長浜なんとかしようぜ委員会(濵田毅会長)では、坂本龍馬脱藩150周年を記念して、平成24年7月7日(土)大洲市長浜町青島に渡り島内散策と坂本龍馬研究で有名な村上恒夫大洲史談会会長の講話及び松山市出身の島唄奏者三好輝さんによる奄美群島喜界島に伝わる喜界島三味線及び薩摩琵琶の演奏が行われ36名が参加しました。
坂本龍馬と青島?と私も疑問でした。坂本龍馬は土佐を脱藩した文久2年(1862年)3月、梼原から韮ヶ峠を越えて愛媛県に入り、河辺、五十崎、大洲と通って3月27日に長浜の富屋金平衛宅に泊まって山口県に向ったのは知っていたが、実は、その3年後、慶応元年(1865年)9月28日に京都から山口県に向う途中、薩摩藩の蒸気船「胡蝶丸」146トンで青島に泊まったと高知県佐川出身の土方(ひじかた)直行が記した「坂本龍馬手帳摘要」に記述があるとのこと。
今回、同委員会では、青島をPRして振興を図るとともに大洲市の新しい観光資源を目指してイベントを企画した。次回は7月21日(土)の予定。
青島は、長浜町沖13.5kmの伊予灘に浮かぶ周囲4.2kmの小さな島で、元々無人島で大洲藩が馬の飼育場として利用していたが、近海に鰯がよく獲れたため1639年兵庫県赤穂市の播州坂越(さごし)村の漁師が許可を得て一族16家族で移住したのが始まり。人口は昭和17年の889人、世帯数は昭和35年の165世帯が最高であったが、昭和42年(1967年)に中学校が、昭和53年(1978年)に小学校が廃校(資料によって年度が少し違う)になった。現在の人口は16人とか。事前にインターネットで調べると人の数よりネコが多いとの書き込みがあった。
出発前の受付、弁当をもらう。 臨時便に乗船。
濵田さんダウン、 かわいそう。島に近づく。頑張れもうすぐだ。
確かにネコの数が多い。聞くと犬を飼ってはいけないということはなく前に犬を飼っていた人がいたが今は世話する若い人がいないとのこと。
十三士記念碑に向う。大正3年1月の吹雪の日、広島県の漁船が遭難して漂っているのを地元青年団が二隻の漁船で救助に向ったが一隻が転覆した。それを島で見ていた青年13名が和船で救助にでたが転覆し全員が殉職した。皮肉にも遭難していた漁船や最初に救助に行った二隻の乗組員は助かった。13名の犠牲者をたたえ十三士墓を建てるとともに碑を建立した。
青島出身でNHK松山放送局に勤める亀井嘉朗さんが参加され説明していただいた。亀井さんが小学校に入学した時は同級生が60数人いたが、多くの人が島を離れ中学校を卒業するときは27人になったとのこと。
集落はこの見える範囲。ここに約900人がいた。今では信じられない。
路地。 やはり猫。 庄屋の赤城宅跡地。石段が立派。
お昼のお弁当。笹に包まれ最高。ネコが来ないうちにいただきました。
小学校からの風景。 デジタル電波塔、陸地の海岸部はこのおかげでテレビが映る。
コミュニティセンターに集まって講話と演奏会。
濵田会長復活。 村上さんの講話。
会場 島のかたも一緒に聴かれる。
異端の島唄奏者三好輝さんの喜界島三味線と薩摩琵琶の演奏。
岡田県議も奄美の踊りを一緒に踊る。 記念撮影。
島のかたもハイチーズ。 青島の盆踊りの衣装。
愛媛県無形文化財。赤穂の耐え難い望郷の念等の踊りとか。毎年8月14日の亡者踊りと15日の大漁踊りと二晩踊った。忠臣蔵用に47着の衣装があったようだが、最近は踊る人がいないようである。
明治14年の住宅地図 昭和15年の住宅地図
青島の地名 青島中学校
青島の盆踊り
青島独特の定置網。 島の人によるとネコは30~40匹か?とのこと
帰りの時間が近づく。 見送ってもらう。
ありがとうございました。 船から見た海水浴場付近。
帰路。帰りの波は穏やかであった。
濵田さん帰りは船が揺れず順調。みなさん楽しい思い出を作って下船。
当日は、朝方、伊予市に大雨警報が出て長浜に行くJRの始発が運休するなど天候が心配されたが、雨も降らず暑くもならず絶好の日和でした。お世話いただいた「なんとかしようぜ委員会」の皆様本当にありがとうございました。おかげさまで、坂本龍馬のこと及び青島のことを知ることが出来て大変勉強になりました。機会があれば今度は定期船で訪れてみたいと思います。
定期船は1日2往復。日帰りの場合は、長浜港7:00発青島着7:45、帰りは青島発16:15発長浜港着17:00。往復1,330円‘(6歳以上12歳未満は670円)
島には自動車はない(車が走る道がない)。そういえば自転車も売店も自動販売機もなかった。魚釣りや海水浴が出来るが行く時は食料や水を持参しよう。
なお、この記事にはハンドルネーム春野公麻呂さんのブログ「戦争遺跡ハイキング(15)青島艦艇速力試験所跡」を参考にさせていただきました。
青島の問い合わせは、大洲市役所青島連絡所 0893-52-2933
by 「ひとりしずか」 でした。