ex-fragments
what is this
mutronixが勝手にやってるメモ置き場。ただし、tumblr ユーザならどなたでも書き込めます(後述)。 twitter以上blog未満のものを書く。
グループによる投稿・編集を期待していますが、飽きたらまた放置されます。
fragments.g.hatena.ne.jp とは別の「断片部」実装。何が「断片部」の仕様だったかは、私はもう覚えていませんので、適当です。
how to JOIN
この tumblelog に投稿するには、 tumblr に登録する必要があります。
tumblr ユーザは、つぎのふたつの方法で投稿することができます。
1. Submission users
tumblr ユーザであれば、どなたでも 寄稿ページから投稿することができます。
ここに寄せられた投稿は、編集者の承認を経たのち、掲載されます。
いちいち見るのが面倒なので、「オレだよオレ」という方は、次項で説明する正式ユーザ(エディタ)になっていただくほうが有り難いです。また、寄稿ページの編集画面はデフォルトWYSIWYGなので、はてな記法慣れした人はそこで気が狂うでしょう。
2. Editors
こちらからインビテーションを送った方は、正式なユーザ(エディタ)として、この tumblelog に、通常の編集画面から記事を投稿・編集することができます。
編集にはMarkdown記法が使えます。
登録後は、自分のtumblelogの一つとして見える筈なので、tombloo/taberareloo のようなブラウザ拡張も利用できると思います(未確認)
- tumblr にご登録のメールアドレス
- よく使うID
- よく書く場所(twitter/blog)
などを、問い合わせページから、メッセージいただければ、適宜インビテーションを出します。
guidelines
- まぁフィーリングで
- fragments.g.hatena.ne.jp → neofragments.g.hatena.ne.jp → neo.g.hatena.ne.jp という順番でごらんになればなんとなく通じるかも知れません
- Markdown記法が面倒そうですが、この際おぼえてもいいですよね。はてな離れもよくなるし。
- 性質上、reblog はあんまりやらないと思います(面白い使い方を発見した場合はまた別)
blurb
最近の軟弱bloggerはtwitterばかりやっていて長文が書けなくなってしまった、とよく言われますが、私はそれにはいくらかの留保をさしはさみたいのです。
そもそもブログのエントリというものは、人様に読んでいただくために構成を決めウラを取り、ご丁寧に先頭には梗概を付けるようなものであります。これには特に異論はありません。
ですが一方で、勉強のできない私は、以前から、こういった格式張ったブログの書き方というものに、不自由さを感じていました。
ワンアイデアの文章、頭をよぎった思いつきを書いて自分の思考を確認していると、「それは違うんじゃないですか」と議論の土俵に上がらされ、「書いたものは修正しないでくださいよ」と言質をとられることでしょう。ひとのアイデアを発展させて自分のアイデアを置いてみる行為を、ブログのエントリレベルで行えば、盗用だと非難されるでしょう。
とにかくブログは、書くコスト、コミュニケーションのコストが高価なのです。
ブログのコメントやトラックバックは死に、blogger とはいつからか、面の皮の厚いタフな奴を意味する言葉になりました。人々は自分の書いたものに「ブログではなく日記です」、との断りを入れ、カテゴリには memo, murmur, whisper などの区分が増えるようになりました。誰も聞いてないのに自分の書き物に自分から「戯言」とタイトルを付ける人は、いまでも後を絶ちません。
こうして、ブログは冬の時代を迎えました。
それと時期は前後しますが、先に述べた自分自身のやりづらさから、私は日記以外に書き物をする場所を検討するようになりました。
もし、ブログのように格式張った往復書簡ではなく、連歌のようにコミュニケートする書き方があるのならば、まだ、教養も面の皮もない私たちが書いていく命脈はあるのではないか。
そういうモヤモヤした意識に私は「断片部」と名前をつけてみたのだと思います。
その名前で人を募った「はてなグループ」のg:fragmentsは、私に関して言えば、全く成長しないままにだらだらと寝言を書くだけの場所になりましたし、また他のユーザの方の多くにとっても「メインの日記では書けないことをこっそり書くセカンドブログ」としての場所を提供しただけでした。
twitter=マイクロブログが現れたのは、私にとっては、そういう状況の後です。最初 twitter をどうあつかってよいかわからなかった私も、頭に浮かんだことを書き記せばよい、と理解した後、利用するようになりました。
人々のちょっとしたアイデアやうまい言い回しは、湯水のようにタイムラインに投入され、☆とRTによってことごとく消費されました。
しかし、これでよかったのでしょうか。twitter がブログの代わりをつとめるようになったのでしょうか。アイデアと情報を結合させてブログのエントリを書ける人=「持てる人」と、そうでない人=アイデアを消費しつづける「持たざる人」の乖離が、twitter 以降ますます顕かになっただけ、なのではないでしょうか。
つまり、twitter によって blogger がブログを書けなくなったのではなく、blogger ですらなかった私たちが、 blogger になる機会を奪われ続けている、というのが、事態の正しい認識だと思うのです。
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ここ数日、theinterviews.jp が流行していて、ネタ振りさえあれば人は書くことそのものに愉楽を感じるのだな、と私は思いました。
これに対して「自分語りが好きねぇ」「何でもない者が書いたって面白くない」などという評価もあります。確かにインタビューとして上がってきたものは気持ち悪いし、そんなに面白くもないのですが、私は、問題は「自分語り」「個人の持つ情報の空疎さ」にあるでのはないように、感じました。
ああいう語りの場を「自分のことをインタビュー口調を真似て書いて遊ぶ場」のように考えて、実際そのように書いてしまうのは、書くことそのものの可能性を狭めていると思うのです。文体は無制限なのに、なぜわざわざ、ほぼ日やロッキンオンの真似をして書くのでしょう? そのように書くことが、面白いとでもいうのでしょうか。
そういうモヤっとした感情をたどると、かつての「断片部」というアイデアに突き当たり、tumblr ならどうなるだろうと作ってみて、投稿もそっちのけで能書きを書き始め、そして時間がこの文章に追いつきました。こんなアジテーションみたいなことを書くつもりではなかったけど、theinterviews.jp に書くよりはましでしょ。まぁ、戯言です、戯言。
(2011-09-09 mutronix)