『偽情報と独裁者  SNS 時代の危機に立ち向かう』 by マリア・レッサ 

偽情報と独裁者  SNS 時代の危機に立ち向かう 
マリア・レッサ 
竹田円 訳
河出書房新社
2023年4月20日 初版印刷
2023年4月30日 初版発行

HOW TO STAND UP TO A DICTATOR ; THE FIGHT FOR OUR FUTURE (2022)


『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者・三宅香帆さんが、でていたYou tube動画のなかで、面白かったと話題にしていた本。

megureca.hatenablog.com

気になったので、図書館で借りて読んでみた。

 

著者のマリア・レッサさんはフィリピンのジャーナリスト。 米国 CNN のマニラ支局とジャカルタ支局の開設・運営などを経て、 2012年にニュースサイト「ラップラー」を共同で設立。 ロドリゴ・ドゥテルテ政権(当時)の 強権政治に対して調査報道 に基づいた 批判を行い 弾圧にも屈しない姿勢を貫いたことで世界的に注目される。2021年、ノーベル平和賞受賞。

 

マリア・レッサさん、しらなかった。ジャーナリストがノーベル平和賞を受賞したのは、1935年、ナチス台頭しつつあった時以来で、第2次世界大戦後で初めてのこと。それだけ、今が平和の危機の時代ということなのだ。同時に受賞したのは、ロシアのジャーナリスト。それは記憶にある。ロシアの強権政治は認識があったけれど、フィリピンがここまでひどいことになっていたとは、、、、本書を読んで、初めて認識した。しかも、2021年のことである。

 

目次
序文 アマル・クルーニー

序章  透明な原子爆弾――(過去のなかのいま)この時を生きる

第Ⅰ部 帰郷――権力、プレス、フィリピン 1963〜2004年
第1章 黄金律――学ぶという選択をせよ
第2章 倫理規定(オナーコード)――線を引け
第3章 信頼の速度――鎧を外せ
第4章 ジャーナリズムの使命――正直になれ

第Ⅱ部 フェイスブックの台頭、ラップラー、インターネットのブラックホール 2005〜2017年
第5章 ネットワーク効果――着実な一歩が重大な転機につながる
第6章 変化の波を起こす――チームを作ろう
第7章 友達の友達が民主主義を駄目にした――速くではなく、ゆっくり考えよう
第8章 法の支配が内部から崩れる仕組み――沈黙は共謀と同じ

第Ⅲ部 弾圧――逮捕、選挙、私たちの未来を懸けた戦い 2018年〜現在
第9章 無数の傷を生き延びて――善を信じよう
第10章 モンスターと戦うためにモンスターになるな――恐怖を受け入れよう
第11章 一線を死守する――殺されないかぎり、あなたは強くなれる
第12章 なぜファシズムが勝利をおさめつつあるのか――協力、協力、協力

エピローグ

2021年ノーベル平和賞受賞者マリア・レッサとドミトリー・ムラトフによる情報危機に対処するための10の提言

謝辞
訳者あとがき
原注

 

感想。

すごい・・・・。
知らなかった。
でも、知らないでは済まされないことなのだ・・・・。

 

著者のマリアさんは、政府の弾圧に負けず、ジャーナリストとしての正義を貫いている人。すごい。。逮捕されても、フィリピンから逃げなかった。アメリカ国籍ももっているのに。
彼女の「沈黙は、共謀と同じ」という言葉には、強く共感しつつも、声をあげるほど強くなれない自分がいる。「真実のために、あなたは何を犠牲にしますか?」と問われても、、、沈黙してしまう・・・・。

 

「客観的ジャーナリスト」なんて存在しないといい、ジャーナリストが「バランス」を重視してしまえば、どっちつかずの主張になってしまうので、事実を事実として伝えるとともに、それに対する思いを明確にするのも大事なのだという主張。すぐれたジャーナリストなら、 気候変動科学者と、気候変動否定論者を対等に扱うことはしない、と。

 

「 すぐれたジャーナリストは、証拠を、すなわち、紛れもない事実を頼りにする」

「『公平』とか『バランス』と言った言葉は、既得権益を持つ人間にしばしば悪用される」

 

先日、最近の日本の新聞はどれを読んでもつまらない、という内田樹さんのつぶやきをきいた。それは、新聞社としての主張がないからだ、ということ。左派といわれようが、右派といわれようが、主張をはっきりさせよ、というのだ。どっちつかずではない主張をしている新聞ばかりだ、との嘆き。

 

たしかに。マイルドに、オブラートに包んだような話は、耳障りはいいかもしれないけれど、真実に蓋をしてしまうかもしれない・・・。

 

そして、私にとって衝撃的だったのは、SNS、特にフェイスブックの政治的悪用がここまではびこっているという事実。アメリカ、フィリピンだけの話ではない。インド、ブラジル、ロシア、、、2016年のアメリカの大統領選のときにもフェイスブックやネットをつかった不正の話は聞こえてきたけれど、こんなにひどいことになっていたのか、、、と。いわゆる「炎上」や「偽情報」の被害者は、世界中にいるということ。

 

当事者じゃない、ということであまり興味をもっていなかったけれど、やはりネット情報というのは、そのまま鵜呑みにしてはいけないことが多すぎる。今や偽アカウントだと思った方がいいものがたくさんある。「いいねの数」や、「フォロアー数」は、いくらでも捏造できるのだ、、、と気づかされた。

 

ネットの時代になって、だれが「リーダー」になるかも大事だけれど、そのあとの「フォロアー」の影響がさらに大きくなっているという話も、今のイーロン・マスクの行動を見ていればうなずける。

情報との付き合い方が、本当に大きく変わったんだな、と気づかされた。

 

マリアさんは、 1963年、フィリピン生れ。  10歳の時に渡米。アメリカのニュージャージー州で教育をうけ、 プリンストン大学を卒業したのちに、 フィリピンに帰国。 米国 CNNのマニラ支局、ジャカルタ支局の開設・運営でジャーナリストとして活躍。2012年にインターネットを媒体とするニュースサイト「ラップラー」を立ち上げる。そのころは、フェイスブックは、マリアさんたちの武器となった。それがのちに、脅威となる。早くから、フェイスブックに対して偽情報への管理強化を訴えていたけれど、その声はとどかなかった。

 

本書の中で、明確にフェイスブックの運営を非難している。営利に走り、モラルが置き去りだ、と。

 

訳者あとがきでは、マリアさんは二つの戦場で戦っていると表現されている。一つは、 強権的な手腕で知られる元フィリピン大統領 ドゥテルテとの戦い。 非情な麻薬撲滅戦争(殺戮)で知られるドゥテルテは、  ソーシャルメディアを巧みに利用して大統領の座を手に入れ 独裁体制を強化した。もう一つは、 デジタル独裁、具体的には フェイスブック との戦い。フェイスブック は フェイクアカウントによる偽情報の拡散、恣意的な世論操作、さらには、インターネットで煽られた怒りと憎しみが現実世界へのヘイトスピーチや暴力行動に姿を変えていく現状を許容して、世界中で独裁者が台頭し、権力を強化する後押しをしている、と。

 

いまや、ソーシャルメディアは、独裁者やポピュリストの政治の道具となり、 人種差別、 ヘイトスピーチ、 陰謀論、 偽情報の拡散、 とそれがもたらす社会の分断に貢献している、と。

 

イギリスのEU離脱も、ソーシャルメディアによる影響の結果だったとでてきた。いまでも「嘘」を言い散らすトランプの第二次政権が成立しえたのも、ソーシャルメディアの影響が大きい。

 

ふと、ストイシズムの言葉を思い出す。
「 世の中には恥知らずな人はいる。 ありえないことは求めるな。」
・・・・・・

でも、、、、マリアさんにしてみれば、「沈黙」も罪なのだ。。。。

 

気になったところ、覚書。

・アメリカに移住し、小学生で学んだ3つの教訓。
1.つねに学ぶという選択をせよ。
2.恐怖をうけいれよう。
3.いじめっ子に立ち向かう。

 

・ マリアさんが子供の時に読破した『 スター・トレック』ノベライズ版。『 スター・トレック』を読んだおかげで、自分の心を理解する手がかりが得られた、という。 感情と直感に従うリーダーのカーク船長と、 問題を冷静に分析する論理的なバルカン人・ミスター スポック。自分の中に、それぞれの側面があることを理解できたということ。 後にダニエル・カーネマンが 「ファスト思考」と「スロー思考」と名付けた人間の本性の脳の2つの側面を表している、と。
スター・トレック、ちゃんと観たことがないのだけれど、いつか全シリーズみて見るか、、、とおもった。

 

・強権的な為政者の支配から脱しようとしていたアジア(1990年代後半当時):マルコスのフィリピン、リー・クアンユーのシンガポール、スハルトのインドネシア、マハティールのマレーシア。

 正直言って、どこの国のどの人が、良い人で、どの人が悪い人なのか、、、私の認識は甘い。 マリアさんの言葉は、過度なバランス主義に陥らずに、非難すべきことを明確に避難しているので、主張がわかりやすい。

 

・” 大規模な集団の振る舞いを理解するのと、 個人と付き合い、 その人を理解するのは別次元の問題”

う~ん、ほんと、そうなんだよね・・・。

 

・集団的浅慮(グループシンク): 集団で決めることにより個人の責任感の欠如が生じて大きな過ちにつながる現象。

戦前の日本か・・・・・。

 

・「 透明性」「 説明責任」「 一貫性」:マリアさんがジャーナリストとして組織運営で大事にした言葉。

 

・マリアさんが立ち向かったフィリピン政権の悪: 実績より忠誠心を重んじ、 やみくもな服従を要求し、 自発性の芽をつぶし、 公共の利益より集団への忠誠を重視する 文化。

 

・フェイスブック、シェリル・サンドバーグへの非難: 2011年 シェリルはハーバード大学の同級生だった ジュエル・カプラン( ジョージ W ブッシュ政権下で副主席補佐官を務めていた)を雇い保守派と右翼へのロビー活動とご機嫌取りを担当させた。 カプランは「有力な顧客層を徹底的に保護する」方針をとった。政治家が嘘のナラティブを流すのをゆるした。そして、2021年1月6日、 連邦議会議事堂襲撃につながった。

 

・ソーシャルメディアの影響をうけて広がった過激思想の事例:イギリスのEU離脱、シリア難民危機、右翼ナショナリストの台頭、 ブラジルのジャイル・ボルソナロ大統領の出現、 ハンガリーのオルバン・ビクトル、 インドのナレンドラ・モディ率いるインド人民党の醜悪なからくり。「 グレート・リプレイスメント」(白人置き換え説)。

 

・『ファシズム  警告の書』(マデレーン・オルブライト、みすず書房):世界中の権威主義の擡頭に警笛をならす書。

 

・2016年のイギリスEU離脱、トランプ勝利などに不正利用されたアカウントの数が最も多かった国は、アメリカ。二番目がフィリピン。

 

・政府を非難する報道を続け、ドゥテルテ政権から攻撃を受けるようになったマリアが、弁護士費用がどれだけかさもうとも、戦い続け、さとったこと。
”フリードリヒ・ニーチェは正しかった。 何であれ殺されないかぎり、あなたは強くなれる。”

 

・「最初のフォロアー論」: 社会的運動には、リーダー以上に、リーダーに続く最初のフォロワーが重要だとする説。

 

・ フランシス・ホーゲン:フェイスブックの内部告発者。2021年、子どもを含む利用者がフェイスブック中毒になるよう同社が仕向けてきた周到な取り組みの実態などを告発。マリアは、フランシスが正しいとしている。


本書は、彼女が実際に経験してきたことが描かれている。手に汗握る展開。逮捕劇。政府の執拗な攻撃。仲間。。。

 

実に、読み応えのある一冊だった。

 

ジャーナリストを目指す人には、必読書かもしれない。ロシアのウクライナ侵攻後も、ロシアからエネルギーを買い続けるインドの実態が垣間見える。モディ首相とは、そういうひとだったのか・・・・。無関心というのも、罪なことだと感じた。

 

いろんな意味で、世界の味方を考えなおさせられた一冊。読んでみてよかった。

彼女の言葉には、力がある。

事実には、力がある。

 

 

『うさぎのモコのおはなし 1 つかまらない つかまらない』  by 神沢利子

うさぎのモコのおはなし 1
つかまらない つかまらない
神沢利子 さく
渡辺洋二 え
新日本出版社
1992年10月25日 第一刷

 

絵本『ヌーチェの水おけ』や『ゆでたまごまーだ』の作者が、神沢利子さんで、その作品に『うさぎのモコのおはなし』があるということに気が付いて、無性に読みたくなった。お話は覚えていないけれど、子どものときの大のお気に入りで、自分でモコの絵をかいて、自分のペットにした気分になっていたことを覚えている。でも、どんなウサギだったか忘れている。当時、私の何にふれたのだろうか?気になったので、図書館で借りてみた。

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借りたのは、1992年出版の絵本。ゆえに、おそらく、、、、私が子どものときに手にした者とは違うと思う。パッと見て、え?こんな絵だったかなぁ?とおもった。
ほんわかとした、おとぼけ風な、やさしい渡辺さんの絵。これはこれで可愛いけれど、私がイメージしていたものとはちょっと違う。もっと、無骨にふつうにうさぎだったきがするのだ。。。、

それでもなんでも、ページをめくっていくと、あーーー!!!やっぱり、これだーーーー!!絵はわからない。でも、こういう雰囲気のお話!!!

モコの日常の一幕を切り取ったようなお話。すきーーーー!!!

新日本出版社のうさぎのモコのおはなしシリーズは、5まであるようなんで、読破してやる!!と、おもわず鼻息があらくなる。

 

シリーズ1は、『つかまらない つかまらない』。

表紙の袖には、
”野原の 上に、金いろの まりのような お月さん。野原の 草も、みずひきの 花も、月の ひかりで ぬれたように ひかっています。
あれ、 モコが あるくと お月さんが ついてきます・・・・・”

そう、モコは、お母さんの妹に赤ちゃんが生まれるので、お母さんとお父さんがお出かけして、一人でお留守番。夕方になっても、一人。
外にでてみると、金いろの まりのような 月。

モコは、お月さまで明るいから怖くないや、と、お母さんとお父さんを迎えに表へ出かける。

モコは、月をみて走ってみる。
どこまで、走っても、お月さまは、モコを追いかけてくる。

モコは、お月さまと追いかけっこを楽しむ。
野原をいっぱいかけても、お月さんはずーっとついてきた。

「はははは ぼくを つかまえてごらん」

そうして、森にはしりこんだ モコ。
木の陰で、おつきさまは見えなくなっちゃいました。


あれ?とおもっていると

ほっほっほ と気味の悪い声。

しわがれのフクロウが「ほっほっほ。 つかまえてやろうか」と。モコを食事にしようとする。

「ちがうよ、ぼくがつかまえてごらんといったのは、お月さんのことだよ」

モコをまる煮にしてたべちゃうというふくろうに、モコは言い返す。ふくろうは、だけどおれはお前を食べたい!って。

夢中で逃げ出すモコ。
「にげられるもんか。お前がどんなにはやくはねても、飛ぶ方がはやい。」といって、モコに襲いかかろうとするふくろう。

モコは、そんなに早く飛べても、お月さんにはかなわないよ、お月さんにはつかまっちゃうよ、とふくろうにけしかける。
「なに!! みているがいい ちび。わしがつかまるか、つかまらないかをな。
さあ、 月のやつ 追っかけてこい!」

というと、ふくろう、森の上へふわりと飛びながら、月を振り返った。
「ほう、 おいかけてきたな。つかまるもんか」

 

そうして、ふくろうが夜の空をむちゅうで飛んでいる間に、モコは、大急ぎでかけて息もつかずにお家にかえりました。

「ああ こわかった」
お家に入る時、空を見上げると、広い野原の上に 金いろのまりのような月がぽっかりうかんでこちらをみてました。

 

「あらら?お月さん、ふくろうをおいかけてあっちに行ったと思ったのに!
 やっぱり、ぼくに ついてきたのかな?
 きっと ふくろうより ぼくの方が好きなんだね」
モコは、嬉しくなって笑いました。

 

それから、お母さんとお父さんがかえってきました。おばさんにはかわいい双子の赤ちゃんがうまれたんですって。

モコは、赤ちゃんが大きくなったらかけっこやとんぼ返りを教えてあげようと思いました。
きっと、
「夜 ひとりで 森に行くのだけは およし っていってあげよう」
とも、おもったはずです。

 

おしまい。

 

わーーいわーーい!!
これだこれだ!!
私も、子供の頃に、月がどこに行っても追いかけて来るって、走っては見上げて、走っては見上げたことがあった。私が不思議だなぁっておもっていたことが絵本になっていたことと、モコがふくろうに「ちび」と呼ばれていることが気に入った理由かもしれない。

私は、子供の頃「ちび」だった。父に「ちびすけ」と呼ばれることもあった。「ちび」に親近感を抱いてしまうんだな。。。

そうそう、不思議だよね。
月はどこまでもついてくる。

私は、結構大きくなるまで、月にはうさぎが住んでいるって信じていた。三日月になると、うさぎは住むところが狭くって、どこにいっちゃうんだろうって。。。。

月の不思議に魅せられたモコ、そしてふくろうに「ちび」と呼ばれるモコ。一人で外に出て、お母さんたちを迎えに行こうとする、勇敢なちび。
そんなところに、私は惹かれたのかもしれない。

今読んでも、なんか、胸がきゅんとする感じ。
やっぱり、モコ、すきだーーー!!

 

いいねぇ、いいねぇ。

うさぎのモコ。かわいい。

 

 

 

『BUTTER バター』  by 柚木麻子

BUTTER バター
柚木麻子
新潮文庫
令和2年2月1日 発行
令和4年5月30日 12刷
*この作品は 平成29年4月 新潮社より刊行された

 

文庫版で5年前の作品。日本の大手お菓子会社に勤める友人が、会食の席で絶対面白いので読んでみて!と、私に勧めてくれた本。「木嶋佳苗」を題材にした本だという。図書館で借りようと思ったら、単行本も文庫本 もいまだに予約の人待ちでいっぱいだった。それなら、と、すぐに借りれられる英語版を借りたのだが、これまたすごい厚さ・・・。でも、読みだしたら面白い!日英訳なので、読みやすいには読みやすい。でも流石に、英語版だと読むスピードが日本語の半分以下に落ちてしまうので、日本語が読みたくなった。結局、文庫版を購入した。

 

本の裏には、
“男たちの財産を奪い、殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子(カジマナ)。若くも美しくもない彼女がなぜ――。週刊誌記者の町田里佳は親友の伶子の助言をもとに梶井の面会を取り付ける。フェミニストとマーガリンを嫌悪する梶井は、里佳にあることを命じる。その日以来、欲望に忠実な梶井の言動に触れるたび、里佳の内面も外見も変貌し、伶子や恋人の誠らの運命をも変えてゆく。各紙誌絶賛の社会派長編。”
とある。

 

著者の柚木麻子さんは、1981年、東京生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。ほかの作品に『私にふさわしいホテル』『ランチのアッコちゃん』『伊藤くん A to E』『本屋さんのダイアナ』『マジカルグランマ』『らんたん』『ついでにジェントルメン』『オール・ノット』などがある。

私は、佐藤優さんが絶賛していた『ナイルパーチの女子会』を読んで、すごい人だ!と思ったのが2020年のコロナ禍の頃。そして、『私にふさわしいホテル』で、その筋肉質さにふたたび惹きこまれた。

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本書も、なんとも骨太!いやぁ、、、591ページの文庫本、半日で一気読みした。木嶋佳苗の事件を題材としているので、最後の参考文献には、
『毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』 北原みのり( 朝日新聞出版)
『毒婦たち  東電OLと 木嶋佳苗のあいだ』  上野千鶴子ら(河出書房新社)
が含まれている。

 

感想。
いやぁ、すごい。面白い。骨太。筋肉質。濃い。
そして、また、人間の、女の、、、心の中をずかずかと踏み込んでいく感じ。
どんな聖人君子であろうと、人生で一度は抱いたことがあるであろう「嫉妬心」「妬み」「優越感」・・・・あらゆる感情を、えぐり出す感じ。ダイレクトに説明するのではなく、なんとなく、じわじわと、、、、。う~ん、やっぱり、柚木麻子、面白いというかすごいというか、読後の圧?感が半端ない。

 

本書は、一応、ハッピーエンドかな。主人公たちの明るい未来が垣間見えるような気がする。それは、さんざんに殺人犯「梶井真奈子」に振り回されての挙句なのだが。

 

私自身は、ワイドショーネタに興味がないので、具体的にどんな被害者がいて、木嶋佳苗がどんな人だか良く知らなかったのだが、さすがに「結婚詐欺」のようなことを繰り返して、複数人の男性を殺した殺人犯であることは知っている。本書を読み終わった後にネットで調べてみたら、いまだに獄中結婚を繰り返しているらしい・・・。とまぁ、木嶋佳苗が主人公のはなしかとおもいきや、実はそうではないのが本書!さすが、柚木麻子!

 

以下、ネタバレあり。

 

主人公は、町田里佳、33歳。大手出版社・秀明社の週刊誌で記者をしている。 現在、職場で唯一の女性記者で、あこがれていた女性先輩記者(水島)は出産を機に、営業部に異動になっている。

 

物語の出だしは、里佳が同級生の狭山伶子の新居を訪問する場面。伶子は、広報部で働いていたが、妊活のためにキャリアを捨てて今は専業主婦。伶子は、金沢の老舗ホテルの一人娘で、御令嬢タイプでお家のこともしっかり、お料理は手作りで、というタイプ。里佳は、仕事にかまけて食事はコンビニ飯ばかり、というタイプ。

二人とも、そこそこイケてる系のできる女。スリムな体型を維持し続ける30代。

里佳は、伶子の家を訪問する際に、バターを買ってきてと頼まれる。バターが品薄で、「おひとり様ひとつかぎり」で販売されていた。お料理好きな玲子には貴重なバターだったのだ。

そういわれると、あった、あった、そんな時期。一時、国産バターが品薄で、輸入バターしか手に入らないときが・・・。

 

里佳は、伶子の手料理を伶子の夫の亮介と一緒に楽しむ。美味しく、栄養バランスの良い体に優しいお料理。でも、ゆっくりしている暇もなく、会社に戻っていく里佳。

最初に描かれるのは、大学の同級生である2人の女性の、それぞれの今の生活。仕事におわれつつも充実感を感じている里佳。一応、職場に恋人もいる。それに対してキャリア志向だったはずが、妊活のために専業主婦になってちょっと暇を持て余している伶子。

物語は、二人の友情ものがたり。でも、二人とも、物語の最初と最後では、違う人のようになっている。。。そう、「梶井真奈子」に振り回されて・・・。

 

里佳は、伶子の家に行った際に、 東京拘置所にいる梶井に取材面会を申し込んでいるけれど、会ってもらえないという話をする。
「あんなデブがよく結婚詐欺なんかできたと思うよ。やっぱり料理上手いからかなぁ」という亮介。女性蔑視的な亮介の発言に眉をひそめる伶子。
梶井は、サロン・ド・ミユコというセレブ料理教室にかよい、男達と高級レストランにいき、手料理も美味しかったという話だった。被害者のひとりは、梶井のビーフシチューをもう一度食べたいと書いて死んでいた。

料理好きな伶子は、
「あのビーフシチューのレシピを是非教えてくださいって書いてみたら、会ってもらえるんじゃない?」と里佳にアドバイスする。
「 料理好きな女って レシピを聞かれると喜んでいろいろ聞かれていないことまで話してしまうものだもん。 これは絶対の法則だよ。 現に 私がそうだし」と。

 

そして、里佳は、伶子のアドバイスに従って、そのように梶井に手紙を出す。すると、あってもいいという手紙が届く。

そこから、里佳は、東京拘置所の梶井のところへ通いだす。最初は事件の取材のことは持ち出さず、ひたすら食べ物の話をする。梶井が口をひらくのは、食べ物のはなしだけだったから。

そして、梶井に言われて、「バター醤油ご飯」「たらこスパゲティ」など、バターをふんだんにつかった料理を自分で作って食べるようになる。マーガリンなんてものは絶対にダメで、「エシレバター」をたっぷり使うべきという梶井だった。

柚木さんは、その食べ物たちの描写がまた、うまい。美味しそうなのだ。

” 蓋を開けると湯気の向こうでつやつやと米が光っていた。 炊きたての白米の澄んだ輝きに思わず見とれてしまう。 茶碗がないので、 炊飯器にセットでついていたしゃもじでカフェオレボールに乱暴に 盛り付ける。 梶井に言われた通り、冷蔵庫から冷たいバターを取り出し、包み紙を剥がし、 そのなめらかな山吹色をしばらく見つめた。 この先に待っているものは、 まだ里佳の知らない領域なのだ。(中略)
  バターをひとかけらご飯にのせる。 ついつい溜まりがちなコンビニの弁当に添えられた醤油の小袋からほんの一滴を落とす。 指示通り、 バターが溶けないうちに ご飯と一緒に口に運んだ。
  理科の喉の奥から不思議な風が漏れた。  冷たい バターがまず口の天井にひやりとぶつかったのだ。 炊きたてのご飯とのコントラストは 質感温度ともにくっきりとしていた。(中略)
黄金色に輝く、信じられないほど コクがある、かすかに香ばしい豊かな波がご飯に絡みつき、里佳の体を彼方へと押し流していく”

とまぁ、こんな風に食べた料理の描写がたくさんでてくる。

 

そして、里佳は、梶井に薦められたものを食べては、その感想を梶井に報告するために東京拘置所に通う。そして、だんだんと、梶井の主張の通り、本当に梶井は男たちを殺めてはおらず、勝手に男たちが自殺したのではないかと思い始める。

梶井の料理、家庭らしさ?にほだされ、他の女には相手にされなくなって男たちは、梶井にのめり込んでいく。梶井が男に飽きた時、男たちは絶望して死んでいったのではないのか・・・?

梶井のことをもっと知りたいと、里佳は梶井のいうとおりに食べ続ける。そして、どんどん体重は増えていく。恋人にも「太ったんじゃない?」と言われる。それでも、だんだんと梶井に振り回され、のめり込んでいく里佳。梶井の魅力とは何なのか?それを探るために、里佳の取材は続く。

 

そして、梶井の母、妹の住む新潟へ取材に。妊活がうまくいかなくて落ち込んでいた伶子がそこに同行する。伶子は、妊活より夢中になれることが欲しかったのだ。里佳が梶井にのめり込んでいき、自分より梶井と仲良くなるのも面白くなかった。何としても梶井の異常性を里佳に理解させたかった・・・。しかもこれを機に、伶子はそのまま亮介の元を去ろうとしていた。

 

と、梶井に言われるままに取材を続け、ついには、料理教室「サロン・ド・ミユコ」への潜入にも成功。そこにいたマダムたちの生き方、伶子の家出事件などもあり、「女の生きざま」について、「自分の生き方」について思いを巡らす里佳。梶井に振り回されていた自分にも気が付く。突如として自分の思い通りにならなくなった里佳に、動揺する梶井。里佳は、梶井の許可を得て、独占取材記事を週刊誌に連載することに成功する。週刊誌は売れた。だが、その先に落とし穴が待っていた。

 

梶井が別の週刊誌に、里佳の記事は嘘八白で、とんでもない女は町田里佳だという記事を出したのだ。自分に言われればなんでもするバカ女だと。そこには里佳が梶井の気を引くために打ち明けたプライベートな話まで含まれていた。その記事を書いた男は、業界では有名な問題児で、梶井はその男と獄中結婚。。。

 

会社からしばらくの自宅待機を言い渡された里佳だったが、仲間たちに支えられて、自分の生きる道を取り戻していく。やはり、記者として。。。体重は、梶井の取材を始めるまえから10キロ増えたままだ。それでも、料理を心から楽しみ、仲間と美味しい料理を食べることの喜びを見出し、新たな道を歩き始める里佳。伶子は妊活へのこだわりを一度捨てて、亮介の元へ帰る。

女たちのそれぞれの人生。。。。

 

最後は、里佳が自分を支え続けてくれている仲間に、「サロン・ド・ミユコ」で教えてもらったレシピで「七面鳥の丸焼き」をふるまう。そこには、里佳の母や同僚、水島親子、里佳にネタを無償提供し続けてくれていた篠井とその娘、、、、。

それぞれが、ぐるっと回って、人とのつながりを取り戻していった姿。

 

あえて言うなら、テーマは、「食が繋ぐ人の輪」だろうか。加えて、人間のエゴ。

 

梶井は、「女は男性を喜ばせる必要がある。そのためには、男を凌駕してはならない」という。。良識のある人間なら言わないことを、梶井に言わせている。でも、ちょっと頭の片隅で肯定してしまいそうな発言が、たくさんでてくる。

人って、そういうもんだよね。

 

ストイシズムでいうところの「理性的共感」がないと、人生、しんどくなるからね。

本当のことは、言わない方がいいこともある・・・・とかね

 

この作品の魅力のひとつは、まちがいなく「美味しい食べ物」だ。エシレバター、カルピスバター、ロブションの食事、搾りたての牛乳、ラーメン、森永「チョイス」、ウエストのケーキ、、、、。高級品でなくても、美味しいものもたくさんある。

ぐるぐるまわってバターになっちゃう「ちびくろさんぼ」の話も、一つのキーになっている。

 

里佳は結局10キロ太ったままなのだけれど、身長160センチ越えで、55キロなんて、ちっともデブじゃない。それくらいがいいのだ。

どうせ太るなら、美味しいもので太らないとね、、、と、妙な言い訳をしている自分がいる・・・・。

 

食欲があるうちは、人生、まだまだいける、よね。

美味しく食べて、楽しく読もう。

 

 

『九ひきの小おに』 by たに しんすけ、あかさか みよし

九ひきの小おに
ぶん・たに しんすけ
え・あかさか みよし
ポプラ社
昭和45年8月25日 第1刷
昭和63年5月30日 第20刷

 

ポプラ社のおはなし名作絵本シリーズ7、図書館で借りて読んでみた。 

 

昭和45年 第1刷というのだから、 50年以上昔の本だけれど、絵は、今時っぽくもある感じがする。貼り絵と手書きをあわせた作品なのかな?という感じ。9人、いやいや、9ひきの鬼の顔が並んでいる。鬼というより「おに」って感じ。赤ちゃんおにかな?

 

作家の谷真介さんは、 1935年、 東京生まれ。 中央大学 中退。『 ピン・ポン・パンがやってきた』『 ひみつの動物園』『トン子ちゃんのアフリカぼうけん』など。実弟・赤坂三好さんとのコンビで、『 1万人のたまご』『こねこのあかいぼうし』など。

 

画家の赤坂三好さんは、谷さんの実弟。 1937年、東京生まれ。エッチング、コラージュなど多彩な手法で、絵本、さし絵で活躍。1969年、 エッチングの研究のため ヨーロッパを旅行。 ルーマニアの首都ブカレストをはじめ 各地の美術館に作品を収める。

そうか、コラージュか。あざやかな色彩で、それでいて柔らかい感じがするのは、薄い和紙をつかったコラージュなのかも?なんともいえない、優しさがある。

おはなしも、かわいかった。
優しい。

 

1ページ目には、
”このおはなしは、たまごから うまれた、 かわいい 小おにたちの はなしです。”
ってさ。

なんと、おには、卵から生まれたんだって!!

小おにたちは、山の奥の赤い木の葉の裏に9つかたまって、虫の卵みたいにぶらさがっていた。
そして、最後の冬の夜に、小おにたちは、つのでたまごの殻をやぶり、
ぴょんぴょんぴょん
と、元気にとびだしてきた。

みんな揃って葉っぱの舟に乗って、雪解け水のぬるむ春の小川へでかけていった。

舟が岩にぶつかりそうになると、
「きゃぁ!」
「うへへへ・・・」
 みんな揃って ぶるると体を震わせる。

9ひきの目を点にしてならんだ顔が可愛い。

 

最初は、みんなおなじように怖がったりしていたけれど、次第にそれぞれの個性がでてくる。

陽気な小おには、舟のへさきにたって歌いだす。
ほー。ほほほ、ほー。
おーれたちゃ 小おにだ
ぶらこっこ ホイ!
たーのしい たびだな
ぶらこっこ ホイ!

 

一緒に楽しむ小おに、「うるさい!」とぷんと横を向く小おに、泣いている小おに。

泣いている小おには、「舟がゆれてこわい」といいます。
いじわる小おには、わざと舟をゆらします。

「やめてぇ、やめてぇ」
「なきむし、なめくじ、いくじなし。」
「うるさい。やめろ!」

おこりんぼ小おにが大きな声でしかったので、舟のなかはとたんに しーん となりました。

はっぱの舟は、どんどん川をくだって、やがて森の中へ。

 

暗闇の中からてんぐが飛び出してきた!
「ぎょ!」
てんぐは、あっというまに 小おにたちの乗っているはっぱの舟をつまみあげて、食べようとしました!

「あぶない。みんな つのをつきたてるんだ!」
「いててて」

てんぐは、おどろいて、はっぱの舟を手にのせると、つのだらけなのをみて
「こんなもん、たべられるか!」
と、ぷーっと、舟をふきとばしてしまいました。

 

「たすけてぇー」
小おにたちは、はっぱの舟にかじりついたまま、くるくる回って、滝のうえにおちると、今度は、水しぶきと一緒に真っ逆さまに滝からおちていきました。

落ちた先で、「かっぱがいたらどうしよう」
かっぱは、舟のせんをぬいて、舟をしずめてしまう。

「どぼん」と音がしたかと思うと、かっぱが!
「おい。この舟、せん あっか?」

はっぱの舟ですから、せんなんてありません。
「せんなんか、 あるわけないじゃない。これは はっぱの 舟だよ」

「ちえっ、せんのない 舟じゃ しずまないからつまらん。」といって、かっぱはすいすい泳いでかえっていった。

 

舟は、ゆっくりと小川をくだり、いくつも橋をくぐって、やっと村にやってきました。
楽しそうに 春の歌を歌いながら土手を走っていく男の子が見えました

「よし、きめた。ぼくは、あの子のところへ いく」
陽気な小おには、舟から飛び出して、元気よく男の子のところへ走っていきました。


そして、小おにたちは、自分と似ている人間のところへ次々とはしっていきました。

陽気な小おには、陽気な子が大好き。
いじわるな小おには、いじわるな子が大好き。

げんきな子の心の中に、元気な小おにが住み着くと、元気な子は、ますます元気になるのです。

 

いつまでも、はっぱの舟にのこっている小おにがいます。
おこりんぼう小おにと、なきむし小おに。

さあ、のこった二ひきの小おにたちは、いったい、だれのところへいくのでしょう。

おしまい。

 

最後のページは、はっぱの舟から2本のつのだけがのぞいている。
かわいい・・・・。

 

あとがきで、谷さんが
「 オニと言うと、その風体のこわさばかりに心をうばわれてしまいますが、オニの本性について考えてみるのも面白いものです。虎鬼、狐鬼など、みな、そのものに取り付いてしまうオニですが、せっかく 家にとりついたのにいとも簡単に豆つぶで追い出されてしまう節分のオニなどのことを思うと、 風体ににあわずユーモラスでコミカルな心がのぞかれます。 そういった明るいオニたちの一面を、 この九ひきの小オニたちの物語に託してみたかったのです。」
と。

 

オニや化け物も絵本の定番だけれど、このお話にでてくるオニは、ちょっと、かわいい。
『おにたのぼうし』も、せつないオニだったなぁ。

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オニがたまごから生まれて来るっていうのも、斬新だ。

さぁ、私の中にはなにオニがいるかな?!

 

 

 

『マンガ日本の歴史 41  激動のアジア、日本の開国』  by 石ノ森章太郎

マンガ日本の歴史 41
激動のアジア、日本の開国。
石ノ森章太郎
中央公論社
1993年3月5日 初版印刷 
1993年3月20日 初版発行

 

『マンガ日本の歴史40 内憂外患と天保の改革』の続き。

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40巻は、国内での一揆多発という内憂に加えて、おとなりの清がアヘン戦争に負けて西側諸国に統治されていく様を横目でみながら、不安を抱えていく日本。 水野忠邦の天保の改革から失脚まで。41巻では、とうとう、開国を迫られる日本。

 

目次
第一章 列強の進出とアジアの抵抗 
第二章 開国前夜 
第三章 黒船異変 
第四章 通商条約締結と横浜開港

 

幕末に近づくにつれて、この「マンガ日本の歴史シリーズ」も海外の様子の描写が増えてくる。第一章では、アヘン戦争について。水野忠邦の三方領知替が不評を買っていた頃、清はイギリスに支配されていった。

 

1840年6月、広東沖にイギリス派遣艦隊が勢ぞろい。アヘン戦争の始まり。

18世紀後半、産業革命によりイギリスは、「世界の工場」となっていった。機械と鉄工業の発展で、イギリスは巨大な資本主義国となり、19世紀前半には「超大国」として世界に君臨した。
《具体例》
・ワットの蒸気機関:手工業から機械工業へ
・アークライトの水力紡績機
・カーライトの力織機

イギリスは、 欧米諸国の保護主義政策によって綿製品の市場が狭められると、市場をアジアに求めた。ターゲットになったのが、インド。 政府はインド 木綿に高い関税を課して、 イギリス 綿製品のインドへの輸出を奨励。(まるで、、、今のトランプ政権・・・)
結果、インドの綿製品は廃れ、インドは、木綿手工業国から綿花のみを提供する「原料生産国」となってしまった。

 

綿花とともに、イギリス 東インド会社の貴重な財源は、アヘンだった。清は、アヘンの輸入を禁じていたにも関わらず、イギリスは、インドにイギリス綿製品を輸入する資金として、インドから清にアヘンをうって稼がせた。いわゆる三角貿易。
・イギリス→インド:綿製品
・インド→清:アヘン
・清→イギリス:紅茶

アヘンは、イギリスやインドを儲けさせたが、清としてはアヘン中毒による被害だけでなく、アヘン購入のために清から銀が大量に流出することが問題となった。

1830年、 国家財政の逼迫を解決するために、道皇帝(どうこうてい)は、林則徐(りんそくじょ)に、アヘン根絶を命じる。林則徐は、イギリス人所有のすべてのアヘンを没収し、溶かして海に廃棄した。怒ったイギリス本土は、1840年、イギリス艦隊を広東沖に集結。二年あまりのゲリラ戦などを経て、手こずりながらもイギリスが勝利。

1842年8月29日、南京条約締結。これによって、香港は割譲された。

 

事態の推移をみていたアメリカは、1843年に清と「望厦条約」を締結。アメリカと中国との初めての条約。アメリカは、つづいて1848年に メキシコ湾戦争で勝って、 カリフォルニアを領有。 太平洋沿岸の開発を目指した。

アメリカは、中国の市場開拓の機会を得て、 太平洋横断航路の途中補給基地として日本をみいだした。

1851年、清では、宗教団体「上帝会」による「太平天国」と名乗る叛乱がおこる。太平天国は、一時は南京占領を達したが、内部対立、資金不足などにより、理想郷の建設にはいたらず。

 

そのころインドでは、東インド会社の傭兵シパーヒー(イスラム教徒、 ヒンドゥー教徒)が、新しく購入された銃の油に「豚」と「牛」の脂が塗ってあると言って反乱をおこした。反乱軍は、1年以上戦ったが、指導者の弱体などで反乱は失敗に終わった。

 

19世紀前半は、欧米列強がアジアに進出し、ほとんどの国が植民地化されたり、不平等条約を結ばされたりしていた。その流れが日本へも・・・・。

 

アヘン戦争の結果は、オランダにも危機感をもたせた。オランダは、国王の親書をもって幕府に危機をつたえ、開国するようにと促したが、老中・ 阿部伊勢守正弘、老中首座 水野越前守忠邦らは、それを無視する形で、「打払令」、鎖国を強化する。
その一方で、 海岸防御掛(海防掛)を設けて、守りを強化することとした。

 

1846年、アメリカ船が浦賀にやってくる。が、、、事件にはならずに帰っていった。

開国か、鎖国か、、、阿部は、鎖国継続派だったけれど、多くの人の意見を聞く行政を行っていたので、何度も評議した。時の将軍は、12代・徳川家慶。夷狄(いてき)対策を阿部に命じた。

 

当時の攘夷論派
・徳川家慶
・阿部正弘(老中)
・牧野備前守忠正(老中)
・水府老公= 徳川斉昭。水戸藩主。(徳川慶喜の実父)一時、致仕謹慎。
・鍋島斉正(佐賀藩)
・松平慶永(春嶽)(越前藩)
・島津斉彬(薩摩藩)

 

反阿部正弘派=海防強化政策反対派
・青山下野守忠良(ただなが)(老中)
・水戸藩、反斉昭派
・会津藩
・川越藩

 

1852年、 長崎出島のオランダ商館に新しい商館長(カピタン)が着任。『阿蘭陀風説書』で、アメリカのペリーが来春にも日本に来ることを幕府に告げる。

それでも、幕府は黒船来航を否定。秘密裡にしたが、あちこちで「アメリカ船がくるかも」という噂が立った。しかし、「カピタンが儲けようとおもって噂をながしているだけだ」などとして、民衆には極力秘密にした。

 

1853年 7月8日(嘉永6年6月3日)、旗艦「サスケハナ号」(蒸気船 2450 T、乗組員300人)が、 アメリカ東インド艦隊司令官長官 マシュー=カルブレース=ペリーを乗せて、浦賀へ。

浦賀奉行所が対応にあたった。アメリカは、アメリカ大統領の国書を、日本国皇帝陛下にわたすといってきた。国書は受け取れないといって煮え切らない奉行所の対応に、 最高指揮官に会わせろといって聞かないアメリカ。長崎へ行くようにいっても、江戸に乗り込むぞというアメリカ。結局、幕府は譲歩に譲歩を重ね、浦賀近くの久里浜で会見することとする。

立ち会ったのは、 浦賀奉行所・戸田伊豆守氏栄(うじよし)と 井戸岩見守弘道。嘉永6年6月9日、 アメリカ大統領の国書の授受が行われた。

 

国書を受け取ったものの、どう対応すべきかの評議が毎日続けられた。と、そんな最中、6月22日、家慶が逝去。

 

幕府は、 前水戸藩主徳川斉昭を海防参与に任命した。斉昭は、強い「開国反対者」。

そうこうしている間に、1853年7月には、ロシアからプチャーチンが長崎に来航。長崎奉行所、海防掛は、引き伸ばし作戦ではぐらかし、プチャーチンは帰っていった。

翌嘉永7年1月16日、再び、ペリーが浦賀沖へ。他国が、アメリカより先に日本と条約を結ぶことを恐れての来日だった。

「初めから打払っとけはよかったのに」という斉昭。佐倉藩主・ 堀田備中守正睦(まさよし)、彦根藩主・井伊掃部頭直弼は、「そんな話に乗らなかった正弘のほうがましだ」などと嫌味をいう。つまり、二人は、開国派。

 

嘉永7年2月10日、神奈川で日米の第一回の会談が行われた。アメリカは、清とむすんだ「望厦条約」(圧倒的にアメリカに有利)と同じ内容の草案を幕府に提出。日本は、まったく異なる日本案を提出。アメリカは、日本案はまったく飲めないといって、戦いも辞さない姿勢。幕府内では、下田の開港だけを認めようという案を協議。

「脅しに負けず、戦えばいい」という斉昭に対し、「勝てない戦はできない」という評議メンバーたち。最終的には、斉昭がおれて、「下田開港」で決着。

 

嘉永7年3月3日( 1854年3月31日)、 日米和親条約は調印された。 下田・函館の開港、 アメリカ艦船への物資補給、漂流民の保護の保証、 外交官の下田駐在許可などの内容が含まれた。

この時、下田に停泊中のミシシッピー号に乗って密出国しようとしたのが長州藩の吉田松陰と金子重輔。後に、井伊直弼の安政の大獄でそれぞれ死刑、獄死。

 

アメリカとの条約に続き、
嘉永7年 8月23日、 長崎でイギリスと 和親条約締結。
安政元年 12月21日、 下田でロシアと和親条約締結。
安政2年12月23日、 長崎でオランダと和親条約締結。

 

開国の大きな変化の中、 安政2年 10月2日には、安政の大地震が江戸とその周辺地域を襲った。人々は、開国のストレスと、震災のストレスとで疲弊していった。

10月9日、正弘は、堀田備中守正睦(井伊直弼と共に開国派)を老中首座に迎えた。


安政3年7月21日、下田に駐日アメリカ総領事、 タウンゼント=ハリス到着。総領事の派遣は不要という幕府代表の下田奉行に対し、「文明諸国間の常識だ」というハリス。結局、下田柿崎・玉泉寺が最初のアメリカ領事館となった。

ハリスは、 日米和親条約の追加条約の締結を目的として、江戸に行くことを要求した。

堀田は、海防掛目付・岩瀬肥後守忠震(ただなり)、海防掛勘定奉行・川路佐衛門尉聖謨(としあきら)、海防掛大目付・筒井肥前守正憲、海防掛勘定奉行・水野筑後守忠徳らと、ハリスからの親書について協議する。

その対応に追われている間、正弘は39歳の若さで逝去。。。。ストレスが過ぎたのか・・・・。

 

阿部正弘は、色々な歴史の本の中で、なんだかんだ言ってもアメリカと戦わずに開国につなげた立役者、という評価をされている。ストレス多かったんだろう・・・。

 

安政4年10月7日、ハリスは江戸に入り、13代将軍・家定(家慶の子。妻・篤姫)に謁見。ハリスは、家定との謁見の後、堀田正睦の屋敷を訪ね、イギリス脅威論とアメリカと通商条約を結ぶことの意義を熱弁。その後、1か月の間に15回の交渉をかさねた。アメリカは、江戸・大坂の開港を要求。江戸を開港したくない目付系や正睦は、神奈川の開港を支持。しかし、幕府側で妥協案が決まらず、こうなったら「朝廷に勅許をうけよう」という話に。幕府の統制力低下の現れ。

 

この時幕府は、海外対応だけでなく、家定に実子がいないことから継嗣問題でもゆれていた。

 

・南紀派:紀州藩主・徳川慶福(12歳)を推す。支持者、井伊直弼ら。
・一橋派:一橋慶喜(水戸藩、21歳、徳川斉昭の第七子。人望あり)支持者、松平慶永(春獄)、堀田正睦ら。

 

条約や継嗣問題を勅許にゆだねた堀田正睦だったが、南紀派(井伊直弼)が大奥を取り込んで徳川慶福の継嗣が内定し、開港の妥協案もまとまらず。

そうしているうちに、1858年 6月19日、日米修好通商条約が調印された。不平等条約。
井伊直弼は、斉昭、慶永らを処罰して、一橋派の一掃をはかった。

幕府は、ハリスらの反対を無視して、横浜築港に着手。

1859年7月1日(安政6年6月2日)、横浜港開港。

と、41巻はここまで。。。。

 

やっぱり、ごちゃごちゃしている幕末。なんだかんだと、井伊直弼が自分の思うように大奥も取り込んで進めていったところまで。そして、ますますごちゃごちゃする世界へ、、、。

 

 

『宗教を学べば経営がわかる』 池上彰、入山章栄

宗教を学べば経営がわかる
池上彰  いけがみ あきら
入山章栄 いりやま あきえ
文春新書
2024年7月20日 第1刷発行

 

新聞の広告で見かけて、図書館で予約していた。ずいぶんと待った気がする。やっぱり、池上さんの本は人気があるらしい。

 

表紙をめくると、
”変化が激しい時代だからこそ、ビジネスパーソンにとって宗教を学ぶことが不可欠だ―。
博覧強記のジャーナリストと希代の経営学者が初対談。キリスト教やイスラム教から、トヨタやホンダ、イーロン・マスクまで。人や組織を動かす原理に迫る。”
とある。

 

二人の対談のような形式になっている。
池上さんは、 1950年 長野県生まれ、ジャーナリスト。
入山さんは、 1972年生まれ。 経営学者。 早稲田大学大学院(ビジネススクール)教授。

 

最初に、
「本書を手に取った方へ」という入山さんの文章が掲載されている。

” 本書を手に取った方の中には、 表紙のタイトルを見て不思議に思った方もいるだろう。「 なぜ、 宗教を学べば経営がわかるのか?」と。
  しかし、 これこそが本書の狙いなのだ。 宗教をよく理解することは現代のビジネスや経営を考える上で とてつもない 学びとなる。・・・・・・”
と、ある。

うん?「これこそ」の「これ」って、なに???疑問に思わせること???
と、日本語がわかりにくい、、、とおもいつつ、、、。かつ、サラリーマンを30年もやっていれば、経営が宗教なことなんて、当たり前だ。。。。。本当は、宗教を学ぶのではなく、「人間」をまなぶことが経営に必須のことだとおもっているけど、、、。と、ちょっと、最初から突っ込みたくなったけれど、移動の時間潰しに読んでみた。254ページの新書。さらっと読める。

 

目次
本書を手に取った方へ  入山章栄
第1章 トヨタはカトリック、ホンダはプロテスタント―強い企業と宗教の類似性はセンスメイキングにある
第2章 イノベーションのためには、宗教化が不可欠
第3章 どんなビジネスも最初は「カルト」
第4章 パーパス経営の時代こそ、プロテスタントの倫理が求められる
第5章 なぜイスラム教は「ティール組織」が作れるのか
第6章 アメリカ経済の強さも矛盾も、その理解には宗教が不可欠
おわりに  池上彰

 

感想。
なるほど。
特に、目新しいはなしではないけれど、池上さんとの対談にすることで、わかりやすく書いた、ってかんじかな。

 

トヨタはカトリックで、ホンダはプロテスタントというのは、たしかに表現としては面白い。豊田家が君臨するトヨタと、下々の意見も大事にされるホンダ。だけど、トヨタのKAIZEN活動は、現場活動、つまりは下からのアイディアのアクションであることを考えると、入山さんの言葉は「表面的」だな、と感じるところも多い。会社に入り込んで、その実態を調査したという感じはしない。

 

そういう意味では、やっぱり、 ピーター・ドラッカーは本物の経営学者だったんだな、と思う。彼は、現場に入り込んで研究している。

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プロテスタントと資本主義の関係については、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ですでに1904~05年に述べられているが、入山さんは、池上さんとの対談の機会まで読んだことがなかったとのこと。今どきの経営学は、「プロ倫」も読まないのか!と、逆に驚いてしまう。まぁ、私だって、「プロ倫」を読んだのは40代かもしれないけど。池上さん曰く、1970年代には、経営学部では必読書だった、と。

 

つまるところ、この本は「プロ倫」を現代風に書いているようなかんじ。そして今流行りの「 パーパス経営」なども、宗教に近い、って。

そりゃそうだよ。

 

会社というのは、一つの目標を持っている集団であり、基本的にはその会社の方針に共感する人たちの集まりなはず。たんに、「給料がいい」「休みが多い」ということで就職したとしても、辞めずに長く勤めていると、だんだんとその色が刷り込まれていく。。。社畜という言葉があるけれど、やっぱり、どこかで共感しているところがあるから、辞めないのではないのか?まぁ、金銭的にやめられない、という人もいるかもしれないけれど。でも、共感できない「パーパス」の会社にいることほど、人生の無駄はない。

 

100%共感できないとしても、一つくらいは会社の方針に共感しているはずだ。「やりがい」とか、「充実感」は、共感しているからこそ感じられるのではないだろうか。長く続く大企業というのは、絶対に一つくらいは誰もが共感できる経営理念があると思う。でなければ続かない。あるいは、形ばかりの理念になりさがってしまうと、経営破綻につながる。

 

「ビジョン」「ミッション」「パーパス」なんだかんだ言って、やっぱりそれが一番大事だと思う。それがあると、一つの組織となり、1足す1が、2以上の力を発揮する。それが、組織で働く面白さなんじゃないのかな。

とまぁ、突っ込みたくなるところもいっぱいあったけれど、対談形式なのでお話を聞いているようなつもりで読んでみると、軽く楽しめるかもしれない。

 

気になったところ、覚書。
・ 「 自社のパーパス、ビジョンと自分の日々の仕事はどうつながっているのか」という研修は、 ミサや礼拝を通じて、 神の教えと自分の日常生活の結びつきを腹落ちさせる機会を作っているのと同じこと。

 

・経営には、「知の探索」と「知の深化」が必要。 短期志向になると「知の探求」 が長続きしない。深化ばかりでは、イノベーションは起こせない。会社の未来への腹落ち感がないと、「知の探究」は、続けられない。ゆえに、経営者と社員の会社の未来、目指す姿、目標への「腹落ち」が大事。

 

・1993年 世界銀行のレポート『東アジアの奇跡( The East Asian Miracle)』:「 なぜ第二次世界大戦後に日本はここまで 急速に経済成長したのか?」→ 貯蓄率の高さ。 貯蓄率が高いとそのお金が投資に回り、結果として 社会インフラ などいろいろなものが整備される。そして、国の経済は成長する。レポートでは、「日本の貯蓄率が高かった理由の1つとして 郵便貯金という仕組みがあった」ことがあげられている。
 政府による「子ども銀行」運動などもあり、「将来のために貯金するべし」と、日本人の頭に刷り込まれている。
 これは、、、、今も変わっていないかもしれない。

 

・ソニーでは、「創業者の残した理念をどう解釈するか」ということが、社内の対立につながった。エレクトロニクスの会社なのに、金融事業なんておかしい、という立場をとった人もいた。その後、当時社長だった平井一夫さんが、「ソニーは、エレキ、金融、エンタメそれぞれで、世の中に感動(KANDO)をお届けする会社だ」と言い続けて、経営者や社員の腹落ちにつながった。へぇ、しらなかった。一時「感動」って、言葉がはやったよな。。。。
 平井さんは、元々、音楽が好きで音楽事業にいた傍流の人だった。結果的に、広い視野で、ソニー本体を再建させた。

池上さん曰く「 企業にはよく『中興の祖』と呼ばれる人がいるでしょう。こういう人はしばしば 傍流 から現れる。」

ちょうど、20225年4月の日経新聞「私の履歴書」が、平井さんだった。なんと、まだ64歳なんだね。最終日の最後、「人生はまだまだこれからだ。子供たちに負けないように次なる感動を求めて歩き続けたい。」と結ばれていた。うん、まだまだ若い。頑張ってください!


・池上さん:”『古事記』と『日本書紀』は、まさに物語です。 日本という国がどうやってできたのかが書かれている。 国生みの神話ですね。 この2つが、 神道の経典です。”

むむむ?全国通訳案内士で勉強した各種資料によると、 神道は経典がない、開祖もいない、というのが、一般的な日本文化の説明なんだけどな?
ついでに、『万葉集』も神道の経典に入れるという考え方もあるらしい。経典と言っても、「sacred books」という意味ではないのだろうか?別に、古事記に自然崇拝しなさいと書いてあるわけではない。。。ちょっと、違和感を覚える。

まぁ、宗教学にもいろいろな考え方があるのだろう・・・。

 

・ ボストンカレッジの元教授メアリー・アン・グリンという組織研究の第一人者が研究した「優れた組織文化」に必要な3つの視点は、イスラム教が十分すぎるほど満たしている。
1.価値観(Value):「こうあるべきだ」という価値観の共有
2.ストーリー(Story): 価値観を腹落ちさせる物語
3.ツールキット(Toolkit): 組織文化を支える手立て

それぞれをイスラム教に落とし込むと、
1.「アッラーは偉大なり」
2.『コーラン』とそれに伴う、ムハンマドが大天使ジブリールの声をきいた、などの話。
3.祈りを含め、神とつながるための日々の行為。

 

・イスラム教徒が増える中で、世界では文化的摩擦が広がっている。『服従』がベストセラーに。

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・オランダの 社会心理学者   ヘールト・ホステッド:「 各国の国民性は6つの次元で説明できる」

1.個人志向性 (Individualism): 個人を重視するか、集団を重視するか。
2.権力格差 (Power Distance): 社会階層における権力の不平等を受け入れるか。
3.不確実性の回避度 (Uncertainty Avoidance): 不確実性を避ける度合い。
4.男性性/女性性 (Masculinity): 競争や自己主張を重んじる「男らしさ」で特徴づけられるか
5.長期志向性 (Long-term Orientation:長期的な視野をとるか。
6.人生の楽しみ方 (Indulgence): 人生の楽しみ方は充足的か、 それとも抑制的か。

 

・ビル・ゲイツ:敬虔なプロテスタント。

 

宗教と経営というか、宗教と経済は、切り離せない、ってことかな、と思う。結局、景気だって、人が何を信じるか、ということなわけで、政治も、「何を信じるか」なのだ。その真実べきことが、今は経典ではなく「ネット情報」に陥っているという危機の時代。

 

時代は、ますます何が正しいのかを自分で判断する智慧を必要としている。そんなことを考えさせられる最近の読書である。
本だって、本当に真実が書かれているかどうかはわからない。なんなら、教科書だってね。

 

これが全ての答えだ、って思わないのが大事なのかもしれない。

人は、答えを求めがちだけど、わからないからこそ考える。

 

やっぱり、自分で考えるって大事。

 

 

『経済の本質 自然から学ぶ』  by ジェイン・ ジェイコブズ

経済の本質 自然から学ぶ
ジェイン・ ジェイコブズ
香西泰・ 植木直子 訳
ちくま学芸文庫
2025年2月10日 第1刷発行
THE NATURE OF ECONOMICS (2000)
* 本書は 日本経済新聞社より2001年4月に刊行され、のち文庫版が2013年9月に刊行された。

 

図書館の新着本の棚で見つけた。 税金の話とか、日本銀行の話とか、よくわからないなと思っていたところだったので、手に取ってみた。

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文庫の新刊ではあるけれど、原書は、2000年の本らしい。四半世紀たってなお文庫本の新刊がでるくらいだから、有名な本なのだろう。借りて読んでみた。

 

裏の説明には、

”生態学(エコロジー)と経済学(エコノミクス)は、同じ問題を扱う「双子」だ! 経済の成長は自然と反目するものでなく、二つは共通の法則に従う。それを自覚することで、人間は自然と調和しつつ経済を営むことができるのだ──。市民生活から乖離していく都市計画や市場経済へ、批判の対象をひろげてきたジェイコブズ。人間のモラルを二体系にわけ相対する立場をどう調整できるか探った前著『市場の倫理 統治の倫理』から、本書は更に発展して、生物学的な視点を取り入れる。進化論や複雑系理論などの知見を引きつつ、共発展・協力・共生・相互依存など、経済と生態系に共通するメカニズムを探り出す。 解説 平尾昌宏”とある。

ジェイコブズさんは、相当な有名人らしい・・・。

 

著者紹介によれば、Jane Jacobs (ジェイン・ジェイコブズ 1916~2006)は、 ペンシルベニア州 スクラントン生まれ。都市活動家、都市研究家、ジャーナリスト。邦訳されたものに『発展する地域 衰退する地域』『アメリカ大都市の生と死』『市場の倫理 統治の倫理』『壊れゆくアメリカ』がある。

 

目次
まえがき  
第1章 なんと、またエコロジストだって  
第2章 発展の本質  
第3章 拡大の本質  
第4章 活力自己再補給の本質  
第5章 崩壊を避ける  
第6章 適者生存の二重の法則  
第7章 予測不可能性  
第8章 アームブラスターの約束
エピローグ
文庫版解説 そろそろ本気でジェイコブズを   平尾昌宏

 

感想。
面白かった。
おもっていたのと、ちょっと違ったけれど・・・。論文のような一冊かと思ったら、そうではなかった。お話仕立てになっている。登場人物らが、対話を繰り返していく中で、経済とは、自然とは、人間とは、が語られていく。いってみれば、対談、鼎談、のようなつくりみたいなもので、ただ、主な登場人物は5人。

 

アームブラスター:すでに引退してる、元出版社経営者。保守派としてのツッコミ役。
ケート:アームブラスターの茶飲み友だち。もと大学教授。科学週刊誌記者。アームブラスターをけしかけたり、なだめたり。
ホーテンス: アームブラスターの姪。 環境問題を扱う弁護士。交通事故で夫をなくしている。
ハイラム:ホーテンスの新しいボーイフレンド。エコロジスト。本書では著者の代弁者となる解説者。
マレー:ハイラムの父。大学で工学から経済学に転身し、戦後、投資信託会社に勤務経験あり。現在は、高校生、大学生相手に簿記・会計を教えている経済の専門家。

 

ハイラムが、経済とは、、、、を解説し、それはどうかな?とツッコミをいれるのがアームブラスター。質疑応答の進行役ってところ。それが、日常の生活の延長線上で行われるので、時には食事をしたり、いっしょに出かけたり。物語になっているので、飽きずに読み進められる。こんな本が2001年にでていたのか、、、。今なら当たり前のように言われる環境問題と経済活動の持続性のはなしなど、当時にはするどい指摘だったのかもしれない。

 

本書で述べられているのは、人間の経済活動も、自然と同じような拡大、発展をしているということ。誰一人、どの国も、他者との共存なくして存在することはないということ。それは、人間も自然界の一つの構成要素でしかないということ。

 

「  人類は人間以外の自然から孤立してはいないということ」

 

なるほど、、、、と。インフレだの、デフレだの、、、それも自然の法則にしたがえば、どちらかに振れれば、そのあと反作用のように反対に振れる。実際、そうではないか、、と。
「自然から学ぶ」というタイトルが、秀逸。でも、実際、人は自然からしか学べないのかもしれない。

 

気になったところを覚書。
・「 モノに焦点を合わせるのをやめて、モノを生み出す 過程(プロセス)に注意を振り向けると経済と自然の区別ははっきりしなくなる」
経済学を自然から学ぶというハイラムに対して、「経済は人工的なもの」という反論するアームブラスター。ハイラムは、 蜂がはちみつをつくり、 ビーバー 木片を集めて水をせき止めるのを人工的とは言わないように、 人間の生活の仕方が 他の動物とは違うからと言って 人工的とは限らない、と主張。

 

・ 発展の定義: ”一般” ”から” ”発生する” ”分化”。
 この4つの言葉は、 生物・ 無生物に関わらず、 また時間と規模のあらゆる スケールでの展開について説明できる。太陽系、ヒトの胎児、どちらも、一般的な物質から文化して発生、発生する。

 

・「発展は共発展(co-development)による」: 発展は相互依存関係にある共発展の網として機能する。

 

・標準化は発展をダメにする。 「目標を標準化するのは必ずしも いけなくはない。 でも 手段を標準化してはダメなのだ。」 「方法を自動的に規定するとより優れた方法が発展するのを邪魔することになる」
 これは、本書を読んでいて、一番響いた文章かもしれない。私は、サラリーマン時代に、生産現場の標準化の仕事を推進したことがある。世界共通のマネジメントガイドをつくったのだ。それは、各国でオーディットにも活用され、多くの人に歓迎された。でも、2年ほどかけて作成したそのガイドラインが出来上がるころ、私は自分のやっていることが間違っていたような気がし始めたのだ。標準化は生産現場では合言葉のようにいわれることなのだが、その「お手本」があることで、自分たちで試行錯誤する芽をつんでしまっているのではないか?という疑問が徐々にわいてきたのだ。結果的には、そのガイドラインも時とともに変化し、発展し続けているので、土台をつくったということで間違っていなかったのかもしれない。でも、標準化することの「恐ろしさ」のようなものを感じたのは大きな経験だった。

 

・「 発展は質的な変化で、拡大は量的な変化。この2つは密接に関連しているが、同じことではない。」自然にも、経済にもあてはまる。

 

・「 多様な集団は、それが受け入れたエネルギーの多様な利用や再利用によって作り出した豊かな環境内で、拡大を遂げる」自然にも、経済にもあてはまる。

 

・元来輸入品であったものが、模倣による置き換えから多様な発展によって拡大を遂げた一例が、日本のミシン。ミシンは、 アメリカで発明されたもので、最初 アメリカからの輸入品として日本の都市に届いた。 日本ではミシンはとても高価だったけれど人気があった。 地元で作られた 代替品は東京で始まったが、改良された経済的な生産方法のために 輸入品よりコストが安かった。 そのうち ミシンは東京から他の日本の都市への輸出品になった。 こうした都市の多くもまた 輸入品を地方生産に変え、ミシンを地方の用途に合うように自身の改良と変更を加えている。 こうして日本は結局800社ものミシン会社を生み出し 世界で群を抜く生産者になった。 同様に日本で発展を遂げたのが、 カメラ、 ラジオ、 自動車など。
日本のミシン業界、経済の拡大と発展。しらなかった。

 

・生態系で、生き残りに失敗した生物は、他の生物や 新たに登場する生命の餌になる。経済でも、 倒産した企業の資産は、 失敗した企業よりもうまく利用しようとしている 購入者に売り払われる。 多くの新規企業は当初 必要な設備を破綻企業から出血価格で手に入れている。

 

・ 必要が発明の母だというのは嘘で、機会が発明の母なのだ。

 

・長期におよぶ補助金が悪となりえる事例:カナダでタラが絶滅してしまったのは、タラの漁獲が減ってきたにもかかわらず、タラ漁とその労働者は補助金を受け続けてきたから。補助金が、タラを絶滅させた。タラが減れば減る程、補助金が増えた。

 

・ 補助金は価格とコストの両方を偽る。それは、経済を悪化させる。

 

・ 関税も価格を偽る。
 今のトランプ政権に、聞かせたい。

 

・ 略奪的企業は、価格、品質、サービスについて競争するよりも、競争者を抹殺することを好む。

 

・ 人類に関して、持って生まれた素質と修養による慣習を見分けるのはとても難しい。それでも、美的鑑賞能力は、 ホモサピエンスの初期の証拠と一緒に存在している。

 

・バタフライ効果: 小さな事件が不釣り合いに大きな結果をもたらすこと。昔のことわざとして、「 馬蹄の釘 1本がないために 王国が滅ぶ」というのがある。 ある種のタイプの複雑なシステムにあっては、 これに対する個別の影響が全て正確に把握されたとしても、 そのシステムの将来はなお 予測不可能。

 

・ 技術は私たちの身体を延長したもの。 顕微鏡と望遠鏡は目の延長。 電話受信機は耳の延長。 ペンは指の延長。 書くのは声の延長。 車は足と背筋の延長。 槍は腕の延長。だから、武器のことをarmsという。

 

ふとであった本だけれど、読んでみてよかった。人間社会のとても大事なことを楽しいお話仕立てにしてくれている感じ。やはり、人間も自然の一部でしかない。自然と共存しかできない。人が人からなにかを奪ったりするのは、やっぱり、間違っている。

うん、確かに経済の本質。

 

けっこう、お薦めの一冊。

 

読書は、楽しい。

 

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