僕、失敗しますので
僕は理屈好きで、例えば得意の商品開発さえも、ほぼ理詰めでやっています。レシピ作りは世の中のイメージではセンスで、なんでしょうが、僕の場合、着想時に勘を働かせることが全くないとまでは言わないものの、必ず根拠を求めます。たとえ後づけになってでも。なので、何から何までロジカルにコントロールするのを基本として、それが適わない部分はトライアンドエラーで学んでいく、なんてスマートなやり方を目指していました。で、実際はどうだったか?コントロールできるはずの部分でもうまくいかなかったことが多数。なぜなら、僕、失敗しますので。
最初の大失敗は、「キッチンカー受領の日の自損事故」。こちらの顛末はすでにこのブログに認めましたが、ご支援いただいた皆様には本当に感謝していると共に、今なおやってしまったという気持ちが強く残っています。
次にやらかしたのは、「炊飯器転落事故」。キッチンカーは走行中揺れるので、出店場所に到着してみたらいろんなものが動いていて、中には破損してしまった小物も、という事例をすでに経験していました。その都度対策をしていたつもりでしたが甘かった。ある日、走行中、何か音がしたのは気になりましたがそのまま現場へ。扉を開けると、炊飯器が台から落ち、研いで浸水していた10合のお米が、大散乱。予備の米もなく、一旦出直す羽目に。釜は歪むし、掃除も大変でした。
同様に「冷蔵庫内仕込み品散乱事故」も。走行中の揺れだけでなく停めている場所によっては左右に傾く対策をしないと大変な目に遭います、と先輩からのアドヴァイスに従って手を打っていましたが、こちらも不十分で、冷蔵庫の中で仕込んだ物が倒れて、汁が漏れて汚れてしまった、ということが、しかも複数回。今はトラブルこそなくなったものの、もっとすっきりする解決策があるはず、と100円均一で使えそうなものを買っては試している最中です。
まだ解決策を模索しているものでいうと、「イーゼルが凸凹」なのは、一番の課題かなぁ。最初に買った大きなイーゼルは、「炊飯器転落事故」をはじめとする車内の落下物の影響や、外に出している時に風で倒れたことが原因で、早々にボコボコに。そもそも安物だったのでフレームの塗装があっという間に剥がれて直ぐに見すぼらしくなりました。で今月もう1つ小さめの頑丈なものを買ったのですが、こちらにも湯沸かしポットが落ち、早くも歪んでしまったという。移動中の車内でスペースもとるし、何かもっといい管理方法がないかなぁと。
事故ではなく事件だったのは、「燃料不足、営業中止未遂」。発電機に燃料はガソリンで、最大4リットル入ります。それで6時間もちますが、その日は営業時間が短かかったので補充用の携行缶は置いてきてしまいました。邪魔なのでなんとなく。そして発電機のエンジンをかけたところ、燃料タンクの表示が半分くらいまでしか。前日補給した時、まだ慣れていなかったので満タンにできていないのにできたと勘違いしたのでした。大丈夫ではと思いもありつつ、胸騒ぎがし、駅前だったので電車に乗って取りに。汗だくになりながら電車賃と車の駐車代をかけて、営業開始時間を遅らせて戻りましたが、補充しなかった発電機は昼の営業中に止まってしまい、冷や汗をかいたのでした。未遂に終わったのは良かったですが、もう少しでお客様に恥ずかしいご迷惑をお掛けするところでした。
他には、「忘れ物でオペレーションが不自由」になることも何度か。これは僕だけでなく妻もです。リスト化して確認すればいいだけなのに、どこかでそれを怠るルーズさが2人にはあり。幸いまだ致命傷を負ったことはないものの、車への積み下ろしがその都度発生するので、ここはちゃんと対策しないといずれやらかすような...。
そして最近やってしまったのが、「市のポール破損事故」。成田市の賑わい創出を目指す「なりみちプロジェクト」に参画しているのですが、ここの出入り口が非常に狭く、毎度、妻を見張りに立てて、慎重に慎重に出入りしていたのですが、トラックの後部の飛び出た金具と、ポールの鎖をかける輪っかの部分が接触、弁償することに。こんな狭いところ、最初から無理だったんだよ、と思ったら、なんと出入り口として使うのは別のもう少し広い場所で、そこから歩道づたいに移動するよう案内が出ていたのを僕が見落としていた、という。現在、修復の見積中ですが、1日の少ない売上をおそらく超えるであろう額になるはずで、これは頭が痛い...。
このように失敗だらけです。原因は僕の性格のそそっかしさがほとんど、加えて、まぁどうにかなるという楽観的な部分。これらは今更変えようがないので、たぶんこの先も、しっかり考えて作り上げているようでいて色々とやらかすのかなと。そんな僕のマイクロ法人、株式会社未々乃介、キッチンカー『みみのすけ』を、2025年もどうぞよろしくお願いいたします。
プレオープン、そして開業
オペレーションを練りながら必要な器具を次々に買い揃えるのは訳なかったのですが、それらの僕の専門分野以外の点については、周りの方々のお力をたくさんお借りしました。装飾と収納は妻に、タペストリー等制作物は元同僚に、そして広報は知人の伝手で知り合ったPR会社のグラヴィティ社にお願いしました。それぞれその道に長けていらっしゃって頼りになったのはいうまでもないですが、前のめりで楽しみながらサポートして下さったのがとても嬉しく、ありがたく、上手くいくという自信が日に日に濃くなっていくと共に、責任も強く感じるように。
思いつく限りのシミュレーションを重ねた後、9月21日には、キー食材の生姜を提供して下さるさかいのうえんさんの敷地をお借りして、プレオープンイベントを開催。たくさんの方にお祝いしていただきながら、オペレーション上の課題を抽出。人数をご招待客40名様に区切ったはずが、通りがかった方も参加されたのかその数が増え、最後食材を切らすアクシデントはありましたが、概ね良好で、皆さんに美味しく召し上がっていただけました。その様子は、朝日新聞にも。
解決し難い問題点は見つからず、開業までとってあった2週間には、準備だけでなく少し休息を、と気が緩んだのがいけなかったのか、僕はその後発熱、1週間近く寝込んでしまい、さらにあろうことかその症状が妻にも。そうした中で、小さなテスト営業を2日ほど行い、10月5日に印旛郡栄町のドラムの里でグランドオープンしました。ドラムの里を選んだのは、隣接する房総のむらを含めた一帯の豊かな里山が、僕がキッチンカーで彩りたい日常のプチハレの日に最も相応しいから。そして、その思いに共鳴して快諾していただけたからです。当日は、まだ知名度は低い中、友人や昔の同僚、SNSで繋がっている方々が次から次へといらして下さり、またドラムの里のスタッフの皆さんもお買い上げ下さって、予想以上の賑わいとなりました。その後、キッチンカーの写真撮影もこちらで。
それから早2ヶ月。トライアンドエラーはもちろんまだまだ続き、特に出店場所についてはこの先もしばらく手探り感が残るし、これからの厳冬期は売上に悩むかと思いますが、リズムはできて、各種の計算もできるように落ち着いてきた、というところ。今年の初めには、本当に僕にできるのか、夢物語ではないかという不安な思いもわずかながらにありましたが、できてしまったなぁ、と自分でも驚いています。
起業しなかったら出会えなかった方、再会する機会がなかったかもしれない方、初めて顔を合わせることができた方、通りすがりからお客様になって下さった方...。「食でつながり、時間を豊かに」のコーポレートアイデンティティ、その恩恵を一番受けているのは他ならぬ僕だなぁと、皆さんに感謝する師走です。
営業開始! 〜その2〜
ひと息入れさあ出発、というところで、キッチンカーを作ってくれたstudio SENSEの土井社長から着信が。昨夜の僕の破損報告からチームの皆さんで対応策を協議してくれたそうで、引き返してくれるのがベスト、と。戻ってきてくれ時間を少しいただけたら完璧に直す、と。なんとも嬉しいお言葉。でも、僕はその先のスケジュールが既に埋まっており、そしてここまで来て和歌山に戻る気力も体力もないことを正直に申し上げると、では、腕利きの板金屋さんを見つけて下さい、必要な部品は送りますから、と次なる提案。なんとかなるのかも、と胸のつかえが少しとれた感じで、SAの建物の中に引き返し、甲州名物の冷やしたほうとう「おざら」を味わうくらいに回復。
その後事故渋滞を避け、東京外環へ回り、ガソリンが切れそうになったので三郷南ICで降り、その先松戸からは土地勘があるので下道で、15時前に帰宅しました。車庫に入れるときに、後ろの突起を家にぶつけ、家の塗装が少し傷つきましたが、疲れ切ってもはやどうでも良く...。風呂に入ってことの顛末を妻に話しつつ、Xで板金屋さん探しをすると、次々に救いの手を差し伸べられ、本当にありがたかったです。そのうち、お会いしたことはないのだけれど信頼できるフォロワーさんから推薦があった、三里塚の「オートボディーワンステップ」さんに、翌日には連絡をとり車を見てもらうと、できそうなこととできないことを丁寧に説明して下さり、この方ならと修理をお願いすることに。
角を止めるワインレッドのパーツが到着後、修理工場へ搬入。事故から数えて半月後には、完璧に元通りではないけれど、目を凝らさなければわからないくらいに綺麗になって帰ってきました。しかも修理費用はたったの2万円。とても申し訳なくてもっとお支払いする意思はあったのに、これからなんだし叩いて部品を取り付けただけですから、とおっしゃる社長が神様に見えました。そして、部品代を問い合わせたstudio SENSEの土井さんは、僕からの開業祝いです、とおっしゃって請求されず!皆様にものすごく応援いただいていることを深く感じ、感謝の念と共に、この事業をなんとしても成功させるぞ、と改めて心に誓った次第です。支えていただく優しさに改めて気づけたし、車も注意するようになったし、むしろ事故を起こして良かったのかも、とさえ思います。
未々乃介は、新しくやってきた構造物に興味津々。君は会長とはいえ、中には入れないよ。
営業開始! 〜その1〜
起業された方は誰でもそうなるのかと思いますが、8月の末にキッチンカーを入手して以降、休みらしい休みもなく、いや、そもそも休もうという意識が浮かばない、そんな日々を過ごしました。先々を見通し、備えは万全にしたい、でもすれどもすれども次から次へ課題が生じ、その対応に忙殺されました。ようやく一息ついたところの今日は、ここに至るまでの顛末をまとめておこうかなと。
8月、愛媛での夏休み明けから本格的に準備開始。車を迎えるための車庫証明の取得、レジのショールーム巡り、LPガス取り扱いの講習会受講等した後、ついに8月28日、キッチンカーを受け取りに和歌山県橋本市のstudio SENSEへ。対面した『みみのすけ』号は、僕の想像よりスタイリッシュでピカピカで感動。仕様や使い方の説明を土井社長にしていただき、作ってくれた皆さんと記念の1枚。和歌山の夏の空に、ワインレッドで縁取りした白い車体の映えっぷり、いいでしょう?
12時半、鍵を受け取っていざ出発...するも、こんな大きな車を運転したことがないので、怖い。運転台も高いけれど、車高はそれよりもさらにある。2.5m以下のところはくぐれません、それを忘れて木の枝にぶつかったりと皆さん一度はしますがくれぐれもお気をつけて、と送り出されたのですが、僕はそれにもまして後ろが見えないのが気になりました。装備していただいた車載カメラは確かに綺麗にくっきり後ろを映してくれているけれど、本当にこれを見ているだけで大丈夫なの?それに距離感がわからない、そんな感じだったので、高速道路の入り口まで来るも一旦外れ、車の来ない丘の道で少し練習。なんとかなるかなという感じになった13時、出発、京奈和自動車道に。関西には滅多に来られないので、奈良県生駒市の友人宅へ寄り道、25年以上の付き合いで還暦を越えた友人2人とお茶。成田まではそこからノンストップで6時間半、休憩を挟むことを考えたら16時には出ないといけなかったのだけれど、久々の再会で積もる話が山ほど。僕はここまでの長距離運転は未経験で不安があるのを聞いてもらう。と、東名も新東名も静岡県内で大雨で通行止めと出ているのがわかり、これは今日の回復はないから中央道へ回るしかない、そうなると1時間くらい余計にかかるから、無理せずどこかで1泊するのが良いのでは、なんてアドヴァイスをもらう。そして17時にようやく出立。
京都の南で第二京阪に入り、18時半草津PAで休憩。夕飯に選んだのは、豚の生姜焼き定食と近江牛コロッケ。その先は琵琶湖沿いを北上していくはずが、いつの間にか名古屋神戸線に入っており、19時45分、桑名市の大山田PAに。ここで夜泊まるところを諏訪湖近辺に見定め、伊那市のビジネスホテルを予約。20時半、名古屋市を通過。中央道の真っ暗の上り坂を登り始める。流石に慣れてきて、交通量も少なくストレスフリー。が、突然ガソリンの給油ランプが。なのに走れども走れども給油所がない。これは一旦高速を降りた方が良いのか、いや、この感じだと降りたところでガソリンスタンドはないぞ、と焦る。ハラハラドキドキしながらなんとか駒ヶ岳SAに辿り着き、給油。ホッとしたために、翌日もっと安く入れられるのにそこで満タンにしてしまう大ミス。その後すぐ、伊那ICで降りて宿へ。ホテルの駐車場に入り込んだ瞬間、何かが当たった感触。なんだなんだと下を見るも、何も踏んでいない。でも確かに変な音がしたよなと車を降りてみても障害物はない。で、ふと空を見上げれば、なんとキッチンカーの右斜め前がグシャリと。そうだった...。疲れ切っていた僕は、高さがあるのを完全に失念し、ピロティの上にぶつけたのでした。茫然自失でチェックイン、妻とキッチンカーを作ってくれた皆様に、破損を報告。
その夜、僕はもちろん、眠れませんでした。
しまなみ海道へようこそ 〜その4〜
帰宅したその翌朝。いつもなら1年で一番楽しい時間から日常に戻ってきてしまい呆然と過ごすところ。ですが今回は違います。天然ハマチと妻子達の釣り上げた小魚が到着しました。直ちに処理へ。72cm、3.1kgの魚体は、もちろん我が家のまな板からは大きくはみ出しましたが、身がまだ引き締まっており、捌くのは容易。身は節取りし、当然お刺身で。カマは塩焼きに、カブトは煮付けにしました。問題は小魚の方で、当初は開いて天ぷらに、と考えていましたが、小さすぎて内臓を取るだけでも大変な30匹余り、結局開いたのはホゴだけで、そのまま粉をつけて揚げることに。
夜、近くに住んでいるショーゴも加わり、宴に。妻はハマチってこんなに美味しいんだ、と笑顔、魚が得意でない娘もちゃんと食べてくれました。特に自分で釣った真鯛の幼魚の唐揚げは頭からバリバリと。もちろん僕とショーゴも堪能。海から上げて2日でもまだ歯ごたえがあり、塩焼きも余計な脂分がないのは流石来島海峡の天然物。四国での夏休み、楽しかったねぇ、また行きたいねぇ、と会話も弾みました。行く前はためらいも隠さなかった娘のその言葉、本当に嬉しかった。特別なお休みが終わった翌日をこんなに気分良く過ごしたのは初めてのことでした。
...留守中、庭に生っていたぶどうがことごとく鳥にやられてしまった、それだけが無念。真夏に家に誰もいないなんて、コロナ禍以降なかったので、全く警戒していませんでした。今年は過去一番の実りだったのに。