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The Night They Drove Old Dixie Down ジャズの誕生


Album
The Last Waltz [Disc 1]
Artist
The Band
□Deta
AllMusic
http://www.allmusic.com/album/the-last-waltz-mw0000198624
Discogs
https://www.discogs.com/ja/The-Band-The-Last-Waltz/release/1564673
iTunes
https://itunes.apple.com/jp/album/the-last-waltz/id705585893
etc
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Motion picture

https://www.youtube.com/watch?v=jREUrbGGrgM

親愛なるリプレイ殿

放送は欠かさず聴いております。
あなたの放送こそ文化に対する偉大な貢献と確信しております。
だが1938年3月28日の放送で、あなたがW・C・ハンディをジャズ、ストンプ、ブルースの
創始者として紹介されたことは、私に対する侮辱であると共に、視聴者を誤解に導いたものと
いわねばなりません。………

(著者:油井正一さんの”ジャズの歴史物語” の中で書かれた
ジェリー・ロール・モートンの主張を要約された文章の冒頭部分になります。)

ジャズとストンプの創始者
ビクター・アーティスト
世界最高のホット曲作者
ジェリー・ロール・モートン

と手紙の最後に、自身を記して締めくくっています。

ジェリー・ロール・モートンは、ニューオーリンズのダウンタウンにあるフォーバーグ・マリニー地区の
クレオール人コミュニティーに生まれ、自ら”ジャズとストンプの創始者”と名乗り、「大ボラ吹き」と
評価されてしまったピアニスト。しかしジャズ創成期のパイオニアの一人なのは確かな方です。
有名曲には”キング・ポーター・ストンプ”が有ります。
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The Bandの面々が歌うThe Night They Drove Old Dixie Downは、南北戦争を題材にして
作られたロック史上に残る名曲でしょう。
フォークシンガーが作ったのでは無く、アメリカで活躍するロックバンドで有り、そしてアメリカ人は
レヴォン・ヘルムだけと言うバンドが作ったと言う事も、印象深く記憶に残る名曲です。

南北戦争は、北部と南部の発展の仕方の違いから始まりました。
授業ではリンカーンの事を”奴隷解放”を進め、大統領になった偉人と習いました。
でも、アメリカ音楽に興味を持ち聴き始め、この曲の様に
少し歴史を理解しなければならない曲に

出会う事により、理解しようとすると「ちょっと、なんか引っかかるな…」と思い始めました。

南軍の資材等を運ぶ鉄道を、北軍が破壊し、南軍は弱体化して敗北する。
北軍(ヤンキー)は、南部の者が打つ町の鐘が鳴り響く中を南下して行く。

南北両軍から尊敬され、開戦前 北軍から指揮依頼もされたロバート将軍は

「南部出身だから」と奴隷制度に反対しながらも南部を混乱させない様にと軍を指揮します。

その将軍が北軍に追われ退却して行く。

その姿を南部の市民は見ながら、北軍による町の焼き討ち、略奪から逃れる為に逃げて行く。
♫ヤンキーが南部を撃ち払った夜、街の鐘が鳴り響いていた
   北軍が南軍を追いやった夜、みんなが口ずさんだ ♫
こんな事を歌った歌詞です。きっと戦争なので、酷い事が有ったのでしょう。

南部では戦後100年経っても北部出身者は「ヤンキー」と嫌われたそうです。

 

こんな戦争をしても本当は、奴隷解放は進みませんでした。
イギリス始めヨーロッパの国々が、南軍に関与させない為”奴隷解放”と言うスローガンを

利用した部分も有った様です。
結局 翻弄されたのは、多くの黒人の人々や貧しい人々。

南部の奴隷の人々は、ヨーロッパに輸出する綿花が安定して売れていたので、働く事を条件として

住む所や食事等に困る事は有りません。

農場により、大なり小なりの処遇、対処の違いは有ったでしょうが.......

戦争により安定していた生活も無くなり、各処の治安維持の為 兵隊として出兵させられたり......

勝てば官軍 負ければ賊軍 とはよく言ったものです。

北部の裕福な者達が、戦後南部から流れて来た安い労働者を使い、さらに儲けたでしょうね。

スペイン,フランス領時代からのクリオールの人々は、アフリカ系黒人の人々と同じ地位まで
下がる事となります。逆にアフリカ系黒人の人々の地位は上がって行きます。
すると、今まで上の立場だったクリオールに対し、アフリカ系の黒人との間で争いも生まれます。
そして1876〜1964年までジム・クロウ法により、どちらの黒人も差別され続けられます。

クリオールのプライドはズタズタになったでしょう。

(クレオール=フランス読み クリオール=アメリカ読み)

先に上げたジェリー・ロール・モートンは、そんなクリオールの一族出身で、戦後から数えて3代目。
ピアノが弾けたことで、遊郭ストーリービィルのお抱えピアニストとなり、

いい収入を得る事が出来ましたが、祖母に勘当されてしまいます。

引退後にリプレイ氏へ宛てた手紙は、きっと苦労した先輩や仲間
そして自身のプライドが、そうさせた行動だったのでは?と思うと、

「大ボラ吹き」と言われるのは、ちょっと気の毒に思います。

ジャズは楽譜も読めるクリオールや、教育されて来なかった演奏者達とが出会い、バンドを結成し
ニューオリンズの町で活動し、レコーディングした事により広く知られる音楽になりました。

1916年あるレコード会社が、フレディ・ケパードにレコーディングを持ちかけます。

しかしフレディさんは「そんな事をすると、俺のテクニックが盗まれちまう」と断ります。

当時のトランペット(コルネット)奏者は、指さばきを見られない様ハンカチを被せて演奏を

した者もいたそうです。

1917年オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドと言う白人ばかりのバンドが初めて

「ジャズ」という単語を明記しレコーディングしたので、今年はジャズ誕生100周年となります。

フレディさんが吹き込みをしていれば、きっと2016年がジャズ誕生100周年だったでしょう。

黒人ミュージシャンが誕生の第一号となっていれば、黒人の方々は誇りに思ったのかも...

でも、黒人バンドの演奏を聴いたシカゴに住む一部の白人達が真似を仕始めて、より広く

新しい音楽へと発展して行きました。

 

そして、ジャズはルイ・アームストロングと登場により、共に進歩、発展しています。

 

やはり、ジャズはニューオリンズで生まれた音楽。

戦争や差別、貧困...等の壁と人種を越えて生まれた、アメリカだから生まれた音楽。

ルイさんと一緒に、ニューオリンズからシカゴ、そしてニューヨークへ旅をし

方々へ広まります。シカゴアンズも大都市ニューヨークに向かう事になります。

 

でも、創成期の”ジャズの都”はニューヨークでは有りません。

芸能の発展には、経済(景気)とその地に住む人々の気質が大きく関与するのですね。

 

ジャズ創成期の名曲 King Porter Stomp

ジャズ=即興演奏と言う事を考えると、この曲はラグタイムになるのでしょう。

申し訳ないけど一般的にはジェリー・ロール・モートンさんはラグタイムピアニストとして

今日 認識されていると思います。

ジェリーさん自身、自動ロールピアノの動く鍵盤をみてピアノを覚えた様でした。

 

自動ピアノから流れるノヴェルティ音楽等を覚え

DNAに刻まれたリズムを使い、沢山の作曲しました。

それらの曲はジャズと思われないかも知れません。

でもこのリズムは、皆に愛されています。

 

ピアノに向かい作曲している時、その瞬間は間違いなく”ジャズ”だったのでしょう。

JELLY ROLL MORTON  KING PORTER STOMP

 

Teddy Bunn  King Porter Stomp

先輩に敬意を表した演奏だと思います。

 

Ton Van Bergeyk  King Porter Stomp

 

 

今回は文字ばかりになり、御付き合い戴いた方には感謝致します。

 

Comments 5

やせっぽちのヒロシ

1. 記事の内容に直接関係なくて恐縮ですが

たまたましばらく日本に滞在していた音楽好きの同世代のアメリカ人と知り合い、話していた時に(日本語は堪能なので、英語で会話していたわけではありません)、彼がこの"The Night They Drove Old Dixie Down"をザ・バンドがオリジナルということを知らずに、ただジョーン・バエズのヒット曲として認識していたことに驚いたことがあります。
そもそもザ・バンドそのものを知らないようでした。
日本人で私の世代のロック・ファンなら、たとえ好きでなかったり聴いたりしなくても、「ザ・バンド」という名前は誰もが認識していたと思うのですが、向こうでは決してビッグネームではなかったことに衝撃を受けたものでした。

2017-07-21 (Fri) 15:04 | EDIT | REPLY |   

コタパパ

2. Re:記事の内容に直接関係なくて恐縮ですが

>やせっぽちのヒロシさん
コメント有難う御座います。いえいえ気になさらずに...
私も似た話をロスに住む友人から昔聞きました。
「アメリカは広いなぁ~」と思いました。
また、バンドメンバーのフランス人君もズークも知らず
シャンソンの話をしても噛み合いませんでした。
マノネグラは知ってましたが....

外人さんは、好きな物だけで十分って感覚が有るのかも?

日本人の私も演歌は分からないし、河内音頭も詳しく無い。
そんな物かも知れませんね。

まぁ、私は自分でも思います。「けったいな音楽好きやな」
かなり一般とはズレとりまんがなぁ~。
なんちゃって。

2017-07-21 (Fri) 16:55 | EDIT | REPLY |   

リュウシュン

3. 無題

「ジャズ誕生100周年」記事シリーズ、御苦労様です。
Ton Van Bergeykという人は70年代のラグタイム・ムーブメントの時の人でしょうか?
こういう音質のいいギターラグのアルバムを聴きたいと思っていました。
ありがとうございます ^_^

2017-07-22 (Sat) 17:03 | EDIT | REPLY |   

コタパパ

4. Re:無題

>リュウシュンさん
いつも有難う御座います。
ラグはハウ・トゥ・プレイ・ラグタイム・ギター
ステファン・グロスマン&トン・ヴァン・バーゲイクが
CDにて再発されたデータが上がっているのだと思います。

高校生('78)時に友人が修学旅行の際、東京で買ってきた
のをテープに録って聴いていました。
2枚組で1枚はラグ(トン)1枚がブルース(ステファン)で
青焼き(ジアゾ現像)のタブ譜付きです。
今のCDにはPDFのタブ譜付きの様です。
友人がラグを、私はブルースを練習しました。
最近はブルースギターは弾いていないので、もう忘れて
しまってます。
リュウシュンさん、ギター弾きますか?
どうです?チャレンジしては。

あの頃はThe First Nashville Guitar Quartet
Chet Atkins もよく聴きました。

アコギの音って、いいですよね。

2017-07-22 (Sat) 19:12 | EDIT | REPLY |   

リュウシュン

5. Re:Re:無題

>コタパパさん
Apple Music にはステファン・グロスマンとのカップリングとコタバパさんがブログに貼っていたジャケットのものもありました。
しかし、高校生でこういうものやチェット・アトキンスを聴いて練習していたとは渋いですね…
私はこういうのを聴いてイイなと思うようになったのは歳をとってからです。

ギターは学生の頃、少し触っていた程度で、いまはまったく弾いていません。
ギターを弾けばコタバパさんが書いていることも、もう少し分かるようになるのになと思いますね。
中々、その余裕がいまはないのですが (-_-)

2017-07-23 (Sun) 09:19 | EDIT | REPLY |   

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