2014.09.28
# 本

北朝鮮拉致問題と背乗り(ハイノリ) 第3回
公安警察vs.北朝鮮工作員「ナミが出た!」

竹内明(TBS『Nスタ』キャスター)

著者=竹内明
背乗り 警視庁公安部外事二課
(講談社、税別1500円)
警察組織に紛れ込んだ「潜入者(モグラ)」の罠にかかり、公安を追われた元エース。組織に裏切られ、切り捨てられた男は、それでも飢えた猟犬のように捜査に執念を燃やす。苛烈なスパイハンターたちの戦い。仲間が仲間を疑い、尾行・監禁し、罠にさえ陥れる、知られざる日本の闇、公安捜査の内実に迫る。

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スパイ小説『背乗り(ハイノリ)~警視庁公安部外事二課』を著したばかりの竹内明氏が公安警察のスパイハンターと北朝鮮工作員の闘いをレポートする。工作員たちの潜入・離脱、拉致の手口は? 日本はなぜ自国民を守ることができなかったのか? 独自情報満載のレポートの最終回である

「日本への潜入は簡単だった」

拉致問題の教訓として、もう一度考えるべきは、インテリジェンスとカウンターインテリジェンス(防諜)の体制強化だ。なぜなら、拉致は北朝鮮の一部組織による犯罪ではなく、国家ぐるみの諜報活動の一環でおこなわれたからだ。

前出の北朝鮮対外連絡部に所属した元工作員は語る。

「拉致の目的は、連れてきた日本人に工作員教育をして、再び日本に送り返すためでした。もし工作員に適していなければ、対日工作員に日本語を教える教師や日本語の資料整理などに従事させました。拉致した日本人たちの身分は、北朝鮮工作員が日本に浸透するときに使う計画だったはずです」

身分の利用。これは「背乗り」と呼ばれる手口だ。背乗りとは、北朝鮮とロシアSVR(対外諜報庁)が得意とする工作手法で、諜報対象国に潜入したスパイが身寄りのない人物になりすまし、市民生活を送りながらスパイ活動を行うことだ。

北朝鮮の工作員たちは、工作母船で日本海沿岸部や九州南部沿岸に接近、沖合で陸上の補助工作員と連絡を取り合い、半潜水艇、偽装小型漁船、水中スクーターなどで上陸した。元工作員によると、太陰暦の月末と月始め、つまり新月の夜前後に暗闇にまぎれて、「潜入」・「脱出」は行なわれていたという。


「共和国を出るときに、おおよその脱出の日を決めていた。10月に脱出する予定だったとしたら、前の月の夜、現場を下見して場所を決め、脱出する仲間と集まってリハーサルをする。現地の警戒態勢、目印になるポイント、軍事施設の動向を確認して暗号通信で報告する。本国は詳細な『接線』(合流)の場所・時間を指示してくる。当日はモールスで連絡を取り合った」

日本への潜入の難易度は低かったと、この元工作員は話す。

「韓国への潜入は警戒が厳しく、命がけだった。しかし日本は在日朝鮮人の手助けもあるから簡単だった」

当時を知る在日朝鮮人の一人は、「工作員たちは『新潟に煙草を買いに来た』と言って気楽に出入りしていた」と、日本の無警戒ぶりを指摘する。

こうして潜入した工作員と本国との連絡手段は古典的なものだった。

「本国からはラジオ電波で暗号が飛んできた。読み上げられた5ケタの数字はメモすることを禁じられ、頭の中に叩き込んで、乱数表で言葉に変換し、解読した。この数字は女性のアナウンサーが読み上げるのだが、1と7を聞き間違えることが多く、より確実なモールスのほうが、私は好きだった」

南派され、ソウルで工作活動に従事した経験を持つ元工作員はこう語り、「トン、ツーツーツーツーが1……」と、かつて頭に叩き込んだというモールスを諳んじてみせた。ちなみに工作員から本国への連絡には、北朝鮮が開発した「文字伝送専用のトランシーバー」を使い、3ケタの暗号を打ち込んでいたという。

「トランシーバーの部品には日本と韓国の製品が使われていた。私はこれをビニル袋に包んで、墓地の地面に埋めておいて、必要なときに、掘り起こして暗闇で交信した。交信時刻も予め決められていて、毎月15日に本国から問い合わせなどがあると、その2日後の夜に返事をしていた」

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