無断リンク禁止関連の話題と聞いちゃあ、口を出さずにいられませんや!!
……というわけで。
無断リンクされなくなければアクセス制限かければいいし、無断フォローされたくなければ鍵をかければれば良い。そうじゃないってことは見知らぬ人にアクセスされても仕方ないって考え方を人に強制するのはやめようという話。
無断リンクされなくなければアクセス制限かければいいし、無断フォローされたくなければ鍵をかければれば良い。そうじゃないってことは見知らぬ人にアクセスされても仕方ないって考え方
を僕は持ってはいるけれども、そういう考え方を他人に強制している人は、少なくとも僕の観測範囲内では見かけたことがないので、そんな人はいったいどこに存在しているんだろう、と思いました。
「無断リンク禁止」という主張が強制力を持たないのと同様に、「見知らぬ人にアクセスされても仕方がない」という考え方は、他人に対して何の強制力もないよね。
だからネットでもやろうと思えば無断リンク禁止ってページにリンク張ることもできる、けど相手が嫌がるだろうからやらないとなってほしい
と考えるとしたら、これは無断でリンクする側にも適用しても良いわけで、僕の場合は、リンクの際にいちいち相手の了解を得ることが嫌なわけですから、「相手(この場合僕・ekken)が嫌がるから無断リンク禁止と主張しないで欲しい」も通さないわけには行かないはずですね。
「無断でリンクするな」と「リンクは好きにさせろ」は相反する主張だから、お互いに「自分の主張を維持しつつ相手の自由を尊重する」のならば、解決策は実に簡単で、「無断リンクは絶対に禁止」と主張する側が許可した人以外に閲覧させないサービスに移行すれば良いだけ。そういうサービスはたくさん存在するので、何も難しい話ではないはず。
ネットは「好きな人にだけ見てもらう」のは簡単だけど、「嫌いな人にだけ見せない」のは難しいと思うので、現状では「自分が許可した人にだけ見せる」仕組みを取り入れるだけで「勝手にリンクするな」という要望を築くことが実現できるんじゃないかなぁ。
認めない人からのリンクを拒否する技術は既に提供されているんだから、無断リンク禁止の主張を通したい人の理想を実現するのは簡単なんだけど、自分の理想をネット利用者全てに適用させたいと考えているのだとしたら、「考え方の強制」をしているのは、むしろ「無断リンク禁止!」と主張している側だと思うのだけども。
「いや、そうじゃない、ワタシは悪意のリンク(この場合「自分の気に入らないリンク」の意)をされたくないだけで、自分に好意的なリンクは妨げたくないだけ。なので、悪意のリンクをしない多くの人には是非見てもらいたい」ということなのかもしれないけれど、生憎「好きな人だけに見せる」事は出来ても「嫌いな人だけに見せない」事はできない のが現状のインターネットだしねぇ。
罵倒や嘲笑するためだけのリンクはやめよう、という主張なら賛同しないわけじゃないけれど、自分が気に入らない方法でのリンクはするな、という話だと、それは「俺の批判をするな」に繋がりかねないので、「相手が無断リンクを嫌がっているんだから~」という考え方は、(主張するのは勝手だけれども)同意しかねるなぁ。
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