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2009年6月21日 (日)

被虐待児の問題について

 臓器移植法の私の判断について、コメントをいただきました。ありがとうございます。この件は極めて切実な問題なので、補足をします。

 かめさんのコメントについては、おっしゃるとおり、本人や家族の覚悟が求められる点はあろうかと思います。ただ現状、移植を待つ患者のみが死の覚悟を求められていることも考慮が必要だと思うし、それなりに社会も分担するべきではないかと思うのです。必ず人はいつか死ぬのですから。同意不同意いずれにしても臓器移植カード等にに自らの意思を明らかにすることが、その一助になるものと思います。

 さて、ハートロードさんがコメント下さった被虐待児の問題について。改正A案の場合、15歳未満の子どもが法的な脳死となった場合、親が子どもの意思を忖度して臓器提供の可否を判断することとなります。ところがその親自身が子どもに虐待を行いその結果として脳死状態となった場合、むしろ親が事故と偽り積極的に臓器提供に同意して結果として隠蔽を図るのではないかという懸念を、私は当初持っていました。小児科学会の医師のお話を聞いた時も、虐待を見抜くのは簡単ではないというお話もありました。

 そもそも私は最近死因究明制度について議論をしており、体表からの検案で虐待を見抜けない例があることなどを知っていたので(専門書も読みそういうご遺体の写真も見ました)、なお気になっていたわけです。D案の場合、子どもの移植には第三者委員会の眼が入ることになっていますが、見抜けなければむしろタイコ判を捺すことにもなりかねません。想像するだにおぞましい懸念ですが…。

 そこで、長崎医大で外科医・病理医として現場を経験し、A案提案者であり、かつ死因究明制度も二人三脚で取り組んできた冨岡勉議員に徹底的に質問しました。そこで、

1) 法的脳死判定から臓器移植実施まで、現場では必ず複数の医師の目が入るのでむしろチェックは厳格になる。
2) 親についても、インフォームドコンセントを繰り返すためチェックも入る。
3) 判断には画像診断等も取り入れる(衆院厚労委の審議にて冨岡議員がその旨答弁しました)
4) もし犯罪の疑いが出れば、そこで移植プロセスは即停止し警察に連絡となる(医師法21条により)

 等の確認を取り、そこまでするのであれば相当懸念は払しょくされたと判断し、A案賛成に転じた次第です。

 もちろん法文上いくつかの改正案で被虐待児に対する言及があります。それも大事だとは思いますが、法律に書けばすべてが解決するとは個人的には思っていないため、「現場でどう判断するのか」という点を中心に質し、そのように判断しました。

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03.医療・介護」カテゴリの記事

コメント

臓器移植の問題をはじめ 医療 介護と現場の実態もろくにわからない者が 選挙目当てで受けの良い様に机の上の議論で決められるのはどうか?
まあ 今後問題が発生するころには関係者がどれくらいのこっているのか?
また 道路建設のように方針が急変更するのだろう
このために国民は振り回されるのは ごめんだ

投稿: ギンガマン | 2009年6月23日 (火) 00時06分

★☆★『臓器提供意思表示カード』と『骨髄バンクドナー登録カード』を携帯しているのですが、持ち物が焼失するような事故で私が死亡したときなどは、自分の意思を伝えることなく旅立たなくてはいけないのかなぁ、と思うことがあります。。。★☆★☆★

投稿: ☆天然石ネックレス☆ | 2009年6月23日 (火) 12時18分

ご丁寧なお答えをひと通り読ませていただきました。 監察医制度、死因究明、とそこが詳しく述べられている事で判断されたと受け取ることは出来ました。
 では、自身の、経験や、現在被虐待児との関わりの中で、出ている一番の核になる気になっている事実を延べさせて下さい。
 あらためていうのもはばかられるのですが、虐待を受けるとは、どういう出来事なのかと言う、当たり前のありさまについての認識。
 死に至る虐待の一番救いようのないケース。

 子供が”もう、自分など、ここにいないほうがいいや、、”
”死んで誰かの役に立てるんなら、その方がずっとマシ。”

それが、(虐)げられる子供の心境であり、文字通りこれを(待)つ.ということなのはご存知と思われますが。

そのように思ってしまった子供が、自死、しての場合。そこでは、不自然な死の様相は残りません。
 準じて、親の人格に障害があって、周囲の誰からも不審がられる態度が認められてない場合・

自分の親が変だ、変かも..っと思ったところで
幼い子供が、それをどうこうできる状況にない場合は。 子供は、自ら、諦める、諦めてその
親がのぞむような、運命を選びます。そうするしか選べないです。親戚で、自殺は親の迷惑
になるからと、トラックに身を投げてしまう、
というやりかたを選んだ子供もいます。

 だからその子は、それと同じところで苦しむ子供の(自分)にそれを残したのか。周りの大人達は心が弱い子だったとか言うだけです。
 
 被害妄想や、作り話、思い込みといったせりふを持ち出されて、今の病名では、小児欝病だとか、言われたりし、誰かに言ったところで、子供の証言が、どう取り上げても貰えるものでもないです。ここで、意思表示の有無の問えない、こうした被虐待児は?と、どうぞ、より考えを掘り下げて欲しく思うのです。痕跡を残さず行われる虐待がどれだけ深刻なものであるかも眺めて欲しく思われます。

病的に病んでしまった親の中には、世間で評価される事が一番大切で、自分の子供がドナーカードを残したことは最大の栄光だったりする、そんな悲惨なケースは、この世にはない架空の出来事でありたいと思います。虐待現実を経験しなければそう思っただろうと思いつつ、さらなるご案内をよろしくお願い申し上げます。

 長々とお読みいただき誠にありがとうございます。

投稿: ハートロード | 2009年6月27日 (土) 09時31分

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