政府資料の「誤記」問題を考える

 3月3日付読売新聞に気になる記事があった。まずはその記事を紹介しよう。

政府の2010年度決算書に添付する資料の一部に、誤記があったことがわかった。国の債務負担行為に関する資料の中に、誤った数字がいくつか見つかった。政府は今後、ほかに誤記がないかどうかを含め、数万件ある関連資料を点検する考えで、「訂正には1か月以上の時間が必要だ」(政府関係者)としている。

 与党は2月中の決算の承認を目指していたが、このあおりで参院決算委員会が開けない状況となっている

 この記事を書いた記者は、政府の資料に誤りがあってはいけないし、ましてやそれが原因で国会運営が遅れるのはひどいという気持ちを持っているのだろう。もちろんそうした気持ちを持つのはいいのだが、果たして他の資料も点検して1ヵ月以上の時間をかけるというのは、正しいやり方なのだろうか。

 日本人は些細なミスに対して異常に几帳面な国民として知られている。たとえば、日本人の消費者は商品の細かな傷も許さない。野菜や果物でも、形が悪いものは商品の価値が下がる。

 こうした日本人の几帳面さが世界に冠たる品質管理技術を確立したのは間違いないが、やり過ぎるとコスト・アップになってしまうという点には注意が必要だ。

 政府の資料にミスがあっていいはずはないが、それは「程度問題」というのが世界標準である。海外の政府でも資料などでミスは結構あるが、ミスがあっても致命的なミスにならないようにすぐに訂正をしたり、ミスが連鎖しないような態勢がとられている。

 政府ではないが、海外で生活していると銀行でしばしばミスがある。だから銀行から送られてくる書類によく目を通して、ミスはすぐ銀行に知らせる。銀行のほうもある程度ミスを想定して、大きなミスにならないような仕組みがある。一方で、日本の銀行ではミスは「ない」とされている。だから銀行の側もミスを認めず、あった場合はトラブル処理が大変になることが多い。

 これは日本の官僚にもいえる。無謬性といって、官僚は間違わないといった神話がある。しかし、それは事実でなく、しばしば政策ミスもするし、資料で単純なミスもやる。しかし、それを認めない。

 今回のような単純ミスも実はよくある話だ。政府の資料に間違いがないというのはウソで、かつて提出法案でも大量のミスがあった。法律に詳しい人から聞いた話だが、成立した法律でも細かなミスがあり、それを訂正するために、年度末には大量の官報に隠れて、こっそりと訂正が出されているという。

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