これでわかる「シリア内戦」の全貌〜そしてイスラーム国が台頭した

絶望が世界を覆い尽くす前に
いま、シリアはどこに向かおうとしているのだろうか……〔PHOTO〕gettyimages


文/末近浩太(立命館大学教授)

「21世紀最大の人道危機」と言われるシリア「内戦」――。

2011年の「アラブの春」の一環として始まったこの紛争も今年の3月で丸5年を迎え、既に総人口約2100万人の半数以上が国内外への避難を余儀なくされ、27万とも47万とも推計される人びとが命を落としている。

「内戦」の泥沼化、そして、あらゆる「普遍的価値」を蹂躙する過激派組織「イスラーム国(IS)」の出現。今日のシリアには、「アラブの春」後の中東の「絶望」を象徴する終末的風景が広がっている。

シリアでは、なぜ「アラブの春」が「内戦」になってしまったのか。その「内戦」は、なぜ泥沼化したのか。なぜISは生まれたのか。そして、シリアはどこに向かおうとしているのか。

 

民主化運動から革命闘争へ

シリアは、1946年のフランスの植民地支配から独立後、宗教に基づかない近代西洋的な国民国家を範とする国造りが行われた。

現在のアサド政権の成立は、1970~71年に起こったクーデタにまでさかのぼる。2000年に「先代」ハーフィズの後を襲うかたちで次男のバッシャールが大統領に就任し、実に40年以上にわたってアサド一家による独裁政治が続いていた。市民の不満は、軍や治安部隊、秘密警察によって監視・抑圧されていた。

こうしたなか、2011年3月、「アラブの春」がシリアにも飛び火した。チュニジアとエジプトでの政変を受けて、シリアでもアサド政権に対して市民が政治改革を要求する声を上げたのである。

これに対して、アサド政権は憲法改正など一定の政治改革を行うこと市民の声に応えようとした。しかし、市民による民主化運動が全国規模へと拡大していくなかで、軍・治安部隊を用いてこれを激しく弾圧した。

弾圧を受けた民主化運動のなかから、やがて武器を取る者が現れるようになった。革命闘争の開始である。これを象徴したのが、2011年9月の「自由シリア軍」の結成であり、その後も各地で無数の武装組織が生まれていった。

その一方で、民主化運動からは多くの市民が離脱していった。市民のほとんどは、当然のことながら、戦闘の訓練など受けておらず、また、自分の命を危険に晒すほどの覚悟を持っていなかったからである。

その結果、シリアにおける「アラブの春」の民主化運動は、アサド政権の軍事的な打倒を目指す革命闘争へと変質した。「アラブの春」の民主化運動に特有の「緩さ」――政治信条の違いや老若男女問わず、誰でも参加できる巨大な運動としての力――は失われ、一部の血気盛んな人びとによるアサド政権に対する軍事行動が目立つようになった。こうして、シリアは「内戦」へと突入していった。

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