もともと戯曲として書かれたもので色んなところで上演されてるらしい、ってことでかなり舞台演劇っぽい映画。登場人物も基本的には父と娘の2人、たまにもう一人が出てくるぐらいなので、彼らの演技は自然と印象に残る。
井上ひさしなんて大嫌いだけどいい話書くなあ、という感じ。泣ける人は泣いちゃうだろうし、俺も泣こうと思えば泣けたけど、めんどくさくてやめた。
ヒロシマものながらあまり恐ろしいシーンはない。人が血流して死ぬとか。そういった、トラウマ植えつけるようなイメージが無いのは、この映画と同じ年に出たこうの史代の漫画と似ているし、主人公の持つトラウマもまた「夕凪の街」の主人公と似ている。どこか参考にしたところがあるのかな、と思って参考資料のところ見たけどそうでもないみたい。ただ、演劇をどっかで見た可能性は無くもないだろうけど。そもそも、演劇と映画と本と、全部同じなのか?
色んなところで、あの父親は幽霊だと書かれているけど、個人的な印象としては主人公の娘の幻覚みたいなもんじゃないのか、と思った。もうちょっと言えば、私の中の天使と悪魔の葛藤的なもの。父親は娘一人っきりのときにしか出てこないし、それも家にしか出てこない。しかも、娘のことはなんでも知っている。なんでその場にいないのに知ってんの? 恋の応援団と自分で言っているが、実際は私の本心じゃないのか? そんな風に感じた。何故、父親なのかというと、最後のシーンで言ってるように、置いて逃げてしまったために非常に申し訳なく思っているその相手に、一番背中を押してもらいたかったからじゃないのだろうか。
トラウマと葛藤しつつも自分の幸せを得るんだけれど、やはりその後がどうしても気になってしまう。映画でも述べているけど、その子供たちにだって影響が出るかもしれない。実際生れてきた子供たちは、それに対する答えをどう出していくんだろうか。もちろん、その答えはこの映画を見ることである程度は感じることができるかもしれない。そこに至るまでにもう一つのドラマがあるし、それを描いたこうの史代はなかなか偉かった。
この映画は、ヒロシマを客観的に描いてはいない。ここにあるのは、個人が葛藤の末に手に入れた一つの答えだ。人によっては否定もするだろう。もし、主人公が自分の幸せを選ばないくったって、それはそれでいい話ができただろう。この映画だけが生きてくことの本質じゃないよ。中沢啓治の漫画だって素晴らしいものだ。面倒だけど、そういうのを沢山読んで色んな考え方を知っとかなきゃならないんだ。
こういったのはMTに書いた方が後から思い出しやすいから、こっちで書くか。
Amazon.co.jp: ホワイト・オランダー: DVD: ピーター・コズミンスキー,ミッシェル・ファイファー,レニー・ゼルウィガー,ロビン・ライト・ペン,アリソン・ローマン
どうやら合衆国でベストセラーになった小説が原作らしいですが、こういったテイストのものが受けるんだろうか、という感じ。向こうの映画を見てると、こういった類のものは、だいたい原作が小説で売れてるやつということが多い気がします。もしかしたら、ここでいう「ベストセラー」ってのは「全米が泣いた」と同義語なのかもしれません。
やはり、この映画で目立つのは主人公のアリソンローマンでしょう。どころなくロバートショーンレナードっぽい濃い顔つきながら可愛らしい。映画では、母親が殺人で捕まってから、色んな家を転々とするんですが、その里親ごとで服装が変わっていく。最初は露出の多い格好、次控えめでお高い格好、最後はHM入ったブラックな格好と、次々と変わっていく様子からして、明らかにコスプレの話です。それだけで満足。
大筋な話としては、実母が捕まってから色んな家に行くたびに、そこの母親に影響され(それが分かりやすく外見にも現れるてるのですが)、実母に会いに行くたび「人に影響されずに自分で生きてけ」みたいなことを言われる訳ですが、オチとしてはずーっと実母の影に悩まされながら生きて来たってことで、最も大きな影響があったのはあんただよ、ってことみたいです。母親としても子供だけが頼りみたいなところがあって可哀想だったりするんですが。
最後に母親から解放され、子供は自分自身で生きていくようなことを匂わせて終わるんですが、実際どのように生きていくんだろう、ってのがなかなか想像しづらいところがあります。誰からも影響されないよう生きていくってのは、母親の意思を継いでいることになるし、きっと違うんだろうなあ、とか。まあ、どうせ母親の子離れの話なんだからいいんだけど。
そういえば、母親はどうやって恋人を殺したんだろう、と思ってたんですが、オランダーの毒をミルクに盛って殺したんですね。今気付きました。子供が、殺したところを見たと言ってたんですが、その毒を盛ってるシーンがそれだったんですか。そういえば色々と「毒」って単語がキーワードになってたりしてたみたいだし、もうちょっとちゃんと見ておけばよかったと後悔。
たまたま見かけたので2だけ買ってきた。
スゲー馬鹿だ。馬鹿すぎて爆笑した。ファウルカップみたいなもんを装着した股間に色んなものぶつけたり、水溜りのそばにジャンプ台作って可愛らしい自転車で飛び越えようとしたり、基本的に訳が分からん。そういった馬鹿すぎるムービーが満載。馬鹿すぎて寝込んだ。
馬鹿ということでこのサイトをちょっと思い出した。けど、Jackassの方はもっとグロテスクな雰囲気がある。普通に怪我とかしまくってるし、ケツにピアス開けるようなマゾとかいるし、ゲロ吐くし。
それと、やはりプロということでスゲーとか思わず口に出してしまうようなシーンもある。スケボーで一回転したり。けど、個人的にはそんなのいらねー、という感じではあった。つーか、馬鹿番組というよりチャレンジ番組なのね。いや、どっちもか。
いい意味で。(おやくそく)
ストーリーは、未来から来たと称する男と、恋愛にことごとく失敗してきた女の話である。主演は、キューブリック作品の「フル・メタル・ジャケット」で微笑みデブを演じたヴィンセント・ドノフリオ。この時点でもの凄く惹かれるものがある。「フル・メタル・ジャケット」から十数年経ってるが、髪の毛以外ほとんど同じというのは脅威だ。
「未来から来た」というと、なんだかB級SFの香りがするが、これはれっきとした恋愛映画だ。この変人臭い男と、彼を異常だと思う女の愛の話だ。これが凄い面白い。この変人が言うのだ。
「僕は君を助けに来た」
「君は金曜日に死ぬ」
明らかに変人だ。狂ってる。ちなみに、最後のオチまでこの男が変人なのか、未来人なのか分からず、「え、どっちなのよ」とか思いながら、見ているほうも揺れるのだ。ただ、この変人がとてもナイスガイで、何だかこの男を信じてしまう。まあ、あのマヌケ面が悪人であるはずが無い。
マリサ・トメイが相手の女性であるルビー役を演じているんだが、これがまたよい。「素敵な人なんだけど変人なのよね」という葛藤を見事に演じた。なんだか、常にヒステリックである。もう泣きじゃくりすぎ。それがやたら可愛らしい。
こういう話にはよくある、「未来人の決まり事」はこの映画にもあるんだが、そのうちの一つに、これもありきたりな「自分が未来人ってことを話しちゃ駄目」というのがある。が、この変人、みんなに話しまわるのだ。女の命を救うのなら、女に話すだけで十分のはずだ。やはりアホだ。で、この女も、ハナっから信じていないんで、友人やらなにやらに言いふらすのだ。お陰で、二人の周囲の人間は、みんなそいつが「未来から来た」ということを知っているのだ。これじゃ、たとえ変人でなくとも、変人と思われて仕方が無い。
ストーリーだけではない。映像も控えめながらなかなか面白い。変人はタイムトラベルの影響から、脳の時間認識がおかしいというか、変な症状がある。このときの逆回しの映像は、簡単そうな編集であるが面白い。他にも、男が未来の思い出話をするときの映像もなかなか凝ってる。
とりあえず、「フル・メタル・ジャケット」で、デブのレナードのファンになった方々は必見の映画であることは間違いない。デブはここまで成長しました。
をテレビで見た。「別離」の津部義男が「もっきり屋の少女」、「やなぎ屋主人」、「ねじ式」の主人公をも兼ねる。
「別離」だと、最も期待していた小便の飛沫をあびるシーンが駄目すぎて萎え。看護婦に直接かけちゃってんだもの。いくらなんでもやりすぎ、っつーか、コメディすぎ。国子のセックスを妄想するところもなんだかポルノ性がない。丹波哲郎も微妙だった。
一方、「もっきり屋の少女」は凄かった。なんと言っても杉作J太郎がやばい。つぐみの乳首コリコリがもうトラウマになりそうだ。コバヤシチヨジだとか、キクチサヨコってのは、誰がやればいいんだろうかね。
「やなぎや主人」のセックスシーンは張り切ってたな。無駄に長く感じた。特に青年団の若者と娘がセックスするという妄想のシーンが長い。テレビだけの話だけど、1年後に移る前にCMが入ったのが痛かったな。まあ仕方ないが。そういや、原作だと蛤で猫を誘うのだが、何らかの事情があったのだろうか、普通に主人公が猫抱えてた。ひでえ。
ここで海の向こうから「ねじ式」が始まっちゃう。タイトルになるぐらいだから、一番頑張ってたかな。でもやはり違う。メガネのオッサンとか駄目。なんか痩せてたし。ただ、金太郎飴売りの清川虹子がとてもよかった。あそこは感動した。最悪だったのは、しょぼ過ぎるジオラマ。つげ義春の漫画って、やっぱり軒並みで語るじゃん。しょぼかったもんなあ。汽車もなあ。Uターンしてたし。
総じていえば、「漫画嫁」でいい。が、エロシーンはさすがにエロかった。ポルノ性というところではとてもよいと思う。4つの作品の構成も悪くは無かった。話が進んでいくにつれて、しだいに「ヤバく」なっていき、同時に引き込まれてゆく。が、作品のいびつさについては、何かもう一押しとは思う。それについては、映画の前後に流れる暗黒舞踏(?)が大きな役割を果たしていただろう。それと、全体としてなかなか悪くなかったかもしれないが、やはり細部で気になる点があるのは大きい。恐らく、つげの漫画を映像化するとき、それが結構肝心なのかもしれない。多くの人に読まれているだけあって。