」と述べた。当時の外相にも伝えたという。
密約については、すでに米政府の公式文書や、米側関係者の証言で存在が明らかになっている。村田氏も昨年出版した著書「村田良平回想録」で、「実は60年の交渉時、寄港及び領海通過には事前協議は必要でないとの秘密の了解が日米間にあった」と明記している。
また、村田氏は、日本政府が宗谷、津軽、大隅、対馬(東水道、西水道)の5海峡の領海幅を、領海法(1977年制定)で定めた12カイリではなく、3カイリにとどめていることについても、核兵器搭載の米艦船の海峡通過が政治問題化するのを避けるための措置だった――との見方を示した。村田氏は「そうだと私は理解している。自分で決めたわけじゃないが、姑息(こそく)なことをするなあと個人的に感じた」と述べた。
5海峡は一部が公海となっているため、中国軍など他国の艦船が頻繁に通過している。
核持ち込みの密約に関し、河村官房長官は29日午前の記者会見で、「密約は存在しない。歴代の首相、外相は密約の存在を明確に否定している。政府見解はこれに尽きる。これ以上の事実関係はない」と述べた。
(2009年6月29日12時33分 読売新聞)核持ち込み密約:米核持ち込み、密約文書引き継ぐ 村田元次官「外相に説明」 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。村田氏は28日夜、毎日新聞の取材に「密約があるらしいということは耳に入っていたが、日本側の紙を見たのは事務次官になったときが初めて」と証言した。日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。【朝日弘行】
村田氏によると、密約は「普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。
60年の安保改定時、日米両政府は在日米軍基地の運用をめぐり、米軍が装備の重要な変更などを行う際は事前に協議することを確認したが、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来は事前協議の対象としないことを密約。81年5月、毎日新聞がライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言を報じて発覚したが、日本政府は「米側から事前協議がない以上、核持ち込みはなかったと考え、改めて照会はしない」と密約の存在を否定し続けている。
村田氏はこうした日本政府の対応について「詭弁(きべん)だ。いつまで続けるのか、ぶぜんとした気持ちだ」と批判。密約に関しては「冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば、機密もあっての話だから、とがめだてする話でもない」と存在を認めるよう求めた。さらに、非核三原則で禁じた「持ち込み」の中に核搭載艦船の寄港や領海通過を含めたことは「ナンセンスだ」として見直しを主張している。
また、77年制定の領海法で宗谷、津軽、対馬など5海峡の領海の幅を3カイリと規定したことについて、村田氏は「(国連海洋法条約で認められている)12カイリまで広げればいいものを広げていない。おかしいと思っていたけど、直接関係していなかったから黙っていた」と指摘。米艦船が5海峡を通過しても「核持ち込み」とならないよう、あえて領海の幅を狭める意図が外務省にあったことを明らかにした。
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■ことば
◇日米の密約
核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を認める密約のほか、69年の沖縄返還交渉で「有事の核持ち込み」を認めた▽71年の沖縄返還協定で米国が払うべき「400万ドル」を日本側が肩代わりした--などの密約も発覚。いずれの密約の存在も日本政府は否定し続けているが、関係者の証言や米側の公文書などで裏付けられ「公然のうそ」との見方が定着している。
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■人物略歴
◇村田良平氏(むらた・りょうへい)
1929年生まれ。京大法学部卒。52年外務省入省。外務事務次官、駐米大使、駐独大使などを歴任。
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……
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毎日新聞 2009年6月29日 東京朝刊 核持ち込み密約 村田氏証言を否定 官房長官 「疑いの余地ない」
2009年6月29日 14:34
1960年の日米安全保障条約改定の際、核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを日本政府が黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約の存在を、元外務事務次官の村田良平氏(79)が、実名で証言したことについて、河村建夫官房長官は29日午前の記者会見で、「指摘のような密約は存在せず、このことについて全く疑いの余地を持っていない」と述べ、従来の政府見解通り、あらためて否定した。
この密約に関しては、4人の歴代次官が匿名で密約を認めたとの報道もあるが、複数の証言が相次いでいる点についても、河村氏は「これだけの証言というが、ほかにたくさん(証言者が)いるのか」と疑問視。「いちいち取り上げるなど、そこまで及ぶ話ではない」とも述べ、村田氏から事情を聴くなど、事実確認をする必要はないとの認識を示した。
村田氏は西日本新聞のインタビューに応じ、87年7月の次官就任にあたって、前任者から密約の存在を知らされ、外相に報告するよう引き継ぎを受けたことを明らかにした。村田氏によると、その際、外部に漏れてはならない旨も伝えられ、密約の趣旨が日本語で記された手書きの1枚紙を渡された。村田氏は次官在任中、倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)には、密約について報告。次官を辞めるとき、後任者に引き継いだという。
村田氏は「政府は国民を欺き続けて今日に至っている。首相が腹をくくればいいだけの話だ」などと語り、密約について国民に早期に認めるよう政府に求めている。
× ×
●ワードBOX=核持ち込みの密約
米軍による核兵器の日本への持ち込み(英語のイントロダクション)は本来、1960年改定の日米安全保障条約で定めた「事前協議」の対象だが、核を積んだ米軍の艦船と飛行機の日本への通過・寄港、飛来を対象外とした日米間の秘密合意。安保改定時に日米両政府は、核搭載艦船の通過・寄港などを日本側が黙認する「秘密議事録」を交わし、63年には大平正芳外相がライシャワー駐日大使に内容を確認した。日本側に事実上の拒否権を付与した事前協議は一度も行われておらず、政府は「事前協議がない限り、通過・寄港も含め持ち込みはない」と主張してきた。日本は「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を国是としている。 (共同)------------------------------------------
■こういった体質がつづくかぎり、公文書関連の法制をどんなに整備しても、保存すべき/公開すべき「公文書」という概念自体を、恣意的にかえてしまうから、まともな歴史的検証なんてできっこない。■文書主義というのは、官僚制の生命線であり、はぐまにすぎない官僚個人個人が無限責任をしょわされないため=連帯責任を組織全体でおうためにも、不可欠の原則だとおもうが、ちがうんだよね。この国は。■省庁という組織内部のためだけの「公式メモ」であって、基本は「部外秘」、恩恵で一部をみせてやってもいい。数十年後に、って感じ。
■アメリカが、ブッシュ・ジュニアに8年も大統領をさせて、世界中をめちゃくちゃにした最低の帝国であろうと、こういった文書主義にかぎっていえば、ずっとずっとずっとマシだ。100年以上、ちがうかもしれない。いや、敗戦まえの大日本帝国の方が、「陛下のかわりに管理する公文書」って官吏意識が まともに機能していたかも。占領軍にみられるな、って、全部やきはらった時点で、この国は、近代化を一部やめてしまったんだ。確実に。
核持ち込み密約:村田・元次官「冷戦終結、時代違う」
1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、元外務事務次官の村田良平氏(79)が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと毎日新聞に証言した。日米安保体制の構築にまつわる秘密交渉プロセスは、米公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきているが、事務次官経験者が「密約」の存在を初めて実名で認めた意味は極めて重い。唯一の被爆国として核廃絶の旗振り役になる一方で、密約を否定し続ける日本政府には明確な説明責任が求められる。【中澤雄大、犬飼直幸】
「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」。村田氏は証言した理由を語った。昨年出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房刊)でも、寄港などの事前協議は必要ないとする日米間の「秘密の了解」があったと明らかにしている。
60年の日米安保条約改定では、核兵器の日本への持ち込みは事前協議対象とされたが、核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないと秘密合意していた。しかし、63年3月、池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は日本に寄港してもらわない」と国会答弁。密約との矛盾を懸念したライシャワー駐日米大使が大平正芳外相(同)との間で、寄港密約を再確認した。村田氏の証言は、こうした密約を改めて裏付けるものだ。
核密約について、河村建夫官房長官は29日の会見で「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と重ねて否定した。こうした政府の姿勢に対し、村田氏は「明らかにうそ」と断言。著書の中でも「(非核三原則のうち)持ち込ませないとの原則は、直ちに廃止すべきだ。国民を欺いているものだからだ」と強調している。
日米密約問題を研究する信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米関係史)は「(村田氏は)政治状況が変わりつつあり、密約を隠し通す意味がなくなったと思っているのではないか」と指摘した。
◇「日本のウソ明らか」…村田氏の一問一答
--事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。
--その時に初めて確認をされたということですか。
まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。
--密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。
--取り扱い注意とか機密とかの印はなかったんですか。
ありません。
--紙一枚なんですか。
外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。
--紙に書いてある文言はどのような文言かご記憶は。
正確には覚えていません。まあおおよその内容はもちろん覚えていますけどね、「てにをは」までは覚えていません。
--おおよその内容としてはどのような。
(「核を搭載した米艦船の寄港及び領海通過には事前協議は必要ではない」と)本に書いたようなことです。
--米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。
--密約引き継ぎの時は「きちんと説明してくれ」の一言だけだったのですか。
はい。
--後任の次官(栗山尚一氏)に同じように引き継がれた?
そうです。
--外務省にいた立場として「密約」を理解できる部分はないのですか。
ありません。非核三原則なんてものを佐藤(栄作)内閣の時に出したでしょう。そんなこと自体が私に言わせれば、ナンセンスだと思ってまして。当時。個人的な見解ですけど。
--三原則を打ち出すこと自体が問題か?
3番目の核を持ち込ませないという話がね。持たない、作らない。これらはいいですよ。しかし、核兵器をたまたま積んでいるアメリカの船が日本の横須賀に立ち寄って燃料を補給して、またベトナムに行くとかいう場合、そんなものは「持ち込み」には入らないですよ。(核搭載艦船の)寄港も領海通過も全部「持ち込み」と言ったこと自体がナンセンスです。(ただ当時は)冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば機密もあっての話ですからね、とがめだてする話でもない。だから黙っていただけですよ。【聞き手・朝日弘行】
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民主党:岡田幹事長が米国防次官と会談 安保で議論平行線
社説:核持ち込み密約 詭弁はもう通用しない
社説:視点:核の傘=布施広(論説委員)
毎日新聞 2009年6月30日 0時34分(最終更新 6月30日 1時19分)公文書管理法が成立=作成・保存に統一ルール 省庁ごとに管理方法が異なっている公文書の作成や保存に関して統一ルールを定めた公文書管理法が24日午前の参院本会議で全会一致で可決され、成立した。各公文書には、政令に基づいて保存期間を設定した上で、期間が満了した文書を廃棄する場合は、担当閣僚が首相と事前協議し、同意を得ることを義務付けた。2011年4月から施行される見込み。
同法は、薬害肝炎の症例リストの放置や、年金記録漏れなど、省庁によるずさんな文書管理が表面化したことを受けて福田康夫前首相が法制化の意向を表明。政府案が今年3月に提出され、与野党が修正協議を重ねてきた。
同法は、公文書について「国民共有の知的資源」と明記。歴史的に重要な公文書は国立公文書館に移管し、永久保存すると規定した。与野党の修正協議の過程で、民主党が主張していた「公文書管理庁」設置は見送られたが、公文書の管理を担当する機関の在り方などを検討するため、施行後5年をめどとする見直し規定も盛り込んだ。(時事 2009/06/24-10:32)●旧ブログ
「密約」関連記事
テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済
タグ : 真理省1984年ハイパー独裁密約公文書
『告発<従軍慰安婦>』(同時代社)の172~3ページには
師団長中将山田国太郎が復員庁総裁に送った報告に「第四十八師団戦史資料は停戦時、その大部を上司の指令に基き処分し、又残部も豪州軍に提出せしを以って、正確なる資料殆ど皆無なり」(片カナを平仮名に改む)とある。
管見によれば、上司の指令にもとづき、資料を処分した、という公文書は、今のところこれ一つだけだと思われる。他にもあればご教示願いたい。
公文書焼却焼却命令は、基本的に電話連絡…
■しかし、ご指摘の文書がのこっているなら、もっと たしかですね。■当方は、しろうとなので、なにも つけくわえるものをもっておりません。
<核持ち込み密約>米搭載艦寄港、外務省に密約本文 60年・63年、元条約局長証言【毎日】
7月11日10時26分配信 毎日新聞
外務省条約局長などを務めた元同省幹部が10日、毎日新聞の取材に対し、1960年の日米安保改定交渉の際に合意した核搭載艦船の日本寄港を認める密約本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにした。寄港密約は60年1月6日に、当時の藤山愛一郎外相(岸信介内閣)とマッカーサー駐日大使が結んだもので、外務省の元担当幹部が密約管理の実態を詳細に証言したのは初めて。
この幹部は密約については、米側で公開された公文書と同じものとしたうえで、英文で藤山、マッカーサー両氏の署名もあったと証言した。日本文も添付されていたという。
63年4月4日に当時の大平正芳外相(池田勇人内閣)とライシャワー駐日大使が、米大使公邸で上記の密約本文を再確認し、大平外相が「持ち込みは核の搭載艦船の寄港・通過には適用されないことになる」と認めたことを示す日本側の会談記録も保管されていたという。
さらに60年の日米安保改定交渉に外務省アメリカ局安全保障課長(当時)としてかかわった東郷文彦氏(後に外務事務次官、駐米大使)が密約の解釈や交渉経過などについて詳細にまとめた手書きの記録も残っていたとしている。
その手書き記録は、当時の外務省の書式である2行書いては1行空ける方式で書かれ、青焼きコピーが繰り返されて見えにくくなっていたという。村田良平元外務事務次官の証言でわかった事務次官引き継ぎ用の日本語の文書も含まれている。
これらの文書は外務省条約局(現国際法局)とアメリカ局(現北米局)で保管していた。
この幹部は、北米局長、条約局長らの幹部はこれらの密約文書を把握していたと指摘。ただ、01年4月の情報公開法の施行に備えるため「当時の外務省幹部の指示で関連文書が破棄されたと聞いた」と証言している。【須藤孝】
最終更新:7月11日11時31分
解説:核搭載艦の密約、元局長保管証言 外務省、打算と保身【毎日】
こうした動きの背景には、同省有力OBの冷徹な打算もあるとも言える。北朝鮮の2回目の核実験やオバマ米大統領の新しい核政策を受けて、発言しにくい現役外務官僚に代わって、「米国の核の傘」を強化するメッセージを発したいという思惑も透けて見える。
それに加え、密約公開を掲げる民主党による政権交代の可能性が出てきていることから、先手を打ち密約をなし崩しに認めておこうという保身的側面もある。
しかし、現役、OB一体となって身を切るような密約隠しの検証を続けなければ、国民から理解は得られないのではないか。
ところが元外務事務次官の1人は「情報公開制度ができた時(01年4月)に、口頭了解など国と国の約束かどうか法的にはっきりしないものは整理した」と暗に破棄したことを認めた。
独立間もない日本の国力を考えれば、寄港密約を結んだ当時の外交を一方的に非難できないかもしれない。しかし、冷戦が終わって約20年が経過しても密約隠しを続けることが、日米同盟の深奥できしみを生じさせているのも確かだ。
日本を含めた北東アジアの核を巡る環境は緊張を高めており、日本は核政策について真剣に考える時に来ている。密約の証言はOBに任せ、政府・外務省の現役幹部が「密約はない」と言い続けるのは今後の日米関係にとって大きなマイナスだ。【須藤孝】
毎日新聞 2009年7月11日 東京朝刊
核密約:村田元次官と会い証言を確認 河野衆院外務委員長【毎日】
河野氏は11日、毎日新聞の取材に対し「村田氏など密約を知りうる複数の人と会い、密約の存在を確認した。密約はなかったとする従来の政府答弁を、認めるわけにはいかない」と指摘。次の外務委理事会で、委員長として政府答弁の修正を求める決議を提案する意向を明らかにした。ただ、政府答弁の見直しには、与党内にも慎重論が根強い。【犬飼直幸】
毎日新聞 2009年7月11日 10時54分(最終更新 7月11日 11時25分)
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