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菩薩桜 ― 【第6回】短編小説の集い 投稿作品

novelcluster.hatenablog.jp

 

  最初、上のリンク先を間違えて投稿しちゃったけど、直してる間に日付跨いだかな。一応、この記事の投稿時間は ”2015/3/31 23:58:43” になってますけど。どうなんでしょう。

『菩薩桜』

 村の共同墓地の一角に、大きな桜の樹が立っている。幹の周囲は、大人2人が両手を回してやっと届くかどうかという太さである。その厳かな佇まいが先祖の墓を見守る姿から、村人たちはその桜を、親畏敬と親しみを込めて『菩薩さん』と呼んだ。

 佐兵衛は村で評判の働き者で、今は亡き両親の遺した田畑をひとりで守っていた。村の世話焼きたちは、なんとかして佐兵衛に嫁を娶らせようとあれこれ策を講じたが、次から次へ舞い込む縁談を、佐兵衛はのらりくらりとかわし続けた。

 毎朝、両親の墓を手入れし、菩薩桜に手を合わせて仕事に行くのが佐兵衛の日課である。寒さが遠のき、鶯の幼い声も聞こえ始めた春の日、佐兵衛はいつものように朝の墓参りを済ませた。菩薩桜は満開の花を咲かせて、墓地全体を包み込むかのように枝を広げている。佐兵衛はその美しさに見惚れ、手を合わせたまま、しばらく頭上に広がる桜の淡い色を眺めていた。
 ふと視線を下ろすと、菩薩桜の太い幹の陰に、ひとりの女が佇んでいた。桜のような薄桃色の着物を着て、桜のような白い顔で、佐兵衛を見つめている。その視線に、佐兵衛は生まれて初めて頭の芯が痺れるような感覚を覚え、金縛りにあったように立ち尽くすしかなかった。柔らかく、包み込むような優しさをたたえたその眼差しは、同時に抗しがたい威厳と静けさをも備えているようだった。
 「あ……あんた、どこの村のお方ですかいの」
 枯れた喉からやっとのことで絞り出した佐兵衛の声は、しゃがれて老人のようだった。
 「私はこの桜の精でございます」
 「さ、さくらの……せい?」
 女はコクリとうなずいた。
 「この樹の魂のようなものでございます」
 「た、たましい……」
 「佐兵衛どのが毎日拝んでくださったおかげで、このような姿を持って現れることができるようになりました」
 佐兵衛は、女の突拍子もない話を飲み込むことができずにいた。自分が菩薩桜を拝むことと、この女が現れたことがどう関係しているのか。この女は頭が弱く、どこかの村から追い出されてきたのではないか。そんな現実的な解釈をするのがやっとだった。
 「へ、へぇ、そりゃどうも」
 間の抜けた返事をすると、仕事へ向かうため道具を担いでその場を離れた。女はそんな佐兵衛についてくるでもなく、後ろを振り返りながら畑に向かう佐兵衛をずっと見送っていた。次の日も、その次の日も女は桜のたもとに立ち、佐兵衛が仕事に出かけるのを見送った。佐兵衛は不思議に思いながらも、女とどう関わればいいのかわからず、毎朝挨拶をする程度で済ませていたが、女の存在は佐兵衛の中で日に日に大きさを増していった。
 数日後、その日も挨拶を交わして畑に向かおうとする佐兵衛に女が声を掛けた。
 「佐兵衛さま。名残惜しゅうございますが、お別れでございます」
 「え……どうなさった」
 「私はこの春で寿命を迎えます。花が散る頃にはこの姿でお会いできるのも最後になりましょう」
 「まだお若いのに寿命とな……」
 「私はこの桜の精ですから、人のように老いることはありませんが、樹の寿命と共に消えゆくさだめでございます」
 「そんな……」
 「最後に佐兵衛さまとこうしてお会いできて言葉を交わすことができたこと、嬉しゅうございました」
 「ま、待ってくれ、わしはまだあんたと話がしたいんじゃ。もっと話をして、一緒に飯を食ったりしたい。わしにできることはないか」
 「ありがたいお言葉、本当に嬉しゅうございます。けれどそれはとても難しいことでございます」
 「難しくても構わん。何かできることはないか。何でもするぞ」
 佐兵衛は必死に女を引き留めようとした。女が本当に桜の精であろうと、どこかの村の女であろうと、佐兵衛にとってはすでにかけがえのない存在になっていたのである。
 「それでは……この桜の花びらが散り始めましたら、全ての花びらを一枚残らず集め、その数を数えていただけますか」
 「花びらを一枚残らず……うむ、やる。必ず集めてみせるぞ」
 「ありがとうございます。例えそれができなくとも、私は佐兵衛さまのそのお気持ちだけで十分幸せでございます」
 「わしは必ずやってみせる。もしできたら、わしの嫁になってくれ」
 「わかりました。明日の夜明けと共に花が散り始めます。花びらを一枚もらさず数えられましたら、夫婦(めおと)になりましょう」
 その夜、佐兵衛は村の家々からありったけの布を借りてきて、一枚の大きな布を作った。それを菩薩桜の下に敷き、花びらを全て受け止められるよう四隅を竹で持ち上げて支えた。村人たちは佐兵衛の突然の奇行をいぶかしがり、桜の精にとり憑つかれたのだと噂した。
 翌朝、まだ少し肌寒い空気の中、佐兵衛は菩薩桜から散り始めた花びらを見つめていた。しばらく花びらが散る様を眺め、花びらを受ける布からもれることがないのを確かめると、薄桃色の花びらを一枚一枚数え始めた。それから七日七晩の間、佐兵衛は花びらを数え続けた。やがて全ての花びらが散り、全ての花びらを数え終えた佐兵衛は、無数の花びらの海に倒れ込むと、ぽつりとつぶやいた。
 「ごじゅうろくまんななせん……」
 そのつぶやきを最後に、佐兵衛は眠りにおちた。村人たちは、佐兵衛のためにお堂を作った。枯れた菩提桜を切り倒して作られたお堂に、死ぬことなく、老いることもなく、56万7千枚の花びらと共に佐兵衛は眠り続けた。
 佐兵衛が目覚めたとき、傍らにあの桜の精が座って佐兵衛を見つめていた。
 「あぁ……あんた。わしと夫婦になってくれるか」
 「はい。私たちはもう夫婦ですよ」
 「そうか……そうか」
 佐兵衛は笑って体を起こすと、お堂の外に広がる世界に目を向けた。
 「わしは……わしはどんな名前だったかのう」
 「あなたはこれから弥勒と呼ばれることになるでしょう」
 「そうか……うむ」
 かつて、56億7千万年前に佐兵衛と呼ばれた男は、微笑みながら頷いて女の顔を見た。
 
 ― 了 ―
 
 なんかもうギリギリすぎてわやわやです。ぽっと出のアイデアを無理くり整形しました。テキトーですんません。