ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

南関東の「いろんなところから富士山が見える」状況に驚きつづけている

大阪から東京に引っ越して30年以上経つが、じわじわと蓄積されてきた驚きがついに閾値を超えたので筆を執った次第である。正確には「ポメラ DM250を起動してmenuキーを押して新規作成を選んだ」のだが、ポメラを持っていなかったら、さらに驚きが蓄積されていないと、PCを起動して待って海辺の洞窟みたいな写真を見てそろそろ海に行きたいと思って指紋認証してテキストエディタを開いて新規作成したりはしないと思うので、ポメラを買ってよかったと思うが、それはともかく、閾値を超えた驚きとは何かというと、富士山がいろんな場所で見えるという事実についてである。

 

はじめて東京に来て暮らしはじめたのは東中野で、すでにまわりはビルだらけだった。近くに「富士見町」というそのものズバリの地名があったにもかかわらず、建物がなかったころはたしかに富士山が見えただろうけど、小さかっただろうし、今はビルに遮られて見えへんのやろ、と思っていて、試そうともしていなかった。そもそも、富士山を見たいという願望も持っていなかった。若いころは景色を楽しむという概念に乏しいものである。わたしが富士山を見るのは、実家に帰るのに東海道新幹線に乗ったときくらいだった。そのときは、なかなか大きいなぁと思っていたのだが、それでも、線路のすぐそばにあった太陽電池の三日月みたいな建物に比べたら迫力に欠けると思っていたのだった。

 

調布に転居したとき、まわりに高い建物がないマンションの最上階(ただしエレベーターなしで不在がちだったので宅急便の人には申し訳なかったと思う)で、ルーフバルコニーがあったのだが、そこから富士山を見た記憶はない。地図で確認したらバルコニーは見えない方向だった。見えていたはずの味の素スタジアムについても見た記憶がなかったから、仮に富士山が見えていたとしてもそれを見ようとしていたかは疑問である。

 

そのあと短い間だが暮らしていた武蔵小杉のマンションにもまたルーフバルコニーがあったのだが、日当たりが致命的によくて、物干しスペースとしては高性能だったが、その目的にしか使っておらず、富士山が見えるかどうか確認したことはなかった。地図で調べてみると、そのルーフバルコニーからは見えないところにあった。

 

そして多摩市に転居したのだが、40歳半ばで、だいたい日本で行きたいところは旅行したなぁと思って、行くあてもなく近所の遊歩道や、少し遠出して南関東の海沿いなどをじりじり歩きまわっていたら、突然富士山が現れはじめて驚いた。それまでは新幹線から見るものだと思っていたのだが、実際は、南関東なら高い建物が少ないところや高いところに行くと見える頻度が高い。

 

わたしが富士山をよく見る場所は高幡不動のふれあい橋である。

人々がふれあう想定の橋だと思うが、わたしは富士山とのみふれあっている。夕方に見て、そのまま歩いて帰宅するのがルーティンになっている。

 

また、「川にかかる橋で西側が見える」というシチュエーションであれば高頻度で見えることを学習し、多摩川にかかる石田大橋からも見えたりするのかなと思ったら、やはり見える。

これは300mm相当のズームによって得た画像なので、実際はこんなに大きくは見えないが、端とはいえ東京なので、300mm相当のズームをすればこの大きさになるということにも驚いてしまう。

多摩ニュータウン通りを歩いていてふと見えたときには驚いた。映画のシャイニングのどのへんのシーンか忘れたけどそういう感じ。

 

西東京だと23区より富士山に近いし見えて当然ジャンなどと思ったりもしたのだが、葛西臨海公園でも見えた。

ただ海を見たいと思って行っただけなのに思わぬ収穫である。海沿いで西側が見えるところなら見えるということなのだろう。

 

さすがに千葉県になると難しいのではと思ったが、東京湾沿いだと遮るものがないので見える。

これは船橋の三番瀬。海を見たいと思ってきただけなのに富士山まで見えるとは……。

 

さらに千葉市の千葉タワーに行っても富士山がわたしを追いかけてくる。天気のよい日に夜道を歩いていて「月がどこまでも追いかけてくる」と思うのとまったく同じ感覚である。富士山は惑星なのか……。

 

千葉から見えるなら、東海地方であり富士山が属する静岡県なら当然よく見えるはずだが、沼津で富士山がこんなに近くに見えることは知らなかった。

ここまでよく見えるのなら富士山が見えることをもっとアピールすればいいのではと思ったが、沼津でなくてもよく見えるので、深海魚の水族館などに比べて独自性は薄いのかもしれないし、仮に富士山が見えなかったとしても沼津は見どころ満載シティである。

 

話を南関東に戻して……三浦半島を歩いていても、目を凝らすと見えるときがある。

最近は、「かもしれない運転」のように「富士山が見えるかもしれない」という気持ちでお出かけしている。「だろう運転」のように「富士山は見えないだろう」と思っていたら全然見えないと思う。車の免許を持っていないので「かもしれない運転」がどの程度有効なのかは知らないが、「かもしれない散歩」は暮らしを豊かにしてくれているたしかな実感がある。

先述の高幡不動では、これでも富士山を感じることができる体にされてしまった。

 

いっぽう、わたしが育った大阪はどうかというと、伊勢神宮遥拝所のようなものをときどき見かける。

これはなんとなく立ち寄った天王寺近くの寺田町の神社で、当然ながら建物がなかったとしても見えない位置にある。まず生駒山地に遮られるので、奈良すら見えない。つまり、この方角に伊勢神宮があるからimagine……ということである。それはおかしなことでもなんてもなくて、伊勢神宮に行ったとしても神様が見えるわけではなくて、やはりお賽銭を入れるところからimagineである。同じ関西でも、見える地域は限られているものの、三輪山は神そのものがご神体で、富士山は同じような感覚で信仰されているように思う。南関東のあちこちで見える富士山は、わたしたちを見てくれているような感覚があり、わたしは中年になってからその感覚が芽生えてきた。

 

もしかしたら、いじめの件数なども、富士山の見える地域は少なかったりするのかしらと思って検索してみたら、そんな感じでもなかったし、そもそもいじめの件数はその地域が認知数を増やす方針なのか否かによっても大きく異なってくるようなのでなんともいえない。富士山がよく見える地域に住んでいる人は富士山があたりまえだと思っているので、富士山の見えない地域から見える地域に引っ越すと幸福度が向上し、その反対だと幸福度が低下したりするのかもしれない。

 

富士山が見える地域に住むことによって精神にどのような影響がおきるのかはわからなかったが、だいたいどこからでも同じ山が見るという状況は、少なくともわたしを落ち着かせる効果があることがわたしによって実証されている。外から南関東に来た方で、富士山をあまり意識してこなかった人も、「富士山が見えるかもしれない」と思って過ごすと楽しいと思う。

 

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夏のウグイスが精神的にやかましいという話

ウグイスといえば、かわいらしい鳴き声で春の到来を告げる鳥であることはご存知のとおりである。ウグイス的にはべつに人間に春が来たことを知らせたくて鳴いてはいないのだが、人間はウグイスの鳴き声を聞いて春が来たと感じて、勝手にうれしい気持ちになるものである。かつてわたしは旅先でウグイスの鳴き声を聞いて、やっと春がきたと喜んだりしていたものだが、何回か鳴き声を聞いて春の到来を実感してから、その鳴き声は車の走行音などと同様、意識にのぼってこない音になっていた。

 

ウグイスのことをよく知ることになった、というより、いやおうなく知ることになったのは、鳥のうるさい地域に引っ越してきてからのこと。まず、鳥のうるさい地域とはどこかというと、多摩ニュータウンである。それまで暮らしていた東中野や調布、武蔵小杉と比べて鳥がうるさいのは当然としても、わたしの育った大阪の端、四條畷と比べてもうるさい。四條畷は読み方がよくわからないことは言わずもがなであるが、店が少なくて電車の本数も少なく、塾などで大阪市内のクラスメイトに引け目を感じたりもしていたものだが、そんな四條畷よりも多摩ニュータウンは緑が多くて鳥がうるさいことは意外だった。鳥がうるさいわりに駅は4つ(路線の違うものを入れてよいなら7つ!)もあるし、丸善も大判焼のしゃるむもあって、もう10年近く暮らしているのに今も意外性に驚きつづけている。

 

引っ越してきたばかりのときは朝は7時ごろ起きていたのだが、最近は加齢に伴って起床時間が前倒しになって、5時ごろ、ちょうど鳥が鳴きはじめるタイミングで早起きするようになってから、鳥の鳴き声には結構なボリュームがあると感じるようになった。ウグイスは春に鳴いているのだが、毎朝鳴き続け、いつのまにか夏になって、それでも鳴いている。春が来たことは存じあげているので人間としてはもう鳴かなくてもよいが、いったいいつまで鳴くつもりなのかと思っていたのだが、ある日、悲しい情報を目にした。ウグイスはパートナー探しのために鳴く、つまり、夏になるまで鳴いているということはパートナーが見つかっていないのだ……という趣旨の話だった。その話を読んで「ホーホケキョ」が、かわいらしい音楽から、「誰かぼくと交尾しませんか?」というモテない鳥からの生々しいメッセージに聞こえるようになった。わたしは毎朝、「誰かぼくと交尾しませんか?」の声で目を覚ましていて、まさに寝覚めが悪い。そもそも、どんなにモテなくても「誰か」などと言って振り向く雌はいないんやで……ウグイスがそう言っているわけではないと思うけれど。

 

それにしても、わたしの家から聞こえてくるホーホケキョの音自体は、少なくとも人間の感覚で聞くと、音楽的であり、鑑賞に値する。そのウグイスはモテないわけないんじゃないのと思って念のために検索してみると、ウグイスは一夫多妻制で、繁殖期は交尾する相手を探し続け、また、縄張りを知らせるために鳴くこともあるらしい。つまり、「誰かぼくと交尾しませんか?」だけでなく、「ええ男がここにおるで~!」「これ以上近づいたら排除する!」の合計三種類の意味があるということである。「誰かぼくと交尾しませんか?」の悲壮なイメージは薄まったものの、本能むき出しの鳴き声でわたしが朝起こされていることに変わりはない。いままでウグイスはかわいい鳥だと思っていたのに結構なイメージダウンである。夫の定年退職後、一日中家にいる夫に我慢できなくなった妻の話をよく見かけて、それに似ているのかもしれないし似ていないのかもしれないが、音そのものはともかく、精神的にやかましいと思って毎朝目覚めている。飼っている犬や猫の鳴き声から真意を把握しようとするのは大切なことだと思うが、飼ってもいない鳥が発するメッセージを人間が受け取ってもあまり意味はなかった。動物の鳴き声はすてきなBGMとして聞くもので、無用な詮索はすべきではないのかもしれないと思ったのだった。

 

とはいえ、人間も一皮むけば同じようなことで、都度縄張りを主張する必要がないように家にはドアがついていて鍵がされている。人間がマッチングする場合も、単にアプリを使ったり、友人の紹介というシステムがあるというだけである。これらの仕組みを使わないのであれば、道端や職場でホーホケキョ級の会話をしなければならなかったはずである。いっぽう、ウグイスも自分の縄張りが囲われていたらホーホケキョなどと鳴かないだろうし、マッチングアプリがあれば、少なくともアプリに登録するときに渾身のホーホケキョを一度吹きこめばよいだけである。アプリがあってもウグイスの雌は鳴き声を頼りにパートナー選びをするのかはわからないが……。

 

もし自分がウグイスだったら、いまわたしを起こしているウグイスよりもうまく鳴けないと思っている。おそらく楽器がうまい人や、身体能力の高い人がウグイスになったらうまく鳴けるのだろう。わたしがウグイスなら、まったく出会いもなく、毛だらけで食べるところが少ない毛虫を食べて暮らすだけだったのかもしれない。

 

明日からは、ホーホケキョで起こされながら、自分はホーホケキョと鳴かなくてもよいのだ、と、人間に生まれた喜びを噛みしめていこうと思ったのだった。

下戸がノンアルコールビールを飲んで「おつまみ」の概念を理解した話

アルコールが苦手で、飲酒する人の習慣がわからないまま半世紀以上生きてきた。とくにわからなかったのが「おつまみ」という概念である。otsumami……omotenashiの親戚のような語感。おかずでもなく主食でもない謎の存在。非アルコールの領域でこの「おつまみ」に近い概念といえば、おそらく「お茶請け」であるが、わたしは甘い物が好きなので、お茶請けも瞬く間に食べつくしてしまって、お茶請けというより、お菓子を食べてからお茶を飲むというだけである。
さらにわからなかったのが、「お通し」である。「おつまみ」の概念に近いのかもしれないと思っていたが、飲食店への献金のようなものだと認識していた。

 

本邦においてノンアルコールビールが初めて売られたのが1986年であることをわたしは忘れてはいない。宝酒造の「バービカン」で、高校1年生の時に飲んだのだった。他はさておき、味覚についてはノーマルな感性しか持っていなかったので、なんだか苦いという印象以外は何もなかった。大人になってから義務的な飲み会でビールを仕方なく一口飲んだりすることはあったが、苦みはともかく、飲むと眠くなるし、そもそも仕方なく飲んでいたので、おいしい/まずいの概念とは別の存在だった。わたしにとってビールとは「お酒を飲んでいる感」をアピールする道具でしかなく、平成の終わりごろ、そのようなアピールも必要なくなってからは、ビールを口にすることもなくなったのだった。

 

「おつまみ」という概念を理解することなく、わたしは天国に行く(半年前に救世軍の社会鍋に5000円投入したことが根拠)のだろうか……と思っていたのだが、昨年、お好み焼き屋に行ったとき、いっしょに行った人がノンアルコールビールを頼んでいて、おいしいかもしれないと思って頼んで飲んでみたら、おいしかった、というか、「おつまみ」がほしいと思ったのだった。いままで、炭酸水はよく飲んでいて、ペリエをケースで買っていたりした時期もあったが、それをはるかに上回る「甘くなくて爽快な飲み物」の存在に気づいたのである。

 

以上の経緯があって、飲食店に行くと、ノンアルコールビールを頼むことが習慣になっている。勢いでノンアルコールワインも買ったのだが、これもおいしゅうございまして、チーズとノンアルコールワインをセットでエンジョイしている。


そして、どんなおつまみでもよいわけではなく、お酒とおつまみには相性というものがあることも理解した。お寿司屋さんにビールがあることを今までは何も思わなかったのだが、ノンアルコールビールと合わせていただいた結果、生魚の生臭い風味が口いっぱいに広がって、お寿司もビールもおいしくなくなってしまった。生魚は日本酒のおつまみ、というか、そもそも「魚」の語源が「酒菜」なのだからそういうものなのだろう。もしかすると、まったく酔っていない状態だから生臭さに耐えられなかったのかもしれない。酔っているなら平気なのかもしれず、ノンアルコールビール特有の問題なのかもしれない。ノンアルコールの日本酒が普及すればいいのにと思い、Googleの地図でお寿司屋さんのメニューを目を皿のようにして見ている。

 

また、一般的にビールのつまみとして利用されるスナックたちには、ビールと併用することをイメージさせるパッケージが多い。

ノンアルコールビールを飲むまでは、「なんで本体よりもビールの写真の面積が大きいの……スナックとして自立しなさいよ」と思ったりしたのだが、ノンアルコールビールを飲んで食べてからは、そのパッケージが購入の際の目安になっている。これくらい大きく写してくれないと困るね……。

そして90%が「ビールが進む」と回答、というデータが奥ゆかしい。こういうのは97%くらいから出すものだと思っていた。なお、わたしの感想では(ノンアルコール)ビールが2本進みました。

 

夕方に外に何かを食べに行って、最初に「お飲み物は何にします?」と言われ、水というわけにはいかないなと思いながら仕方なくジンジャーエールやウーロン茶をお願いしていて、それもお店にとっての正解からどれくらい近いのかもわからず、宙吊り状態のまま飲んだり食べたりしていたのだが、ノンアルコールビールを頼むという選択肢ができて外食の敷居が一気に下がった。そして、ノンアルコールビールを飲むことによって「お通し」の意味も理解できた。いままではお通しを10秒で食べてウーロン茶を飲んでいたのだが、ノンアルコールビールを飲みながらゆっくり味わえるようになったし、席についてすぐ出てくる料理のありがたさを理解した。

たとえそれが生のキャベツであったとしても大変うれしい。つい最近まで、烏龍茶を飲みながら生のキャベツを食べて串カツが揚がるのを待っていたなんて信じられない。

 

なお、ノンアルコールビール暮らしをするうえで重要だと学んだのは、アルコール入りのビールと間違われないための作戦である。先日、初めて行った店で、メニューを見てノンアルコールビールがあったので、その銘柄(なんとかゼロという名前)で頼んだのだが、出てきた飲み物を飲むとアルコールが入っているような印象を受けた。ひとくちだと確信が持てないのでもう少し飲んだら、体温が上がってきたのがわかる。そこで「なんとかゼロを頼んだのに全然ゼロじゃないのが来てる」と主張しても、わりと飲んだあとなので替えてくれといいづらいし、言った言わないの話になるのは面倒である。言った言わないの話にならないよう、各ビール飲料メーカーはわかりやすい名前をつけているはずなのだが、お店の人の脳内では「何かビール状の飲料を頼んでいる→ビールを出す」という雑なフローチャートができているようだった。以後は、銘柄を知っていたとしても間違われる可能性があるため、わざわざ「ノンアルコールビールはありますか?」と聞いて、銘柄を教えてもらってから「じゃあそれで」と返すことで、お店の人に「この客にはノンアルコールビールを提供しなくてはならない」という情報をインプットするようにしており、それから間違いは起きていない。
このときは、せっかくの機会だし、たまにはアルコール入りのビールを飲んでみようと思って、飲んでいくうちに気分がよくなったのはたしかだが、そのあと数時間が何もせぬままあっという間に過ぎてしまった。時間の無駄遣いになってしまうと思い、アルコールは自分にとってはよろしくないと思ったし、アルコール愛好家は、この時間があっという間にすぎてしまうことも合わせて好きなのだろう。

 

そして、あのころ飲んで特に琴線に触れることもなかったバービカンは今どうしているのだろうと思って検索したら、販売権が宝酒造から日本ビールに移り、名前が「龍馬1865」に変わったとのこと。受験に出ないところは何も覚えなかったので未だに坂本龍馬のことをよく知らない。なんか大事な話をまとめたらしいという記憶はあるので尊敬している。

さっそく1ケース頼んでみたのだが、パッケージから坂本龍馬で驚いた。

そこまで龍馬推しということは実は彼はノンアルコールの草分け的な存在だったりしたのかなと思ったが、検索して、坂本龍馬は酒豪で、下戸だったのは西郷隆盛との情報を得た。あのビジュアルでお酒が苦手だと大変だったのかもしれない。

缶そのものはそこまで龍馬推しではなかった。缶に龍馬の大きな写真が載っていて飲みたいと思うかというとそうでもない感じだから、このパッケージが正解なのだろう。味はあっさりしていて、食事といっしょに飲むと非常にマッチング具合がよろしい。

 

また、中学生の頃からCMでさんざん見て脳内で味のイメージを醸成していたバドワイザーやハイネケンのノンアルコール版を飲んで、これがあのビールの味なのか……と答え合わせをして感動した。バドワイザーは金髪の美女のイメージだったので強烈な穀物臭がクセになる感じなのかなと思ったが想像より爽やかだった。ハイネケンはヨーロッパのおしゃれなビールというイメージで爽快感があるのかなと思ったら、重厚な味だった。海外のビールではヴェリタスブロイがもっとも好みである。日本のビールはどれを飲んでも一定以上の好感が持て、日本人の味覚に合うように作られていることを理解した……つもりだが、これらの「理解した」感じは、セブンイレブンで郊外の民を慰めるために時々提供されるエリックサウスや魯珈のカレーの味を以てお店の味であると理解してしまうことと同じことなのかもしれない。

 

かくしてわたしは、「おつまみ」の意味を50年以上かけて理解することとなった。この調子だと死ぬまでにあといくつ世界の謎を解けるのだろうかと不安に思うが、まずは発見を素直に喜びたい。

蚊のことをペットだと思って飼うと案外かわいかった

2ヶ月くらい前に玄関で蚊が飛んでいるのを認知するとともに殺害を試みたが、荷物をおろす前だったので動きが緩慢すぎて失敗した。運のよいやつだ。しばらく経ってからまた出会ったので、まだいたのか、早く帰ってほしいと思ったが、退路を塞いだのはわたしだ。扉までも遠かったこともあって二度目の遭遇では殺害を試みることもなく、手で追い払うにとどめた。


よく考えてみると、換気するときでも網戸は閉めたままなので、侵入したとしたら、わたしが家を出るときか家に入ったわずかなタイミングに家に入ってきたということになる。我が家にぜひ入りたいと思って待ち伏せしてくれた蚊なのかもしれない。人間に待ち伏せされたときの、なんでそこにいるの&これから何が起こるのという驚きと絶望はなかなかのものだが、蚊だとその害は多少のかゆみ程度であって、種を超えて向けられた熱烈な好意にわたしは少し感動した。数日後に腕にかゆみを感じたので、それはごはんをじゅうぶんに食べたと理解した。さらに数日経ってもデング熱のような症状はなく、結果として安全だったといえるが、この「結果として安全」という考え方がよろしくないことは不十分ながら認識してはいる。結果として危険だったら、デング熱からデング出血熱にまでステップアップしたのかもしれないから以後気をつけたい。本題とは関係ないが、「デング熱」の「グ」は現地では発音しないのではないかという気がしているが、その「現地」がどこかは知らない。


話を戻して、この蚊の余生は三つ考えられる。

 

(1)気まぐれな人類によって仕留められて黒い影になる

(2)扉が開くタイミングで外に飛び出してふたたび自由を得る

(3)わたしの家の中で寿命が来るまで過ごす


この時点で(1)はなかった。これだけ想いを巡らせてあの世送りにする選択肢はあるまい。(2)か(3)で、(1)がないなら(2)が普通なのかなと思うが、外に出すのもなんだかさみしい気がしたのと、蚊の感覚からすると、わたしの家にいることを囚われの身であると感じていない可能性がある。蚊の大きさがだいたい5ミリで、わたしの家の長辺が10,000ミリくらい。わたしの身長が1,780ミリだから、わたしが蚊だとしたら、この家の長辺は3.5キロ程度に該当する。自分が何か悪いことをしでかして、半径3.5キロ四方の領域から出てはいけないと言われたら絶望するとは思うが、三食昼寝付きだとしたら……イエスと答えてしまう可能性が高い。旅行などは行けないが、その代わり仕事はしなくてもよいとしたら、かなり魅力的である。そして、その状態に相当する蚊は、わたしの血のみを吸って寿命まで悠々自適の暮らしをおくるのである。

 

ここまで考えて、わたしは蚊に愛着を持って飼っているといえる状態であることに気づいた。餌はあげなくてよくて、腕に止まったときに排除しなければそれが給餌を兼ねる。トイレはどうしているのかわからないが、わたしが気づかないようなスケールの排泄なのだから好きにしていい。
蚊のことをペットだと思いなしたら、幸せが近くにありすぎてじんわりした。

 

蚊と暮らすようになってから、蚊のかわいらしさや意外な生態を知ることができたのでここに記しておく。以下の話の一部あるいは全部がわたしの推論の誤りである可能性が高い。しかし、猫を飼っている人が「この世でいちばん偉いのは猫で人間はその下僕」と言ったときに、いちいち「奴隷制度を現代に復活させようというのか!」と憤慨したりしないだろう。それと同じなので、この話も適当に読み流してほしい。

 

・うちの蚊の吸血成功度は10%にも満たない
蚊のことを、かゆみ注射器や病原菌ばら撒き機だと思っていたときには、刺されてから蚊の存在に気づいて叩いてすりつぶしてあの世に送っていたため、「吸血している蚊のみが蚊である」という偏見を持っていた。いま、家蚊(「家人」のような意味)がわたしの体に止まったら、ごはんの時間が始まったと思って、吸いやすいように筋肉を弛緩させて動かないようにしていたのだが、なかなか血を吸ってくれない。しかも腹が細くなっているのを見ると、今回吸えなかったら餓死するかもしれないと思ってこちらが焦る。家蚊が焦っているかどうかは知らないが、もしのんびりしているのなら緊張感をもって吸血にあたってほしい。


・うちの蚊は吸う限度がわかっていない

これが苦労して血を分けて満腹になった家蚊である。以前、トイレで便座に座っているときに突然お食事タイムが始まったのだが、吸い終わった後、床に落ちて歩いて退却したので心配になった。無限に吸える状況になったとき、飛ぶ余力を残して途中で吸血をやめたりはできないこともあるようだ。食べすぎて吐いてしまう犬などもいるが、蚊だと吸いすぎて仮に吐いたとしても後始末が必要なほどには吐かないので楽なペットである。


・うちの蚊はいなくなって死んだかと思っても明かりをつけたら寄ってくる
帰宅して蚊のいる部屋でしばらく過ごして蚊が飛ばず、ついに召されたかと思うが、Fのつくサイトで半額になっている動画を吟味しているうちに小さな命のことはすっかり忘却の彼方で、そろそろ寝るかと思って部屋の灯りを消して、iPadでジューダスプリーストの動画を見る。すると、どこからともなく蚊がやってきて、画面に体当たりを繰り返す。ジューダスプリーストのファンなのかもしれない。ぼくはそこまでジューダスプリーストのことを好きではないけれど……。

 

 

そんな感じでひと夏を蚊と過ごしたのだが、ジューダスプリーストの動画を繰り返し見ても出てこなくなってしまったから召されたのだろう。ペットロスなども皆無だから助かる。

また来年の夏、同じ志を持つ蚊がうちに来たら歓迎しようと思う。わたしの血でよければせいぜい吸ってゆっくりしていってほしい。

 

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巨大廃墟、旧志免鉱業所竪坑櫓は意外に近くて癒やされた

旧志免鉱業所竪坑櫓について知ったのは2005年、ワンダーJAPANの創刊号の表紙から。

ワンダーJAPAN vol.01

冊子は出てすぐ購入したのだが、威圧感たっぷりの表紙だけで十分元をとった気になって、あまり読まずに本棚にしまいつつ、志免炭鉱跡にいつか行きたいとの思いを持ちつづけていた。炭鉱跡が福岡にあるところまでは確認していた。社会や道徳で筑豊炭田について習っていたので、やはり炭鉱というのものは九州北部にあるものなのだという認識を持ったのだが、表紙の写真の印象から、てっきり福岡と熊本の県境の山奥にあるのかなと思っていた。「空が赤くなっているようなところだから遠いところに違いない」という単純なイメージを持っていたのである。山奥の獣道を数時間歩いて、忽然と目の前に現れた平原と、崩壊寸前の櫓。見に行くとしたらそれなりの規模の旅になると思っており、その準備は今はまだできない……と思いながら18年が過ぎたのだが、先日、博多に用事で行く機会があって、用事が終わって博多から福岡空港にそのまま戻るのももったいないかなという気持ちになり、空港近辺の名所を探してみたら、志免炭鉱跡があるではないか。空港の近くにあると認識していた太宰府よりもよほど近い。志免炭鉱跡から福岡空港までは徒歩で1時間程度。平日でも数時間散歩するわたしにとっては、むしろ近すぎるくらいである。

 

「最寄り駅」という概念をかりそめに適用するならば、JR須恵駅がいちばん近く、徒歩20分である。

「須恵」という名前からここが須恵器のはじまりの地かと思ったりしたが、そうでもないようで、焼き物は作っていたらしいけれど江戸時代かららしい。

 

ガード下の絵が写実的である。1000年後まで残ったら当時の習俗の参考になるのかもしれない。

 

ほどなくして高いとはいえないが低いともいえない山が見えてきた。

低木が生えていて、高いとも低いともいえない山にしか見えないが、崩れた跡に見える山肌が思いのほか人工的である。

 

近づいてみると、工事現場のような土と、教科書で見た石炭っぽい塊。

 

そしてbrand-newな立ち入り禁止の看板。禁止している団体名もウンニャラ警察署などではない。それもそのはず、これは炭鉱を掘った残土を盛っていたのである……そんな出自だったら崩れやすくて中を歩き回ったりはさせてくれるはずもない。

 

残土に拘泥しているうちにご本尊が見えてきた。

駅を出て10分程度しか歩いていないので拍子抜けしたが、意外に気軽に来られるところも含めて楽しみたいところである。

 

旧志免鉱業所竪坑櫓はまるごと、「シーメイト」という志免町の総合福祉施設の敷地内にあって、多目的広場や、「なかよしパーク」という公園もある。

もっと管理されておらず、柵がところどころ破れていて好事家が忍びこめるような感じをイメージしていたが、想像していたより明るいイメージである。

 

炭坑の入口。

こういうものを見たときに北斗の拳のジャギに喩えていたのだが、北斗の拳やドラゴンボールやガンダムに喩えていたら若年層からの支持が得られないことはわかっている。そして新しめの漫画やアニメは知らないので、「立ち入りが徹底的に禁じられている」としか言えないのだった

 

網で囲っているのだから、入口そのものは開いていてもよいのではないかと思うのだけれど、先日、コスプレで廃坑に入って酸欠で亡くなられた事件があったことを想起して、これくらいがよいのかもと思った。

これが掘り出された鉱石。rawな鉱石をインテリアとして飾りたいという欲求が多少あったけど、これは難度が高いな……。

 

たまたま天気がよいときに行ったのだけど、事前に抱いていた、廃墟の王様のようなイメージとは違って「軍事目的に使われていた施設が今は平和の象徴になっている」という印象を受けた。

ベビーカーを押している人が写ってまさに平和の象徴。

 

以下、悔いの残らないように、望遠で撮ったり広角で撮ったりした写真たちです。ご笑納くださいませ。

 

2019年~2021年で保存のための修理をしたこともあって、1980年代に流行したコンクリート打ちっぱなしの建物の親玉みたいに見える。昔の写真を見ると、鉄骨がむき出しになっているところがあって、そこは塞いだようである。修理後の写真を検索して見ていても、曇天だと廃な感じがしたが、わたしが行ったときは天気がよかったこともあって、廃な感じはしなかった。とはいえ、巨大で不思議な形をしたコンクリートの物体の存在感は圧倒的だった。

 

鉱山跡からしばらく歩くと、志免駅跡がある。閉山後も1985年まで使われていたようなのだが、いまは公園になっている。

鉱山に近づけなかった鬱憤をここで晴らすべく、線路の上を歩きまわったり、線路から駅に登ったり降りたりしたあと、空港まで1時間ほど歩いた。

 

この謎の建物はベスト電器スタジアム。スタジアムについての記憶が日生球場や大阪球場なので、宇宙船みたいでびっくりした。

 

 

廃墟を見るたび、「そういえば廃墟の象徴的存在である志免炭鉱に行ったことないけど行きたい」とずっと思ってきたので、非常にすっきりしたし、自分の中にあった志免鉱山の神秘的なイメージに決着をつけることができてよかったと思っている。

死の病に冒されて、最後に志免炭鉱跡を見てから死にたいなどと思いつめて見に行ったりしたら、「志免炭鉱跡が補修されたというのに自分の体は……」などとややこしい気持ちになったかもしれないので、健康なうちに拝めてよかった。

 

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銚子駅から犬吠埼まで歩いたが、海以外も見どころ満載だった

銚子を旅するとき、JR銚子駅から銚子電鉄に乗って犬吠埼まで行く人が多いと思うし、実際に行ってみるまではわたしも同じイメージを持っていた。しかし調べてみると、徒歩なら直線距離で1時間程度。海沿いに激しく寄り道しながら歩いても3時間程度で着きそうだ。帰りは銚子電鉄を満喫するとしても、せっかくだし銚子から海沿いに歩いていこう……と思って年末に実行した。楽しかったので、また近いうち行こうと思っている。
 
特急「しおさい」で銚子が身近になる
まず銚子に行くところの話から。
わたしの住む多摩ニュータウンから銚子に行くにはいろいろ乗り継がねばならないと思っていたのだが、調べてみたら東京から「しおさい」という特急に乗れば乗り換えなしであることが判明。

東京からだと2時間以上かかり、新幹線で京都に行くのと変わらないが、特急料金がすごい安さなので、コスト的な意味あいで「そうだ 京都、行こう」とならない方でも「そうだ 銚子、行こう」は可能である。
 
醤油工場が思いのほかメカニカルで工場好きの人にもオススメ
ろくに下調べせずに、とりあえず関東の端っこに行ったら楽しかろうと思って銚子を選んだのだが、駅を降りてメインストリートを北上しているとき、ふと右を見ると無骨な工場……。

 
地図を見てみるとヤマサ醤油の工場だった。

年末なので操業はしていなかったのかもしれないが、駅を降りてから香ばしい匂いがしていた。醤油が正体だったとは。

 
多摩市民、利根川>>多摩川であると知る
この日はそれで心がいっぱいになって寝て、翌朝、利根川の河口付近から歩きはじめた。
わたしは大河経験が浅いため、インドでガンジス川を見て人生が変わった的な人と対峙すると気後れしてしまうかわいらしい一面を持っているのだが、多摩川や荒川の橋はよく渡っているので、国内の河川についてはある程度把握しているつもりだった。しかし甘かった。

利根川は多摩川と比べものにならないくらい大きいことは見た瞬間にわかった。そもそも、ここからはるか遠くの地である多摩市に住んでいるわたしですら利根川の恵みにあずかっているのだから、これくらい大きくないとまずいのかもしれない。
 
営業時間外だったけれどいい感じの店を発見。

仕込みのためにマスターが出てきたのだけれど、このシーマンのような似顔絵はかなり似ていることが判明した。
 

あぶらぼうずをロゴ化している。
自分が宇宙人に囚われて地球名物「にんげん」としてロゴ化されて調理された自分の肉の写真がレイアウトされていたら……と想像して興奮した。次回銚子に行ったときは絶対に行きたい。
 
見たいタイミングで登場する古刹、圓福寺(飯沼観音)
海とは反対側に塔が見えた。そろそろお寺か何かが見たいと思っていたことに気づく。歩いていくと圓福寺というお寺だった。

奈良時代に創建という古刹で、銚子電鉄の観音駅はここの観音のようなのだが、観音像は秘仏。その代わりに五重塔もあれば大仏もある。

大仏にはスペシャルサンクス的な記述があるが、吉兵衛だけは読めた。吉兵衛さん、見てますか……わたしも死ぬまでにどこかにいくらか奉納してスペシャルサンクスに名を連ねたい。
 
帰宅してから、大仏の膝に太平洋戦争のときの機銃掃射の跡があると知った。写真におさめることができなかったけど、これこそ「膝に矢を受けてしまってな……」の日本近現代史版である。
 

海を見にきたのにこんな立派な五重塔を見ることができてありがたい限りだが、建立は平成21年。千葉県唯一の五重塔であるという背景を知るとありがたさが倍増する。
 

意外な場所で水準原標石を発見。日本水準原点って永田町になかったっけ……と思ったのが、元祖と本家の違いのような感じなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 

突然の焼きそば専門店。
まだ営業時間ではなかったのだが、Google Mapで検索したらすばらしい写真が出てきた。次は営業時間内に行けますように……。
 
朝から豪華な定食がいただける場所を発見
漁港の近くなので朝早くから営業している店はあって、近辺では「お食事処 こころ」がよさそうだったので寄ってみた。

まず、お店の名前が最高よね……。
そして、どこでもいいと言われたので、一人客でありますが、小上がりに着席した。

小上がりというか小宇宙でした。漁港に来ているのだという実感が改めて湧いてきた。
 
感動しているうちに、おまかせ定食が登場。

充実度をご確認くださいませ。お盆におさまってないね!
 
まだ利根川にいるのに海感がすごい
この行程、3割ほどが利根川河口で、まだ海に出ていないのだが、利根川が広すぎてすっかり海気分で、たくさんの漁船が留められていた。

船に詳しくないので、この船首の形状を見ると「戦艦大和だ!」と思ってしまう。
 
千人塚で銚子の自然の厳しさを知る
朝からお盆にのせきれないほどのおかず群に心身ともに満たされたのだが、わたしの旅はまだ始まったばかりであった。
 

モニュメントの集合地帯があると思って説明を読んだら「銚子の川口てんでんしのぎ」の文字列を発見。「てんでん」といえば「津波てんでんこ」を想起し、のどかな文字列とは裏腹に緊張してしまう。わたしが歩いてきた利根川の河口と銚子港だが、50年ほど前に運河方式の新しい航路ができるまでは難所だったとのこと。

来た道を思い返してみると、川幅が広いはずの利根川が、河口付近では対岸が近くに見えた。そのまま航行するとかなり流れが速いのだろう。水揚げ日本一を誇る銚子も、先人たちの尊い犠牲の上にあることを実感した。
 
銚子ポートタワーのチート感
そのまま海沿いを歩くとタワーが見えてきた。

この銚子ポートタワーの高さは58メートルで、今回の目的地としている犬吠埼の高さは31メートル。灯台は見晴らしのよさがすべてでないにせよ、テクノロジーの進化を感じてしまう。

 

さきほど学習した河口方面も見えて感慨深いが、その先の鹿島灘も大変魅力的(なので別途行ってきて、後日記事にする予定)である。
 
テトラポット工場やキャベツ畑など、何もないところにあるものがある
タワーを降りて、さらに海沿いに歩くと、わりと何もない感じの海沿いで、まさに何もない感じの海沿いも求めていたので感動したのだった。

テトラポット置き場。
写真だけだと伝わらないと思うのだが、かなり大きい。加湿器が「部屋の広さ:12畳まで」などがあるように、テトラポッドも「波の高さ:3メートルまで」みたいなのがあるのかもしれない。
 

キャベツ畑。
三浦半島でもたくさん見かけたけれど、千葉県で見るキャベツ畑はまた格別である。小学校でキャベツ=千葉県八街市と習ったからなのだけれど、キャベツの生産量は群馬県と愛知県がトップの座をかけてしのぎを削っており、千葉県は3位である。
 

ここはなにかの廃墟だろうか。海沿いの水族館でこのような感じの廃墟を見たことがあるけど詳細は不明。まさか露天風呂ってことはないよね???だったら現在との落差が大きすぎて泣いてしまうわ……。
 

エビちゃん。
 
犬吠埼は灯台以外も楽しい
何もないな、そしてそれがまさに自分の求めているところなのだ……なおわたしの住んでいる多摩ニュータウンも、わりと「何もないところ」と呼ばれがちなので、何もないところの住人が何もないところを求めてやってきたという構図だな……などと感激しながら歩いているうちに犬吠崎が見えてきた。

この日は大晦日だったので初日の出を見たい人がすでに駐車中。銚子は日本でもっとも早く初日の出が見えるところらしいのだ。
初日の出を見るために昼間から車を停めて待つ気持ちは理解しかねるが、フェスみたいな感じだろうか。まあわたしはフェスに参加する人の気持ちもじゅうぶんに理解しているという自信はないので同じことだが……。
 

犬吠埼の灯台にも登れるようなのだが、さきほどポートタワーで見晴らし欲は満たされたので、灯台のまわりを一周して歩くにとどめた。次回行ったときは登ることにする。
 
犬吠埼といえば、初日の出とともに有名なのが、映画の冒頭のザッパーンと出てくるところ。個人的には映画館に行くことが数年に一度しかなくて、さらにザッパーンと出てくるのは邦画で、わたしが最近見たジョーカーやミッドサマーなどの外国の映画は本編でザッパーンに代替する表現をしていると思う。ザッパーンを久しく見ていないため、近い角度で撮れているのか自信はなかったが、ほかの人の撮り方を参考にして撮ってみた。

上から見下ろしている感じでザッパーンに寄り添っている感じがだいぶ足りないのだが、誰もが知るところに来ているというのはそれだけでうれしい。
 
これだけでも犬吠埼に来てよかったと思ったのだが、さらに南下していくと、天然記念物の「白亜紀浅海堆積物」がある。

白亜紀と浅海と堆積物のそれぞれの語義は知っているが、ぜんぶ合わせるとよくわからない……白亜紀の地層が露出しているから詳しい人が見たらまるわかりということなおのかもしれないが、詳しくないわたしが見ても月旅行をしている気分になった。
 
 
犬吠駅は駅というよりアトラクションだった
帰りは銚子電鉄の犬吠駅から帰ることにした。

駅のメルヘンチックな佇まいがたまらない。
 

窓から電車がチラ見えする構図が好きなのだが撮り鉄の人には論外なのかもしれない。
 
そして期間限定だったのかもしれないが、ホームからよく見えるところに廃の墟があって驚いた。

壁の切り取り方が美しすぎて解剖図を見ているようである。
 

こういうときにブラウン管のテレビがあると落ち着く。
 
廃墟に見とれているうちに電車が到着……したのだが、京王れーるランドで見たやつ!

こういう感じで撮っている人の後ろで撮っている人の感激するさまも構図におさめたいと思ってしまうのだが、わたしも他の誰かにそんな感じで撮られたりしたい。
 
形も色もsuki...と思って銚子駅に着いてからもじっくり撮った。

京王線ではとっくの昔に引退したのだが、まさか現役稼働中の車両に乗れるとは思っておらず、次回京王れーるランドに行ったときに銚子電鉄に乗ったときの感動が蘇るに違いない。
 
銚子でいちばんメジャーなルート、冬でも最高に楽しかったので、春や秋に行くともっと楽しいだろうと思う。有休をとって3連休を手作りしてまた行ってみたいが、我慢できなくて早々に日帰りで行ってしまうかもしれない。
 

買い物をしたときにレジで何とあいさつするのがよいか

買い物をしたときにレジで何とあいさつすればよいのかについて、少なくともわたしの中で明確な結論が出ましたのでご笑納いただきたい。飲食店での「ごちそうさまでした」に相当するフレーズを編み出すのに苦労したが、結論を出すのにここまで時間をかける必要はまったくなかったと後悔している。ただ「ありがとうございます」と言えばよかったのだ……。

 

はじめてのお遣いの記憶は残っていない

わたしが初めてレジで金品を取引したのはおそらくこの店。

記憶にはないが、母から命ぜられてお遣いに行った可能性が高い。今も昔も人と話すことは好きではないので、わたしが自らの意思で「おつかいにいきたい!」などと言うはずもないのである。お遣いを命ぜられるとき、「品物とおつりをもらったら、ありがとうと言うんだよ」と言い添えられたに違いなく、わたしは「ありがとう」と言ったか、あるいは言えなかったかの二つの可能性がある。

 

思春期からは無言

決して無礼を働きたいと思っていたわけではないが、知らない大人と口をきくのが恥ずかしいという気持ちが勝ってしまってずっと無言だった。ガンダムのブラモデルを買うときもファミコンのディスクシステムの書き換えをお願いするときも学習参考書を買うときも裏本を買うときも無言を貫いた。買う物の種類が変化しても無言であることには変わりなかったが、とくに敵意があるわけではなかったので軽い会釈くらいはしていたはずだ。

 

長すぎる思春期が終わって「どうも」と言いはじめた

思春期の定義を「レジにおいて無言であること」とするのであれば、わたしの思春期は二十代の終わりまで続いた。好きな人といっしょに買い物をしたとき、「どうも」と言っていて、なるほど、それくらいは言うべきだし、なぜ今まで無言だったのだろうと反省し、さすが好きな人だけあって行動がスマートだなとそのとき思ったのだった。

 

「どうも」の長期政権の終焉は前触れもなくやってきた

そして「どうも」時代が30年くらい続いた。安倍晋三内閣・桂太郎内閣・佐藤栄作内閣の期間を足したよりも長い超長期政権だったのだが、ある日とつぜん思ったのである。「どうも」ってそんなに感じよい言葉ではないし、そもそも意味がわからない。「どうも」に変わる一言が必要なのではないかと。わたしに「どうも」のよさを教えてくれた人も、思いかえしてみると、飲食店の店員さんに対してはわりとぞんざいな応対だった。

単にレジの人がお会計だけなら「どうも」で通したのかもしれないが、宅急便の送付をお願いすることもあるし、荷物の引き渡しをお願いすることもあるというのに「どうも」の三文字だと感謝の気持ちとして割に合わないと思うようになってきたのである。
「どうも」のもともとの意味は「どうにも言えないほど」なのだが、どうにも言えないにしても、せめて何に対してどうにも言えないのかくらいははっきりさせた方がよいはずで、「こんにちは」→「ちわ」→「チーッス」と同じくらい、ぞんざいな言い方のように思えてきた。

「どうも」の代案として最初に思いついたのは、そのあとに省略されている「ありがとうございます」で、「どうも=言葉にできな~い」と毎度言うよりも「ありがとうございます」の方がよいように思った。
そこに思い至ったのは半年ほど前なのだが、「ありがとうございます」だとtoo muchで気持ち悪いと思われるかもという気持ちがあった。さらに「ありがとうございます」だったら取引先の人みたいじゃん……でも「ありがとう」だと、「どうも」並みにぞんざいな気もするし、ドゥルッティコラムじゃあるまいし……などと空中にのの字を書いていたりしたのだが、でもtoo muchかどうかなんて気にしていないのでは、日本語非ネイティブの店員も増えてきているので、わかりやすさを重視した方がいいに決まっている、と思いなして、「ありがとうございます」と言うようにしたのだった。

「ありがとうございます」だと店員さんへの感謝の気持ちが伝わる(ような気がする)のだが、その一方で、店員さんのレスポンスが悪いと、どちらが客かわからない感じになってしまう危険性もある。そのときは同じ「ありがとうございます」でもトーンを変えて「ありあとうおざーます」くらいに子音を落として発話することでバランスを取ることにしている。もっとも助かるのは、わたしが「ありがとうございます」と言ったあと、お店の人が「ありがとうございました~!」と返してくれるときで、わたしの発言はたちまち過去のものとなり、ありがとうございます劇場の幕が下りるのであった。

 

かくして「ありがとうございます」政権が樹立されたのだが、この政権はおそらく長期政権と思われるし、わたしが好々爺になったら(どちらかというとそれを望んでもいるのだが)、森羅万象に対してありがとうございますをいう気持ち悪い翁が誕生してしまう。よく行くコンビニエンスストアでは「感謝マン」と呼ばれている可能性がある。しかし、若い皆様におかれましては、森羅万象に文句を言う老人よりは多少はましだとポジティブにとらえていただければ幸甚でございます。

 

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