短波放送「朝鮮の声」よりpop hok -- YouTube
※再放送ばかり 誰もが好み、先に購入する「メボンサン」靴平壌第1百貨店をはじめ首都の各商業サービス網は、「メボンサン(毎峰山)」靴を購入するために訪れる人々でにぎわっている。元山製靴工場(江原道)で生産している「メボンサン」ブランドの靴は、軽量化され、さまざまな足模様の人々が安らかに履けるように設計されており、色が多様で種類が多いので誰もが好み、先に購入する人気製品である。敬愛する金正恩総書記は、元山製靴工場を数回にわたって現地で指導し、同工場で生産する靴の商標を「メボンサン」にするようにし、質の向上を基本としてとらえてたゆみなく努力することで工場の製品が有名になるようにすべきであると教えた。金正恩総書記の崇高な意を体して工場の活動家と労働者は、これまで人民の好評と認定を受ける「メボンサン」靴をより多く、より格好よくつくるための活動を繰り広げて成果を収めた。「メボンサン」靴は、「全国履物展示会―2018」「春季全国履物展示会―2019」と「秋季全国履物展示会―2019」をはじめとする各展示会で高い評価を受けた。軽工業製品展示会「軽工業発展―2023」で最優秀賞を受賞し、「春季全国履物展示会―2024」では1位をした。現在も、工場の活動家と労働者は靴の実用性と便利さ、美的価値を保障し、多種化、多様化、多色化、軽量化をより高い水準に引き上げるために知恵と熱情を尽くしている。 わが民族の誇り、正統武道―テコンドー今年は、テコンドー命名70周年に当たる年である。テコンドーは、長い歴史的期間、国の軍事力強化と人々の精神および身体の鍛錬に寄与してきたスバクフィ(手博戯)とテッキョン(相手の足を蹴って倒し合う朝鮮固有の競技)、ナルパラムにその根源を置いている。高句麗時代の安岳第3号墳の壁画と古書である「武芸図譜通志」の記録を通じてもそれがよく分かる。歴史的に発展してきたわれわれの各武術は、技術動作と科学的な原理がより完成し、体系化されて1955年にテコンドーと命名され、現代武道の一つの競技種目になった。テコンドーがこんにち、わが人民の優秀な文化的財産として光を放つようになったのは、テコンドーを民族正統武道とし、その発展のために心血を注いできた不世出の偉人たちの賢明な指導があったからである。偉大な領袖金日成主席は、テコンドーの発展に献身してきた国際テコンドー連盟(ITF)の元総裁である崔泓煕氏を愛国の志士に押し立て、朝鮮人は誰でもテコンドーができるようになるべきであると教えた。テコンドの発祥地である平壌にテコンドー殿堂を建設することを発起した偉大な指導者金正日国防委員長は、殿堂を記念碑的建造物として建設するよう導き、テコンドー科学技術を発展させるための科学研究集団も組んでくれた。敬愛する金正恩総書記は、テコンドーの始原と発展史を見せ、テコンドーを広く宣伝・普及することに寄与するテコンドー聖地館を立派に完工するよう導き、正統武道の発展に新しい活力を注いだ。わが国では、整然たるテコンドー普及システム、大衆化システムが確立されて運営されており、その過程に才能のあるテコンドー選手が育成されている。昨年、朝鮮選手たちは第10回アジアテコンドー選手権大会と第9回国際武道競技大会「ワールドカップ・テコンドー競技大会―2024」のシニアで成果を上げることでテコンドー母国の栄誉をとどろかし、人民に民族的誇りと自負を抱かせた。 朝鮮の武術古書「武芸図譜通志」朝鮮人民が創造した優れた民族文化遺産の中には武術図書「武芸図譜通志」もある。1790年に編纂された「武芸図譜通志」は、わが人民が外敵を撃退する過程に創造し発展させた24般の武芸を絵で説明した代表的な書籍の一つである。この本に描かれた各種の武術動作絵は、朝鮮封建王朝(1392年~1910年)時代の有名な画家であった金弘道が描いたものである。当時、編纂者たちはこの本に武術分動作を絵で説明するとともに、それを順々に再現できるように動作名別に配列された連続画の形式の総譜も与えた。そうして、誰もがこの本を見て自ら各種の武術動作を容易に習熟できるようにした。「武芸図譜通志」は、刀や槍など各種武器を利用する方法と拳法、馬上術、擊毬などで構成されている。朝鮮の正統武術であるテコンドーの根と歴史、東方武術を研究する上で大きな意義を持つことで「武芸図譜通志」は2016年5月、ユネスコ世界記録遺産アジア太平洋地域記録遺産として登録され、ついで2017年10月にはユネスコ世界記録遺産として登録された。今日、わが人民は誰もが民族の正統武道であるテコンドーを愛し習っており、テコンドー選手たちは国際競技でテコンドー母国の気概を万邦にとどろかしている。 世界最初の降雨量測定器具―測雨器朝鮮民族が創造した貴重な文化財の中には測雨器もある。測雨器は、15世紀中葉にわが先祖が発明、利用した世界最初の降雨量測定器具である。これが出現する前にわが先祖は、雨が降った後、雨水が地中にどのくらい染み込んだのかを測って降雨量を測定した。しかし、雨水が地中に染み込む深さは土質をはじめいろいろな要因によって異なるので降雨量を正確に知ることができなかった。この欠点を克服するためにわが先祖は1441年8月に高さ40センチ、直径16センチ程度の測雨器を発明し、その後もっと改良し、具体化して高さ30センチ、直径14センチ程度の測雨器をつくった。測雨器は、中に繊細な目盛りが刻まれている円筒形の雨水受けを石でつくった支え台の上に置いてその中に溜まった雨水の深さを測って降雨量が知るようにした。当時、各地方は雨が降り始めた時間と晴れた時間、降雨量を測定して当該の道に報告し、各道では中央に集結させて掌握し、記録することを制度化した。イタリアで器具をもって雨水の深さを測定したのは1639年であった。こうしたことから、わが国で創案、利用した測雨器はこれより約200年前のものとなる。 農業機械の修理・整備を推進 黄海北道黄海北道の各農村が、農業機械の修理・整備を最終段階で進めている。燕灘郡と黄州郡は、順次を正しく定め、日別の修理計画を遂行するよう条件の保障に力を入れて農業機械の集中修理と整備を終えた。沙里院市、鳳山郡、金川郡の農業勤労者は、必要な部品を生産、確保してトラクターの稼働を円滑に保障することのできる万端の準備を整えた。松林市、銀波郡、新渓郡が、栄養冷床苗の栽培面積を増やせるように田植え機を合理的に改造している。遂安郡農業機械作業所と麟山郡農業機械作業所の技術者、技能工は、設備の性能更新と栄養苗の田植え機の改造において提起される問題を解決している。新坪郡、延山郡、祥原郡なども、技術伝習、模範講習を行い、機械手段の性能向上と中小農具の確保のための活動を推し進めている。 特に政治的な意図はない。一時期ブームになった北朝鮮。律動体操や女性アナウンサーなどは面白いといえば面白かったけど、決してそれだけではない国、北朝鮮。現地に行くことは出来ないので、2012年から短波放送の受信を記録してみる。「朝鮮の声」の Webサイトに放送の内容が文書化されていたので、それも保存してみる。ものすごく不安定で使いにくいサイトだったので全部は収集できなかった。また、放送はされたが文書化されていないもの、文書化されてはいるが放送されなかったものも多数ある。画像も保存していたが不注意で消してしまった。これからは注意する。北朝鮮といえば「無慈悲」が一般的になっているが、短波放送では「情け容赦無い」がよく使われている。 基本的に文章はそのままにしているので、「て・に・を・は」がおかしい箇所がある。よほどひどい場合は直している。サイト上の文章は、たまに「ファンヘ北道」や「ファンヘ南道」のカタカナの「ヘ」が平仮名の「へ」になっていて検索にかからないので直した(直し忘れもある)。ローマ字や数字も半角にした。 ※朝鮮語ではどうなのかは知らないが、どうしても先代の「国防委員長」という肩書は格が落ちたような感じがする。主席、総書記、元帥でよかったと思うけど。長いし。 |