874 休題(エピソード記憶)
人間の脳とは一体なんなのか、真剣に考えた時期がありました。100冊ほどの本を読んで、さんざん考えて得た結論は非常にシンプルで、脳は(人間の)次の行動を決めるための「情報処理装置」であるというものです。勿論、人間の脳には計画する、予測する、反省する、泣く、笑う、と言った高次の働きも付与されています。しかし、これらの高次の能力は決して天与のものではなく、生まれた後に、日々の経験の積み重ねで獲得されたものだと言えます。例えば、全くの経験の無い状況に立たされた人間はパニックに陥り、「動物的」に右往左往するしかないのです。怒りも動物脳に起因する機能なので、それをコントロールする事はなかなか困難なのでしょう。極端な例ですが、オオカミに育てられ、人間社会に無理に連れて来られた少女にも、人間らしい感情はついに生まれなかったと想像しています。動物として生きるには、それらの、人間を人間たらしめている感情は無用のものなので、幼児期の早い段階で退化してしまったと思われるのです。
人間を人間らしくしている根拠は、実は記憶です。それも、起こった事態を、時間を追って物語の様に記憶する「エピソード記憶」なのです。その記憶の中で、「何が何してどうなったか」という、物心がついて以降の主要な記憶が固定されていきます。人間が人間らしく行動する規範がその物語の中に、殆ど含まれていますから、新しい非常事態が生じた時にも、人間はどうにかパニックに陥らずに済む事になります。言葉を換えれば、その人の人間性は、そこまでの人生で、如何に人間らしい多様な経験を通過してきたかに掛かっているはずなのです。投稿者は、それを竹の節に喩えます。節の多い、がっしりした竹こそが豊かな人生の象徴だといえます。
エピソード記憶の蓄積期にあたる貴重な子供時代、テレビゲームに多くの時間を費やした子供たちが「ゲーム脳」になるのは、上のような理由により、事の必然だと言えるでしょう。彼らの人生が、さながらシノ竹のように節も少なく、か細くなることを心配しています。
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