そうそう。アマゾンのカスタマーレビューの話。
まず第1に
先日、発売日に本を買いに行ったら
その本、買いに行った本屋さんに入ってなかったんですよ。
まぁ、郊外店だとままあることだと思うのですが。
そんで、すっかり買う気持ちになっていた関係もあって
駅の方の本屋まで出かけていきまして
なんとか購入したのですが
まぁ、ふと思い立ちまして
アマゾンなんかでは何が書いてあるかしら。と思ったんだけど
あまりろくなレビューがついてなくて
もちろんパタリと閉じました。
シリーズが続いているので、ある程度人気があるんだと思うのですが
場所によっては郊外店では入らないような本(少女小説)
アマゾンでは、1-3つくらいのレビューしかつかない
ふと思い立って、ほかの買っている本なんかもチェックしてみたんだけど
1部を除くと大体そんなもん。
でもシリーズは続いている。
いってしまえばこれは
実際の売れ行きとアマゾンのレビューの評価って
(あるいはランキングさえ)
全然連動していないんだなっていうことだと思った
何がどうなのかイマイチわからないんだけど
作品として。か、あるいは、作者さんとして
ネットでの活動が盛んな読者層に
受けがいい作品なり作者さんというのがいて
そういう人だと、変にレビュー数が多かったりとかするんだけど
(応援してあげたい気持ちにさせられる人ということのだろうか)
それ以外は
ある程度シリーズが続いていても
軒並みレビュー数そのものも1-3で低迷の上
☆の数も3程度
この☆の数も結構問題で
☆の数3は普通に面白いでつける人と
☆の数3はけなしレベル。の人が混在しているわけで
この辺、私も最初は『☆の数3は普通に面白い』でつけていたので
何と無くわかるんだけど
☆の数5は超名作!!
に対してつけるもので、☆の数3は普通に面白い。佳作。
という形でつけたい。
けれども、なんというかインターネットの評価って
ちょっとインフレ気味なところがあって
『☆の数3は普通に面白い』というのだと、
理解してくれない層というのが確実にいる。のもわかる。
極端な話
ちゃんと購入して『☆の数3は普通に面白い』とつける人もいれば
借りて読んだけど、すごくテンションが上がったから『☆の数5で面白い』
という人もいて
下手をすると中には『立ち読みしました』というレビューまである。
そんな評価が果たして判断基準としてどうなのか……
と、ふと我に返ってみたりもする。
しかも、それでも、その評価に、
悪い言い方をすれば、
騙されてしまう人。というのがいるのもわかる。
というか、たまに、テレビとかのニュースソースも
めっちゃ、ネットの局地的な意見とかに騙されてるよね……
自分たちの取り扱いたい内容に合わせて
ピックアップしてるのかもしれないけど
そんなわけで
そんなんだったら、もうステマでも何でも
全部☆5つつけときゃ、いいんじゃないの?
とか、ふと思う瞬間がある
そしてそうなってしまえば、カスタマーレビューなんて
なんの意味もないわけで……
というか、良い点悪い点みたいなのは
まだ、書きようによっては意味があるかもしれないけど
☆はなんかほんと最近意味がないなと思うようになりました
あと自分でも結局面白いから必ずカスタマーレビュー書くか。
と言ったら書かないし
むしろ自分のブログなりなんなりで記事にした方がまだいいわけで
そう考えると
ちょっと遠い目になってしまう……
普通に面白いと思ってる人は、案外評価を付けない。
かつ
自分にとって何が許せないところがある人の方が
けなしデビューをつけやすい
という構造が、きっとあるんだな。と思いながら見ないと
逆に、カスタマーレビューに振り回されてしまう気がした。
それと同じような話で
2チャンネルの情報みたいなのも
同じようなところがきっとあって
10のうち1くらい、本当に見聞きしたことや
自分の体験に基づく情報があったとして
9は全て、憶測とか、勝手な妄想とか、
本当のことじゃない話だったとしても
ただ見ている側は、案外、その流言飛語を
本当のことだと思い込んで見ている。
という現象がある
いってしまえば、個人の日記なんかよりも
『どうせ●●っていうことなんでしょ』
というのが推測の話なのか、本当は事実を知っているけど
ぼかして書いているのか
というところを
『これが推測だけど』なんで形で
明らかにしないで書くスタイルになっているために
そういうときに
何故か人間の心理として
果たしてあれは事実なのだろうか。
というワンクッションをおかず
あれは事実だ。扱いにしてしまうことが多いように思う
少なくとも、そういう人が、
実は思っている以上に多いというのが現実だったりする
そんでよく知ることが書かれていたときに
あまりにも、好き勝手に推測が書かれていることを
まのあたりにして、呆然としゃったりするわけですが……
某友人とか、「ああいうの、関係者とか書いてて、
自分にはわからないけど事実が書かれてんだと思ってました」
とかいってて
おねーさん、脱力しました。
信じやすい人は特に信じちゃダメです。
いや、ホント
ネトウヨとかもさー
インターネットに書かれていることが
世間の意見だ。
みたいに狭窄的に信じてしまうと
本当に抜け出しにくいと思うんだよ……
違うから!!
インターネットで活動が盛んな人は
やっぱりごく1部の人間だから!
ごく1部の意見だから!
とかね……
あと結局、インターネットの性質上
1度、そういうのにハマってしまうと
意外と、つながりの問題で
ほかの意見が書かれているところに誘導されにくいみたいな
部分もあるんだと思うんだ
ネトウヨからネトウヨはつながりやすいけど
そうじゃない意見の人は、そもそもネットに
その手の意見を表明していると限らないし
わざわざ検索して探しに行こうって意識には
中々ならないと思うし……
1度固まってしまうと、同じ意見ばかりを
目にしてやすいというのが、ネットの特徴なんだな……
まぁ、そんな感じで
ネットの意見は
・いい意見はステマかもしれない
・推測や嘘をほんとらしく書いてるかもしれない
・極端な意見が世の中の意見だと誤解してやすいかもしれない
という意識を常に持ってみることが重要なんじゃないかと思います。
まず第1に
先日、発売日に本を買いに行ったら
その本、買いに行った本屋さんに入ってなかったんですよ。
まぁ、郊外店だとままあることだと思うのですが。
そんで、すっかり買う気持ちになっていた関係もあって
駅の方の本屋まで出かけていきまして
なんとか購入したのですが
まぁ、ふと思い立ちまして
アマゾンなんかでは何が書いてあるかしら。と思ったんだけど
あまりろくなレビューがついてなくて
もちろんパタリと閉じました。
シリーズが続いているので、ある程度人気があるんだと思うのですが
場所によっては郊外店では入らないような本(少女小説)
アマゾンでは、1-3つくらいのレビューしかつかない
ふと思い立って、ほかの買っている本なんかもチェックしてみたんだけど
1部を除くと大体そんなもん。
でもシリーズは続いている。
いってしまえばこれは
実際の売れ行きとアマゾンのレビューの評価って
(あるいはランキングさえ)
全然連動していないんだなっていうことだと思った
何がどうなのかイマイチわからないんだけど
作品として。か、あるいは、作者さんとして
ネットでの活動が盛んな読者層に
受けがいい作品なり作者さんというのがいて
そういう人だと、変にレビュー数が多かったりとかするんだけど
(応援してあげたい気持ちにさせられる人ということのだろうか)
それ以外は
ある程度シリーズが続いていても
軒並みレビュー数そのものも1-3で低迷の上
☆の数も3程度
この☆の数も結構問題で
☆の数3は普通に面白いでつける人と
☆の数3はけなしレベル。の人が混在しているわけで
この辺、私も最初は『☆の数3は普通に面白い』でつけていたので
何と無くわかるんだけど
☆の数5は超名作!!
に対してつけるもので、☆の数3は普通に面白い。佳作。
という形でつけたい。
けれども、なんというかインターネットの評価って
ちょっとインフレ気味なところがあって
『☆の数3は普通に面白い』というのだと、
理解してくれない層というのが確実にいる。のもわかる。
極端な話
ちゃんと購入して『☆の数3は普通に面白い』とつける人もいれば
借りて読んだけど、すごくテンションが上がったから『☆の数5で面白い』
という人もいて
下手をすると中には『立ち読みしました』というレビューまである。
そんな評価が果たして判断基準としてどうなのか……
と、ふと我に返ってみたりもする。
しかも、それでも、その評価に、
悪い言い方をすれば、
騙されてしまう人。というのがいるのもわかる。
というか、たまに、テレビとかのニュースソースも
めっちゃ、ネットの局地的な意見とかに騙されてるよね……
自分たちの取り扱いたい内容に合わせて
ピックアップしてるのかもしれないけど
そんなわけで
そんなんだったら、もうステマでも何でも
全部☆5つつけときゃ、いいんじゃないの?
とか、ふと思う瞬間がある
そしてそうなってしまえば、カスタマーレビューなんて
なんの意味もないわけで……
というか、良い点悪い点みたいなのは
まだ、書きようによっては意味があるかもしれないけど
☆はなんかほんと最近意味がないなと思うようになりました
あと自分でも結局面白いから必ずカスタマーレビュー書くか。
と言ったら書かないし
むしろ自分のブログなりなんなりで記事にした方がまだいいわけで
そう考えると
ちょっと遠い目になってしまう……
普通に面白いと思ってる人は、案外評価を付けない。
かつ
自分にとって何が許せないところがある人の方が
けなしデビューをつけやすい
という構造が、きっとあるんだな。と思いながら見ないと
逆に、カスタマーレビューに振り回されてしまう気がした。
それと同じような話で
2チャンネルの情報みたいなのも
同じようなところがきっとあって
10のうち1くらい、本当に見聞きしたことや
自分の体験に基づく情報があったとして
9は全て、憶測とか、勝手な妄想とか、
本当のことじゃない話だったとしても
ただ見ている側は、案外、その流言飛語を
本当のことだと思い込んで見ている。
という現象がある
いってしまえば、個人の日記なんかよりも
『どうせ●●っていうことなんでしょ』
というのが推測の話なのか、本当は事実を知っているけど
ぼかして書いているのか
というところを
『これが推測だけど』なんで形で
明らかにしないで書くスタイルになっているために
そういうときに
何故か人間の心理として
果たしてあれは事実なのだろうか。
というワンクッションをおかず
あれは事実だ。扱いにしてしまうことが多いように思う
少なくとも、そういう人が、
実は思っている以上に多いというのが現実だったりする
そんでよく知ることが書かれていたときに
あまりにも、好き勝手に推測が書かれていることを
まのあたりにして、呆然としゃったりするわけですが……
某友人とか、「ああいうの、関係者とか書いてて、
自分にはわからないけど事実が書かれてんだと思ってました」
とかいってて
おねーさん、脱力しました。
信じやすい人は特に信じちゃダメです。
いや、ホント
ネトウヨとかもさー
インターネットに書かれていることが
世間の意見だ。
みたいに狭窄的に信じてしまうと
本当に抜け出しにくいと思うんだよ……
違うから!!
インターネットで活動が盛んな人は
やっぱりごく1部の人間だから!
ごく1部の意見だから!
とかね……
あと結局、インターネットの性質上
1度、そういうのにハマってしまうと
意外と、つながりの問題で
ほかの意見が書かれているところに誘導されにくいみたいな
部分もあるんだと思うんだ
ネトウヨからネトウヨはつながりやすいけど
そうじゃない意見の人は、そもそもネットに
その手の意見を表明していると限らないし
わざわざ検索して探しに行こうって意識には
中々ならないと思うし……
1度固まってしまうと、同じ意見ばかりを
目にしてやすいというのが、ネットの特徴なんだな……
まぁ、そんな感じで
ネットの意見は
・いい意見はステマかもしれない
・推測や嘘をほんとらしく書いてるかもしれない
・極端な意見が世の中の意見だと誤解してやすいかもしれない
という意識を常に持ってみることが重要なんじゃないかと思います。