【雑記】・「観ると目がくさるツイッター」
「twitterは強者のツール。ウェブサイト全盛時代やブログ全盛時代のように、無名のやつが出てこれる世界ではない」と今まで思っていたけど、どうもそうでもないらしい。
聞いたこともない、どこのだれかもわからない人物のつぶやきが、ときおり流れてくるからだ。
その人物は8000人以上の人間からフォローされ、ときおり「ふぁぼったー」でも赤ふぁぼとして流れてくるので、かなり支持されていると言える。
名前を出そうかどうしようか迷ったが、出さないことにする。恨まれるのがイヤだから(笑)。
とにかくこいつのつぶやきが映画「告白」並みに不快であり、「告白」と同様に時代の病を表していると思うので、文章を書きたくてたまらなくなったというわけです。
・その1
とにかくその人物は、年齢はテキストから察するに二十代後半か三十代始めくらいだろうか?
サブカル女子、肉食系女子、喪女(を装っているが実はそうでもない女性)をものすごく憎んでいて、「承認欲求搾取」という言葉をよく使う(「承認欲求搾取」なんて言葉、初めて知った。自分でつくった造語か?)
で、しかも決意を持ってdisして何かを構築していこうという気概はないようだ。同じ人物かどうか忘れたが「みんなに悩みを相談しているテイで実は自慢話してる女子」みたいなのがネット上のどっかで流行ったけど、要はえんえんとそういうつぶやきを繰り返してるだけ。
しかも「そう思っている自分」をかなり意識したツイートで、「そう思っている自分を自覚しているからボクは批判の対象にはなりません」みたいなことをえんえんと書いている。どんだけ自意識過剰でどんだけ安全圏にいたいんだよオマエは。
話題になっている理由はおそらく二つ。
ひとつはもう死語かもしれないが「DQN」とか「キモヲタ」、逆に「リア充」とかを非難する傾向というのはネットにもあったけども、今まで漠然としたタブーであった「女子」をターゲットにしたこと。
もう一つは、前述のとおり異常なまでの自己相対化アピールが、共感を読んでいる……としか思えないな。
でも自分としては、この人物の一連のツイートが気持ち悪くてしょうがない。私が女性に甘いのかもしれないが、彼女たちがやっと見つけた承認欲求の手段(それがたとえば不思議ちゃん的な行為であれ)を、つぶして歩いているようにしか見えないんだよね。
ではなんで「こんなことになった」のか、私なりに解説してみる。
・その2
まず、男の中で「女ってやつは……」っていう悪口が、かつては存在したし、今もしてるだろう。それは飲み屋の愚痴みたいなものだが、っていうか飲み屋で話す愚痴だが、当然差別的な意味も含まれている。
「女とは○○である」と、自分だけの経験から性格的傾向を割り出すことに、どれほどの意味があるとも思えない。思えないが、それはあくまでも閉鎖空間での愚痴なので、「それくらいは許したってやれよ」という気分ではある。
女が無根拠に(自分の経験だけをもとにして)「男とは○○である」と悪口を言い合っても、私はいいと思っている。そんなことはお互いさまだし、どの程度にかもよるが男は男、女は女で共感される何かがあったとしても、穏当なものなら別にかまわないとも思う。
ただし重要なのは、男の女に対する悪口とその逆の立場において、男は「男性中心社会の既得権益を享受している(が、女は違う)」という前提が、多少なりとも知的な集団の中では共有されるようになった、ということだ。
そうなってくると、男性雑誌などでは「男しか読まないから」ということで放言されていた「女ってのは」「女とは○○である」という悪口さえ、言うのがはばかられるようになった。
逆に、「女性が男性一般をdisる」ということに関しては野放しになった、「正義」になった(と、私は思っている)。
あるいはかつて男性が赤裸々であったかのように。
たとえば北方謙三の「ソープへ行け!」発言や勝新の一連の言動・行動などから石田純一の「不倫は文化だ」あたりまで。
そして、最終的には海老蔵の「失敗」で「男のやんちゃ」はいったん幕をおろす。
そう、海老蔵の「やんちゃ」は、「テングになった役者のサラブレッドがやくざに凹まされた(ざまあみろ)」という文脈で通っているが、海老蔵側からすれば、「旧来の家庭を顧みずメチャクチャやる男根主義」であるはずだったのだ。
妻の小林真央が(観る人から観ればウザいとは思うが)あまりに空気のような存在だったこと、起こった問題に「女」がからんでいなかったことから、海老蔵の「男根的やんちゃ主義」が看過されているだけなのである。
・その3
話を戻す。つまり、肉食系女子にしても、サブカル女子にしても、喪女(を装ったそうでもない女性)にしても、そして「二、三人いい人とはつきあったけどけっきょく私って男運ないのよね」的な「負け犬、おひとりさま」にしても、彼女たちの中で多く発言している人たちは(もちろんサイレント・マジョリティもいるのでこういう書き方になる)、
「自分たちがしていることには社会的な理由があり、その根本には男性中心社会において既得権益を享受している男たちがいる。だからこそ、男を堂々と叩いていいのである」という自信に満ち溢れている。
これは、60年代、70年代に「仕事の前線にいること」、「仕事によって社会に貢献しているから自分には発言・批判の権利がある」と考えていた男たちと相似形をなしている。
(ちなみに、現在も発言を続けているが似たような文脈では通じなくなってしまっているのがホリエモンだと思う。)
で、ここで実際に男社会の最低ランクの男が、女社会の中盤くらいにいる女子とどっちが社会的にワリを食ってるかという問題が生じる。
簡単に比較はできないが、男社会の最低男が現状の「女子」に潜在的なルサンチマンを抱き始めていることは確かで、その暗い憂さ晴らしのために、私がとことん不快だと思っているツイートが存在していると私はみている。
すなわち、「女ってやつは」「それを言うなら男の方が(悪い)」というところからさらに一周しての、男側からの陰険な悪口になっているのだ。
くだんのツイートに関してはあんまりしつこくTL上に流れてくるので「そういう時代になって来たのかな」と思わざるを得ない。
わざと男権主義的な言い方をすれば、「男が社内で給湯室で女の悪口をささやきあう時代」である。いや、もっと悪い。場所は給湯室ではなく、世界中に開かれたインターネットなのだ。みっともない。
私個人としては、かなり意識的に、旧来の「男らしい/男らしくない」の基準でもって、「このツイートしてるやつ、なんて男らしくないやつだ。キンタマついてんのか?」と主張させていただく。
これは、「男らしい/男らしくない」という評価基準そのものが、ピエロ化していることを承知の上で、あえてそこを基盤にしている。
なぜなら、「男か女、社会的にどちらがワリを食ってるか」という議論を基準にしてしまえば、永遠に泥仕合になるだけだからだ。
「承認欲求搾取」なんて言葉を使うのはクダラナイからおやめなさい。
そんな女(男)、チヤホヤしているオメエが悪いんだよ。キンタマついてないからそういうことになって、チマチマチマチマ、くだらんレトリックをひねり出すのに苦労することになるんだ。まったくバカバカしい。
・その4
こんな当たり前のことを書くのはイヤだが、この間読んだ本には80年代の25歳以上の女性の既婚率は8割を超えていたという。
現在の数値は調べていないが、この20年間で男女の意識は相当変わった。
でも80年代だって60年代に比べれば男女間の意識は変わっていたわけで、世の中(とくに税金とかじゃなくて「意識の変化」みたいなもの)に関して、漠然と「○○女」みたいな指摘でウダウダ言ってんじゃねぇよ、このタマナシが、と思う次第である。
補足
・【雑記】・「自分の言いたいこと」
| 固定リンク
« 【書籍】・「創られた『日本の心』神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」 輪島 裕介(2010、光文社新書) | トップページ | ・「マコちゃんのリップクリーム」(1)~(5) 尾玉なみえ(2008~2010、講談社) »
「評論とは」カテゴリの記事
- 【サブカル】・「鬼畜系とは何だったか」(2018.06.02)
- 精神(2018.04.19)
- 【映画】・「ブラックパンサー」ネタバレあり(2018.03.09)
- ・「豪画沙」(下) 永井豪(2017、講談社)(2018.02.23)
「サブカルチャー的絶望」カテゴリの記事
- 趣味で小説を書いたときの結末(2020.08.05)
- 「冷笑系」という雑なくくりはよくない(2019.07.01)
- 無題(2018.10.31)