最終回ということで、まとめ的に。
音楽という映画製作の一面だけ見ても、映画というものはスタジオ&製作者がすべての権力を握っているというのがよくわかる。その次が監督だが、製作兼任していないと、その権力は実に小さい。世の中、やっぱり金を握る者が一番強いというわかりやすい構造でした。
テスト試写(英語ではTEST SCREENING)での結果が左右される例が時代が新しくなるにつれて増えてくる。要は失敗したくないために半完成品(あるいは完成品の場合も)を、年齢性別人種などをバラバラに、あるいは狙ったターゲット層のみなど、様々な条件で集めて見せるものだ。そういうセッティングを専門に請け負う会社もある。
特に映画に詳しいわけではない人々に感想を訊くわけで、大半は音楽など覚えていないことが多い。いつも音楽を気にしたりするサントラファンが異常なだけだ(^_^;) で、音楽について訊かれてもたいした指摘は出来ないのではないだろうか。「あえていうと、音楽うるさかったね」とか、「昔の映画見たい」とか。製作者による不評の原因探しというのは、結局、今から出来る変更にしか向かない。今から主演俳優を変えるわけにはいかないが、編集と音楽変更なら今からでもたいした出費もなくできるからだ。結果として音楽に責任をかぶせて差し替え。こういうのが多いのではないか。
監督や製作者に音楽についての理解が少ない、あるいは、そういう人材が少なくなってきているのも事実。UCLAやUSCの映画学科でも映画音楽の授業は縮小されているという。普段から意識がない上に、教育でも欠けているとなれば理解できなくても当然だ。せめて、監督志望者には音楽の役割を教え込んでもらいたい。というか、自分でも勉強してもらいたい。
作曲家は昔なら監督の前でピアノでこんなメロディでと弾いてみせればよかったが、今はシンセモックアップ(シンセでオーケストレイションをして仕上がり見本を作ったもの)を作らなければ理解できない。ジマーと仲間たちが一時期もの凄く重宝されたのは彼らのスタジオには最新機材とスタッフが揃っているため、すぐにモックアップが作れたからだろう。サンプリングのおかげで生オケに近いものができるし、そのまま使っても違和感がないレベルのものになる。
ほとんどの作曲家がリジェクトされた経験がある中、唯一例がないのがジョン・ウィリアムズだ。無名時代にはあったのかもしれないが、"TORN MUSIC"にも海外サイトにもはっきりとした事例は挙げられていない。スピルバーグと『スター・ウォーズ』後になれば金も時間もかかるというのがわかっているので、安直な起用はできなくなったのだろうが、それ以前にも例がないというのは奇跡的だ。
以下は今回取り上げなかった事例。有名すぎて取り上げなかったもの、読み飛ばして失念したものなど。そのうち気が向いたらやるかも。とりあえず、ここまでということで。ここまで読んでくださって感謝。
バグダッドの盗賊(1940)
/オスカー・ストラウス→ミクロス・ローザ
禁断の惑星(1956)
/デイヴィッド・ローズ→ルイス&ベイブ・バロン
エル・シド(1961)
/マリオ・ナシンベーネ→ミクロス・ローザ
人類SOS!(1962)
/ロン・グッドウィン、ジョニー・ダグラス
引き裂かれたカーテン(1966)
/バーナード・ハーマン→ジョン・アディソン
ボニーとクライド/俺たちに明日はない(1967)
/ジョージ・バスマン→チャールズ・ストラウス
バーバレラ(1968)
/ミシェル・マーニュ→チャールズ・フォックス
空軍大戦略(1969)
/ウィリアム・ウォルトン→ロン・グッドウィン
華麗なる週末(1969)
/ラロ・シフリン→ジョン・ウィリアムズ
ある愛の詩(1970)
/ジミー・ウェブ→フランシス・レイ
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