私も先日、6巻を買いまして最終回を読みました。
解説本とかはないようなので正解かはわかりませんが、
私なりの解釈を以下に記します。ご参考になれば幸いです。
【最終巻の解釈】
地面が10倍になった世界というのは「死後の世界」であった。
途中で降りたり(自殺)せず未練を残さず成仏した者が住んでいる。
カジカはシロさんの妹ではなく小さい頃に亡くなったイサキの姉であり、
彼女によってイサキは生きながらにして死後の世界へ引き込まれている。
生前と比較して地面が10倍になった世界の正確なサイズを測定するため
メイコンIIによる測量が行われているが距離・広さ・方位は確定できない。
これは、死後の世界には故人の持つ主観が反映されているためである。
イサキは死後の世界で北の塔と富士山を訪れる。
しかし、生前の世界では実際に訪れていないためイメージが乏しく、
その感想はどうしても「半分夢みたい」というものになってしまう。
成仏した死者たちと違いイサキには行きたい場所(未練)がある。
生前に未踏だった富士山のことを気にかけるイサキを見て、
シロさんはそれを確信し、イサキを生前の世界に帰したのであった。
~~~ 作中の台詞とその解釈 ~~~
■シロさんの時間(#47)
「45秒の後もイサキがとなりにいますように」
「イサキが途中で降りたりしなければ~~必ずまた会える」
「45秒後待ってる」
「45=死後」の語呂合わせであり、意味をオブラートに包んでいる。
自殺による地獄行き(?)で再会できないパターンもあり得る。
富士山の頂上(5巻)でイサキが一時的に生前の世界へ戻ったとき
イサキの「20分ちょっと」がカジカ・サヨリには一瞬だったので、
イサキの一生が死後の世界における時間では45秒なのかも知れない。
■浪(#43)
「あ……言ったかも…………そうだ─」
■海じいさん(#45)
「おめえはまだ行く先があんのか」
「サヨリはともかくカジカでさえ『山』にはそんなに興味なさそうだった」
■道端から(#46)
「~~みんなの方が近所での毎日しか興味ないように見える~~」
地面が10倍になった世界の死者たちは成仏しており未練がないため、
どこかへ行きたいというような欲求が薄れている。
作中では生前の未練が「行きたい場所」という形で表されている。
■船(#44)
「島と島の距離、海の広さ、正確な方位さえ確定できませんでした」
死後の世界は抽象的な世界で、定まった像がないために計測できない。
作中の描写はイサキ視点でイメージを投影し具体化されたもの。
意識が帰ってきたときにデジャブを感じたビンと女性が反映されている。
(曖昧な夢の記憶を意識的に補完したようなもので、実際は無関係。)
■道端から(#46)
「北の塔も富士山もまだ半分夢みたいなんだ」
「イサキは今のままでは富士山よりむこうには行けない」
「どんなに時間をかけてもハナグロの言う『西の森』にもたどり着けない」
「イサキの感じてるぼんやりした雲はその先が今のイサキにはないから」
上述の通り、死後の世界が生前のイメージを投影したものなので
生前に未知だった領域には死後も到達することができない。
イサキが北の塔と富士山に到達できたのは元々存在を知っていたから。
しかし、実際に行ったことはなかったため実感が湧かなかった。
元々存在を知らなかった「西の森」には到達することができない。