胸にひそめた、私的もののあはれ等。

絵馬1


【現在の執筆実績】

『忘却の日本史』西日本編 特別号(2017年)九州の武将ランキング(武将紹介 4割執筆)

『忘却の日本史』Vol.15(2018.7月)「佐賀の忍者・山伏・天狗」

『忘却の日本史』Vol.16(2018.11月)「肥前田原氏の歴史 -豊前の名門・田原氏の末族が、龍造寺隆信を支えていた?-」

『忘却の日本史』Vol.17(2019.5月)「神代大和守勝利 (前篇) - 十年磨一剣、霜刃を試す -」

『忘却の日本史』Vol.18(2019.7月)「神代大和守勝利 (中篇) - 今日把りて君に似す -」

『忘却の日本史』Vol.19(2019.9月)「神代大和守勝利 (後篇) - 流星光底、龍を逸す -」

『忘却の日本史』Vol.20(2019.11月)「肥前千葉氏と戦国前夜(前篇)」

『忘却の日本史』Vol.21(2020.9月)「肥前千葉氏と戦国前夜(後篇)」

『忘却の日本史』Vol.22(2020.12月)「大村純忠の実像(一)」

『忘却の日本史』Vol.23(2021.4月)「大村純忠の実像(二)」

『忘却の日本史』Vol.24(2021.7月)「大村純忠の実像(三)須古領主・平井経治との共闘

『忘却の日本史』Vol.25(2022年 次号)「大村純忠の実像(四)

 『そろそろ本当の忍者の話をしよう』(佐藤強志 編著 / 三重大学 教授 山田雄司 監修)株式会社ギャンビット 発行(2018.9/1)「蓮池藩と佐賀藩」

『葉隠研究 第89号』(葉隠研究会 編集 発行)
 「戦国時代の龍造寺家について」(2020年8月)

『葉隠研究 第90号』(葉隠研究会 編集 発行)
 「『寄々衆』の検討」(2021年3月)

『葉隠研究 第91号』(葉隠研究会 編集 発行)
 「戦国時代の龍造寺家について(2)」(2021年8月)

『佐賀の戦国史 フリーペーパー』(佐賀戦国研究会編集・発行)佐賀県立図書館蔵

『嬉野市忍者発掘事業 調査報告書』(2018年)佐賀県立図書館蔵

『第2回国際忍者学会大会』基調講演内容(2018年9月)佐賀県立図書館蔵

『戦国時代の肥前田原氏』研究報告書 (2018年)佐賀県立図書館蔵


今年も何本か、執筆分が発行される予定です。 (深川 直也)



★歴史関係の詳細はこちらへまとめています:http://sagasengoku.seesaa.net/









以下、『歴史とは何か』 E.H.カー著(清水幾太郎訳 岩波新書 2015.9.4再版)P48〜49より。


『私たちはしばしば歴史のコースを「進行する行列」として論じます。まあ、この比喩は結構なものでしょう。但し、この比喩に誘惑されて、歴史家が、聳え立つ岩角から四方を見渡す鷲やバルコニーに立つ重要人物のつもりになるようなことがないとしての話であります。それはとんでもないことです。歴史家もまた同じ行列の別の部分に加わってトボトボと歩み続ける、もう一人の影の薄い人物にほかならないのです。それに、行列がうねって、あるいは右へ、あるいは左へと曲がり、時には逆戻りするのにつれて、この行列のいろいろの部分の相対的な位置が絶えず変化しますから、例えば、一世紀前の曾祖父よりも今日の私たちの方が中世に近いとか、シーザーの時代はダンテの時代よりも現代に近いとか、そう言うことが多いに有意味かも知れないのです。行列―と一緒に歴史家―が進むにしたがって、絶えず新しい展望が開け、新しい視角が現れて参ります。歴史家は歴史の一部なのです。現に歴史家が立っている行列中の地点が、過去に対する彼の視角を決定するのです。この公理は、歴史の取扱う時代が彼自身の時代から遠く距っている場合でも同じように通用するものであります。』


ここでは使命あるプロの歴史家論だと思いますが、歴史に学ぶ一般人にも通じる話で、さらに歴史を、主体的に学んでいる自覚のない勉強家や評論家にも通じる。

私がひとり心の中で標榜している指針の言葉がいくつかあるのですが、
その中のひとつに、【死屍累々の途(みち)】というのがあります。

端的にいうと、頭でっかちで終わる道です。ロジックはロジックであり、それ以上でも以下でもありません。知識をOUTPUTして活かさない、かつ自己を戒めない。世の中、身近に頭の良い人、鋭い評論をする人、博覧強記の秀才はたくさんいます。しかし一生何も行動なく考えているだけでは、結果的に何も考えて居なかったひとと同じです。何か形に残さない限りは。
身近でそういうタイプの人を見るといつも、「ああ、この人も死屍累々の途か」と心のなかで呟きます。

つまり歴史に学ぶとは、ひとつの見方として、死屍累々の途に向かって「進行する行列」に、加わらないことじゃないのかと私は思っています。悪い過去は繰り返してはならない。大きく言えば過去の戦争も繰り返してはならない。死屍累々の途に向かって「進行する行列」の人には(E.H.カーの言葉をもじれば、同じ行列に加わってトボトボと歩み続ける、影の薄い人には)、最近ツイッターが格好のツールのように思います。思弁を世間に流し、あたかも世の中に影響を与えることが可能のように錯覚する。匿名性も武器です。だから見事に、そういう人のツイートは偏向している。特徴的なのは、学者や著名人の説をリツイートしまくる。自分の主張として刷りかえる訳ですね。でもそこは仮想空間、疑似脳内。いうほどの運動エネルギーは生まれない。日々膨大な言葉と時間だけが流れていく。そう、時間だけが流れていきます。生身の体は老いていきます。


『利発は分別の花、花咲き、実ならざる類多し。』  by 鍋島直茂



今なにをするべきか、の問いは歴史家固有のものではありません。人間の普遍的な問いです。
そのヒントは過去の歴史、俗な言い方だと他人の歴史に学ぶ事。ものを知っているだけでは死屍累々の途。

ちょうど読んでいた本のフレーズ「進行する行列」と、思考がリンクしたので珍しく語ってみました。(笑)私にとっての「今なにをするべきか」は、歴史関係では来年も企画の形として、ネット上ではなく現実社会に顕現します。後の褒貶は他人の主張です。


もう一つ、言葉を紹介しておきます。

『昔と今って、繋がってる。私がよく申します。何のために歴史を勉強するの? 今日のことを勉強する。今日の事を勉強するために、歴史を勉強しないと、明日どうしていいか分からない。それが歴史なんですね。』

/ 「城あれこれ」− 杉谷昭 
『鍋島閑叟―蘭癖・佐賀藩主の幕末』 (中公新書) 新書 – 1992/3刊著者。
佐賀城本丸歴史館初代館長。若い人へ向けての”寺子屋講話”)


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【2015/11/23 11:54】 | 歴史のこと
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『かつて社会に存在した本に対する「特別な感情」「貴重な文化」であるという感覚は、急速にうすれています。ことにネットを使いこなすことにたけた若い世代にはその傾向がきわめて強い。時とともに本は表舞台から退場していきます。』『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』藤原智美P.45
06-24 21:20


【2015/06/25 03:49】 | Twitter
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またもや訃報である。
今度は昔お世話になった外科医の先生。50歳に至ってないのではないか。
あんなに元気だったのに。信じられずネットで検索するが(それなりに名が在る人であったので)詳細不明。

しかしね・・先生と懇意の人から電話があったので、まず間違いはなかろう。

今度、みんなで墓参りにでも行くかね、というお誘いでもあった。
墓参り・・・って。亡くなられたのは昨年11月、ガンとの事。マンションは内縁の奥さんに譲渡されたそうである。
つまり死期を悟っていたという訳か・・。

早すぎる訃報。今と同じ、当たり前の時間、というのは有限なのだなぁと、改めて思う。新年。

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【2014/01/11 22:21】 | 歴史のこと
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(プロット)

 瞬く間に肥大化した領国は遂に五ヵ国に跨り、その経略に追われる日々となった龍造寺家の家宰、和泉守長信
街道を一望できる高所に聳え立つ峻厳の山城、多久梶峰城に籠り、一人思案を重ねる。果てはどこまで行くのか、我が兄上、隆信殿の勢力。とにかく兄上は、即断即決である。敵方がまさかと思う間に、軍勢を動かす。目下は須古城に遊ばして、英気を養われて居る様子。素行がお宜しくないと聞き及ぶが、如何であろう。神経質な所のある兄上ゆえ、心底は油断されて居られまい。抜け目ない大友宗麟も、隙有らば肥前の国人共と書簡を往復させている。

 此処、多久の地は今や一大物流拠点となった。領国各地から様々な物資が集まってくる。来たるべき戦に備え、常に軍備を補強せねばならない。特に力を入れるべきは、種子島。もはや戦の趨勢は火力で決まる事、歴然としている。どれだけ鉄砲の数を揃えられるかで、我々の命運が決まる。軍需物資の調達については、すでに海外と交易する道を探るべく、家臣を支那へ派遣した所だ。

 長信は深呼吸をして、城を包む森の新緑に目を遣った。肌を撫でる風は寒いが、そろそろ春が芽吹いている。さぁ、今年は良い一年になるはずだ。長信はゆっくり大きく背伸びをし、両手で大きく円を描くようにして肩の疲れを解した。軍事の事はまた別の機に・・、と思ったがやはり気に掛り、思念が頭から離れない。

 槍の製造などについては、悉く塗金を施し、我が軍の威厳を高める効果を図った。この黄金に輝く槍隊の大軍が前へ進めば、必ず敵の気持ちは委縮するであろう。その眩さはさながら、日足を見るが如し。その創意工夫は、九州制覇に懸ける、長信渾身の思いであった。兄上の更なる飛躍を、儂は後方から力強く支えなければ。

 長信は、今この一時の平穏は、すぐに破れるものと経験的に知覚している。いつ、須古の兄上から陣触れの御達しが来るかもしれぬ。いつでも迅速に大量の軍事物資を動かせるようにしておかねばならない。

 と、思案に暮れる間に、嫡男の家久が廊下をばたばたと踏みならし、慌ただしく駆け寄って来る。

「父上!!取り急ぎの知らせ是有り!」

「何事じゃ。」

「薩摩、島津の手勢肥後より海を渡り、島原の南へ上陸した由!」


「何と・・・・。」



 泰平に思われた肥前。その春暁は、この一報で見事に蹂躙された。
長信は、無念を覚えた。いざ日頃の備えが活きる事態に在りながら、余りにも早く勃興した動乱を疎ましく思った。

 我々には、休まる日々は、無いのだ。






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【2013/06/27 01:35】 | 歴史のこと
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