『デカルコマニア』
デカルコマニア
長野 まゆみ

[Amazon]
読了。
中世の文字で綴られた五百年前の革装丁の本には、二百年後の少年の一夏の出来事とそれにつらなる出来事が少年自身によって記されていた。2013年に生きる十四歳の少年が読み解いた、謎に満ちた不思議な家族の物語。
基調は少年のひと夏の出来事です。
それに、
港町。
マシュマロデイとよばれる風変わりな帽子を被るお祭り。
ハニーブロンドの少年との出会い。
灯台。
さくさくのレモンドーナッツ。
謎の女占い師に運命のパートナーを暗示される。
きらびやかな大道芸人。
港町を描いた絵。
印の指輪。
歪み真珠。
といったアイテムが追加されたり省略されたりして、人物と年代をかえながらいくども繰り返されてゆきます。
登場人物のすくなくとも一人は同じ人物のようで、でも確証はない。
なぜならば、この話はすくなくとも二百年の間にわたって起きた出来事だから、そんなことは普通に考えたらありえない。
しかし、ここには不可能を可能にするあるものが存在する。それがデカルコ。
時間旅行装置とよぶのは不適切で、時空に歪みを生じさせ、ある時代を現代に投影させる装置、であるらしい。
少年たちの前に現れるハニーブロンドの少年は、本当は何者なのか。
一度断絶したはずのドラモンド伯爵家の系図は、なぜつづいているのか。
なによりも、五百年前の本に書かれている文章がなぜ二百年後の少年の手によるものなのか。
少年たちの繊細なこころが受け止めたひと夏の出来事の、繊細さ、みずみずしさ、あやうさ、などが印象的な反面、そこに絡まった人物と時間の謎がとても複雑で、でも魅力的で、なんなの、ちょっとまって、いまのよくわからないーと思いながらもそれも楽しくて、どんどん読んでしまいました。
面白かった!!
最初のパート、つまり幾代ものドラモンド家に関わる少年たちの一夏の出来事は、ポーの一族を彷彿とさせる謎と郷愁をただよわせた雰囲気で、これはいつもの作者さんだなと思いながら読んでいました。
なので、そのつぎのパートでは、SF的なディテールの細やかさ誠実さ、それから女性たちの存在感がにわかに際立ってくるあたりがとても新鮮でした。
それに、すごいです、この伏線。
あちらにもこちらにも、まるで蜘蛛の巣のようにはられている伏線。
時は止まったままではなく、止まったように見えていたところでもきちんと流れていたのだなーと、しみじみするような結末でしたね。
ほんとにびっくりしたのが、いきなり登場したちいさなルビちゃんがすごく魅力的なことで。長野まゆみの作品でこんなに女性が好意的に書かれるなんて……。あ、そういえば『メルカトル』でもそんな気配はありましたが。このお話もほとんどは年上の女性、つまり母親に関するエピソードが多いのですが、それも以前の作者さんからすると驚くことなので……うん、感慨深いです。
ラストの文章まで、構成から文章から情景から地理的な設定から小物まで、細部までゆきとどいた緻密で繊細な物語を楽しみました。
途中で挿入される、言葉に関する考察も興味深かったです。
言葉は手で記されないようになるとどんどん間違いが許されるようになってどんどん曖昧なものになっていく。
しかし、それは文字で記されなかった口承の時代の言葉の捉えられ方に似ている、という感じでよいのかな。
言葉遊びも作者さんの特徴ですが、それもこの話できちんと生きていたなあ。
最後に残る感想は、レモンドーナッツおいしそう。食べたいわー、でしたw
さらっと流し読めるような本ではないですが、ちょっと頭を使うお話も読んでみたいという方におすすめです。
長野 まゆみ

[Amazon]
読了。
中世の文字で綴られた五百年前の革装丁の本には、二百年後の少年の一夏の出来事とそれにつらなる出来事が少年自身によって記されていた。2013年に生きる十四歳の少年が読み解いた、謎に満ちた不思議な家族の物語。
2013年U大陸の西にある王国ポルトラノ。新型インフルエンザに罹患した少年シリルは、先生から宿題として王国八百年委員会が募集しているタイムカプセルに搭載するテキストを書くことを提案された。かれは伯父の図書室でみつけた《デカルコマニア》という風変わりな活字で印刷された一冊の本を見つけ、記されている一族の物語に虜になった。そこでより理解するために家系図を作り始めたが、たちまち行き詰ってしまった。〈この家族の当代の長はD卿で、2013年現在63歳になる。彼は2196年に生まれた。〉
基調は少年のひと夏の出来事です。
それに、
港町。
マシュマロデイとよばれる風変わりな帽子を被るお祭り。
ハニーブロンドの少年との出会い。
灯台。
さくさくのレモンドーナッツ。
謎の女占い師に運命のパートナーを暗示される。
きらびやかな大道芸人。
港町を描いた絵。
印の指輪。
歪み真珠。
といったアイテムが追加されたり省略されたりして、人物と年代をかえながらいくども繰り返されてゆきます。
登場人物のすくなくとも一人は同じ人物のようで、でも確証はない。
なぜならば、この話はすくなくとも二百年の間にわたって起きた出来事だから、そんなことは普通に考えたらありえない。
しかし、ここには不可能を可能にするあるものが存在する。それがデカルコ。
時間旅行装置とよぶのは不適切で、時空に歪みを生じさせ、ある時代を現代に投影させる装置、であるらしい。
少年たちの前に現れるハニーブロンドの少年は、本当は何者なのか。
一度断絶したはずのドラモンド伯爵家の系図は、なぜつづいているのか。
なによりも、五百年前の本に書かれている文章がなぜ二百年後の少年の手によるものなのか。
少年たちの繊細なこころが受け止めたひと夏の出来事の、繊細さ、みずみずしさ、あやうさ、などが印象的な反面、そこに絡まった人物と時間の謎がとても複雑で、でも魅力的で、なんなの、ちょっとまって、いまのよくわからないーと思いながらもそれも楽しくて、どんどん読んでしまいました。
面白かった!!
最初のパート、つまり幾代ものドラモンド家に関わる少年たちの一夏の出来事は、ポーの一族を彷彿とさせる謎と郷愁をただよわせた雰囲気で、これはいつもの作者さんだなと思いながら読んでいました。
なので、そのつぎのパートでは、SF的なディテールの細やかさ誠実さ、それから女性たちの存在感がにわかに際立ってくるあたりがとても新鮮でした。
それに、すごいです、この伏線。
あちらにもこちらにも、まるで蜘蛛の巣のようにはられている伏線。
時は止まったままではなく、止まったように見えていたところでもきちんと流れていたのだなーと、しみじみするような結末でしたね。
ほんとにびっくりしたのが、いきなり登場したちいさなルビちゃんがすごく魅力的なことで。長野まゆみの作品でこんなに女性が好意的に書かれるなんて……。あ、そういえば『メルカトル』でもそんな気配はありましたが。このお話もほとんどは年上の女性、つまり母親に関するエピソードが多いのですが、それも以前の作者さんからすると驚くことなので……うん、感慨深いです。
ラストの文章まで、構成から文章から情景から地理的な設定から小物まで、細部までゆきとどいた緻密で繊細な物語を楽しみました。
途中で挿入される、言葉に関する考察も興味深かったです。
言葉は手で記されないようになるとどんどん間違いが許されるようになってどんどん曖昧なものになっていく。
しかし、それは文字で記されなかった口承の時代の言葉の捉えられ方に似ている、という感じでよいのかな。
言葉遊びも作者さんの特徴ですが、それもこの話できちんと生きていたなあ。
最後に残る感想は、レモンドーナッツおいしそう。食べたいわー、でしたw
さらっと流し読めるような本ではないですが、ちょっと頭を使うお話も読んでみたいという方におすすめです。
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