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ラジオが失ったもの

ラジオを聴く若者が減った、これは否定できない事実。
ラジオなんて持っていない、第一、ラジオって何ですか?という問いかけがあるという人もいる。
そうだろうね、CDプレイヤーを持っていないという若者、私の周りにもいっぱいいる。
過去のデバイスにニーズがないという現実、ラジオも当然その一つだろう。
何故ニーズがないのか。
自分のニーズを少し考えればわかるかも。

<ラジオに何を求めたのか>


私の話だ、ずいぶん前の感想になる。
ラジオに求めたのは、大きく言うと3つ。
1つは、音楽を聞きたいということ。
DJさんの情報と感想を聞けることも私にはとても重要な要素だった。
今のように簡単に自分の聞きたい音楽が聞ける時代ではなかったということだ。

2つは、大人が語る現実を聞きたかったこと。
建前ではない、本音みたいなものがラジオから聞けたという印象がある。
テレビでは、建前ばかり前に出る。
ラジオの価値はそんなところにあったのではないか。

3つ目、深夜の誰ともコミュニケートできない時間に人の声が聞こえたこと。
若者は寂しがり屋だ。
皆が寝静まった時に人の声が聞こえる、それもそれが生放送だったりすると、心がとても安定したりするのだ。
俺は一人じゃないという気持ちなのだろうか。
特に日曜日の深夜に放送をしてくれるラジオ局はとてもうれしかった。
どこの局も、日曜日の深夜は放送機器の点検に使うとか言って、放送休止していた。
その時間帯に、どんな内容でもいい、放送してくれるラジオ局があればそれでよかったのだ。
(FM大阪には、「しんくう地帯」という番組があった。あれは試みとしては出色だったと思う。)


で、以上の3つ、今はラジオしかできないことではなくなった。
インターネットさえあれば、そんな寂しさは何もない。
どんな時間でも、人と触れ合える、すごいイノベーション、ラジオへのニーズなんか若者にあるはずもない。
いわゆるワンオブゼムではあるのだろうが、そうなると質が問われ始める。
今のラジオ、それだけの質、あるだろうか。


私の頃のラジオ、少なくとも今の3倍は制作費を使っていました。
その金で多くのスタッフを育てました。
クリエイティブな人材は、投資なしには存在できません。
他の業界に持っていかれるだけです。
今のラジオ、ノスタルジーを持つ人が一生懸命支えています。
そういう人たちがいる間は何とか持ちますが、
次の世代が育たなければ、荒れ野になるだけです、ラジオなんて。


私が必死になってラジオを作っていた時代、それはとてもラジオが光を放っていた時代だったなあと心から思います。
光を失いながら、何とか自分たちの存在を主張するラジオ、私は頑張れと心から思います。


そうそう、Twitterでラジコの話を少し広げようと思っていたのですが、未だできずにおります。
radikoの話は、ちゃんとしないといけないなと考えながら、今も何も語れておりません。
ダメですね、頑張らないと。

resetしたら

すごい、半年以上のブランクの後の書き込み。
一体、この間私は何をしていたのだろう。
自分を表現したいという欲は確かにある。
だが、私は何も書かなかった。
ネット上では、時々FBに近況を上げたりしたが、これは友達という仲間の皆さんへ私が日々生きていることを伝えただけだった。
そこには自己表現というのはない。
ブログは、まさしく自己表現の場。
それから、どれだけ長く遠ざかっていたことか。
今日、私が最も信頼するスタッフと話をした。
彼がとても心に刺さる示唆をしてくれた。
「あなたに必要なことは、自分をresetすることです。たぶん、それはアメリカとかヨーロッパへ行くことではなく、南の島で自分をゼロにすることです。」
わ~、その通りだ。
このあたりPCと同じだ。
脳を使えば使うほど、余計な澱みたいなものが蓄積していく。
それが、色々と情報処理の邪魔をする。
で、PCなら一度resetすることで、クリーンアップする。
私の脳もきっとそれが必要なのだ。
そうだ、俺は南の島でクリナップするのだ。
そして、またこのブログに戻ってくる。
私は、まだまだ表現したいということがいっぱいあるから。
ま、そういういことで5月ぐらいにresetの旅へ。
行き先は、フィジーか、ニューカレドニアか。
その前にGWに石垣島で星空でも見るか。
私は、まだまだこの地球で生き残るぞ、覚悟してろよ、私を知る人々よ。

漂流するフロムさん

漂流するフロムさん、最近そんな気分。
親の介護が重くのしかかり、ただ時間だけが過ぎ去っている。
その間、色んな仕事のオファーがあったり、自分でも企画などを考えたりしているのだが、それを実行に移す時間が少ない。
仕事をするためには人と会わないといけない。
情報を交換し、ニーズを確かめ、ソリューションを提案する、そのプロセスが仕事を生む。
しかし、時間がなければ、その可能性は低い。
偶然の出会いを待つのみ。
時代の上っ面をなでていても、私のような立場の者には富はやってこない。
あきらめるか、と思っている。
月に照らされながら、流されていく雲。
最近、そんな気分。
とりあえず、何か書いてみました。
多分、あとで消します。

とりあえず

あっという間に1か月立ちますね。
今あまり余裕がないので、時間ができ次第、今の私の活動について書きます。
すみません、中身がなくて。

ラジオが好きということ

V-Lowマルチメディア放送、i-dioからCrimson FM(Rakuten.FM)が撤退するという。
他にも、今月終了するコンテンツがあるらしい。
もはや何のために放送しているのかわからないという声も多い、マルチメディア放送。
つまりユーザーがいないのだ、それを心から必要としているリスナーがいないラジオ。
何のために作ったのだろう。
お金が集まってしまうのも良し悪しだ。


ラジオが好きな人は今もいっぱいいる。
毎日ラジオを聴くのが楽しみだと言う人もいっぱいいる。
私もその一人だが、残念ながらi-dioを何が何でも聞きたいとは少しも思わない。
魅力的ではないといえばそれまでなのだが、誰もそれを話題にしないので、日常に言葉が現れてこないのだ。
これからどうするつもりか、責任者に聞いてみたいものだ。


ところで、ラジオが好きということは、どういうことなのだろう。
自分の時間をラジオに捧げる、その価値がある、そう信じ込んでいる状態なのだろうか。
つまりはラジオ信者だ、そうでない人にとっては、全く心に響かない媒体なのかもしれない。
まあいい、私はラジオ信者の一人なのだ、文句あるか・・・。


ラジオ体験、私の場合は3~4歳の頃だったと思う。
覚えているのは、相撲の実況。
箪笥の上に置いてあった古めかしいラジオから、それは流れていた。
裁縫をする母の横で、3歳の私は楽しみに聞いていたという。
古関裕而さんの「スポーツショー行進曲」の主旋律が流れ、それとクロスする形で触れ太鼓の音がなり、場内のガヤが加わってアナウンサーの声が聞こえてくる。
子供の心が躍る瞬間だった。
その影響でか、新聞の相撲記事もその頃から好んで見ており、関取の難しい漢字もほとんど覚えていたという。


同じころ、近く(阪和線美章園駅)に住んでいる縁もあってか、蝶々雄二さんのラジオ番組「漫才学校」や「夫婦善哉」などもよくわからないながらも聞いていた。
江戸の落語とか浪曲なども、よく耳にした。
上方落語は、正直いってその頃はあまりラジオから聞こえてこなかったような気がする。


小学校に入り、今度は歌謡曲をよく聞いた。
家が下宿屋をやっていたので、若い人がラジオで歌謡曲を聴いている横で一緒に耳をすませ、石原裕次郎や赤木圭一郎の歌を覚えた。
若い人は、学生さんだったり、労働者だったりで、ラジオは少ない娯楽の一つだったのだろう。
母も、三橋美智也や高田浩吉が好きだったので、自然と私もそれらの曲を覚えた。
ラジオとともに覚えた曲、今もすらすらと歌詞が出てくる。


そして小学校の高学年になり、ポピュラー・ミュージックの洗礼を受ける。
コニー・フランシスにジョニー・ソマーズ、彼女の「ワン・ボーイ」は今も心の遠いところをくすぐる。
ラジオで音楽を聴く子供がここに生まれ、それが中学時代になってビートルズと出会うのだ。
このあたり、書くと長くなるので別の項に譲るが、とにかく新しい文化はラジオから次々を流れてきた。
桂米朝さんを中心とした上方落語の復興、徳川無声さんの朗読劇「聊斎志異」なども心に残る。(ただし、聊斎志異についてはネットで見る限り、そのような放送があった記述が見つからない。私の中では中国文学に興味を持つきっかけだったので、絶対にあったはずという気がするのだが。)


この後は、深夜放送が話題になり、色んな番組やラジオDJが活躍するのだが、それについては既に多くの人が書いていることなので、ここでは触れない。
しかし、ラジオは本当に若い人たちから愛されていた。
今のネットやスマホがなくてはならないのと同じように、ラジオはなくてはならなかった。
青春の何百ページがラジオとともにあった。
それを今も愛さないはずはなかろう。


だが、ラジオは過去のような栄光はもはや持たないだろう。
今のラジオが持ってくるものは、もはや色あせた文化のみだ。
ラジオショッピングなどというのは、ラジオをますます艶消しにさせる情けない劣文化だ。
未来の扉を開ける風を持たないラジオは、もはや千の風の下で朽ちていくだけだ。
ラジオが好きだという私の気持ちは、ただその風に揺らぐのみなのだろう。


マルチメディア放送、今からでも遅くない、そのあたりを見据えながら、再び新しい未来の可能性を提示してもらえないだろうか。
もちろん、私の出る幕はない、それは認めざるをえないにしても、私にその夢をもう一度見させてほしいと思う気持ちまで否定してもらいたくない。

ラジオと一緒に今しばらく踊っていたい、そう思う人はまだまだいっぱいいるはずなのだから。

Appendix

四季の花時計

プロフィール

フロムさん

Author:フロムさん


100以上の番組、ライブを中心としたイベント、舞台、映画など、専らクリエイティブな世界に身を置いて30年。
言いたいことは一杯あっても、口に出せないことだらけ。
せめてはその一部でも書き残そうと試しに作ったブログ。
いつまで続くかは皆さん次第。


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