« 病気で食べられない悩み | トップページ | なぜわれわれは病者に手をさしのべるのでしょうか? »

2011年9月22日 (木)

新たなバーンアウト?

5298_040527_2023web

緩和ケアでは、ケアをする側が折れてしまうバーンアウトの問題があります。以前からこの問題は語られていますが、僕にとってもとても大事なテーマの一つです。バーンアウトの原因は様々です。毎日死にゆく患者さんを見守っていると、自分自身の生死に対する考え方は当然影響を受けます。不安な気持ちに揺れる家族と会話しながら自分を振り返ることもあるでしょう。僕自身も、毎日患者さんや家族の苦悩の言葉に包まれていると、自分の平静を保つことが難しくなってきます。そして、自分が感じていることをうまく看護師や周りに話せない時、受け取った苦悩のメッセージがまるで自分の苦悩のように思えてくるのです。こうして、感応した自分の心をどう健全に保つかは、この緩和ケア、ホスピスで働き続ける上で、とても大事な自分自身への手当て(ケア)なのです。

以前、こんな風に話して辞めていった同僚がいました。
「毎日自分の家族(=患者さん)のために尽くしている家族をみていると、自分が家族のためにちゃんとできていないってそう思えてくるんです」
こんなことを言って去った同僚も居ました。
「もうここでやりたいと思ったことは全部終わってしまいました」

職場に不満を感じ、許し難い欠損を口にしながら去る方も多くいらっしゃいました。僕は色んな病院で勤務したので分かります。どの病院にも、いやどの職場でも、どの世界でも、どの政権でも、どの役所でも人間が集まるところ、構造的な欠陥は必ず生じます。自分の理想や夢を殺さずに、ちゃんと現実に片付けなくてはならない仕事や自分でなくてもできる仕事も多く引き受け、社会の中での自分の役割を黙々とこなしながらも、同僚に対して厳しすぎず甘すぎず。例え考えが違う人同士でも同床異夢、同じ場所からそれぞれの夢を追いかければ良いと思うのです。違う夢を追いかけることができる場所を、みんなが壊さないように、壊れないように、静かなでも強い気持ちで維持しなくてはならないのです。構造的な欠陥を憂い、全てを破壊して作り直せばよいと人はつい短絡的になりますが、そういうリセット願望は何も生み出しません。更地になるまで破壊した後残されるものは何もなく、そこには以前その場所で夢を見た人々の念が残るのみで、何ら創造的な未来を予感させる芽生えはありません。次にその更地に構築する真新しい構造物は、最近の高層マンションのように一見効率的にできあがっていても、何ら文化がないただの社会的装置に過ぎません。もし職場を破壊し作り直しても、そこには効率を求めるのみの、今までよりもっと窮屈な職場が存在することでしょう。

僕はどういう形で転機を迎えるのか、この数年じれったくもあり、また楽しみな毎日でもありました。転機を待ちながらも職場に全く不満はなく、今の職場、ホスピス病棟の何を改変したいという思いもなくなってきました。僕の考える医療は、洗練はあっても進歩を目指す必要はないと思っています。どうせ数年で今までやっていたことが根底から見直される、そんな世界です。不確定な足場で進歩を目指すよりも、確かな足元を固めていきたい。僕の関心は、病人と医師との心の交流そのものに移ってきました。いつまで経っても病人は困り続けています。ホスピスに来て10年、痛みで苦しむ人は確かに減りました。それでも相変わらず「わたしを一番支えて見守っているのは誰なの?」という病人の根源的な問いに未だにうまく応えられない。「この病院では治療が終わったら次の病院へ」「こちらでは入院の方だけです」「入院が長くなるのは困ります」病院では「適応」と言葉を変えていますが、結局は「こういう患者を私たちは選びたい」と宣言しているようなものです。病院の用途に従って「連携」という言葉で患者さんを移動させて、「うまくいった」「いかなかった」と語り合うのをみていると、ああ、何も変わらない10年間だったとも感じます。「死に場所を患者さんは自分自身で選ぶことができる」という主張のもと、病院の連携を主張、発表する方々が多くいらっしゃいます。でも僕が知っている患者さん方は「どこで死ぬか」という自分の権利を行使する強い人権の主張者ではなく、また「どの治療よりも優れた治療を受けたい」と医療行為に商品的価値を求める消費者として賢明な行動をとろうとするのでもなく、ただ「心から信頼できる医師や看護師に出会いたい」と考える、普通の心の持ち主の方々でした。信頼できる人と苦難の道を歩んでいきたい。そんな純粋な思いには、自律とか自己決定とか、ましてや自己責任という言葉は何とも不似合いな気がしてなりません。

そんな事を考えていると、自分自身の心構えが変わってきました。患者を選ばず、自分たちから手を離さず、同じ社会の構成員であると実感し、制度を嘆かず、自分のできることを探し、そして職場のみんなと一緒に年をとっていく。自分だっていずれは病を患い彼らと同じ患者になることを確信しているからこそ、今、力のある元気な自分が何を為すべきかを考えるようになりました。
「どこで仕事するか」「いくら稼ぐか」「どこの病院よりも優れた医療を提供したい」という、どんな仕事がしたいかではなく、患者さんと同じく、「心から信頼できる医師や看護師に(同僚に)出会いたい」つまり、一緒に仕事したい仲間と、高いプロ意識を持って仕事をする。そういうスタンスで仕事をしたいと考えたときに、ホスピスでの10年を終える覚悟ができました。

また東北の大震災は、自分の考えに大きな影響を与えました。仲間と3人で福島へ行ったときに、家を奪われ体育館や教室で身を寄せて過ごす人達とふれあって色んな事を感じました。不自由な生活の中でも会話と笑い、思いやりとねぎらい。怒りと感謝があふれていました。病院の中にはないむきだしの雑然さも新鮮でした。医療の中に組み込まれたいつの間にか緩和ケアに忘れていた何かがそこにはあり、被災地で見た人々の不自由な悲しみの生活にも、生活のにおいを感じました。本来医療は生活に関連したものなのです。今まで生活していた人が、ある日から「カンジャ」という人間になるのではないのです。そのことを忘れかけていました。そして、次の10年は在宅医療を基盤に自分の活動を展開しますが、それはただ単に在宅医療がしたいから開業するのではありません。僕が思うに仕事というのは、自分の心に浮かぶ理想の形を追求するために、自分の知と身体を捧げる者ではありません。仕事は、関係性の中で生まれるものであって、その関係性の中でお互いを求め合う時にこそ、自分の自尊心を高めることができる。そして、一緒に仕事したい仲間との関係性が刺激になって自分の考えと理想を変えていく。理想と現実のギャップがあっても、同床異夢それぞれの夢は違っているのが当たり前と思いながら、前に進んでいきたい、それが仕事の本来の形だと今は思います。

結果として、僕の離職も新たな形のバーンアウトだと思いました。よくいうバーンアウトとは、燃え尽き、力尽きたエネルギーが枯渇した状態です。まさに燃え尽きて(burnout) 灰になっているのです。この僕の経験した新たな形のバーンアウトは、完全燃焼し満足し尽くしてしまった。目的を果たし、旅を終え燃焼終了(burnout)の状態になりました。ある一定の目的を果たし行程を無事推進することができました。心に残るものは灰ではなく満足と感謝です。この新たな形のバーンアウトは、清々しく次の世界へ移ることができます。これまで10年間辞めていく同僚の背中に祝福の祈りを捧げてきました。そして僕も残る人達に今後の祝福を捧げて、新しい世界の扉を開こうと思います。

(来年3月を持って、私は今の職場を退職し、4月以降は開業準備のため修行を始めます。今までお世話になった方々全てに心より感謝します。)

|

« 病気で食べられない悩み | トップページ | なぜわれわれは病者に手をさしのべるのでしょうか? »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。