いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

はるかぜちゃんの絶望について

参考リンク:春名風花・ぼくは腹の底から泣いた - Togetter


僕は、コメント欄も含め、このまとめを読んで悲しくなりました。
なんでここまでの「覚悟」を「はるかぜちゃん」がしなければならなかったのか。


この「まとめ」によると、はるかぜちゃんは、当初は「エゴサーチをして、自分が関わったものについてのみんなの感想を調べ、参考にしていた」けれど、「ひとつひとつの意見に対して、個別にリアクションは起こさないようにしていた」ようです。
ずっと、がんばって「スルー」してきていたのです。


僕などは、はるかぜちゃんと比較することすらおこがましい「弱小」なのですが、それでも、自分のブログに対するさまざまな意見や批判が目に入ってくると感情が揺れてしまうことが少なくないので、最近はもう、ブログのコメント欄も閉じましたし、自分のエントリへの言及記事なども、見ないようにしています。
長年やっていると、「あっ、これは読むと憂鬱になるようなことが書いてある」っていうのは、タイトル+数行くらい読めばわかりますので、すぐに「戻る」。


はるかぜちゃんは、「名無しさん」たちに物陰から攻撃され、自分の尊厳が傷つけられることに耐えられなくなり、「状況によっては、断固として戦うこと」を決意しています。
そして、この「まとめ」に対して、多くの大人たちが、はるかぜちゃんの「戦い」を支持しているのです。
「そうだ、有名人だからといって、ガマンする必要はない。少なくともtwitterでは、みんなフラットなのだ。だから、誹謗中傷を行う連中には、報復してもいい、むしろそうすべきだ」


僕はこんなふうに考えずにはいられません。
はるかぜちゃんは「ネットには自浄作用なんて存在しないから、自分の力で悪いやつらを排除するしかない」と絶望しているのではないか。
そういうのって、「核兵器の仰止力で、平和を維持する」という発想と同根なのではないだろうか。


たくさんの人が、「はるかぜちゃんの憤りはもっともだ」と共感しています。
僕も読みながら、何度も頷きました。
でも、僕ははるかぜちゃんに「晒しツイート」「個人攻撃」による反撃は、思いとどまってほしい。
それをやりはじめると、泥沼の争いにしかなりません。
何より、相手がどんな理不尽な言動を繰り返す「悪党」であっても、自分の言葉で誰かを傷つける行為というのは、自分自身も傷つけるのです。
「正当防衛」のこともあるし、どうしても手が出てしまうことだってあるでしょう。
それでも、できることなら、そんなことはしないほうがいい。
頭に血が上ってしまうと、「勝つか負けるか」しか考えられなくなり、視野が狭くなります。


僕はネットのなかで、発信者であるのと同時に、観察者でもあります。
(多くの人がそうでしょう)
自分のエントリが「炎上」し、人格攻撃や誹謗中傷を受けていると、やっぱり気が滅入ります。
そういうときには、他の人の「人気エントリ」のブックマークコメントやコメント欄を読むことにしています。
「赤の他人が書いたエントリ」のブックマークコメントやコメント欄には、もちろんまともなコメントもあるのだけれども、なんだこれは……と呆れてしまうような誹謗中傷や、「元のエントリには書いていないことを思い込みで批判している」コメント、「揚げ足取り」などが溢れています。
「他のブログのエントリへの反応が、大概そんなもの」で「ヘンなリアクションばかり」なのだから、結局のところ、自分のエントリに対しても、大部分の人は、同じように「ヘンなのに絡まれて、このブログ主もかわいそうにねえ……」って感じているはずだ、と思えてくるから。
コメントには、「特殊な人たちの偏った意見」が多く混じっているのです。


多くの誹謗中傷的なコメントに対して、「それはみんな言わないだけの『本音』なのだ」という人って、いるじゃないですか。
僕もそうだと昔は思ってた。
でもね、「本当は良い人なんだけどねえ」と言われる問題行動だらけの人と同じで、「みんなの前で表立って言えない本音」なんて、あんまり過剰反応してもしょうがないんだよね。


世の中って、どんなに正しいことでも、「正しさを振りかざしすぎると、反感を持たれる」部分ってありますよね。
その「正しさ」が自分に向かってきたら……という怖さもある。
フォロワー数の多さは、「力」でもあり「弱点」でもある。
少なくとも、「力をやたらと振りかざす人」というのは、敬遠されがちにはなるはずです。


はるかぜちゃんには、「下衆な連中を潰す」のなら、その時間を使って、もっと新しいことを発信してもらいたい。


ガマンするのは辛いときもあるだろうけれど、はるかぜちゃんが誰かと争っているのをみるよりも、新しいものをつくっていくことを望んでいる人のほうが、はるかに多いはずだから。


「スルー力」って、「ガマンすること」だと思いがちなんだけれど、僕は最近、ようやく気づきました。
人間が一生で使える時間が有限である以上、「スルー力」っていうのは、「より大事なことに時間を割くための技術」だとも言えるんじゃないかな。


軽い気持ちであなたをバカにするだけの連中のために、あなたの貴重な時間を使わないでほしい。
僕は、あなたのことを応援しています。



【以下は余談というか、ひとりごとです】
……って、偉そうなこと言ってますけど、僕だって、日頃から「好意的な感想」ばかり書いているわけではないので、かなりモヤモヤとしてしまってはいるんですよね。
「好きなもの」「面白かったもの」だけを書いたほうが、僕も読む人も幸せになれるのだろうけど、なんで、「つまらなかったもの」まで書いてしまうのだろう……

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