ブログのアクセス数は、見えないコミュニケーションと人間関係に依存する
BLOG15.NET : ブログはこれからおもしろくなるのかな? - livedoor Blog(ブログ)
私は10年以上前からインターネットでウェブサイトを作ってきているけど、昔と今を比較しても、圧倒的に昔の方がトラフィックを稼ぐのは難しいという事を先に覚えておいた方がいいと思う。そして、数年前だったらその「既にある程度のトラフィックを稼ぐ」というのはそれほど敷居の高いことではなかったのかもしれない。しかし、最近始めたばかりの大多数の無名ブロガーは、最初の段階でアクセスが無いから、その好循環に入っていきにくいのだ。そこらへんの事情を無視し、「いい内容を書けば、その内アクセスは増える」と、のたまうのは「いい物を作れば宣伝しなくても売れる」というのと同じぐらい非現実的である。
覚えておかなければいけないwebの暗黙のルール
アクセス数を保持しているサイトがしている事を、アクセス数が負けているサイトが真似ても絶対にアクセス数は上がらない。
BLOG15.NET : ブログはこれからおもしろくなるのかな? - livedoor Blog(ブログ)でも言及されていましたが、これは現代だからというわけではありません。
昔からwebはこのルールにのっとって動いてきています。
少なくとも私が参戦した10年前からこのルールは変わりません。
逆にpingなんて便利なものも無いし、トラックバックなんて自動で相手先からリンクをもらえるシステムも無い。
アクセスを集める為には、相互リンクのお願いをして回ったり、数あるサーチエンジンに登録して死ぬほどスパムメールを受けなければならないし、まして検索エンジンはトップページのキーワード以外を重視しない傾向にあったため、手作りでウェブサイトを立ち上げたって、かなり努力しなければアクセス数は上がらない。
古くからある個人ニュースサイトを見ればわかりますが、『相互リンク』や『リンク』に、膨大な量のほかのサイトへ誘導するリンクがあるのはそのせいです。
現代と言うのは、ブログという便利なツールに、『とりあえず自分の思考や好きな事を書くだけ』で、相互リンクなんてしなくても、1日20件というアクセスがたった3ヶ月くらいで集める事が可能な時代であり、昔と比較すれば、間違いなく現代の方がアクセスを集めやすい。
1年間で365記事書けば、それだけでGoogleからの訪問者が増えるというのは、昔から考えたら異常とも思える集客効果です。
また、古くからある検索エンジン、Yahoo等も、同様のパクリサイトが次から次に出てきても不動の人気を持っているのは、『ポータルサイト』という分野の先駆者だからです。
結局のところ、先駆者が強いわけなんですよね。
とりあえずこれを踏まえたうえで、話を進めなければ前に進みません。
ブログはブログというジャンルではない
ブログはあくまでも何らかの情報を発信する為の補助ツールの総称であり、ブログが楽しくなるかどうかなんていうのは個人個人違います。
例えばウェブサイトで『PhotoShopの使い方』というサイトを作っている人。
例えばブログで『PhotoShopの使い方』というブログを書いている人。
違いは媒体が違うだけで、ジャンルは一緒です。
例えば面白い発見を情報として吐き出すサイト。
僕の見た秩序。
例えば面白い発見を情報として吐き出すブログ。
ココロ社
大きなジャンルは基本的に同じですが、書いている人の『視点の違い』という異なった部分が存在します。
つまり、ブログというジャンルは基本的に存在しません。
webは内容が全て、という事です。
読者はこうした異なった視点や、思考に対して評価しています。
それを感じやすいのがブログ、という事に過ぎません。
トラフィックを集めるコツはひたすら内容のあるエントリを書き続けることだ、という論を有名ブロガーのエントリから読むことがある。私はこういうエントリを見るとき少しイラッときてしまう。確かにWebの発展の為にはそうするのが一番だろうし、またエントリの内容を濃くすることがトラフィックを集める王道であるだろうとは思う。しかし、さも自分がブログの内容だけで多くのアクセスを稼いでいるかのように錯覚している有名ブロガーには、少し腹が立つというのが本音だ。
では、id:BLOG15氏がイラっとくる『良い記事を書く』というのはどういう意味なのかを考えてみると次のようになります。
人の思考や発言の価値
例えば道を歩いていて、あなたが暇だった時、突然知らない人から、『私は今日の朝、政治のニュースを見ました。そして私はこう思います』なんて言われたらどうしますか?
たとえ暇であろうともコメントしない人の方が多いですよね。
例えば道を歩いていて、友達の友達の友達あたりから、『私は今の政治についてこう考えてます』と言われたらどうしますか?
何人かはコメントするかもしれませんね。
例えば道を歩いていて、以前とても参考になる情報をくれた人が『今の私は政治について、こう考えています』と言われたらどうでしょうか?
以前なんとなくお世話になっているので、その人の考え方に同調する人がいるかもしれませんね。これを奉仕的コミュニケーションと私は言っています。
例えば道を歩いていて、いつも情報を交換し合い、お話するような友人が、『今の政治って終わってるよな』と言われたらどうしますか?
政治が終わっていないと、あなたが真剣に思っているのであれば、真剣に考えて応えるでしょうし、政治が終わっていると思っていたら、ほんとその通り!と絶賛する人が多いでしょう。
id:BLOG15氏が見逃しているのは、単純にコミュニケーションではないかなと私は思うのです。
特に不特定多数の人が、『知らない人』から、『○○な人』と変貌する為のコミュケーション能力です。
見えない無言のコミュニケーション
BLOG15.NET : やっぱりブログは就活には役立たないかも
というエントリを読ませて頂きましたが、あなたの思考が生んだすばらしい気づきが書いて有ります。
ところが、これを『良し、就活にブログを使おうと思っている人に奉仕してみよう』と考えたら、それなりに相手にスパっと届くように仕上げる必要があります。
これこそがコミュニケーションの始まりです。
例えば、『就職活動にブログは結局使えない3つの理由』と題して、3つに分けて伝えてあげるだけで、印象は全く変わります。
非常に面倒ですが、頭の中で今書こうと思った事を一度整理してから吐き出すと言う脳内編集作業が必要になります。
それは読者に対する思いやりであり、『知らない人』から『なんかいいこと教えてくれた人』に変わる第一歩なんです。
だらだらと講習する先生と、同じ時間でも何故かあっという間に講習が終わってしまう先生がいるように、吐き出す内容を考える事は、相手にとってとても重要な、見えないコミュニケーションなんです。
ジャンルが違うココロ社さんは、『面白い』という一つのコミュニケーションを持っています。
『知らない人』から『なんか面白い事をいう人』というとても難しいコミュニケーションを実現している人なんですよね。
エントリその物がもつコミュニケーション
現在最新の記事の今の気持ちという私的発言も、『知らない人』から見たらほとんど価値が有りませんが、今回トラックバックを送った多くのブロガー(北の大地から送る物欲日記等)からしてみたら、それは『価値のある思考』として判断されるわけです。
人に自分の思考に耳を傾てもらうには、目に見えない何らかの信頼関係が必要です。
注目と言うのは、その信頼関係があって初めて実現するわけです。
形は違っても、はてなブックマークというサービスで人気だから、という『友人(はてな)の友人(人気エントリ)』という関係であったり、いつも見ているサイトが紹介しているからという理由であったり。
直接コメントを相手先につけたり、トラックバックを送ったりする目に見えるコミュニケーションツールが充実している現代だからこそ、こうしたエントリが訴える目に見えないコミュニケーションが見逃されているように思います。
これはwebサービスとブログの大きな違いです。
webサービスは、どうやって既存のサービスの質を向上させるのか、どうやって質の違いを作るのかと言うところに焦点が集まりますが、ブログに関しては、どうやって『知らない人』という関係をいかに『他の人とは違う○○な人』にするかを考える事が重要だということです。
特に長い文章が多くなってしまうブログ記事というのは、確実に何らかの興味、もしくは信頼関係が無い限り、見られる事はないのです。
そして、○○な人と思ってもらえる最も手軽な無言のコミュニケーション方法というのが、奉仕的エントリなのです。
無償で相手の役に立ったり、悲しい時に元気がでるエントリだったり、なにげない笑いをもらえたり、というエントリこそが、相手に自分をわかってもらえる一番の近道だと思います。
『良い記事を書け』というのは、そういう事をあらわしているのかなと思います。
ごく一部のアルファブロガーを除いて、有名ブロガーという人達は、かならず共通して、奉仕的なエントリがポツリポツリ眠っているという事実から、目を背けてはいけないと言う事ですね。
以上私なりの考えでした。
それでは、また。