作家・町田康「服を着ること」と「文章を綴ること」の共通点
特別企画:人はなぜ服を着るのか?③人はなぜ服を着るのか? シンプルなこの問いに対して、各ジャンルの専門家が縦横に思考をめぐらす特別企画(全3回)。
最終回は作家・町田康さんが登場! 夏目漱石、太宰治の服装論を超えて、町田さんがたどりついた答えとは?
提供:ユニクロ
服を着るのは、人のため?
人を外見で判断してはならない、という意見を聞いたことがあるがまことにもってその通りだと思う。
梳(くしけず)らず髭を生やかし、垢じみた寝間着にサンダル履きの親爺が毎朝、家の前を通り、言葉を交わすようになったが、見た目がみすぼらしいので侮ってタメ口をかまし、ときどきは頭をはたくなどしていたが、後日、その人が観音さんであることがわかって死ぬほど後悔する、なんて話が説話にあるし、それに準ずることは現実にもよくある。或いは逆に、いかにも銭を持っていそうな形(なり)をしているので信用して鞄を貸したら借りパクされた、或いはもう端的に、金を騙し取られた、なんて話もよく聞く。
昔。大阪からやってきて暫くの間、私のところに滞在していたパンクロッカーが、ひどい姿で帰ってきた。どうしたと尋ねると、やくざに殴られた、と言う。因縁つけられたのか、と問うと、いいやこちらから因縁をつけたのだ、と言う。やくざに因縁をつけたらやられるに決まってる。なぜやくざに因縁をつけた、と問うと、見た目が地味でやくざに見えなかった、と言った。
つまり見るからにやくざっぽい派手なスーツとかを着て、輸入舶載の高級腕時計かなんかを着けていてくれればそれと知れるのだが、堅気の勤め人と変わらない地味な形(なり)をしていたのでわからなかった、というのである。
こういう話を聞くと、なるほど人を外見で判断してはならないな、と思うが、しかしこれを、「人はいったいなんのために服を着るのか」という主題に沿って考えるとまた別の相貌が現れる。
というのは、人は人のために服を着る、ということで、例えば、いま言ったやくざが一目でやくざとわかる恰好をしているのは世の中の人に対して、「自分はやくざですよ。間違って因縁などつけたらあきませんよ」ということを知らせるため、つまり、他人のためである、という理窟である。
というのはかなり納得のいく考えで、一般的な想像力の範囲内の服装をしている、ということは実は意外に重要なことである。例えば人と面談をする際、相手の性によって、こちらの話し方や態度、気遣いのポイントなども変わってくるが、もし、ぱっと見はおっさんなのだが、よく見るとおばはんにも見え、トランスジェンダーの方かと思えばそうでもないらしい、となると、実に対応に苦慮する。
なので相手のことを慮(おもんぱか)って、意図的に服装や髪型をおっさんならおっさん、おばはんならおばはんに寄せていく。これが人のために服を着る、ということである。
パンクロッカーが植木屋の服装で出歩く。多くの人は彼のことを植木屋だと思う。多くの人が彼を植木屋だと思い、庭の松の木の手入れを頼む。けれども彼はパンクロッカー、松の木の手入れなんてできない。でもちょうど金がなかったのでこれを引き受け、いい加減な仕事をして大事の松の木が枯死してしまった。
こんなことにならないためにもパンクロッカーはパンクロッカーらしく、官吏は官吏らしく、男は男らしく、女は女らしい服を着る。それはすべて人のためである。
というのはまあ真実の一端かも知れないが、しかしそれがすべてではないのかなあ、とも思う。というのはそりゃあ社会というか世間というか、そういう観点から考えればそうかも知れぬが、それって医師が白衣を、警官が制服を着ているようなもので、社会的な服装、言わば制服の如きもので警官だって休日は私服を着ている。ここで問いたいのは、その私服のこと。それを言い換えれば、人はなぜ私服を着るのか、という問いということである。
人に先んじ、威張るため?
それで人はなぜ私服を着るのか、と考えて思い出したのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』の一節、猫が銭湯の湯船・洗い場を垣間見る場面である。ここで猫は、常に服を着ている人間が生まれたままの赤裸で居ることに衝撃を受け、この光景を「天下の奇観」と称して服装論を展開している。
前段の論旨はまた別なのだけれども後段のその論旨を要約すると、人が服を着るのは人に先んじ、威張るため、ということで、つまり、人とは違った新奇・斬新なファッション、いわばモード的なファッションを身に纏うことによって、赤裸の平等を脱し、他との競争に勝つことができるのであり、そのために工夫されたのが猿股、その猿股に打ち勝つために発明されたのが羽織ということであるらしい。
という風に考えれば毎シーズン発表される最新コレクション、最新モードというのも、そうして旧幕時代、明治の御代から続く、平等に生きるのではなく、人に先んじたい、人との競争に打ち勝って勝ち組になりたい(或いは、そう言われたい)、という考えの延長線上にあるのかも知れない。
と、そういえば大抵の最先端モードというのは色合いといい風合いといい形状といい、大抵が奇抜で、その奇天烈ぶりたるや猿股、羽織の比ではなく、そういう点から考えても珍奇・斬新なことをして、人との差別化を図るために人は服を着る、という夏目漱石の服装論はいまもってなお有効である。
しかしならば世間の多くの人がそうした奇抜なファッションで出歩いているはずであるが実際にはそうした人は少なく大抵の人は目立たぬ一般的な服を着て歩いているが、どういうことだろうか、というと『吾輩は猫である』が書かれたのは明治38年、漱石40の歳で文豪も若かったが、この国も若く発展途上、富国強兵に邁進している最中であった。
或いは私が20代後半の頃、そうして、人に先んじた感じ、の形で出歩いている人を多く見かけたが当時、我が邦は好景気の絶頂にあって、所得においていまに米国を抜くのではないか、とさえ言われていた。
ということはどういうことかというと、そう、漱石の服装論は一国の経済が上向きで人々も意気軒昂、自信があってイケイケドンドンのときにだけ成り立つ服装論なのであって、現下の如く景気後退が何年も続く状況には当てはまらない議論なのである。