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本稿は「橋本音源堂」HPへ移行しました。内容も改訂/up dateしてありますので、下記リンクよりお越し下さい。橋本音源堂HP:シンフォニックバンドのためのパッサカリア
2006年8月18日 (金) 吹奏楽 | 固定リンク Tweet
この曲こそ、日本人による吹奏楽曲の最高峰でしょう。決して技術的に難解ではなく、かと云ってその音楽の質たるや、アマチュア向けに妥協されて出来上がったものではない。アマチュアが演奏しても、何か訴えてくるものがあり、だからと云ってプロフェッショナルな団体が、幾多の演奏をしているにもかかわらず、決定的な名演には出会っていません。しかし、こうあって欲しいという、この曲への理想の姿が心の中にはあると思うのです。私もコンサートで、学生の指導をしたことがありますが、演奏に没頭してしまい、サウンド、技術のトレーニングでは済まされない何かを、いつも感じていました。最初にこの曲を聴いたのは1979年の地方コンクール県大会。中学生でしたが、すばらしい感動を与えてくれました。そして汐澤/東京EAのLPでさらにファンになりました。
投稿: ブラバンKISS | 2007年8月24日 (金) 22時34分
ブラバンKISSさん、たくさんのコメントを有難うございます♪
屋比久先生、今年から鹿児島の某高校に転任。就任僅か4ケ月ほどにもかかわらず、この学校を九州大会に初出場させてしまいました。 自由曲は・・・この「パッサカリア」でした。
投稿: 音源堂 | 2007年8月25日 (土) 22時47分
各地のコンクールも、代表が決まってきたようですね。そんな時期になってきました。夜更ししながら、何気に屋比久先生のサウンドが、懐かしくなり、「吹楽Ⅱ」と「なにわOW2004」のCDを、久々に聴きました。特に福岡工大付の演奏は、以前あまり印象に残っていなかったのですが、久々に聴いてみると、熱く伝わってくるものがありました。今は亡き、兼田敏氏の吹奏楽への想い、屋比久先生のこの曲への想いが相まって、大きなエネルギーと感動を伝えてくれるいい演奏だと思います。近頃のコンクールの傾向は、技術やメカニックな部分に偏重し、音楽本来の想いや情熱に欠けた、力技や優等生的な演奏が、多くなったような気がします。だからこそ、プロ演奏家の熱い音楽が、求められていると思います。名演の出現に期待します。
投稿: ブラバンKISS | 2007年9月 2日 (日) 04時05分
兼田作品は確りと書かれている分だけ、端的に曲の核心を指し示す演奏が少なくなっている気がします。 他の兼田作品でも胸のすくような演奏を聴きたいですね。
投稿: 音源堂 | 2007年9月 2日 (日) 20時47分
はじめまして。1978年、私は石田中で2年生でした。あれから30年。屋比久先生はもうすぐ70歳に。
パッサカリアは今でも大好きな演奏で頻繁に聴いています。 弦バス&Tubaからのルバートは「真っ暗な闇の中に浮かぶガイコツが操り人形のように踊っている」という先生の言葉が印象に残っています。なんだか納得させられます。でも先生は覚えていないような・・
中学生が理解し表現しやすいようにいろいろな例えを多用されていましたが、それが必ずしも作曲者の意図したものばかりではない部分もあるでしょう。全国大会を聴いた兼田敏氏が「こんなパッサカリアもあったのか」的なコメントをされていたそうです。
未熟な中学生の演奏の中にも言葉や映像が垣間見えたら嬉しいなと思います。
投稿: Cazy | 2008年11月27日 (木) 21時35分
Cazyさん、コメントを有難うございます! 1978年に中学2年生-私と同学年ですね!私もこの年、戸畑の西部大会に出場しておりましたよ。
石田中のパッサカリア、素晴らしい演奏でした。それまでに演奏された全国大会の実況録音で聴いて曲は知っていたものの、いま一つピンときていませんでしたが、石田中の演奏を聴いて本当に感動しました。「パッサカリア」の真価を示した名演だと思います。 この年は課題曲「砂丘の曙」の演奏も素敵でした。マーチという枠組みを完全に超えた”歌いまくり”の演奏は大変個性的で、私の心に深い印象を刻んでいます。
♪♪♪
中1の西部大会では石田中と本番前の練習会場が一緒で、石田中のトランペットパートの方々が「ドリアン・ラプソディ」冒頭を何度も合わせ直しておられました。その時の真剣な眼差しは忘れられません。 そのトランペットパートのお一人「健」氏^^)は名札とプログラムの名簿で確認したところ、私と同じ1年生でした。同じ中1の方がこうして全国大会バンドで頑張っている-大いに励まされ、また燃えたものです。(結局、石田中はずっと憧れの存在で、近づくこともできませんでしたが・・・。)
いずれにしてもこの名演は、今でも色褪せることなく私を感動させてくれます。素晴らしい音楽を有難うございます!
投稿: 音源堂 | 2008年11月28日 (金) 17時49分
今時期も、変わらず「吹奏楽」と「トロンボーン」に、情熱的に取り組んでおられるようで、何よりです。御身体に気をつけて、ご精進くださいませ。さて、この時期になると、吹奏楽コンクールのライブ商品が、出てきますね。私も、学生の頃やその後も十数年、たくさんのLPやCDを買い集め、熱くなっていた時期がありました。近年では、ネット情報も豊富で、「BJ」などを見なくても、結果などがすぐに伝わり、隔世の感がありますね。そんな私も、ここ数年、コンクール関連は、ブレーンのDVD(大学、職場・一般)一枚だけ、買い続けています。(懲りていない・・・。)(笑) まあ、私にとって、年に一度の「吹奏楽イベント!」といったところでしょうか。だいぶ、逸れてしまいましたが、兼田氏の「パッサカリア」は、プログラムのどこかで必ずと言って良いほど、見かけた名曲中の名曲!残念ながら、近年は、まったく見かけなくなりましたが、時折、マイコレクションのCDから、数枚、引っ張り出して聴いています。本当に素晴らしい曲ですよね。最近、シエナ盤を購入し、聴きましたが、最終部分は淡々と進められ、あまり、私的には心に響かなかった演奏でした。これだけの技量と好条件の録音にも関わらず、紹介されている旧き時代の演奏に、遠く及ばないと感じたのは、私が年を取ったのでしょうかね。(笑) それと、この曲への前回のコメントから、もう10年も経っていたのですねえ・・・。随分長く、こちらのサイトを拝見させてもらっていたことに、気がつきました。本当に感謝しています。これからも、よろしくお願いします。
投稿: ブラバンKISS | 2017年12月13日 (水) 00時43分
ブラバンKISSさん、有難うございます。Tromboneの練習は頑張ってますよー。その分、こちらの記事作成の時間がなかなかとれず、出稿できておりませんが…。 パッサカリア、しみじみ本当に良い曲ですよね。演奏するのも楽しいですし。確かに胸のすくような感動の名演にそろそろ登場してほしいですね。
コンクールの録音はもうすっかり縁遠くなりました。 でも近年、玉名女子高の演奏には惚れ込んでいます。完成されたサウンドや各楽器の音色の良さ、テクニック的に整っていることはもちろんなのですが「森の贈り物」や「ラ・フォルム-」で見せてくれた”歌”の良さに…。これほどまでに歌い上げることのできるバンド、ないです。 上手下手ではなく、音楽がもたらす感動の最大要素は間違いなく”歌”であると再認識させられます。そこが備わると、音楽演奏としての完成度が段違いになるんですよね。 楽曲を大切に表現しようという思いが伝わり、うれしくなってしまうのです。
投稿: 音源堂 | 2017年12月13日 (水) 11時52分
自分が悲しみに沈んでいた間に、あらんことか、屋比久 勲先生がご逝去しておられました。2019.2.13. -振り返ってみたら、漸く立上がろうと本ブログに「海の肖像」をいっぱいいっぱいの情況で何とか出稿したその日でした…。
九州出身の私は、西部(現九州)吹奏楽コンクールでの屋比久先生の演奏にとても大きな影響を受けています。私の音楽演奏に対する好みの根本は、相当な部分が中高生の頃に聴いた屋比久先生率いる石田中の演奏によって形成されたとも云えるでしょう。 中学生時にTrumpetを吹いた以外に吹奏楽に触れておられず、専門の音楽教育も受けておられなかった屋比久先生がまさにイチから音楽指導を始められたことは有名ですが、だからこそというべきか、個性的でいてかつ極めて音楽的な演奏を次々と生み出しておられました。本稿に採り上げた1978年の「砂丘の曙」「パッサカリア」はその最たるものです。
真和志中時代の「トッカータとフーガ」「英雄行進曲」石田中で採り上げた「リシルド序曲」などのレパートリーからすると、吹奏楽の演奏としてまずはギャルド吹奏楽団の演奏が念頭におありだったのかなと感じておりました。私が中高生の頃はコンクールにて沖縄勢の活躍が目覚ましく「沖縄サウンド」と称される魅力的なサウンドが高い評価を得ていましたが、それは即ち屋比久先生が志向され創ってこられたものだと思います。
名演は数々ありますが、屋比久先生のとても素敵な音楽が端的に表出された課題曲の演奏も、心に残って忘れることができません。 1979年の「幼い日の想い出」のイントロダクション。冒頭の一音の次からはデモ演奏とは全く違い、息を潜めるような弱奏から1小節を2拍にとり速いテンポで一気に、放射状にクレシェンドして駆け抜けていきました。何という独創的な、そして音楽として説得力のある演奏でしょうか。 1980年の「北海の大漁歌」では中間部を締めくくるFluteソロに伴奏のClarinetがまさに一体の音の束となってクレッシェンドする、その美しく高揚する感情の表現にも、息を呑みました。 1982年の「アイヌの輪舞」はHornによるイントロの旋律をデモ演奏にあった上行ではなく下行と捉えて強調し、実にゴージャスな全合奏のサウンドに収束させ、既にそこだけで聴く者を惹き込んでしまいました。
「パッサカリア」ももちろんそうですが、屋比久先生が私に下さったもの、それは「音楽の感動」に他なりません。 「感動」こそは音楽の最大価値であり、それこそが音楽に求められることです。しかし残念ながらそんなに出会えることもないように感じられます。
その貴重な「音楽の感動」を、屋比久先生はどれほど下さったことでしょうか。そのおかげで私は音楽の愉しみを知り、それゆえに生きていられるのです。 屋比久先生、本当に有難うございました。お亡くなりになったことを心から悼み、ご冥福をお祈り致します。 先生のお創りになった音楽の感動は、永遠のものです。
投稿: 音源堂 | 2019年4月15日 (月) 12時55分
高校時代。兼田敏のパッサカリアは憧れの曲でした。他校との合同練習で初めて聴いた時、ポリフォニーみたいで、なんて複雑でカッコイイ曲なんだと感動し忘れられませんでした。時は過ぎ35年後。なんと娘の学校が神奈川県から東関東大会にこの曲で出場したのです。この曲が何故こんなに美しいのか、聴いていて心地よいのか、音源堂さんのおかげで理解できました。パッサカリアはこれからも時を超えて演奏され続ける名曲でしょう。
投稿: あっこ | 2019年11月11日 (月) 00時50分
あっこさん、素敵なコメントを有難うございます! あっこさんの音楽の想い出が、お嬢さんの音楽の想い出に重なり合うなんて、本当に素敵だと思います。息子二人ともが共通の趣味を持たなかった私は羨ましい限りです。 パッサカリア、本当に良い曲ですよね。私にとってもまたぜひ演奏したい曲です☆
ところでもしかしてお嬢さんの「パッサカリア」を指揮されたのはO先生でしょうか。私は社会人になって初めて入った市民バンドでO先生にご指導いただきました。実に柔和で深い、素敵な先生でした。もしそうだとしたら音楽の紡ぐ縁というものを感じてしまいます。
投稿: 音源堂 | 2019年11月11日 (月) 08時00分
返信、遅れて申し訳ありません。 そうです。O先生でございます。 娘は横須賀市の高校生でした。(私は宮崎出身)
誠に不思議なご縁ですね〜。 今も娘は母校に手伝いにたまに行きます。O先生は現在もお元気でご指導されてるそうです。 音楽への造詣は言わずもがな人間的な魅力に溢れた方ですね。O先生と出逢えた生徒は幸せです。 大変な世の中ですが、音楽の価値をますます感じております。
投稿: あっこ | 2021年3月16日 (火) 22時39分
ご返信有難うございます。 O先生がお元気で変わらず指導をなさっているとの情報に接し、大変うれしく存じました。 COVID-19の脅威にさらされた現況は音楽活動にとってアゲンストに過ぎるものですが、決してあきらめず手放さず、頑張って参りたいです。
投稿: 音源堂 | 2021年3月18日 (木) 09時53分
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この曲こそ、日本人による吹奏楽曲の最高峰でしょう。決して技術的に難解ではなく、かと云ってその音楽の質たるや、アマチュア向けに妥協されて出来上がったものではない。アマチュアが演奏しても、何か訴えてくるものがあり、だからと云ってプロフェッショナルな団体が、幾多の演奏をしているにもかかわらず、決定的な名演には出会っていません。しかし、こうあって欲しいという、この曲への理想の姿が心の中にはあると思うのです。私もコンサートで、学生の指導をしたことがありますが、演奏に没頭してしまい、サウンド、技術のトレーニングでは済まされない何かを、いつも感じていました。最初にこの曲を聴いたのは1979年の地方コンクール県大会。中学生でしたが、すばらしい感動を与えてくれました。そして汐澤/東京EAのLPでさらにファンになりました。
投稿: ブラバンKISS | 2007年8月24日 (金) 22時34分
ブラバンKISSさん、たくさんのコメントを有難うございます♪
屋比久先生、今年から鹿児島の某高校に転任。就任僅か4ケ月ほどにもかかわらず、この学校を九州大会に初出場させてしまいました。
自由曲は・・・この「パッサカリア」でした。
投稿: 音源堂 | 2007年8月25日 (土) 22時47分
各地のコンクールも、代表が決まってきたようですね。そんな時期になってきました。夜更ししながら、何気に屋比久先生のサウンドが、懐かしくなり、「吹楽Ⅱ」と「なにわOW2004」のCDを、久々に聴きました。特に福岡工大付の演奏は、以前あまり印象に残っていなかったのですが、久々に聴いてみると、熱く伝わってくるものがありました。今は亡き、兼田敏氏の吹奏楽への想い、屋比久先生のこの曲への想いが相まって、大きなエネルギーと感動を伝えてくれるいい演奏だと思います。近頃のコンクールの傾向は、技術やメカニックな部分に偏重し、音楽本来の想いや情熱に欠けた、力技や優等生的な演奏が、多くなったような気がします。だからこそ、プロ演奏家の熱い音楽が、求められていると思います。名演の出現に期待します。
投稿: ブラバンKISS | 2007年9月 2日 (日) 04時05分
兼田作品は確りと書かれている分だけ、端的に曲の核心を指し示す演奏が少なくなっている気がします。
他の兼田作品でも胸のすくような演奏を聴きたいですね。
投稿: 音源堂 | 2007年9月 2日 (日) 20時47分
はじめまして。1978年、私は石田中で2年生でした。あれから30年。屋比久先生はもうすぐ70歳に。
パッサカリアは今でも大好きな演奏で頻繁に聴いています。
弦バス&Tubaからのルバートは「真っ暗な闇の中に浮かぶガイコツが操り人形のように踊っている」という先生の言葉が印象に残っています。なんだか納得させられます。でも先生は覚えていないような・・
中学生が理解し表現しやすいようにいろいろな例えを多用されていましたが、それが必ずしも作曲者の意図したものばかりではない部分もあるでしょう。全国大会を聴いた兼田敏氏が「こんなパッサカリアもあったのか」的なコメントをされていたそうです。
未熟な中学生の演奏の中にも言葉や映像が垣間見えたら嬉しいなと思います。
投稿: Cazy | 2008年11月27日 (木) 21時35分
Cazyさん、コメントを有難うございます!
1978年に中学2年生-私と同学年ですね!私もこの年、戸畑の西部大会に出場しておりましたよ。
石田中のパッサカリア、素晴らしい演奏でした。それまでに演奏された全国大会の実況録音で聴いて曲は知っていたものの、いま一つピンときていませんでしたが、石田中の演奏を聴いて本当に感動しました。「パッサカリア」の真価を示した名演だと思います。
この年は課題曲「砂丘の曙」の演奏も素敵でした。マーチという枠組みを完全に超えた”歌いまくり”の演奏は大変個性的で、私の心に深い印象を刻んでいます。
♪♪♪
中1の西部大会では石田中と本番前の練習会場が一緒で、石田中のトランペットパートの方々が「ドリアン・ラプソディ」冒頭を何度も合わせ直しておられました。その時の真剣な眼差しは忘れられません。
そのトランペットパートのお一人「健」氏^^)は名札とプログラムの名簿で確認したところ、私と同じ1年生でした。同じ中1の方がこうして全国大会バンドで頑張っている-大いに励まされ、また燃えたものです。(結局、石田中はずっと憧れの存在で、近づくこともできませんでしたが・・・。)
♪♪♪
いずれにしてもこの名演は、今でも色褪せることなく私を感動させてくれます。素晴らしい音楽を有難うございます!
投稿: 音源堂 | 2008年11月28日 (金) 17時49分
今時期も、変わらず「吹奏楽」と「トロンボーン」に、情熱的に取り組んでおられるようで、何よりです。御身体に気をつけて、ご精進くださいませ。さて、この時期になると、吹奏楽コンクールのライブ商品が、出てきますね。私も、学生の頃やその後も十数年、たくさんのLPやCDを買い集め、熱くなっていた時期がありました。近年では、ネット情報も豊富で、「BJ」などを見なくても、結果などがすぐに伝わり、隔世の感がありますね。そんな私も、ここ数年、コンクール関連は、ブレーンのDVD(大学、職場・一般)一枚だけ、買い続けています。(懲りていない・・・。)(笑)
まあ、私にとって、年に一度の「吹奏楽イベント!」といったところでしょうか。だいぶ、逸れてしまいましたが、兼田氏の「パッサカリア」は、プログラムのどこかで必ずと言って良いほど、見かけた名曲中の名曲!残念ながら、近年は、まったく見かけなくなりましたが、時折、マイコレクションのCDから、数枚、引っ張り出して聴いています。本当に素晴らしい曲ですよね。最近、シエナ盤を購入し、聴きましたが、最終部分は淡々と進められ、あまり、私的には心に響かなかった演奏でした。これだけの技量と好条件の録音にも関わらず、紹介されている旧き時代の演奏に、遠く及ばないと感じたのは、私が年を取ったのでしょうかね。(笑)
それと、この曲への前回のコメントから、もう10年も経っていたのですねえ・・・。随分長く、こちらのサイトを拝見させてもらっていたことに、気がつきました。本当に感謝しています。これからも、よろしくお願いします。
投稿: ブラバンKISS | 2017年12月13日 (水) 00時43分
ブラバンKISSさん、有難うございます。Tromboneの練習は頑張ってますよー。その分、こちらの記事作成の時間がなかなかとれず、出稿できておりませんが…。
パッサカリア、しみじみ本当に良い曲ですよね。演奏するのも楽しいですし。確かに胸のすくような感動の名演にそろそろ登場してほしいですね。
コンクールの録音はもうすっかり縁遠くなりました。
でも近年、玉名女子高の演奏には惚れ込んでいます。完成されたサウンドや各楽器の音色の良さ、テクニック的に整っていることはもちろんなのですが「森の贈り物」や「ラ・フォルム-」で見せてくれた”歌”の良さに…。これほどまでに歌い上げることのできるバンド、ないです。
上手下手ではなく、音楽がもたらす感動の最大要素は間違いなく”歌”であると再認識させられます。そこが備わると、音楽演奏としての完成度が段違いになるんですよね。
楽曲を大切に表現しようという思いが伝わり、うれしくなってしまうのです。
投稿: 音源堂 | 2017年12月13日 (水) 11時52分
自分が悲しみに沈んでいた間に、あらんことか、屋比久 勲先生がご逝去しておられました。2019.2.13. -振り返ってみたら、漸く立上がろうと本ブログに「海の肖像」をいっぱいいっぱいの情況で何とか出稿したその日でした…。
九州出身の私は、西部(現九州)吹奏楽コンクールでの屋比久先生の演奏にとても大きな影響を受けています。私の音楽演奏に対する好みの根本は、相当な部分が中高生の頃に聴いた屋比久先生率いる石田中の演奏によって形成されたとも云えるでしょう。
中学生時にTrumpetを吹いた以外に吹奏楽に触れておられず、専門の音楽教育も受けておられなかった屋比久先生がまさにイチから音楽指導を始められたことは有名ですが、だからこそというべきか、個性的でいてかつ極めて音楽的な演奏を次々と生み出しておられました。本稿に採り上げた1978年の「砂丘の曙」「パッサカリア」はその最たるものです。
真和志中時代の「トッカータとフーガ」「英雄行進曲」石田中で採り上げた「リシルド序曲」などのレパートリーからすると、吹奏楽の演奏としてまずはギャルド吹奏楽団の演奏が念頭におありだったのかなと感じておりました。私が中高生の頃はコンクールにて沖縄勢の活躍が目覚ましく「沖縄サウンド」と称される魅力的なサウンドが高い評価を得ていましたが、それは即ち屋比久先生が志向され創ってこられたものだと思います。
名演は数々ありますが、屋比久先生のとても素敵な音楽が端的に表出された課題曲の演奏も、心に残って忘れることができません。
1979年の「幼い日の想い出」のイントロダクション。冒頭の一音の次からはデモ演奏とは全く違い、息を潜めるような弱奏から1小節を2拍にとり速いテンポで一気に、放射状にクレシェンドして駆け抜けていきました。何という独創的な、そして音楽として説得力のある演奏でしょうか。
1980年の「北海の大漁歌」では中間部を締めくくるFluteソロに伴奏のClarinetがまさに一体の音の束となってクレッシェンドする、その美しく高揚する感情の表現にも、息を呑みました。
1982年の「アイヌの輪舞」はHornによるイントロの旋律をデモ演奏にあった上行ではなく下行と捉えて強調し、実にゴージャスな全合奏のサウンドに収束させ、既にそこだけで聴く者を惹き込んでしまいました。
「パッサカリア」ももちろんそうですが、屋比久先生が私に下さったもの、それは「音楽の感動」に他なりません。
「感動」こそは音楽の最大価値であり、それこそが音楽に求められることです。しかし残念ながらそんなに出会えることもないように感じられます。
その貴重な「音楽の感動」を、屋比久先生はどれほど下さったことでしょうか。そのおかげで私は音楽の愉しみを知り、それゆえに生きていられるのです。
屋比久先生、本当に有難うございました。お亡くなりになったことを心から悼み、ご冥福をお祈り致します。
先生のお創りになった音楽の感動は、永遠のものです。
投稿: 音源堂 | 2019年4月15日 (月) 12時55分
高校時代。兼田敏のパッサカリアは憧れの曲でした。他校との合同練習で初めて聴いた時、ポリフォニーみたいで、なんて複雑でカッコイイ曲なんだと感動し忘れられませんでした。時は過ぎ35年後。なんと娘の学校が神奈川県から東関東大会にこの曲で出場したのです。この曲が何故こんなに美しいのか、聴いていて心地よいのか、音源堂さんのおかげで理解できました。パッサカリアはこれからも時を超えて演奏され続ける名曲でしょう。
投稿: あっこ | 2019年11月11日 (月) 00時50分
あっこさん、素敵なコメントを有難うございます!
あっこさんの音楽の想い出が、お嬢さんの音楽の想い出に重なり合うなんて、本当に素敵だと思います。息子二人ともが共通の趣味を持たなかった私は羨ましい限りです。
パッサカリア、本当に良い曲ですよね。私にとってもまたぜひ演奏したい曲です☆
ところでもしかしてお嬢さんの「パッサカリア」を指揮されたのはO先生でしょうか。私は社会人になって初めて入った市民バンドでO先生にご指導いただきました。実に柔和で深い、素敵な先生でした。もしそうだとしたら音楽の紡ぐ縁というものを感じてしまいます。
投稿: 音源堂 | 2019年11月11日 (月) 08時00分
返信、遅れて申し訳ありません。
そうです。O先生でございます。
娘は横須賀市の高校生でした。(私は宮崎出身)
誠に不思議なご縁ですね〜。
今も娘は母校に手伝いにたまに行きます。O先生は現在もお元気でご指導されてるそうです。
音楽への造詣は言わずもがな人間的な魅力に溢れた方ですね。O先生と出逢えた生徒は幸せです。
大変な世の中ですが、音楽の価値をますます感じております。
投稿: あっこ | 2021年3月16日 (火) 22時39分
ご返信有難うございます。
O先生がお元気で変わらず指導をなさっているとの情報に接し、大変うれしく存じました。
COVID-19の脅威にさらされた現況は音楽活動にとってアゲンストに過ぎるものですが、決してあきらめず手放さず、頑張って参りたいです。
投稿: 音源堂 | 2021年3月18日 (木) 09時53分